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2025-4-1 10:17
ヤマレコAACH
二年班(プチ)メイン ピリカAt~トヨニ~野塚~オムシャ~十勝
二年班(プチ)メイン ピリカAt~トヨニ~野塚~オムシャ~十勝(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-02-27〜2025-03-04メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:写真:
2025-4-1 10:15
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富良野北尾根~D尾根
富良野北尾根~D尾根(積雪期ピークハント/縦走/十勝連峰)日程:2025-01-25〜2025-01-26メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:写真:
2025-4-1 9:48
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三国峠〜石狩岳 序盤で引き返し
三国峠〜石狩岳 序盤で引き返し(積雪期ピークハント/縦走/大雪山)日程:2025-02-08〜2025-02-09メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:感想:石狩に行くとメインに行けないというジンクスがある気がする
2025-4-1 9:39
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群別南西尾根引き返し
群別南西尾根引き返し(雪山ハイキング/増毛・樺戸)日程:2025-02-01〜2025-02-02メンバー: shibabemaru Sugiyama_2022 watanabeka ichikawata00コースタイム:コース状況/その他周辺情報:ワッフ音?たくさん感想:就活って大変なんだなと思いました。
2025-3-29 12:08
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芦別/野花南山群スキー縦走(近藤山〜野花南岳〜夕暎山)
芦別/野花南山群スキー縦走(近藤山〜野花南岳〜夕暎山)(山滑走/芦別・夕張)日程:2025-03-29(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987 toda1977コースタイム:写真:近藤山への登り富芦トンネル坑口から稜線を忠実に辿ると細くて急な箇所も出てくるシーアイゼン有効次のターゲット次のターゲット近藤山近づく夕暎山から班渓幌内山地を望む夕暎山近づく野花南岳へ稜線北上野花南岳頂上布部岳や中天狗を望むついこないだまで通い慣れた山々夕暎山頂上で憩う夕暎山からの滑降西尾根を下る野花南岳北尾根の滑降夕暎山へ谷越えショートカット次のターゲット野花南岳から夕暎山近藤山から野花南岳近藤山頂上直下のトラバース富良野西岳と布部岳作業道(右岸)から林道(左岸)へ徒渉あり感想:以前から気になっていたマイナー山群のスキー踏破。斜面を繋いで谷越えショートカットなど、この時期ならではのルート取り。季節外れの低温で、粉雪滑走も楽しめた。
2025-3-27 5:55
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2年班冬メイン 神威岳〜トヨニ岳
2年班冬メイン 神威岳〜トヨニ岳 (積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-12-27〜2025-01-02メンバー: onodera22 Sugiyama_2022 kaneko23 tamaki_2023コース状況/その他周辺情報:Day1:林道ゲート(8:00)神威山荘(15:00)=C1晴れ。暖かい。今までよりも大分手前で通行止めになっていた。(地図上でまだ黄色の道路のところ)ひたすら歩く。途中クマの足跡が続いており、スノーシューとサイズがちょうど合うため、くまさんよりラッセルごっつあん。この時期でも冬眠していないとはおそろしい。神威山荘まで。へばったLから小出しにするつもりだった鶏肉1kgが出てきて入山祝い。調理している途中で水野さんが来た。まさかのトヨニまでいっしょ。Day2:C1(6:30)Co1130(13:30)晴れ。風もなく-7℃くらい。暑い!渡渉は転石渡渉、問題ない。藪漕ぎ3.5hくらい。Co550くらいから獣道か踏み跡かがあった。そのあとのラッセルもしんどい。Co1130、急登直前でC2。明日のために主稜線までラッセルしてトレースつけてきた。登り1h強。尾根頭手前、急登終わりは整地すれば4人用でもテント張れそうだった。1,2人なら余裕。(カンバ帯)Day3:C2(5:30)中間尾根頭(6:30)神威岳(11:30~11:45) 1400ポコ(14:15)晴れ。風は並(風速5〜10m程度か)。長時間行動なので、昨日つけたトレース使ってラテルネ出発。・1244付近は痩せている。スノーシューのままでは厳しそうな一箇所は日高側巻いた。神威手前で一瞬EPにしたがすぐズボズボになったので、またスノーシューに替えた。西尾根を登ってくる水野さんが見え必死にラッセルするも、残念ながら先を越されてしまった。神威岳で水野さんと合流したあと、ソエマツまでは現役に前行かせてくれた。感謝。神威からΩ3までは結構細い。ラッセルすね。Ω3は雪たくさん。Day4:Ω3(6:30)靴幅山(8:00)ソエマツ岳(13:45-14:00)ソエマツ東尾根Co1600(14:05)=Ω4晴れ。今日もラッセルがしんどい。靴幅リッジはじゃん勝ちALがトップ。状態よくあまり難しくなかった。OPのほうが細かった。ザイル出さなかったが、ブッシュも出ていて両端に太い木あったのでザイル出せる感じだった。ソエマツ西峰肩までの登りは岩でてて、EP。急で、凍った草付きやハイマツに刃を刺しながら登る感じだったが、ブッシュつかめるので難しくはない。ソエマツ西峰〜東峰間は緊張。EP。細い岩稜。過去の記録でなんにも書いていなかったがちゃんと報告に残すべき難しさではあったので、雪が少ないとこうなるのかも。準山OPで十分対処できるレベルだが。ソエマツピークから少し下ろしたところで全イグルーよりのΩ4。カンバもちょこちょこ生えてて稜線上ではなく風下側ゆるい斜面途中に作ったので風もあまりなく穏やか。水野さんとはここで一旦さよなら。さらに進めていかれた。Day5:Ω4=Ω5低気圧通過のため停滞。トランプしたりしりとりしたり、最強のスパを作ったり充実した2024年最後の日。イグルー内常に5℃くらいありどんどん溶けていくし天井も下がっていく。高くつくっておいてよかった。6日の朝、寝る前においておいたコッヘルいっぱいに水がたまり溢れていた。冬山でここまで濡れたのははじめて。Day6:Ω5(6:30)ピリカ(12:00)・1512北2つ目のコル(14:30)=Ω6晴れ。風も穏やか。初日の出を眺めながらソエマツを下る。ピリカまでは問題ない。・1529はねぐった。途中で水野さんのトレース出てきて利用する。ピリカからの下りがズボるのでスノーシューで降りていると一箇所急なところで、小野寺が足を滑らす。手を雪に突っ込んで制動かけて止まる。固い斜面に昨日の新雪が乗っかっている悪い状態だった。これを踏まえEPに切り替えてしばらく歩くが、そのような場所はその後出てこなかったので、アイゼンでラッセルをするしんどい時間となった。そしてスノーシューピッケルに切り替えて予定テンバまで。雪が全然なくほぼ全イグルー。Day7:Ω6(6:30)トヨニ岳(9:00)野塚トンネル十勝側(11:00)晴れ。これまでと比べ雪がしまっているところ多く歩きやすい。風は並→トヨニ手前で気にならない風。これまでと比較すると細いと感じるところはなかった。下る尾根は思ったより急。ところどころシリセードで降りていく。尾根末端で水野さんと合流。野塚トンネル十勝側でゴール。車移動をしてくださった中札内村の方々に大変感謝。水野さんといっしょに、定番の中札内村の温泉に行き、帯広の魚べいで腹いっぱいお寿司を食べたのち札幌まで。<パーティ>貫徹!3年ぶりの2年班冬メイン。LsもMも頑張りました。写真:魚べいにて。恒例の藪こぎ。稜線に出る。ワクワク!岩がところどころ。笹とハイマツでなんちゃって正月飾り。思ったより手前でゲート出現。コンディションよく準山OP尾根よりはもっと幅あった。元旦朝はスパでなくおしるこに。ピリカピーク。巨大なイグルーコッヘルからあふれるほど雪解け水が滴る。初日の出とピリカヌプリ。靴幅リッジ。じゃん勝ちALがトップ。やっと小屋着。1日目は小屋まで少し歩くだけだからとパー食背負いすぎたLがやられる。大先輩水野さんとピー写。ソエマツピーク。感想:初めてのL。はじめての冬の2年班。無事に終わって本当によかった。いいパーティでした。天気が良く毎日楽しかった。※投稿遅くなってしまいすみません。
2025-3-25 10:35
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狩勝峠から日勝峠まで
狩勝峠から日勝峠まで(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-03-23〜2025-03-24メンバー: zeniya1990 Yanke1987コースタイム:写真:・905左のポコから行く方向をみる最初の滑降オダッシュ山ピーク・1022からのシール外して、十勝連峰遠望オダッシュ山登り遠くに下ホロ、あそこから繋いできた十勝平野は天気よさげ・1022からの下り1憩い・1177からは山の様相が変わる国道が見えた、向こうにはペケレベツ豊富な枯れ木、適度な風辿る稜線日勝峠着、ビリビリオダッシュ山と道東道トンネル上のコル、風の通り道狩振山右の狩勝山と左の無名峰労山熊見山からの滑降翌日は快晴
2025-3-25 7:37
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コチャモ
コチャモ(キャンプ等、その他/南アメリカ)日程:2025-01-21〜2025-03-14メンバー: Nakagawa2019コース状況/その他周辺情報:渓谷の入り口に門番がいて渓谷内のキャンプ場の予約が1泊以上ないと入れない。我々のような長期滞在のクライマーは最初の数日だけキャンプ場に居てその後は渓谷をさらに詰めた岩小屋で生活している人が多い。写真:感想:南米のヨセミテことチリのコチャモ渓谷に遠征。一番遠くて一番デカい壁El Monstruo に「物怪(MONONOKE) 5.11b/C3/1300m」を開拓。強烈な歩荷、垂直の森の藪漕ぎ、沢登り、焚き火、爽やかな岩登り、ピークは雪。フリー?アルパイン?これってもしや極地法⁈よくわからないけど、ルームセンスを応用すれば地球上どこに行ってもいろいろ面白いことができそうなたしかな手応えを感じた。コチャモはこれから流行ってくるかも。気候的にもわりと日本人が適応しやすいと思う。欧米人はここでパイネやフィッツロイの好天周期を待ったりしているようだ。なお、下山後5日間ほどサンティアゴ在住のルームOB堤さん邸でお世話になった。大変良くしてくれるので南米遠征の際は連絡してみるとよいだろう。
2025-3-23 20:03
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史上最悪イグルー@乗鞍岳
乗鞍岳・標高2640m、暴風域でのイグルー泊
春の気圧配置で、すごい風の日に乗鞍岳を独自ルートで山越えしました。相棒の長年の設計ラインで鋭鋒・烏帽子岳に直登する尾根です。美しい針葉樹林を10時間近くラッセルして山頂から火山台地に出たところで暴風域に入りました。テント(もっていないけど)ではぶっ飛ばされる事必定。
風で屋根が落とされてできない→スキーで屋根掛け
翌朝撮影。この暴風では隙間は塞げず吹き込んだ雪はツエルトとの間を流れ落ち、側面から溜まった。屋根にスキーの先端が見える。
スキーを引っこ抜いてもブロックはくっついていて屋根は落ちなかった
乗鞍スカイラインはアイススクリューが要るほどの青氷。吹き溜まりにノコギリの入る積雪を見つけ、そこにイグルー作製開始。ブロックは下一段は切り出せるがその下は青氷。広くブロック供給場を設けて運んで組んでいく。三段目くらいで長いブロックを屋根かけすると、眼を離した隙に風で落とされる。落ちて皆半分に折れてしまう。3回くらい繰り返し落とされて、スキーとストックを梁にする方法に切り替える。あっという間に屋根完成。
風上側に二重にブロックを積んで隙間ふさぎ
いつもみたいに悠長に隙間ふさぎをできないので、風上側にはもう一重外側に壁を載せて二重の厚さにする。それでもこの地吹雪の粉雪は、隙間から吹き込むやつだ。前に富士山でやられた感じだ。相棒は始めブロック取りに勤しんでいたが、そのうち顔面にシュカブラができてメガネがアウト。目潰しの雪つぶてで、風上を見られない。ツエルト被って待っていてもらう。そのツエルトもぶっ飛ばされないようにかぶるのがまたタイヘン。
内張りのツエルトはベルヌーイの定理でピシッと張り付く
中はやっぱり隙間から吹き込みまくりだ。でも中でツエルトを被ったら不思議なことが起こった。ツエルトが、固定もしないのに壁に張り付いて落ちて来ない。風で流速の早い外部はイグルー内よりも気圧が下がるせいだろう。飛行機の翼が上面の流速に吸われて浮き上がる「ベルヌーイの定理」である。中学生の頃から航空工学好きで知ってるんだ。ベルヌーイは翌朝まで続いた。でも風、弱まってほしかった・・。
イグルーの中は結局雪まみれ。でも風は音だけだ。
壁とツエルトの間に入り込んだ吹込み雪が、外側からずんずん攻めてきた。両側は雪がつもり、吹き込んだ雪が寝袋の上に積もり、やがて体の下にも落ちて体温で溶けて冷たい水たまりになり、一晩中ブルブルだ。でも死ぬほどじゃない。風は時折ドカンドカンとパンチのように壁を叩く。壊れたらどうするかシミュレーションはしてある。でも壊れなかった。
膝の上でストーブを焚き、ミルクティーを何杯も飲んで晩飯も朝飯も終わり。明るくなっても風は止まず。ドボドボに濡れた寝袋をザックに突っ込んで、樹林限界まで鼻をつまんで脱出した。視界があるってありがたい。強風晴天のなか、安全圏へ下る。計画は半分だったけどあの風では仕方ない。なんとかやり通せてきた満足が大きい。
風が強く積雪が少ない場所のイグルー
同じような状況は以前富士山で体験した。積雪が少ないので貧相なブロックの上、隙間から転がりまくったザラザラの雪粒が絶え間なく吹き込む。その時のメンツは「イグルー懲り懲り」に。今回は内側にツエルトで快適とまでは言えないがなんとか凌いだ。もっと大きいタープならば外側に被せて張る手もある。でも、固定する雪面が青氷なので、スクリューが要るしあの風ではちぎれて飛ばされそう。こういうところに泊まらないのがベストだけど、注文通りに行かないのが山だ。そうなったら手持ちでやりくりするしか無い。
山行記録: ほおのき平~烏帽子岳北西尾根~乗鞍岳スキー場
2025年03月20日(3日間) 槍・穂高・乗鞍, 積雪期ピークハント/縦走 / yoneyamaの山行記録
Igloo Night in the Storm Zone at Norikura-dake (Elevation 2,640m)
Crossing Norikura-dake on a Unique Route in Fierce Winds
During a spring weather pattern with intense winds, I traversed Norikura-dake via a unique route. My partner’s long-established route design follows a ridge leading directly up to the sharp peak of Eboshi-dake. We spent nearly ten hours breaking trail through beautiful coniferous forests before reaching the volcanic plateau at the summit, where we entered the storm zone. A tent (not that we had one) would have been blown away for sure.
