北大山岳部・山の会・画像アーカイブ - 39000-河村
         
 
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39147.jpg39147.jpgBarrowの管制塔か。お気に入りに追加
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39148.jpg39148.jpgC-130輸送機がT-3に向けBarrowを発進準備中。お気に入りに追加
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39149.jpg39149.jpgC-130輸送機がT-3に向けBarrowを発進準備中。お気に入りに追加
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39150.jpg39150.jpgT-3到着。 1973年5月、氷島T-3においてアイスコアを採取するための調査を行った。これは沖縄海洋博覧会において三和銀行、大林組などによる「みどり会」という海洋開発支援グループがパビリオンを飾るために氷柱が必要になり、それをT-3から採取、持ち帰ると言うプロジェクトであった。関係したのは樋口敬二、渡辺興亜ら名古屋大学で、このために関係者がT-3に派遣された。主なメンバーは北大山岳部/山の会であった。一次の予備調査は名越昭男、石本恵生、河村章人が、二次は佐伯トンコ、石本、伏見碩ニ、奥平文雄(命題)、河村、鈴木(北大低温)、安間荘、大山佳邦、関野幸二、小村(岩波映画)、甲斐らが派遣された。以下は5月10日から同28日までの一次現地調査時の映像である。 お気に入りに追加
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39151.jpg39151.jpgバロウのAR空港。 氷島への補給一切はC-130機で行われており、1973年当時にはかつての主役であったDC-3機はすでに使われていなかった。T-3滞在中の氷島の位置は5月11日、83-43.6N,85-24W、5月28日は83-45.4N,83-51Wであった。5月18-22日には嵐があり、この間、氷島は12.1哩移動していた。情報の一部は名越昭男、石本恵生氏の協力による。 お気に入りに追加
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39152.jpg39152.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39153.jpg39153.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39154.jpg39154.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39155.jpg39155.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39158.jpg39158.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39159.jpg39159.jpgT-3へ向かう途中の海氷のありさま。かなりのIce coverageあり。お気に入りに追加
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39162.jpg39162.jpgT-3のメスホール。お気に入りに追加
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39163.jpg39163.jpgT-3ではSchackと呼ばれる居住棟。アル文献では昔はJames Hutと呼ばれていたこともある。外壁には何かと落書きがある。ストレス発散のためか。お気に入りに追加
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39164.jpg39164.jpgT-3ではSchackと呼ばれる居住棟。アル文献では昔はJames Hutと呼ばれていたこともある。外壁には何かと落書きがある。ストレス発散のためか。お気に入りに追加
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39165.jpg39165.jpg飲料用水のための氷取り込み作業。お気に入りに追加
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39167.jpg39167.jpg事故遭難のAlaska International Air C-130機。1960年代のARL機による補給ではなく、現在は民間機との契約による輸送方式であるらしい。お気に入りに追加
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39168.jpg39168.jpg事故遭難のAlaska International Air C-130機。1960年代のARL機による補給ではなく、現在は民間機との契約による輸送方式であるらしい。お気に入りに追加
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39169.jpg39169.jpg事故遭難のAlaska International Air C-130機。1960年代のARL機による補給ではなく、現在は民間機との契約による輸送方式であるらしい。お気に入りに追加
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39170.jpg39170.jpg事故になったAlaska International Air C-130機お気に入りに追加
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39171.jpg39171.jpg事故機を修理するために大きなコンテナ式移動工場を運び込んでいた。噂では保険で事故処理は終わっているのに、修理して丸儲けしようとしていたらしい。お気に入りに追加

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