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発行日時
2025-6-6 11:05
見出し
泙川〜皇海山〜鋸山〜庚申山
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泙川〜皇海山〜鋸山〜庚申山(沢登り/日光・那須・筑波)日程:2025-06-02〜2025-06-05メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:広く自由な河原標高1100m屈曲にも窯跡あり。右岸には巨大な洞がたくさん庚申山修験道にて泊壊れた堰堤の滝足尾銅山本坑あと雨の焚き火小雨降りC2決め込む。雨の下でも炊けるよう、片側を高く張るまたラーメン100m以上のなめとあるコルでなめ足尾銅山の橋人為的な河岸段丘庚申山修験道深山大河の趣、長く深い川に入る喜び足尾銅山本坑あと庚申山修験道ナメ滝左岸上にもう一個あり足尾銅山のある松木川の谷棒ラーメン上部も滑床の素敵な沢4mほど懸垂して滝上に降りる。標高1180m地形図の岩マークのあたり宵闇棒ラーメン美味至極の表情ヤブコギ途上のマツと日光白根上部も滑床の素敵な沢巻きたばこまたラーメン庚申山修験道鏡岩にて産業遺産解説左岸にトラロープあり廃墟左岸窯跡の対岸でC2とする鋸岳へのルート皇海山見えた庚申山修験道炎の饗宴上部も滑床の素敵な沢キャンプ1温泉付きの水沼駅で下車右岸の林道がトンネルになっているあたりには巨大堰堤に阻まれる。美しいなめシャクナゲ皇海山巻きたばこ初夏の黄色い花シャクナゲマン開2段10mくねくねとクネルナメ滝と林函滝不審な客左岸にトラロープあり庚申山修験道均一なサイズの岩石帯トラロープ残置あり雨の日こそ焚き火が快適車窓より庚申山修験道にて泊ごくり初夏の黄色い花支流から注ぐ美しい滝土場跡の笹草原庚申山修験道水沼駅前のはやぶさ食堂でエビカツ重シャクナゲ半開皇海山巨大な洞。幅50m、深さ20mはあるぞ皇海山昔の土場あと宵闇鉱山街。車窓より鋭鋒、ノコギリ岳から皇海山わたらせ鉄道来ました!ナメ滝左岸上部は丈の低い笹で見通しも良い清野さんと3人皇海山見えた炭焼き窯跡庚申山修験道なめ両岸が少々立っている坑夫の足庚申山修験道こんなところに広大な修験宮があったのか2段10m庚申山修験道水流も減ってきた雨の焚き火庚申山修験道ヌルヌルの段差のクライムダウン今度は右岸に石垣と土場跡がある庚申山修験道にて水を汲む100m以上のなめ炎の饗宴函滝巻きたばこ庚申山修験道シャクナゲマン開またラーメン100m以上のなめ小規模な滝右岸を行く足尾銅山本坑あと正門と廃墟 1973年閉山人為的な河岸段丘ひとやすみ終着、間藤駅堰堤の廃墟、天然への途上支流から注ぐ美しい滝宵闇稜線はツツジの大木だらけ庚申山修験道こんなところに広大な修験宮があったのか上部は丈の低い笹で見通しも良い標高1200二股あたり人為的な河岸段丘はやぶさ食堂、超満足函プール足尾銅山正門渓谷鉄道ツツジ奈落カツラの巨木の下で休む。石垣もあり鉱山鉄道鉄橋910m二股。左俣に見える堰堤。足尾銅山本坑あとまたラーメン巻きたばこくわえタバコでサラミを切る男午後のまどろみ20分ほどでバスが来た。間藤まで170円。1.5時間に一本。庚申山修験道こんなところに広大な修験宮があったのかしれっと岩峰皇海山山頂2連発堰堤のクライミングは木登り庚申山より皇海山庚申山修験道岩盤の両サイド皇海山とツツジ途中10分停車の駅には懐かしの缶ビール自販機もあり。雨の焚き火庚申山修験道かわいいくも岩盤の両サイド広大な河原玄米カレー雑炊納豆粉末かけ小瀧連発男体山とシャクナゲ右岸には巨大な洞がたくさん巨岩帯で肩にのったりする高みかけて行き詰まって戻るところ絶望的な堰堤だが左岸に弱点あり庚申山より皇海山あれは男体山瀞、函巻きたばこ鉱山街。車窓より国境稜線は快適な尾根鏡岩にて右岸には巨大な洞がたくさんトラロープ残置あり巨大な洞。幅50m、深さ20mはあるぞコザクラ感想:皇海山に登る天然ルートとして、マツが数十年来課題としていた泙川から、スカイ山に直登する。けがれ無き沢から、十分な日程を確保して臨んだ。私は大阪での用事から松本に帰った日にマツが美濃から軽自動車で松本に来て、松本で泊。