Roof Collapsing in the Wind → Ski Roof Construction
The Norikura Skyline road was covered in blue ice, requiring ice screws for traction. We found a snowdrift with packable snow deep enough for a saw to cut through, and we began constructing our igloo there. The first row of blocks was easy to carve, but beneath that was solid blue ice. We widened the block supply area, transported them, and stacked them.
Around the third row, we attempted to place long blocks as a roof, but the wind knocked them down the moment we looked away. Every time they fell, they snapped in half. After this happened three times, we switched to using skis and poles as beams. That worked like a charm, and the roof was up in no time.
Double Layering the Windward Side to Seal Gaps
Unlike usual, I couldn’t afford to leisurely fill in the gaps. On the windward side, I added an extra exterior wall for a double-thickness defense. Even so, the powder snow carried by the ground blizzard kept infiltrating through the cracks?just like what happened to me on Mt. Fuji before.
My partner was busy collecting blocks at first, but soon, his face was covered in frost formations (sastrugi), and his glasses became useless. The wind-driven snow kept striking his eyes, blinding him from looking upwind. I had him wait under a bivy sack, though even that was a struggle to keep from being blown away.
Bivy sack Sticking to the Wall Thanks to Bernoulli’s Principle
Inside the igloo, snow was still blowing in from the gaps. But when we wrapped ourselves in a bivy sack, something curious happened?it clung to the walls without any support. The fast-moving wind outside created lower pressure compared to the inside, making the tarp stick to the surface. It was a real-life demonstration of Bernoulli’s principle?the same aerodynamic effect that makes an airplane wing generate lift. I’ve been interested in aeronautical engineering since middle school, so I recognized it immediately.
Bernoulli’s effect lasted until morning. But I sure wished the wind would die down sooner…
The Igloo Filled with Snow, but at Least the Wind Was Just Noise
The snow that blew in between the walls and the bivy sack kept creeping inside. Snow piled up on both sides, covered my sleeping bag, and eventually fell underneath me, melted from my body heat, and turned into a freezing puddle. I shivered all night, but it wasn’t life-threatening.
The wind occasionally slammed against the igloo like a powerful punch. I had simulated an emergency plan in case the walls collapsed, but fortunately, they held.
I lit my stove on my lap, drank multiple cups of milk tea, and finished both dinner and breakfast. By morning, the wind was still howling. I stuffed my soaking wet sleeping bag into my backpack, pinched my nose, and made a break for the treeline. The visibility was a blessing. Under clear but violently windy skies, we descended to safety. The trip was only half of what we planned, but given the conditions, that was inevitable. More than anything, I felt deeply satisfied that we managed to push through.
Building an Igloo in Strong Winds with Minimal Snow
I had encountered similar conditions before on Mt. Fuji. There, with little snow, we had to stack flimsy blocks while an endless stream of granular snow particles tumbled through the gaps. That time, my companions swore they were done with igloos for good.
This time, the bivy sack inside made it somewhat bearable, though certainly not comfortable. A larger tarp might have helped if we had stretched it over the exterior, but anchoring it on blue ice would have required screws, and the wind would likely have shredded it anyway.
Of course, the best option would be to avoid camping in such places. But mountains don’t always follow orders. When faced with the unexpected, you just have to make do with what you have.
https://www.youtube.com/watch?v=s3MojBBEFHg
2025-3-23 1:23
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ほおのき平~烏帽子岳北西尾根~乗鞍岳スキー場
ほおのき平〜烏帽子岳北西尾根〜乗鞍岳スキー場(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2025-03-20〜2025-03-22メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:イグルー内より外の支度ミルクティーが朝飯。背景は緑色ブロックに見えるが、外の強風に吸われて、ツエルトが張り付いて落ちて来ないのである相変わらずツエルトは張り付いたまま針葉樹林の上り信州側スカイラインもしばらく辿る。ここは完全埋没沢夕景の牛首松、シール落として拾ってきた。牛首コルまで往復朝になっても強風。膝の上でストーブ炊いてお茶を沸かす温まる上部は登りづらくなる鍋を忘れたので、トランギアに三度スパを作って食べ回す。右は絶壁。まだスキーの方が行けるほおの木スキー場、今年はまだやっている。県境広場の少し前。右奥は摩利支天不鮮明ながら乗鞍スカイライン地吹雪で雪粒が高速移動し、霧のような映像。屋根にスキーを挟んでかろうじて作ることができた長いものを梁にすると、簡単に屋根を塞げる巨木の森きょうは二人広めの、猫イグルー。めしを作るより水分取って脱出だスキー場のひなたでザックの上に横になり手足を伸ばすガスに巻かれ、強風がやってきた。このあとシビアで写真なし。赤スパ牛首から滑降して池之俣川三股にかかる神輿滝の下の段大黒岳の麓から左・烏帽子岳、右・大丹生岳。烏帽子のあの急斜面をホワイトアウトで下った1610mの尾根のテラスで泊まる特に張り綱も張らないのに、イグルー内部のツエルトは壁に張り付いている。外の強風が低圧になって吸い取るせいだ。ものすごい風が止まない飲水を作る入口を開けるイグルーと焚き火離れがたい暖かさ不鮮明ながら穂高連峰ベルトシールの団子をとる出発の朝イグルーと焚き火準備ベンチからはブンブン吹き込む。火を焚くので空けざるを得ない池之俣神輿滝右岸尾根を対岸に見る。牛首のコル。あそこまでシール探して登り返してご苦労さん池之俣神輿滝の左岸尾根末端は急。ゆるいところを探してゆるいラインを探ってトラバース網を置くと鍋が安定するイグルー内。こうして横長ブロックを量産する温かいラーメンを食べるこんな感じの三股感想:《サマリー》乗鞍岳は、巨大火山乘っこしが楽しかった以前の御嶽山に続いてぜひ乘っこしたい山。今回のラインは松が練り上げた「その尾根行くかヨ」尾根を登って鋭鋒・烏帽子岳に直撃し、最高点・剣ヶ峰を越えて気持ちの良さそうだけど「誰もこねえズラ」という国境ラインを信飛交流の歴史に埋もれた野麦峠から下山するという美しいもの。南岸高気圧と樺太低気圧に挟まれて、晴天ではあるが猛烈な風にイグルーで辛うじて耐え、3000m乘っこしを諦め緊急下山はしたが、もう腹いっぱいの充実山行になった。後半はまたいずれ。《1日目》晴れ&高曇り5年前に登ったほおの木スキー場から根子岳への尾根の一本南隣りの尾根から烏帽子岳へ。牛の背から一回谷に降りて、尾根下部の急傾斜帯に挑んでまでラインにこだわる。尾根下部は岩もあるがそこを避けて同コンタトラバースで比較的行けそうな沢型から尾根に上がる。多分これがベスト。谷底で松がシールを落としてきたのに気が付き捜索に。牛首のコルまで登り返して来た。傾斜が緩い1610で泊まる。イグルーは広々。枯れ枝があり火を熾す。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2268543.html(5年前の記録↑)《2日目》ガス、最後はホワイトアウト強風標高差1100mを9時間かかった。重さ20kg越えのザックに足首〜膝の深雪ラッセル。入山日前日に積もったぶんが重い。