34.山の絵本 尾崎喜八(おざききはち)/1935/朋文堂/346頁
尾崎喜八(1892-1974) 詩人、登山家
東京築地に生れる。生家が商家であったことから京華商業学校(現学校法人京華学園)を卒業。卒業後は20代半ばまで銀行員などを経験し、その後、東京西郊で半農生活をいとなみ、詩作に耽った。高村光太郎ら「白樺派」の詩人達と親しく交わり、外国の詩人ではウォルト・ホイットマンやヘルマン・ヘッセ、ロマン・ローランに私淑した。山岳と自然を主題にした詩や散文に多くのすぐれた作品を残した。詩、エッセイ、翻訳のほかに、クラシック音楽への造詣も深く、音楽随筆集「音楽への愛と感謝」などがある。
山へ登るようになったのは30歳を過ぎてからで、河田�呂涼�作「一日二日山の旅」や「静かなる山の旅」(B-2「静かなる山の旅」参照)読んで感銘を受けたことがきっかけという。山の魅力を知るや、憑かれたように山行と自然観察・研究に没入し、山の詩文を書くようになる。松井幹雄の「霧の旅会」に所属し(B-28「霧の旅」参照)、河田�呂蕕伴腓箸靴匿�州の山野に親しみ、中級山岳を多く歩いた。晩年は北鎌倉に住み、尾崎の薫陶を受けた人々によって刊行された「アルプ」誌(註)に多く執筆した。
内容
著者の最初の詩文集で、26編のエッセイからなる。冒頭に私淑したヘルマン・ヘッセからの水彩画が載せられている。初版は1935(昭和10)年であるが、その後も装丁を変えて版を重ね、戦後は角川文庫、新潮文庫にも入っている。山岳部ルームの図書棚にデンと座っていたのをも思い出す人も多いだろう。カバーは無くなり、表紙は手垢に汚れ、角は擦り切れており、その姿から長年に亘り部員に親しまれてきた本であることが分る。新潮文庫版の自序の中で、著者はこの本のことを「我が心の物語」だと書いているが、部員達はこの本を手に取ってその「心の物語」にしばし耳を傾け、自分自身の心の物語を想い起したことだろう。
本書は、いわゆる紀行文や山水描写ではない。著者の自序で、「愛する美しい山地を書いた、またそれに結ばれる心を書いた、これは貧しい書物にちがいないが、しかしそれでもこの世に対する私の歌だ、私の詩だ。これは!」と言っている。
そして著者の山について次のように言う、「僕は最後にこれだけのことを言いたい―――、
山を愛する者は山を愛するがいい。山の自然を研究する者は研究すればいい。探険家は探検するがいい。それはあらゆる人にとっての宝庫である。又さういふ事が好きならば山を相手にそれを征服するもよし、山登りの覇権(ヘゲモニー)を把るもよし、独占権を握るのもいい。
一切拘らず山は彼處に在り、山は居る。いつも平原と空との間に、紫外光線に打たれ、エエテルを浴びて。
”ファウスト”の中で地の霊が言った、
Du gleichst dem Geist, Du bergreifst nicht mir.
”お前に解る霊にこそお前は似ている。俺にでは無い”と。」(「山に憩ふ」友に)
山岳館所有の関連蔵書
山のABC 全3集/尾崎喜八ほか編/1959/創文社
雑誌アルプ2-300号/1958〜1983/創文社、(196号は尾崎喜八特集/ 1974)
一登山家の思い出/エミール・ジャベル、尾崎喜八翻訳/1937/龍星閣
ワンデルング/ヘルマン・ヘッセ、尾崎喜八翻訳/1957/朋文堂
一日二日山の旅/河田��/1978/木耳社
静かなる山の旅/河田��/1927/自彊館
若き日の山々/串田孫一/1972/実業之日本社
山の絵本/静かなる山の旅/若き日の山/串田孫一ほか/1962/あかね書房
(註):雑誌「アルプ」
1958(昭和33)年3月、尾崎喜八命名による山岳雑誌「アルプ」が創刊された。串田孫一責任編集で創文社が発行元になっている。1983(昭和58)年3月、300号をもって終刊する。山の雑誌ではあるが、山の案内はしない、コース紹介、技術、用具などの実用記事もまるでない、広告は一切載せないという芯の通った清清しい雑誌である。300号のあとがきによると、25年間に600名を越える執筆者が協力したという。
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白頭山/京都帝大白頭山遠征隊/1935 |
山の隣人/長尾宏也/1935 |
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