翌朝沼田へ移動して奈良(なろう)の不動滝に駐車して入渓。はじめはここへ戻るため、皇海山から不動沢へ降り小田倉沢を戻る計画だったが、沼田の清野さんの電話したら、帰りの車回収につきあってもらえることになったので、足尾へ乗っこしてわたらせ鉄道で下ることに計画変更した。やはり計画は乗っこしのほうが断然美しい。1日目不動滝から標高860まで。くねくねした川は、はじめ大河の趣あり。大きな川の始まりは気持ち良い。渡渉を繰り返して進む。水量はちょうどよいが、多いと困難だ。右岸側には大きな洞が連続する。巨岩帯があり、肩に乗ったりして通過する。随所にトラロープあり、助けられる。無いと厄介な巻きになる箇所もあり。天場はどこにでもあり。疲れたところで泊まる。2日目標高1100mまで進む。この日は雨予報だったので7時まで出発を遅らせるが、大して降らなかったので進める。ポツポツとは降ったがよし。CO900m左岸側に、広大な草地の平地がある。明らかに人口の場所。まるで山城の広すぎる郭のようだ。下山後沼田の清野さんにきいたら、この谷は足尾銅山の坑道の杭材に使うため、完全に丸裸に皆伐されて県境を超えて架線で運ばれたそうだ。閉山によって50年、見事な天然林に復活しているとのこと。こうした草地の平地は何箇所かあり、素敵なカツラの大木などが石垣の上に根を張ったりしている。右岸の林道は奥深くまで地図上では伸びているが、谷の中はあまりその気配を感じない。しかし、古い堰堤の壊れたやつや新しく圧倒的な堰堤がいくつかあり。その野暮を勘定しても美しい谷だ。函滝の通過で3mほどの懸垂もする。ほぼ核心を終えたあたり、古い窯跡のある対岸でC2とする。タープを高めに張って焚き火がついたところで雨が本格的になる。雨の下で焚き火して飲酒の極楽よ。着物はパリパリに乾いている。3日目この上は程よいナメが続き、美しい渓相は源流まで続く。名峰に登る文句なしの大河だった。源流の藪漕ぎは無し。爽やかに国境稜線へ。泊地もどこでも可能だ。国境稜線は踏み跡が明らか。白いツツジが花盛りでとても美しい笹草原。鹿の角を拾った。皇海山への400mの上りは急登だ。過去の400m登りピークを次々思い浮かべる。美しいシャクナゲの森も花盛りだ。藪漕ぎがなくて助かった。山頂には銀山平から日帰りの小荷物の二人組がいたのみ。ここからの夏道は修験道のゲバゲバルートだ。ほとんど下調べしてこなかったので行って驚く。鋸岳から庚申山は鎖完備ではあるがマジおっかない高所恐怖症ルートだった。南無阿弥陀仏。それぞれの山頂には白山、蔵王山、御嶽山・・・、と名峰の名があり。ここも円空行者の軌跡なのか。庚申山からの下降路も完全に修験ルート。よくもまあ見出したというルートが洞穴をくぐりつ、壁を這いつ続いている。でも行動時間10時間はそろそろきつい。庚申山荘の裏の木立の中にタープを張ってラーメンを食べ、すぐ寝る。今回の食事は初日を除き3日連続朝晩全て棒ラーメン。4日め爽やかな朝だ。山荘の表側に来るとたくさんの人に出会う。百名山の皇海山だからか、平日なのに10人以上とすれ違う。皇海山へは六林班峠から行くのだろうか?修験の道上では先日見た映画で歌われていたジョニ・ミッチェルのBoth sides now(青春の光と影)を鼻歌で歌っていた。マツもその映画を最近見たとのことだった。銀山平からは船石峠を超えて名高い足尾銅山本坑廃墟へ。廃れて天然に回帰してゆく風景は山歩きの密やかな楽しみだ。近代日本の勃興期にこの谷は栃木県で第二の人口を誇ったという。鉱毒で山を汚し、100年が過ぎ、また天然世界に帰ってゆく。峠でWeb電波通じて時刻表を見る。たまたまちょうどよかった1.5hに一本のバスで間藤へ。間藤からわたらせ鉄道で水沼の温泉駅まで1時間。清野さんから電話連絡があり、ここで風呂に入って待っていろ、という指南あり。ここで風呂に浸かったあと向かいのはやぶさ食堂でエビカツ重をかっこんだ。オレタチ好みのガテンサラメシ系食堂だ。ちょうど食い終えた時間に清野さん到着。このまま鉄道で桐生に抜けて沼田まで行ったら半日かかるところだ。鉄道情緒も良いが、1時間乗れば十分だ。なんてありがたいセンパイなんだ。北大山岳部に入って本当に良かった。泙川の奈良(なろう)の車まで赤城山東面道路をぶっ飛ばして1時間で回収。