喘ぎ喘ぎ、休み休み、かりんとうと柿の種とグラノラとヤマザキ食パンにマヨネーズつけて、水飲みながらがんばる。栂やシラビソの太い針葉樹林の景観は、誰にも見られない素晴らしいもの。こんな尾根、誰も来ないだろう?巨大な山のマイナールートには宝石のような森がある。2500mでタンネが消え、視界500mほどのガスになる。右手の絶壁が怖い急斜面だが潜るのでスキー。2600mで更に傾斜が増し、固く凍り始めてシートラ。視界5mほどに。風も猛烈に強く増してきた。ホワイトアウトの右絶壁歩きで最高点に着いた。下りも真っ白だが下降方向を丹念に確認して下る。急斜面で先が見えないからバックステップにもなる。スカイラインに載って先を目指すが猛烈な強風で台風だみだ。どこかではやくイグルーを作らなければ。もう午後4時になる。大丹生岳の北面なら風が避けられるかとそこの吹き溜まりにイグルーを作る。《嵐の夜》下一段掘ったらノコの入らない氷の層。イグルー周りにブロック取り場を広げ、広くから集める。時々吹き寄せる衝撃波のような強風で、せっかく屋根に載せた長いブロックが何度も落ちて折れてしまう。始めはブロック取りをしていた松はメガネと眉に巨大な氷のシュカブラが付いて朦朧としているのでツエルト被ってもらうが、そのツエルトもかぶるのに苦労するほどの強風だ。ブロックだけでは屋根ができないのですきーとストックを梁にして折れた山程のブロックを無造作に乗せて完成。風上側には二重のブロック補強をして、隙間ふさぎもかなりやって中へ。それでも隙間から粉雪がバンバン入る。イグルー内部でツエルトをかぶると外の流速が高いため圧力が減り、ツエルトが壁に吸われてピタリとくっつき、不思議なことに落ちてこない。飛行機の翼が浮く原理・ベルヌーイの定理だ。一晩中風が止まず、落ちてこなかった。急ごしらえなので中は狭かった。ツエルトの端を荷物で押さえ、荷物の上に寝る感じ。晩飯作る余裕はなく、温かいミルクティーを何杯も飲んで、疲れたので眠る。ツエルトと壁の間に吹き込んだ粉雪が両サイドからどんどん流れてきて、寝袋の上に拭きつもり、体の下にも周り、ずぶ濡れのヒエヒエだ。いつか風が止むだろうと期待してウトウトするが、明るくなっても風は止まなかった。ドカンドカンとイグルーをぶつ音が時折響く、壊れたらどうするかな!と考える。先日ボブ・ディランの伝記映画を見たのもありシェルター・フロム・ザ・ストームが脳内でくるくるする。《3日目》視界は無限、強風イグルーは壊れなかった。苦笑して起き、雪まみれの中また甘い甘いミルクティーで生き返る。脱出を試みる。強風は続いている。支度して、屋根からスキーを引っこ抜いて出発。氷点下7度くらい。指先が冷たく手袋から指を抜いてストックを脇に挟んで進む。爆風のためラッセルは無し。穂高連峰が地吹雪に霞んで見える。きょうは視界があるので助かる。気分が全然違う。強い風に時々ぶっ飛ばされそう。信州側に超えて風下のせいか、スカイラインが完全に埋没したあたりは急傾斜でアイゼンシートラに変える。強風に、アイゼンケースを持っていかれてた、痛恨。トラバースを終えて尾根に乗ると、位ヶ原を歩く登山者の群れが見えた。と同時に風が消え、嘘のように現世に戻った。嵐の山行が、夢のように終わった。予定変更でかみさんに乗鞍岳スキー場にお迎えを頼んで来てもらった。ありがとう!入山地点の松の車へも届けた。 今回登った乗鞍岳の「烏帽子尾根」は、私にとり積雪期にトレースしたい最後の一本だった。 我々が隣の御越尾根を2020年に登ると後追い記録が出て、その派生ルートとして御越尾根からの踏み換えで烏帽子尾根の上部を登る記録も出た。けれど、烏帽子尾根は登り返して最下部から辿らなければ私には意味のないラインとして残った。こういう拘りがなければ私は山になんか登っていない。地球沸騰化で寡雪の年が続き、機会を逃し続けたが沸騰化の揺り戻しか積雪に恵まれた本年、4年振りの雪山登山で遂にその機会を得て今回完登することができた。計画後半を放棄してしまったが、また別の機会にトレースしたい。パートナーは前回同様、積雪期登山で日本一頼りになる先輩、イグルスキー鍋忘ゥ〜レ米山氏。入山前日の強風を経て天気周期は最高かと思いきや、、、、、。day?リフト終点から御越尾根を脛ラッセルして牛首まで。標高差170mを下降し御輿滝を観て尾根末端をトラバースして、いよいよ烏帽子尾根に取り付いた。沢型の弱点を上手く突いて標高1620mの地図でも顕著な平尾根にて宿る。風がそよとも吹かぬ中で、イグルー焚き火を楽しんだ。days?急傾斜の尾根を、時にスキーを脱いでシャクシャクと登高してゆく。尾根上や周囲を見渡すと、今我々は雪を纏った深い森に居ることが実感される。深い山登りを経てこんな巨木の森に身を置く幸福を、私は上手く表現することができない。ラッセルが続いて捗らないながらも、樹林限界が見えてきた。折しも視界不良の風雪が始まって、北杜夫の「白きたおやかな峰」のラストシーンが思い出された。右手の崖と雪庇を気に掛けつつ、雪稜を辿る。風雪強まる視界のない山頂で握手、感慨もそこそこに大丹生岳には向かわずスカイラインに下降した。イグルーを建造する頃には雪はまだしも風は益々強まって、雪つぶてを食らった私は初めて能面状態に陥った。こんな劣悪な環境でも一丁拵えてしまうのが日本一のイグルー男の面目躍如たる所以で、米山さんには借りを作ってしまった。風雪の収まらない中、内張りとして使ったツエルトが意外な効果を生み、最悪の事態は免れた。窮屈な体勢で、茶をシバいて寝る他無し。days?吹き込んだ雪の朝、風は止まない。雪塗れの装備をザックに押し込んで下山を開始する。野麦峠までの計画を放棄し、ドライブウェイ経由で東面へ予定外の下山をした。穂高連峰に巨大なレンズ雲を観た。ここでも身体ごと持って行かれそうなgewaltigな風に遭遇し、低温も相俟って手指が危なかった。我々二人だけだった西面に引き替え、こちら側は軽装の登山者がゾロリ繋がるように登っている。スキー場を下降して鈴蘭橋の駐車場で私の探検部時代の先輩である米山さんの奥様に迎えてもらって本山行も終了した。帰途の車中、思わず「やった!」の声が出た。
2025-3-15 12:23
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【北安曇・水内山地】南小谷 東山西尾根往復
【北安曇・水内山地】南小谷 東山西尾根往復(積雪期ピークハント/縦走/妙高・戸隠・雨飾)日程:2025-03-14〜2025-03-15メンバー: yoneyama写真:正面玄関は小さい最終集落南岸低気圧迫る高曇りの白馬連峰天井餓鬼岳蓮華岳鍬の峰表面はスキー滑落しそうな硬さ、ツボ足だと胸まで潜る急斜面白馬村と小谷村大糸線 鹿島槍ようやく東山見えた。山頂はさらに奥。尾根が急すぎて、なかなか山頂が見えない大糸線車窓より最終人家 除雪終点姫川右岸山脈の南の連なりと、常念からこっち安曇山脈山仕事の祠切場の廊下から切場を広げて、屋根材をたくさん供給姫川右岸山脈稜線が見えた大糸線 常念と有明山きょうから特急あずさが南小谷まで来なくなるイグルーの外にブロック切場を求めて廊下を掘る主稜線を振り返る大渚山 雨飾山 頸城の山初めて見えた中西山への主稜線 細く段差連発で時間かかりそうだ。下りの尾根。急過ぎて尾根末端が見えない松美食堂看板山頂の私憩いのラーメン天井明星山と日本海 大渚山本体の脇に切場の廊下姫川を左岸に林道カーブミラーイグルーの中大糸線車窓より松美食堂外観 1964年から営業建設中急傾斜で段差連発の細い尾根妙高 高妻 戸隠 真ん中遥か遠くに見える鋭鋒が気になる山頂より行くて稜線。やっと堂津岳見えた。 後ろは雨飾 天狗原 頸城三山できました林道、上り区間はシールを貼るのもめんどくさいから。こうしてシーズリ怖気付いているところ白馬から小谷村へ 姫川右岸山脈朝、白馬連峰林道から姫川右岸山脈白馬連峰の残照塩久保への道林道の鏡林道の雪崩戸隠塩久保への道カモシカがこっちを見ている落差3mえぐる土石雪崩感想:白馬連峰の姫川向かい、右岸山脈のスキー縦走を思いついたのは、いつからだったか。戸隠と白馬連山に挟まれた地味だが断層地形の屏風のような山脈。信州百名山2つを含む。積雪期記録無く、あるかもしれないがあまり深く調べなかった。地形図から計画を作った。始めは信濃森上から取り付く全山計画だったが東山の南に悪そうな地形があったので東山の西尾根に変更。4日の飯・燃料で松本から鈍行で南小谷駅からシートラ入山。国鉄ダイヤ改正で南小谷特急あずさ最終日らしい。最終集落の塩ノ窪まで携帯ゴム長でシートラ、そこからシールスキーで尾根を上がって林道を進み、尾根末端から西尾根に取り付く。山頂まで一貫して急傾斜。加えて雪面が凍って硬く、スキーでは滑落の恐れあり、脱げば首までのラッセルという最悪雪質に当たってしまった。先々週の三峰山のパターンだ。せっかく雪に恵まれた年なのにな!細く急な尾根に緩急の段差が多く、その段差の通過にいちいち時間がかかる。20kgザックを置いてツボでラッセルして戻って登るという区間もあり。二度登る→wieder kommen→ビーコン。へとへとになって1440m付近の緩傾斜でイグルー。雪は豊富だが、下に二段掘ったあとは隣に雪取り場を作って長いやつで作った。対岸の八方、栂池、コルチナの盛況が夕暮れ時に煌々としている。三日間天気持つだろうか。静寂の寝ぐらで至福の豆板醤ラーメン。イグルーが崩壊して持ち物が全部100mくらい下に流される夢を見た。2日目PTボトル湯たんぽで足が快適だった。昨日の感じで、朝イチは雪が硬くてシートラアイゼンで行けると踏んだが、その通り。重いけど喘ぎに喘いで高度を上げる。山頂下数十mで初めて主稜線が見えてその難易度がわかり、びびる。ザイルこそ要らなそうだが地形図のみから想像していたよりはるかに悪い。断崖に挟まれた細い尾根に雪庇、その逆側はブッシュと絶壁。段差幾多あり。昨日今日の雪質ではスキーは全行程担ぐしか無く、苦戦は目に見えている。明日明後日は南岸低気圧で雨雪予報。堂津岳までには捕まりそうだ。それに未知の下降尾根も、この雪質ではスキーで楽勝とは期待薄だ。東山以北の稜線は高低差があまりないから、ここまで来ればもしかして飛ばせるか、と思っていたのでギャップが大きい。山頂までには怖気付いてしまった。山頂は雪庇の可能性が怖くて近づけず、南側を回ってようやく確認して登頂する。西の白馬連峰、北の頸城、それに濃い日本海。浅間山、南アルプスまで、見慣れない位置からの眺めを満喫する。せっかく山頂まで全装備背負い上げたけど、引き返す。雪の状態が違えば行けるかもしれない。昔だったら行ったかもしれない。でもわからない。かなり急で硬いので、ずっとシートラアイゼンで慎重に。スキーに替えたのは、登りで苦戦したザラメビーコンラッセルより下に降りてから。それでもカリカリで、横滑り主体だ。林道からはやはり硬いので、下りは特急、多少の登りはシーズリでひっぱる。塩の久保では無く、林道を滑り下る。圧雪スキー場みたいでプルークボーゲンだ。最終人家の除雪終点で携帯ゴム長に履き替えて徒歩一時間で南小谷駅まで。山麓集落では人に会えず。南小谷駅前のもつ焼き定食屋、松美食堂で1時間あまり、ご飯を食べる。8歳上のご主人と、山の話、地域の話、バイパス道路工事がなかなか終わらない話、キノコやタケノコの話、この地域に住む話、昔「イケノタ」スキー場があった時の話、村民8000人が今2000人になった話。アネキが東京に出て、ウドを山程送ったらもう要らんと言われた話、さまざま話した。ビールを2本もごっつあんになった。山麓の人の話をたっぷり聞けて、挫折感から立ち直った。南小谷から載った乗客は二人。徐々に増えて、松本駅まで。松本駅から家まではバスで帰った。高曇りの下、安曇山脈沿いにずっと車窓を見ていた。一本北の尾根から取り付いて北上するなら、可能性はある。
2025-3-10 4:56
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シール尻尾の剥がれ防止細工
低温時のシールトラブル
テーピングテープでシール剥がれを処置。数時間は持つ。赤いシリコンベルトは厚い手袋でも操作できてとても重宝。針金で固定する仕掛けを作ったけど、金属疲労で折れた。横ずれもして外れる。In cold temperatures, ski skins can cause issues. I use taping tape to secure peeling skins?it lasts for a few hours. The red silicone belt is extremely useful as it can be operated even with thick gloves. I once made a mechanism to secure the skins with wire, but the metal fatigued and broke. It also shifted sideways and detached.
糊式のシールは、氷点下15℃以下くらいの低温になると粉雪が糊面に張り付いて、板とくっつかなくなります。特に滑ったり登り返したりを繰り返すような山行では、その着脱スピードも問われますが、このくっつかなるシールが、パーティーの足並みを乱します。シールが効かないと少しの上りでも登れなくなります。テーピングテープやシリコンベルトを巻いたりして対処します。これを知らずに絶望して、救助要請電話を掛けた人がいたニュースを数年内に聞きました。
北大の学生時代(40年前)のシールは糊式ではなくベルト締め式だったので、この心配はなかったのですが、最近は糊式が主流でベルト締め式はほぼ手に入らないです。
止め金具が横ずれしないようにグラインダーで溝を切ったTo prevent the metal clip from shifting sideways, I used a grinder to carve a groove into the tail end of the ski.
糊式でもベルトが付いていればよいのですが、尻尾の部分は剥がれたら固定もできない詰めが甘い仕掛けのものが多いです。みんなどうしているのだろう。BCの人たちは一度シールを剥がして滑ったらもう貼って登ったりしないのか?あるいは厳冬期を想定していないのか?温暖化で低温日が減ったので知らないのか?
板の後ろを切って、シールの尻尾にゴムバンドつける
針金は耐久性が無いので丸ゴムにしてみた。Since wire lacks durability, I replaced it with an elastic cord.
昔、ベルト式シールのときやったようにスキーのテールに切込みを入れ、引掛け金具が横ずれしないようにして、マルゴムで引っ張ってシールが剥がれないように細工をしました。今は電動グラインダーがあるので板に切れ込み入れるのも楽なものです。マルゴムくらいでは駄目だったら自転車のチューブにでもします。前回は針金だったが、何度も着脱していたら金属疲労で折れました。それに切り込みがなかったので、横ずれしてすぐ取れました。
道具を改良し、なおすのは楽しいです。
Troubles with Ski Skins in Low Temperatures
When temperatures drop below around -15°C, adhesive skins stop sticking because fine powder snow adheres to the glue surface, preventing them from attaching to the skis. This is especially problematic during ski tours that involve repeated ascents and descents, as the ability to quickly attach and remove skins is crucial. If skins fail to stick, even a small uphill section becomes impassable. I wrap taping tape or a silicone belt around the skins to deal with this issue. A few years ago, I heard a news story about someone who panicked upon facing this problem and called for rescue, unaware of these countermeasures.
Back when I was a student at Hokkaido University (40 years ago), skins were belt-fastened rather than adhesive, so this issue didn’t exist. However, adhesive skins have become the mainstream, and belt-fastened skins are now almost impossible to find.
Even with adhesive skins, it would be ideal if they came with a belt. However, many skins have a poorly designed tail section that lacks a way to secure it once it starts peeling. I wonder how others handle this. Do backcountry skiers remove their skins after one descent and never reattach them? Or do they simply not expect to ski in extreme winter conditions? Maybe they’re unaware of the issue due to fewer extremely cold days caused by global warming.
I modified my skis by cutting the tail and attaching a rubber band to the skin’s tail.
I used to make similar modifications back when belt-fastened skins were common. I cut a notch into the ski tail to prevent the metal hook from shifting sideways, then secured the skins with round rubber to prevent peeling. Nowadays, electric grinders make cutting notches in skis much easier. If elastic cord isn’t strong enough, I’ll try using a bicycle inner tube. Last time, I used wire, but repeated use caused metal fatigue, leading it to snap. Additionally, without a notch, the clip shifted sideways and detached easily.
Modifying and improving gear is enjoyable.
2025-3-9 10:35
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極南日高/十勝岳・オムシャヌプリ
極南日高/十勝岳・オムシャヌプリ(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-03-08(日帰り)メンバー: Yanke1987コースタイム:写真:稜線のラッセル十勝岳ピークオムシャヌプリ、正面に張り出す尾根を降りる予定十勝岳(右)と楽古岳東峰と十勝平野野塚岳への稜線、すぐ手前の岩までは数年前にツボ足で来た。南日高の山々彼方にアポイとピンネシリピークがどんどん近ずくオムシャヌプリを見下ろすオムシャのピークCo1100位から傾斜緩くなる十勝平野国道がすぐ近くに見える戻るひと登りすると十勝岳が顔を出す十勝ーオムシャ間の稜線左に野塚岳最後、渡渉する感想:・数年前に野塚からオムシャ手前で引き返した。今回これを片付ける。翠明橋から十勝岳を回って東峰も西峰も狙う。・登りはじめ昨晩はなかったトレースがあった。Co1000位で先行者に追いつく。トレースのお礼、ここから先行・アイゼンはいたのは十勝岳最後の登りとそこからの下り、あとはスノーシュー。終始ラッセル。時々雪が切れる、少々気持ち悪い、なるべく尖がったところをいく。・地吹雪気味、こういうのを’気になる風’というのか?・スノーシューに不慣れもあり急な下りに手こずる。スキーだったら一気の快調なのに・久々にヒラヒラになった。
2025-3-7 8:01
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少雪・寒冷地でのイグルーは外取り式で
今回は積雪60cm
先週はイグルー山行ニ連発。うちひとつは松本市の東山で標高2000m弱の山です。この山域は、積雪が多くはない上に寒冷地なので、新雪が溶ける機会が無く、上から重さで押される機会もないまま時間が経った感じです。積雪は多いところで60cmほどです。でも十分作れます。
いつも講習会では1.5m×1.5mの湯船の足元だけからブロックを切り出して積んでいきますが、これは積雪が十分あって使える層の厚さが30cm×2〜3段の場所です。今回は積雪60cmでしたが、表面10cmはサラサラ層、下部10cmは地面の熱でザラメ化して笹や小枝が入っていてブロックにはならない層でしたから中間部の厚さ40cmがブロックに使えました。
ノコギリは刃が40cmです。ちょうど刃の後ろ部分の層が「かるかた雪」です。ここだけを使います。The saw blade is 40 cm long. The layer just behind the blade is the ideal “karukata snow.” We only use this part.
少雪地・寒冷地でのイグルーは外取り式で
一人用1.5×1.5だと、下の積雪が十分でない場合下一段で取り終わるので、上一段積んだらもう中からはブロックを取れません。イグルーの湯船の外に出入自由な廊下を伸ばして、ブロック供給場所を近接させて作ります。廊下を伸ばしながらブロックを取ります。そこが斜面ならば傾斜の上の方に供給地を作るほうが、切ったブロックを持ち運ぶのに楽です。たいてい入口は斜面下側に作るので、入口とは別に裏口を作るのが良いです。
また下が浅いということは、雪面下で拡げる余裕があまり無いので、あらかじめ1.5m×1.7〜1.8mくらいに作っておかないと足が伸ばせなくなります。
良い層さえあれば、壁や天井に囲まれていないぶん、外の作業は非常にやりやすく、長くて丈夫なブロックがばんばん切り出せます。まとめて切って、運び込んで置いて、最後にまとめて屋根を組み立てるのもおすすめです。裏の「勝手口」は、大きいブロックさえあればあっという間に塞げます。
湯船から下一段切り出して、もう笹が出てきた。上一段目しかできていないので、切り出し場を求めて「廊下」を作り始めます。After cutting the first layer of blocks from the “bathtub” area, bamboo grass started appearing. With only the first layer completed, I needed another source for blocks, so I began extending a “hallway” to create a new cutting area.
イグルー側から見た廊下の先の「ブロック切り出し場」これまではサイコロ状を切り出し続け、最初の長細いブロックを切って転がしたところ。View from the igloo: The end of the hallway where blocks are cut. So far, I’ve been cutting cube-shaped blocks. Here, the first long block has been cut and rolled.
「切り出し場」からイグルーを「廊下」越しに見たところ。廊下を通って長いブロックを屋根として積む。View from the cutting area: Looking back at the igloo across the hallway. Long blocks are transported through the hallway and stacked as the roof.
手を使ってやさしく手前に転がした。スコップでやってはいけない。両脇がハの字に切れている。これを優しく立てて、ノコで縦切りRolling the block: Using hands to gently roll it forward. Never use a shovel for this step. The sides of the block are cut in a V-shape. Carefully stand it upright and cut it vertically with the saw.
おさらいです。大きな長いブロックの切り方
1 確実にノコで切れ目を合わせ、切り離したうえで
2 脇をハの字に切って、手前側に転がすように倒す。ショベルは指をいれる隙間に拡げるために使う。ショベルで力を使うとブロックが壊れる。必ず手で転がす。
3 慎重に立てる。重いので腰を落として体を寄せて慎重に
4 ノコで縦割りにする。切った時に倒れないように左手で両ブロックを抑える。
イグルー作りは12月〜5月の時期に応じて、積雪状況に応じて、工夫がいろいろ変わります。奥が深いですね。
窓はもちろん富士山側にして、最後まで夕景を楽しむ。日が暮れたらサムいから、この隙間を埋めておしまい。Of course, the window faces Mount Fuji, so I can enjoy the sunset until the very end. Once the sun sets, it gets cold, so I’ll fill in this gap and call it a day.
This Time, the Snow Depth Was 60cm
Last week, I had two consecutive igloo expeditions. One of them was in the Higashiyama area of Matsumoto City, on a mountain with an altitude of just under 2000 meters. This region does not have heavy snowfall, and since it is a cold area, the fresh snow never gets a chance to melt. Over time, it also doesn’t get compacted by the weight of more snow from above. The deepest snow I found was about 60 cm. However, that was still enough to build an igloo.
In our usual training sessions, we cut blocks only from the foot area of a 1.5m × 1.5m “bathtub” space and stack them. This method works when there is sufficient snow depth, with a usable snow layer of 30 cm stacked in two or three layers.
This time, the snow depth was 60 cm, but the top 10 cm was a loose powder layer, and the bottom 10 cm had become granular due to ground heat, mixed with bamboo grass and small twigs, making it unsuitable for blocks. That left a 40 cm thick middle layer that was usable for cutting blocks.
External Block-Cutting Method for Igloos in Low-Snow and Cold-Snow Areas
For a one-person 1.5m × 1.5m igloo, if the snow depth is insufficient, the first layer of blocks will be exhausted quickly, and after stacking the second layer, there will be no way to cut more blocks from inside.
To solve this, we extend a hallway outside the “bathtub” area of the igloo, allowing free movement in and out and placing the block supply point nearby. The blocks are cut as we extend the hallway. If the location is on a slope, it’s easier to transport the cut blocks if the supply area is placed uphill. Since the entrance is usually made on the lower slope side, it’s a good idea to create a separate back entrance.
Additionally, when the snow depth is shallow, there isn’t much room to expand below the snow surface. To ensure enough legroom, the igloo should be built slightly larger in advance, around 1.5m × 1.7?1.8m.