道中この30年間のいろんな話。「沢登りに関しては、65歳になった時、遂にカクっときたよ」という話を受け止める。でもまあ3人とも本当に好き放題登ってきたからねえ。多分みんな老いを嘆いたりすることなどは無いだろうな。別れ際に気づいた清野さんのナンバー、ダウラギリの標高だった!赤城、榛名、上信の鋭鋒群、浅間山を眺めて信濃へ。獨鈷山麓を通って松本へ。明るいうちに帰宅してかめと三人でグリーンカレー。 2019年春、6年前の尾瀬から見えた、あの皇海山へ登るバリエーションとして、随分以前から泙川に目を付けていた。林道が川に併走するものの高く、目障りなく遡行できるだろうと踏んで。実際にも、標高900m周辺で侵入した部分が人為を許すのみでその他は無垢な雰囲気を味わえた。隣の栗原川は人気のナメ沢のようだがこちらはどうだろう? 尚、現地でこの川のことは地図表記「泙(たに)川」とは違って「ダイラガワ」と呼称するとのこと。6/1:day0;次女の送迎を終えて夕刻、下道で木曽を経由して松本を目指した。6/2:day1;合流した米山さんと沼田の東の奈良(なろう)手前から堰堤の管理路?利用で入渓する。空広い川を、右岸の迫力ある側壁に見とれながら遡っていく贅沢よ、気分は伊那の万古川である。標高790mの左岸支流滝を合図に両岸が迫り、中に挟まる巨岩を越えるのに二ヶ所で苦労する。それぞれ残置ロープの世話になったが一人だと往生しただろう。両岸から樹林が降りてきた標高850mの右岸にタープを張り、明日の雨予報に停滞も織り込んで小早に宿って酔いどれた。6/3:days2;朝様子を見たが幸いにして空も明るく、行けるところまで進めることとした。地図の通りに左岸支流はどれも滝を持って合しており目を惹く。標高900m地点の本流滝印は実際には無く誤りである。そんな中で人気のある津室沢、の先で右岸に敷設された林道が沢に下りてきて夢から覚めるも、標高940mに水量豊富な幅広の岩床が現れて気を吐く。三俣沢、龍ノ沢、ナメ沢と分けると地図表記通りにゴルジュ滝が7、5、3mと垂れて7m滝の左岸捲きで本沢唯一の懸垂下降をした。この先の天場が見通せず、見つけた適地で小早にタープを張って火を熾して呑み出すと、見計らったように雨が落ちてきた。オヂサンには行動六時間程度が適当である。6/4:days3;広沢の直登ラインも本流遡行も止めにして、鈴小屋沢の右俣を採って国境平を目指した。これが実に穏当な源流で、藪漕ぎ不要で稜線に迎えられた。この何でもない笹原以降、死んだ鹿を何頭も見掛けたが、誰にも看取られずに斃れるそれらに気の毒さよりもむしろあるべき姿、潔さを感じた。その脇のシロヤシオが献花する。彼らの苦しみに比べるべくもないが、ここから高差500mの登りになり、ニャクタクと高度を勝ち取っていく。南アほど大きな山塊でもないここ足尾山塊でこの標高差は貴重であり、これこそが皇海山を特別な山【笄】に仕立てている。渡良瀬川水源という2144mの山頂はやはり樹林の中にあって展望は利かない。二人の先客に、ムンムンと匂い立つものが我々にはあると言われて照れるなぁ。折角の機会なので下山路を鋸山、庚申山の修験道に採ったが中々楽しかった。左手握力の快復が充分でないため、ヒヤリとするシーンあり。特別天然記念物指定のコウシンソウは目にできなかったがまぁ、いい。いい加減疲れたので水の取れる庚申山荘の裏林にゲリキャンした。6/5:days4;夜半、風に起こされた。今朝もyoneyamaさん大好物の棒ラーメンを掻っ込んで下山に掛かる。銀山平からは新緑眩しい舟石峠を越え、足尾銅山の名残を目にして間藤駅まで。いつ廃線になるか判らないわたらせ渓谷鐵道に乗車して水沼駅で下車、過去最高額の入湯で汗を流し、駅前食堂のエビカツドンで腹がクチクなる。ここに大学山岳部先輩である"沼田の兄貴"セーノさんが迎えて下さり、角幡君やキノポン話に花を咲かせてアルファロメオで自車まで送って頂いた。沼田から松本までまた走るが、長躯して一つの山を目指すこんな山登りはこれを最後としたい。満足は疲労を伴って得られるものだが、ただ環境負荷とは無縁である。
 
 
 
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