As long as the snow layer is good, working outside is much easier since there are no walls or ceilings to restrict movement. Long and sturdy blocks can be cut one after another. A recommended approach is to cut and transport multiple blocks in one go, place them in position, and then assemble the roof all at once at the end. The back “service entrance” can be quickly sealed with just a few large blocks.
Review: How to Cut Large, Long Blocks
Ensure the saw cuts align properly and fully separate the block.
Cut the sides in a V-shape, then tilt the block forward to roll it out.
A shovel is only used to create space for inserting fingers.
Using force with a shovel can break the block. Always roll it by hand.
Stand it up carefully.
Since it is heavy, lower your stance and bring your body close for control.
Cut it vertically with the saw.
Hold both sides with your left hand to prevent it from falling after the cut.
Building igloos requires different techniques depending on the season (December to May) and the snow conditions. There’s always something new to learn?it’s a deep and fascinating process.
2025-3-2 3:43
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オロフレ山
オロフレ山(山滑走/支笏・洞爺)日程:2025-03-01(日帰り)メンバー: saito1987コースタイム:写真:登りの牧場から蟠渓山と下りの尾根オロフレ山頂上直下徳舜瞥のトンガリ蒼空にお化け雪庇蟠渓山頂上直下オロフレ山への稜線徳舜瞥とホロホロ山感想:久々のオロフレ参り。今回は唯一行ったことのない北の稜線から。晴れた頂上からコマツの尾根が見えた。カメラ―デンリードを捧げる。オロフレ北面から西面の緩やかな斜面は密な灌木とシュカブラの起伏から成り、スキーが快調とは言い難い。下りの尾根のポコ(1049m)が蟠渓山と呼ばれていることを知り、捲かないでピークとして踏んでおく。蟠渓山から先は東側が広くオープン斜面となっていて、スキーが快調そう。尾根上は午後の日差しで表面がクラストとした悪雪。北東側に捩れた700mの突起から樹林帯へ滑り込む。
2025-3-1 8:14
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《筑摩山地》奈川【鎌ヶ峰】開田
《筑摩山地》奈川【鎌ヶ峰】開田(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2025-02-28〜2025-03-01メンバー: yoneyama ontakezassouコース状況/その他周辺情報:積雪充分。この季節が一番トレース無し下りの尾根もスキー快調写真:積雪充分ここから古道シートラしたりスキー履いたりの機転が問われる鎌ヶ岳見えた暗闇の峠越え。さすがにくたびれたねラーメン鎌ヶ岳山頂より木曽御嶽一本南の尾根は岩だらけ 白く見えるのは開田の西野急傾斜区間のラッセル尾根末端、傾斜が急になり針葉樹が密になるところで、右サイドのカラマツ林へ滑降峠で乗鞍岳送電線ピークから行手の国境稜線。一番奥が鎌ヶ峰。いくつも上り下りあるゲゲゲのコースだ乗鞍岳が時折見える名取さんは登山靴スキーでがんばる今日の窓もいい景色側壁に炊事スペース天井スキー手持ちで段差登りも幾多西野峠への脇道カラマツ植林名取さん到着出発またシートラをセット県境だズボズボ登りも幾多乗鞍岳がこんにちは奈川村野麦峠除雪終点に、かめさんに送ってもらった旧家ありニセピークから鎌ヶ岳スキー支度奥に鎌ヶ岳スキードバドバイグルー作る。地蔵群旧家あり御嶽山と夕暮れ黄昏最終人家 西野高坪でゴム長に履き替え波打ち急傾斜ラッセル降りの尾根。急傾斜だがスキー快調鎌ヶ岳山頂より木曽御嶽感想:久恋のマイナーピーク未踏峰、鎌ヶ峰へ。藪の埋まる季節は今だ。開田在住の旧友名取さんに声を掛けて、かめさんに車送りを頼んで段取る。どうしても山越え計画で行きたい。前日まで鉢伏山~三峰の十時間行動に続けて3日目。家でメシ食って完全に治った。野麦峠までは女工さんの哀史に浸ってラッセル登高。きっと当時はこんなにカラマツ植林ではなくて芝刈場だったか。国境稜線はひたすらスキーラッセル。シールに団子雪。叩き落としながら登る。昨日の山行で濡れたシールのせいかな。もういいやってあたりで二人用イグルー作る。50分。名取さんも隣に作る。しかしなかなか屋根はできない。粒状の雪が降ってきたので風上側の小穴を塞ぐ。朝まで暖かく過ごす。2日目快晴だ。槍も穂高も白山もなんでも見える。階段状に緩急を繰り返し、時にツボシートラ。アイゼンも一回つける。薮はそれほど濃すぎない。ニセピークを越えて到達。笊ヶ岳みたいだ。貴重な尖った2121m。水を飲み干したので、山頂で水作る。大きいPETボトル持ってくればよかった。下降尾根は記録無し地形図判断なので、少し緊張していたが、悪場もなく、急傾斜だがぶら下がるほどでもなくて、スキーで快適に下れた。名取さんは登山靴+ジルブレッタで、奮戦。ゆっくり着実に降る。私は2年前から足首固定の出来る兼用靴。靴に滑らせてもらっているのだと実感する。最大限後ろに荷重してテール制動しても転ばないのが凄い。林道はトレース等は無いがノルディック歩き出来る傾斜と雪質でやや助かる。最終人家からは携帯ゴム長に替えて、舗装路をシートラ。日暮れ前に峠下で名取さんの知り合いに会う。二つある西野峠、どっちが良いか聞いて北側にする。外人ツアーで最近この峠が人気とのこと。峠下でスキー履いてると、暗くなった。ライト付けて峠越え。登りは良いが降りはなかなかの夜行軍だ。こういうのは経験してなきゃ泣きたくなるだろうな。峠降りたらすぐ名取さんち。91歳のお母さんがご飯食べさしてくれた。何十年も前から度々お世話になっている。お互い仕事辞めて、自由に登れるトシになった。開田の風景は空が広くて、まるで道北のようだ。
2025-2-25 20:32
ヤマレコAACH
Ωイグルー講習@名古屋労山三団体
今季7回目の講習です
3年ほど前に松本フォーラムの講習に来てくれた水谷さんが、名古屋労山の山岳会に声をかけて17人を連れてきました。当初名古屋から近い野麦スキー場のリフトトップ少し先(もちろん場外)で初めてやってみたいとおもっていたのですが、事前に電話で主催者がスキー場にあいさつしたら、強烈な反対とのことでいつもの安定の乗鞍岳(もちろん場外)に変更。
・・・スキー場運営者は怖いと私は思いました。
今回の感想
イグルスキーが36分で仕上げてデモ。その後各自で実施。気温が低くて心配したけど、途中で日も射し風もなく、きょうも良い講習日和になりました。二度目の水谷さんは今回屋根塞ぎに急速に大成功して大いに喜ぶ。他にも次々に成功者が続く。
積雪は2m以上あり、ブロックが失敗気味の人はどんどん下に掘り進み、天井に手が届かない件が続出しました。トレンチを使ったブロック切りがうまく行っていませんでした。
●ノコギリで切れ目を丁寧に合わせる。
●切れ目でブロックが動くまではスコップで突っつかない。
●積むときにぼーっと真上に載せない。落ちる限界に挑戦して、できるだけ中へ寄せる。
を改めて穴に入ってやってみせると随分捗りました。
ノコギリが30センチより短い24センチの人がたくさんいて、やはりブロックが小さすぎでした。屋根が塞がらなかった。先にできた人にノコを借りて、後半その違いを知りました。短いノコギリでは、イグルーはできません。
失敗は成功の元なので、失敗すると学びは強く残ると思います。次をそれぞれでやってくれれば、すごく飛躍があると思います。
出来上がった人からマイイグルーでラーメンを食べる。ラーメンのかほりが会場を漂いました。
まだ屋根が塞がってないけど、腹が減っては戦はできぬ。The roof isn’t sealed yet, but one cannot fight on an empty stomach.
完成後の温かいお茶、おいしいよ。A warm cup of tea after completion tastes delicious.
ゲレンデはスキーで一気に降りました。平田駅まで送ってもらい、波田、今井方面から見る鉢伏山や東の山が日を浴びて美しかったです。この冬は長い寒気の底です。
個別イグルーを地下でトンネル続きにしています。迷路みたいだよ。The individual igloos are connected underground by tunnels. It’s like a maze!
Igloo workshop@Nagoya rousan three groups
Impressions from This Session
Igloo-ski demonstrated the process in 36 minutes, and then everyone tried it on their own. I was worried about the low temperature, but the sun came out, and there was no wind, making it another great day for training.
Mizutani-san, in her second attempt, quickly succeeded in sealing the roof this time and was absolutely delighted. Many others followed, successfully completing their igloos one after another.
The snow depth was over 2 meters, and those struggling with block-making kept digging deeper. As a result, many couldn’t reach the ceiling. The trench-cutting method for making blocks wasn’t working well.
Key points for improvement:
Carefully align the saw cuts.
Don’t poke the blocks with a shovel until they start moving at the cut.
When stacking blocks, don’t just place them directly on top?push them inward as much as possible, testing the limits before they fall.
After demonstrating these techniques inside the hole, things progressed much more smoothly.
Many people were using 24 cm saws instead of the recommended 30 cm ones, resulting in blocks that were too small, making it impossible to close the roof. Later, those who had finished lent their saws to others, helping them realize the difference. It became clear that igloos cannot be built properly with short saws.
Failures lead to success. The lessons learned from mistakes are deeply ingrained, and if everyone applies them in their next attempt, I believe they will make significant progress.
Once the igloos were completed, people enjoyed ramen inside their own igloos. The aroma of ramen filled the air at the site.
2025-2-24 9:30
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日高西縁/振内山
日高西縁/振内山(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-02-23(日帰り)メンバー: Yanke1987コースタイム:写真:所々ターンもできるくらいの斜度いい天気トレースは極力登り返しがないように少し歩くと開発局(?)の電波塔平らな振内山ピーク着く感想:東側の仁世宇から往復する計画だったが、林道で車がはまる。鹿撃ちのおじさんに助けてもらった。緩い尾根をのんびりと、振内山は伐採と植林の山ピーク周辺は原生林か?午後は博物館行ったり温泉入ったりのんびり過ごす。夜は二風谷のゲストハウスでアイヌ文献の調査。
2025-2-24 9:14
ヤマレコAACH
日高西縁/於曽牛山
日高西縁/於曽牛山(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2025-02-24(日帰り)メンバー: Yanke1987コースタイム:写真:イドンナップか?歩きはじめ左のトンガリはトッタベツ?ピークには鉄のボッコありユックの寝床ヌカンライの向こうに白い幌尻しどに橋で糠平川を渡る藪藪上部は静寂於曽牛山全景橋に戻る鹿トレースを辿る感想:急な上りは鹿のトレースが縦横無尽。アイゼンつけてトレースを行く。傾斜が緩くなるとトレースがなくなり、スノーシューに換装。乾いたサラサラ雪で時々倒木の隙間に落ちる。ピークの樹間から真っ白な幌尻連峰が見えた。藪尾根、メットかぶって下る。
2025-2-23 10:38
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寿都似山
寿都似山(山滑走/日高山脈)日程:2025-02-23(日帰り)メンバー: saito1987コースタイム:写真:出た!マタカリプ(冬眠しないでうろつく羆)これはデカい頂上 なにも無いのが清々しいヌカンライを眺めて滑降へ移るプラトーより貫気別山望む沢地形を詰めると朝陽の差す希望のコルへ至る(勝手に名付けた)車止めゲートからしばらく林道をシートラし額平川を橋で渡り作業道に導かれて沢地形へ入ると背後に△1094m目立つ三角錐はヲパケシウシベプラトーより糠平山望む頂上プラトーの植生は白樺とエゾ松感想:日高西縁のマイナーピークで残り少ないターゲットの1つ。延々と続く頂上プラトーは日高とは思えないユルさで自分好みの怪峰。スキーが使えるのはおそらくこのルートのみ。・912からの滑降は意外に楽しめる。
2025-1-21 15:35
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2024.12.27~1.2(6-1) 2年班冬メイン 南日高
〜南日高の空に染まったよ、あと初日の出も見たよ〜 L杉山AL小野寺(3M金子玉木(2 <時間とルート> Day1:林道ゲート(8:00)神威山荘(15:00)=C1 晴れ。暖かい。今までよりも大分手前で通行止めになってい […]
2025-1-21 15:33
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2024.12.28-2026.1.1(5-0) 1年班冬メイン 道北
〜天塩から眺める初日の出の美しかったこと〜 L柴部(5AL宮下(2020西園(3M渡邊(2竹下鶴留(1G市川(2 〈時間とルート〉 DAY1:上紋峠(9:00)?925南コル(10:30)?1094(14:00)=C1 […]
2024-10-7 18:20
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2024.8.13-19(7-0) 1年班夏メイン北日高
報告_2024.8.13-19(7-0) 一年班夏メイン北日高 幌尻岳〜新冠川〜エサオマントッタベツ岳〜山スキー沢〜札内岳〜ピリカペタヌ〜勝幌 L柴部(5AL小野寺(3M西園(3玉木(2竹下鶴留(1 〈時間とルート〉 D […]
2024-10-7 18:13
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2024.08.12-16(5-0)2年班夏メイン
報告_2024.08.12-16(5-0) 2年班沢メイン ショートカット ヌピナイ右股〜ソエマツ南東面〜ソエマツ岳〜ソエマツ北面〜神威北東面〜神威岳〜神威東面〜添松林道 〜ツッパリ!羽虫と葉虫の猛襲〜 L齋藤(4 AL […]
2023-9-13 15:28
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2023.2.27-3.5(6-1)一年班春メイン 極北日高
報告_2023.2.27-3.5(6-1) 一年班春メイン極北日高 オダッシュ山〜日勝峠〜幌内岳〜芽室岳〜ルベシベ山 -遥かなる稜線へのエントランス- L宮下AL山下(3M柴部(3齋藤(2杉山小野寺(1 <時間とルート> […]
2023-8-5 4:57
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Re: 【書評】北アルプス鳴沢岳遭難報告書(米山1984入部)
2022-12-28 12:32
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Re: 【道南】オコツナイ川〜小田西川
2022-12-27 14:41
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Re:板倉勝宣遺躅の碑 /北大山の会東京支部 石本惠生(1961
2022-1-24 0:06
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第94回ヘルヴェチア祭...
この投稿がうまくつながらなくて、だいぶレポートが遅くなったが、昨年晩秋のヴェチア祭り。コロナで私以外のOBは写ってません。女子が4名も
前夜祭。現役が料理をふるう
私はコロナを避けて乾杯後、小屋管理のアドバイスをして退散
翌朝私は再訪して祭りに参加。祭りといっても記念写真を撮るくらいだがヴェチアの歴史を少し語った
部歌の山の四季を歌ってヘルヴェチアの神様に献杯!だけはした
祭り後は大掃除に薪割り。女子もチャレンジ。今年の薪はトイレ脇の大きくなりすぎて、また小屋に傾いたキハダの木で夏に伐採したもの。
煙突掃除の後は床掃除とワックス磨き。他の北大小屋から比べると床が汚いので、ハッパをかけてしっかり磨いてもらう
2021-4-30 16:48
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山の会会報
2021-4-24 23:18
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【読書備忘】岐阜百秀...
地方の百名山の書は数あるけれど、県山岳協会や当地の新聞社が手分けして踏査して協議して選んだ本が多いのではないだろうか。中には各市町村に公平にというような選定もある。岐阜にも、上述のような選定を経た1975年の「ぎふ百山」があったが、124山と絞りきれていない。また高速道路ができ徳山ダムができて環境の変わった今の時代にふさわしい「佳き山」を選びたいと、著者清水克宏氏は最新情報を載せるため五年に限って踏査し選定したという。
ひとり個人が候補の100以上を登って選んだというものは、深田久弥の日本百名山と清水栄一の信州百名山だけではないだろうか。強い計画力と実行力とを要する情熱、そして教養がなければなし得ないのではないか。
私は先月3月に石徹白から白川郷まで一週間の白山縦走をしてきたばかりで、歩いてみて知りたく思ったこと
「なぜ三つの越前、加賀、美濃の禅定道のうち最も泰澄法師ゆかりで正統のはずの越前道がいま見るかげもないのか?」
「なぜ石徹白はあの独特の雰囲気なのか?」
「念仏尾根の妙法山周辺の複雑な地形もやはり古くから人が通ったのか?」
などすべての好奇心の答えを、この本は歴史的な視点から教えてくれた。
信州人の私の目線で岐阜県とはどんな県か。長野県と北アルプスを挟んで対称の位置にありながら、信濃にはない多様性がある。北陸豪雪地域に面した山嶺が長く、標高はなくても遠く深い奥美濃や、白山に連なる国境があるかと思えば、鈴鹿山脈にも木曽山脈にも引っかかっていて、実に多様。それから低山だけれど個性ある山と人里の多い県中央の山間部。これらを俯瞰して一冊の中に眺めることができた。
この多様な山域の隅々まで、歴史的背景や地名山名の由来なども漏らさず盛り込まれている。往時の修験者、木地師、鉱山師に関する話も、知れば山歩きで見える風景を変える要素だと思う。とりわけ、徳山ダムで沈み非常に行きづらくなった千回沢山(とても100山に入れるわけにはいかなかったとある)や、廃村の馬狩で出会う現地の人とのささやかな交流の話などはとてもおもしろい。日本の山里には従来、人と文化があり、今はそれが失われゆく時代なのだ。こうしたさりげない話が貴重なのだと思う。そうした時間軸を意識すると、コラムで触れていた奥美濃の山を紹介した昭和15年刊行の「樹林の山旅」には、たいへん興味を惹かれた。
岐阜県の山にはその名前が地形図に載っていないものが多いという。信州との対比で、濃尾平野以外は山がちなので、遠くの名山が抜けて見えない、そのため名前が広く認知されなかったり、飛騨山脈が視覚としても印象に残らないのではないか、との話もしていただいた。本書に一貫するのは、そんな「少し不遇な」岐阜の山への愛着である。
私はいくつ登ったのかな?うきうき数えてみたら34だった。楽しいものだ。
私も、筑摩、安曇両郡(犀川流水域)50名山を選んでみた。故郷の山への愛である。
ナカニシヤ出版2021年5月
森の国水の国 岐阜百秀山
清水克宏
2200円
2021-3-22 4:03
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Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川
2021-3-7 10:29
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【読書備忘】ぶらっと...
毎日新聞夕刊で特集ワイド面記事を書く、藤原章生会員(1980年入部)の最新刊です。海外取材の長い58歳記者(当時)の、プライベートなダウラギリ2019年遠征記。
なぜこの年齢になって八千m峰を目指すのか。著者の幼年期の体験、青年期の山、海外支局取材時のさまざまな話を交え、高所の及ぼす脳や精神への影響から、話はどんどん死と時間、恐怖と勇気、シンパティコ、達観と情熱、なぜ山に登るのかというテーマに至る。昔から相当な読書量だったうえ、著名人のインタビュー経験が豊富であり、ジミー・チン、メスナー、原真、リカルド・カシンなどの発言や行間にふれる部分が面白い。大澤真幸の「他の誰にも出来ない仕事」の話が良かったです。
故郷を出て男ばかりの共同体に初めて入門した1984年の私にとって、東京の下町の育ちだそうで、きっぷの良い話しぶりに、人をじろりと見る目つき、あけすけにものをいい、最後にニヤリと笑える話を添える藤原さんはちょっとワルなインテリとして、憧れの人でありました。直接の先輩である2,3,4年目のひとつ上の5年目でもあり、何より1984年のガルワール・ヒマラヤ、スダルシャン・パルバットのメンバーでした。1年目の私には近い将来の憧れの未来そのものでした。興味はなかったけど、くわえタバコの麻雀にものこのこついていきました。
私が半人前を終えかけた3年目の4月上旬、藤原さん鷲尾さんに誘われて、立山、剣に登りました。大町の扇沢からスキーかついで冬季休止中の関西電力のトロリーバストンネルを延々歩いて、ケーブルカーの真っ暗な階段トンネルも延々登って、いきなり立山の東面に出るアプローチでした。今では考えられないけど、当時は特に止められなかったし許可とか危険とか、そういう日本社会ではありませんでした。ここに雪洞を掘って3日間、悪天缶詰になって、最後は雪崩が危なく日数切れで引き返しました。4泊も穴の中でヒマだったかといえば、藤原さんの面白い話を朝から晩まで聞いて、ゲラゲラ笑って過ごしたのを覚えています。全く話の上手い人でした。本書にも出てくるけれど、20代の若い時代特有の「シンパティコ(人懐っこさ)」の話には、このときのことを思い出しました。当時、名前しか知らなかったOBの小さな話を、顔マネ、口真似しながら藤原さんが話してくれるのですが私は腹を抱えて笑いました。
その後、藤原さんは新聞記者、私はTVカメラマンになり、業界は同じでも全く違う仕事でした。はじめ私は山岳撮影が主な関心でしたが、藤原さんのように誰か興味深い人にとことん話を聞くドキュメンタリーのような仕事にあこがれてきました。留学や海外支局で日本を離れた藤原さんを、グアダラハラ、ヨハネスブルク、ローマと、夏休みなどによく訪ねました。昔からずば抜けた読書量で、あるとき話のはずみで文庫本の巻末にある他の本の紹介広告のタイトルを見ながら、これも読んだ、これも読んだ、と数十冊ほとんどすべて読んでいた話を聞いて驚きました。彼に勧められて読んだ本も数多くP.フォーバス「コンゴ川」、G.マルケスあれこれ、関川夏央、丸山健二など、私が本を読むようになったきっかけかもしれません。特集ワイドの取材でインタビューに行く前に、相手の著書は全集含めてほとんど読んでいくとあり、納得します。
本書では、やはり高所登山中に受ける精神的な影響の話で死に対する考察があります。いつか20代の頃、どこかの国を訪ねたときの雑談で「俺は最期、死ぬ時に、間際にどんなことを思うのか、横になり朦朧としながらも、心に浮かぶこと、考えることを様々、全部ペンに書き取りながら死にたいね」と言っていたのを読書中に思い出しました。やはり、ずっとこれは大切なテーマだったんだ。
あらすじを書いてもネタバレになるので、藤原さんの追悼文のようになってしまったけれど、少し上の先輩の勤め人の節目である定年退職間際の心の内など、私も大いに関心が高く、今後の人生でも常に先を行くセイパイに変わりありません。まだ30年、人生は続く。
2021-1-28 17:32
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【読書備忘】 リュック...
100年を迎えた早大山岳部と稲門山岳会の100周年記念事業誌。昨年はお祝いの催しも計画していたが、covid19の影響で中止になったとのこと。
1920年前後、第一次大戦後の好景気で日本社会は鉄道が伸び、大衆の観光や旅行や登山活動にも広い裾野が伸びた。以前から大学生を中心に行われていた登山界にも逸材が流れ込んできた時代で、老舗の大学山岳部はこの頃相次いで山岳部を創立した。北大もスキー部が1912年から創部、そこから山岳部が独立したのが1926年。
リュックサックはもともと現役の部報であり、2011年に14号が出ていて、今回は15号。1990年代・平成以降は現役部員が少なかったためリュックサックは次第に両者合同の内容で編集されているようだ。内容は過去100年の早大山岳部のあゆみがダイジェストで記される一方、14号以降の10年分の活動報告が厚めに盛り込まれている。
冒頭のまとめはよくまとまっていて、早稲田の100年を今回初めて知ることができた。実は早稲田の歴史について、失礼ながらこれまであまり印象がなかった。K2の大谷映芳氏と、翻訳家の近藤等氏と、あとは80年代の同世代数人の名を知る程度だった。早稲田は伝統があり部員も充実していたのに、死亡遭難事故や不運が多くヒマラヤ登山では79年ラカポシ、81年のK2まで成功を得ることができなかったことを初めて知った。また、その後の世相の変化による90年代以降の部員減少期の組織的葛藤や不信。ヒマラヤで活躍を期待されたやる気に満ちた若手が次々に死亡遭難事故で失われる苦しみなど、かなり踏み込んで事情を読むことができた。
他大学との対話でこれからの山岳部を考える、という企画のひとつに、北大山の会から11人が座談会に出席し、北大的な山岳部気質などを紹介する機会が設けられた項目がある。私達にとって、早稲田も含めた東京の山岳部の活動は、「監督、コーチ」「合宿」「トレーニング」という存在が示すように、かなりスポーツ的に見える。歴史的にも、他校山岳部との競り合いを強く意識している気配を感じる。「スポーツ科推薦入試」も2000年代にあったとあり、発想としては競技スポーツを連想する。極端に言えば、彼らから、その要素を引き算して、さてどう山に登ろうか!といったものが北大流だったのだということを感じた。そしてそれぞれの寄稿を読むと、やはり早大自身の中にも「個人山行⇔合宿」という大きな対立する概念があり、それを内的に処理できず、苦悩して来ているように思えた。
巻末に年次順の会員名簿が併記されている。おかげで記録を見る際にたいへん助かるのだが、会員の総数が、ここに載せられるほど少ないことに驚いた。80年代以降のほとんどの年は一学年一人か二人しかいないのである。よくぞ続いてきたものと思う。
どんな時代でも大学山岳部にしかない魅力は、学生時代の当事者にはその時はわからないけれど、100年も続いた縦の時間軸を越えて、皆が同じ青年期を過ごした経験を共有できることだ。行く山は同じでいい(違う山でもいいけど)。馴染みのメンバーが生涯居る。おなじみの雪稜で迷い、おなじみのナメ滝で滑り落ち、おなじみのクラックに右手を突っ込む。おなじみの飲み屋におなじみのヒュッテ。ヒマラヤやデナリはオマケだ。老いたメンバーはそのおなじみの定点があることで、自分がどれだけ遠くまで来たか確かめる。若いメンバーには尊敬する先輩がいればそれでいい。そして、山で死んだ仲間のことを時々思い出すのだ。人のライフサイクルをまたいだそういう共同体は今、日本でほぼ失われつつある。なにかに勝たなくていい、文化を伝承するのが、大学山岳部でありたい。
2021-1-26 13:21
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【読書備忘】サガレン...
著者は硫黄島1945司令官、栗林中将のノンフィクション「散るぞ悲しき」で憶えのある著者。かなりの鉄道オタクとのこと。特に廃線ジャンル。樺太鉄道は憧れなので期待して読む。雑誌の連載紀行をまとめたものなので旅行記として読みやすい。
サハリンは、アイヌ・ニヴフ・オロッコ、ロシア、日本、ソ連の時代変遷で地名が三つある。ロシアとソ連時代でも違う。サハリンの地図を片手に、更に地名対照表を片手に読むと更に楽しい。
白秋、賢治など日本統治時代に訪れた人々の足取りも盛り込まれチェーホフ、林芙美子、村上春樹まで改めておさらいできる。後半の宮沢賢治の亡き妹を悼む詩集と辿るパートは東北本線や津軽海峡の下りなどの検証なども含めてサハリンからは離れるけれど、時刻表や車種の証拠からも詰める乗り鉄オタク手法込みのノンフィクション検証で、1923年の傷心の旅を解析するところはお見事。賢治の詩編の一言一句の吟味になるが、これはこれで大変面白かった。はるか昔読んだ賢治の詩は不思議と心に残りあり、詩特有の曖昧な受け取りだった言葉の数々も先行研究もうまくまとめられてこの本で明確になりました。賢治特有の草花や鉱石の解説も詳しい。妹の死、樺太鉄道旅行、そして銀貨鉄道の夜への流れを解釈する。
やはり樺太山脈スキー縦走に行かなければならないなあ。山岳部の仲間と、コロナが収まったら、旧国境を積雪期に越えて北上したい。帰りは鉄道で帰るのだ。やる気が出てきました。何キロくらい、無補給で行けるだろうか。
2020-12-16 21:09
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【読書備忘】追憶のヒ...
日本山岳会東海支部で、1970年のマカルー南東稜初登以来、50年間名古屋岳人のヒマラヤ遠征、東海支部の組織運営を担ってきたご本人77歳の総まとめ自伝本。東海山岳に関わった人にはたいへん興味深い歴史の、一つ一つの裏側を語ってくれる。
そして、AACHにとっては、偉才、原真氏の右腕として尾上氏が携わった数々の話が興味深い。東海支部設立、アンデス、ヒマラヤ遠征のゼロからのスタート、組織作り、資金集め、日本山岳会本部との確執(というかみんなが知っている妨害工作)、現場での破綻、遭難スレスレの格闘と成功などの歴史が尾上氏目線で語られる。関係者の多くが亡くなっているのも、おそらく今書ける理由でもある。やはり生き残った強みである。みんなが知りたいことでも、関係者が居る前ではなかなか文字にはできないものだ。何より尾上氏のその後果たしてきた実績と信用が、彼の書くことならと、周りを納得させられたのだろう。50年経って、やはりマカルー南東稜は歴史になったのだ。
1970年マカルー南東稜初登は、ヒラリーに「あの南東稜をまさか日本人が登るとは」と言われた、当時難しすぎる未踏8000mのバリエーションで、同年の日本山岳会(本部)のエヴェレスト(ノーマルルート第六登)に比べると、事情を知るものには段違いの快挙だった。だが、これは「思想家・原真」の強烈すぎるリーダーシップによって鍛え上げられた先鋭集団だから成功した。そのいきさつを、原さんの右腕役を務めた尾上氏が文章にした本書は、まことに興味深い。マカルーを、東海支部を、新撰組にたとえる下りがある。「尾上、明日までに○○を切れ」とささやく原さんはまさしく土方歳三ではないか。ぞくぞくするような展開である。
本書後半では、原さんが去った後の東海支部の40隊にも及ぶ海外登山隊の切り盛り、尾上さんを育てた東海高校剣道部、日大山岳部の活動なども触れられる。名古屋という土地に於ける人のつながり、その時代の背景が、門外漢にも判って大変おもしろい。1960年代の日大山岳部が極地山行に傾倒していたのを少々知ってはいたが、ここまでグリーンランドや北極点に通っていたとは。ヒマラ高峰系の海外ではなく、ソリを曳いて未知未踏の極地エリアに分け入るスタイルは北大の志向に近いものがある。日大山岳部の池田錦重氏や、名古屋山岳会の 加藤幸彦氏も触れられる。私はお二人と90年代にガッシャブルムやチョモラーリで山行を共にしたことがあり、知らなかった一面を読むことができた。人には出会う以前から歴史があり、そのいきさつを知ると、知っている人であってもまた多面的に見えてくる。
「誤解を恐れずに書けば、山登りは死ぬほどおもしろいのであり、おもしろいほどあっけなく人が死ぬ世界である。」ぎくりとするが的を射ている。誤解されそうなので書くが、人の死がおもしろいのでなく、「(その山登りがギリギリ生還するような過酷なレベルのもので、おもしろければ)おもしろいほどあっけなく人が死ぬ」という意味と解釈する。敢えて誤解されそうな書き方をするところが尾上氏流の味かと思う。こんなお節介は不要か。原真も書いていた。「山には死があり、したがって生がある。下界の多くにはそれがない。」
また原さんの本をよみたくなった。
尾上昇(おのえ・のぼる1943年生まれ) 2020 中部経済新聞社 1600円+税
2020-11-11 14:32
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第93回ヘルヴェチア祭...
今回はコロナ対策としてOBには案内は出さず現役のみで企画、開催。
ヴェチア幹事の佐藤君(4年目)からの報告を混ぜてレポートします。
参加者は現役13名、2013以降の若手OB7名 水産4年1名。指導のため特別参加のOBは井ノ上、石川部長と私。現役と若手OB2人は昼間は赤岩で登ってから到着。
17時頃から前夜祭。部長から挨拶と小屋生活や山行を通しての山仲間の意義を、私から作った小屋管理マニュアルの説明の後、幹事(オレンジ帽子)が乾杯。料理は2年目シェフ田中君により、豚汁、唐揚げ、大根の煮物、サラダ等。
現役と若手OBら。3年目がいないが1年目が4名いて全体で15名近くと何とか部員数は維持。若手OBに協力してもらって2年班のリーダースタッフをお願いしたい。
女子が3名も。焚き火を囲んで自己紹介、山の四季などを歌いお開き、一部の者は日付をまたいで話し込んでいた。
我々OB3名は19時頃に退座して帰ったが、その前に現役は山の四季含め、カメラーデンリートも知らないというので2〜3曲と、森田君(1973入)が現役2年目に作った「ヘルヴェチアコンパの歌」も歌唱指導してきた。部室には1993発行の歌集「山の四季も」あるというが、山と歌は我々には切っても切れないものなのだが〜OBの指導が必要か。
ヴェチア祭り記念集合写真、ロゴと国旗は佐々木ロタ(1955)の90周年の際の労作。本祭としてヴェチアの女神に祈りを捧げ、集合写真を撮り解散。
小屋大掃除での床ワックスがけ。以前より木目が浮き出てきた。
前日私が砂利を積んだダンプで小沢を越えて砂利敷き。山の会会計に了解を得ての作業でバイト代として現役にもカンパをしてきたが、途中でぬかるみにはまり動けず、結局レッカーを救助要請して高いものになってしまった。
2020-9-29 15:20
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【読書備忘】人間の土...
東海大山岳部で2006年、若くしてK2登頂を果たした小松由佳さんは、その後山をやめてシリアの遊牧民を撮影するフォトグラファになった。なぜ山をやめたのか、以前はそれを知りたかったが、今は少しわかる。K2登頂生還者というオリンピック並の金メダルは、その後自分の山登りを若々しく無邪気に正直に続けていくのには重すぎるものだったのかもしれないと推測する。信頼できる仲間、積み上げた技術と体力、高所で酸素が切れてもヤラれなかった才能、これだけそろえても更に強い運が加わらなければK2から生還はできない。彼女は賢明で、成功のあと、足りたものを知り、無理に世間の期待や相場に合わせて「高所登山中毒」に陥ることなく、自分の別のテーマにすっと移行したのではないか。
家族を大切にし、伝統の中に価値を見出し幸福に暮らすシリアの家族を撮影した写真集、「オリーブの丘へ続くシリアの小道で」は、彼女の新しい世界をみせてくれた。しかし、2011年に始まった民主化運動を弾圧するシリアの内戦はその後地獄と化して、今現在も10年近く続く終わらない悪夢だ。シリアに関わった彼女は、幸せだった人たちのその後の窮状を危険な治安機関の制限のなか撮影、あるいは取材し続ける。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=745&cid=7 帯に角幡氏とヤマザキマリ氏の推薦文が。探検家角幡氏はわかるが、ヤマザキマリの応援はなるほどと思った。小松氏は、シリアの60人もの大家族の末っ子男性と結婚し、元ベドウィン(遊牧民)の砂漠伝統家族の仲間入りをするという、思い切った人生を選択していて、この点が「モーレツ!イタリア家族」の一員になったヤマザキ氏や、イギリス人と結婚し最近おもしろい本を連発しているブレディみかこ氏に通じるたくましさがある。本著の前半はそんなベドウィン風の古き良きイスラム的大家族の幸福な魅力が語られるのだが、今世紀最悪のシリア内戦の当事者として、ストーリーは続いていく。
思うに彼女は、選ばれてしまった人なのだ。強剛登山家が4人に一人の確率でがあっけなく死んでしまうことで有名な死の山K2から、仲間と才能と努力と運に恵まれて生還した運命といい、地獄と化すなんて想像もしなかったほんの数年前の幸福な時代のシリアを知った上で、今の惨状を知ってしまった運命といい、本人も予期しなかったことではないか。
しかし、アフガンの故・中村哲氏も言っていた、「見てしまった、知ってしまった、放っておけない」これが彼女の運命ではないかと思う。そして運命は、弱い人間を選びはしない。大学山岳部で山登りにとことん打ち込み、強い心を持った彼女だから、今こうしてシリアの内戦から逃げずに歩んでいけるのだ。そしていま最もやりがいのある仕事、ちいさな二人の子供と歩む実り多い人生を過ごしているさなかだと思う。
「山岳部員出身」というちかしさから、20代の数年間を山登りのことばかりを考えて過ごしたという共感から、彼女の人生をひとごとと思えない。彼女は、自分で選んだ人生の舵を決して離していない。船は波に漂うが、舵だけは自分で握り続け続けている。子どもたちのビレイを続けながら。その姿がとても尊い。
人間の土地へ
小松由佳
2020/9
集英社インターナショナル
2020-4-15 21:46
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【読書備忘】渓谷登攀...
大西良治著「渓谷登攀」が出版された。ガイド本を除いて、沢登りの本としては成瀬陽一氏「俺は沢ヤだ」以来の事だろうか。いや、「外道クライマー」以来か。
登山者人口が増え、情報もそれなりに流れるようになりかつてのハードル高さも減じて夏道登山だけに飽き足らずクライミングや雪山、そして沢登りにも手を染める人達も徐々に増えてきたように思う。それにしても、このような特殊な本にまで手が伸びるとは到底思えず、出版元の山と渓谷社の英断を称えたいし、こうして沢登りの深部が紙媒体として残ったことを祝いたい。装丁も、表紙からして配色やI滝と文字の配置よろしく洗練されており、編集者の労をねぎらいたい思いだ。目次等、背景が黒で文字を浮かばせたそれらは、渓谷内のゴルジュを意識したものだろうか。
台湾渓谷での沢登り(溯渓)や日本の険谷遡行に多少なり関わってきた身として、この本がどういった価値を持つ本なのかを語ってみたい。
著者である大西良治氏については御当人の開設する「SOLOIST」を参照頂くとして、ここでは客観的な補足に留めたい。クライミングに魅入られて入れ上げる多くの人々が、登山総体の中での一ジャンルに過ぎないクライミングという行為自体を目的としてしまうだけに満足する中で、大西氏はクライミングを手段としてこれまで通過やトレースが許されてこなかった大滝や不明だったゴルジュを解明し、時に新ラインを引いて我々オールドスクール出の溯行愛好家を驚かせた。またそれらが主として単独で成された点に尚、驚かされた。
まずは国内掲載の「日本の渓谷」について。25本の掲載があるが、私の少ない経験に照らしてもどれをとっても一筋縄ではいかない険谷群の羅列である。登攀的要素が強く、単独でロープを出すとなれば「ソロイスト」という制動ギアを使用した登り返しの必要な倍手間を喰うシステムとなるし(赤川地獄谷、オツルミズ沢、池ノ谷、梅花皮沢滝沢、剱沢等)また、泳ぎを強いられる谷(不動川やザクロ谷、五十沢)では水流への引き込まれを回避できる確実な方法がないために“賭け”ざるを得ない場面も現れる。増してや滝や高捲きのフリーソロ部分では絶対に落ちられない。一本一本が遡行愛好家の究極の目標たり得るものばかりであるが中で「日本の渓谷」のハイライトは『称名川』、の項である。入口とも言える称名滝(しょうみょうのたき)が世紀末周辺に登られ出すや、次に注目されたのが当時未踏を誇った「称名廊下」であった。探検家である角幡唯介氏や北大探検部卒の故・澤田実氏、そして上記成瀬氏もこの「日本最後の地理的空白地帯」に注目して懸垂下降しては廊下部分の踏査をし、写真を残していた。成瀬氏に至っては計画の発案者である青島靖氏と共に称名滝落ち口からの溯行や、称名廊下終点からの下降とトライアルを重ねたものの水量の多さやスケールの大きさから「今までの溯行スタイルを越えた何かを掴まえること」が初溯行には必要となるだろうと記録に書き残し中退している。これら動きに連動してか、大西氏もこの称名廊下にエントリーして、氏としては”不本意ながらも”初めての偵察やエスケープ路の確保をした上、初溯行を成功させた。それらにも飽き足らず、更には称名滝(フリー)登攀から称名廊下、そして源頭の室堂までの溯行を(デポを置きながらも)ワンプッシュで完成させ、区切りとしている。誰の手も借りることなく。これら一連の行為に投じられた情熱や労力の総量たるや、計り知れないものがある。
この本に紹介された記録には、幾本かの重要な意味を含んだ山行が採用されている。それは、引き返しの効かない地点を意志的に踏み越え、困難を乗り越えた末に生還している点である。しかも“良いスタイル”で。台湾の大渓谷に踏み込むにあたって、谷中でトラブルやアクシデントに見舞われた際にはその奥深さ故に救援は全く見込めず、自力で対処し行くか戻るかの判断を迫られることもあり、何があってもパーティー内で処理し、覚悟を持って入渓する点は多少なり救援の見込めるヒマラヤ登山以上の心理的ハードルがある。その意味で「台湾の渓谷」での記録はその“ある地点”言い換えれば「境界」をどれも踏み越えているし、称名滝右壁登攀、そして「CANYONING」の項では剱沢や恰堪溪(チャーカンシー)の1st descent、Gloomy Gorgeの2nddescentもソレに該当している。
尚、我々が行っていた二十世紀末の台湾溯渓は、同行する現地の嚮導者の人数や力量もあって実にオーソドックスな遡行スタイルに終始し、困難な滝やゴルジュ帯が現れれば一日掛かりの大高捲きを敢行して回避し自然、日数に制約を受けた“そこそこの”中規模渓谷までの溯渓に限られていた。しかし世紀改まり、台湾溯行の際の嚮導者、人数等の制約事が良好に改善されたことも手伝って且つ日本からは精鋭達が集い、この魅力溢れる台湾島の未踏大渓谷群にありったけの情熱や力量を注ぎ込むことが出来た結果、たった一本の渓谷に二週間にも渡る沢登りとしては長期の日程を投じて高捲きを極力排した完成度の高い溯渓が次々と成された成果が、この本にある。規模の大きな台湾渓谷での高捲きは溯行に際して日数を食い潰す排すべきスタイルであり、高捲きを選択せず些か強引な手段を採ってでも中を通過した方が遡行は遥かに捗ることを示した。高いクライミング能力を武器に、ボルトの使用すらも排し、且つ不明部分をつくることなく行程を早く進められる。そのことは、前記青島・成瀬両氏が長渓、豊坪渓を三度に分散して完溯したのに比べ、彼らは(途中入渓だったとしても)ワンプッシュで左俣を成し遂げたことにも現れている。
渓谷溯行で現れる、一見して通過不能と見える鬼気迫る暗いゴルジュや廊下が人生の苦悩の、登攀困難な滝が人生の困難を象徴するならば、これまで殆どの人達に高捲かれ内院を覗かれず未知として残されてきたそれら空白部分に、著者である大西氏は時に単独で怯むことなく挑んで最も数多くそれら困難を乗り越えてきた人物といえる。
ただ本人が単調な表現の繰り返しを避けるのに苦労したと言っていた通り、志水哲也の「大いなる山 大いなる谷」が発刊された際に柏瀬祐之氏(「山を登りつくせ」の著者)が指摘したのと同じこと思ったのも正直なところである。それと、我々が台湾の沢登りを現地語で「溯渓」と呼称した言葉がここには殆ど現れなかった点は、我々が積み重ねた溯渓と氏が行った台湾溯行とが地続きで(水脈で繋がってい)ない感じを受けたのは少々残念であった。
とは言え、アルパインクライミングにも引けを取らない沢登りの可能性を未来に提示した点で、本書は価値ある一書である。素晴らしい大判の写真を目にするだけでも本書で展開された行為の迫力の一端に触れられる。
私が台湾溯行に手を染めた頃、極秘入手したその広げたゲジゲジ台湾地図を前にして解明される未来などまずやって来まい、そう手前勝手に思い込んでいた1990年代初頭時から凡そ30年、21世紀を迎えて主たる水系はあらまし溯行され解明されてしまった! 驚くと同時に、そんな同時代を生きて目の当たりにすることが叶ったのは幸いだった。
最後に名誉の為に申し添えたいのだが、日本の険谷登攀はじめ、称名滝、称名廊下、そして台湾大渓谷のこれからを将来に向けて世紀末の段で既に提示していた青島靖氏(大阪市大山岳部OB)の先見の明について、ここに記して本文を締めたい。【20200413記】
2020-2-24 15:43
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2020年関西支部新年会
日時:2020年1月25日(土)
場所:京都三条木屋町 温石 左近太郎 参加者(敬称略、入部年西暦下二桁):吉田(57)、相田(58)、神戸(59)、高橋(59)、田中英(59)ご夫妻、内藤(59)、渡邉(59)、川道(62)、須田(62)、岸本(65)、池上(70)、宮本(82)、岡島(83)、多田(86) 合計15名
報告:岡島(文)、宮本(写真)
会場の「温石 左近太郎」は、典型的な京都の「ウナギの寝床」であり、3回続けて会場になったためか、慣れ親しんだルームを思い浮かべた。12:30開催で、実に4時間にわたり、30年の入部年度差にもかかわらず、あちこちで話が咲き続けた。会費もなく遭難対策もない、親睦の集まりであるが、最後は肩を組み山の四季で締めた。
「若いOBの参加をもっと呼び掛けるように。」との川道支部長の号令を受け、脈のありそうな数名に直接コンタクトを取るものの、皆々ご家庭の用事があるとの事で残念ながら「ご盛会をお祈りします。」とのご返事。新しい面子が得られない中で、池上宏一さんが久しぶりに関西支部の集まりに顔を出された。
昨年10月の湖北合宿の報告に記した朝比奈英三先生と川道支部長とのアラスカ大学での件を池上さんが目にされ、1972年マッキンレーの下山後にアラスカ大学に川道さんを訪ねて行かれたことを懐かしむコメントをAACHのメール連絡に載せられた。私も30年近く前にデナリ公園でキャンプしたときにマッキンリーを北面から望んだことがあり、部報12号に掲載されているマッキンリー遠征のダイジェスト版を読み直した。
カヒルトナ氷河からウェストバットレス経由で頂上アタックはノーマルルートを辿るが、登頂後の下山が他所では考えられない行程となっている。詳細は「寒冷の系譜」にも記されており、越前谷さん達が語っている様にルームのセンスに徹した「3年班」と位置づけている。また東晃先生がこの長いワンデリングを褒めておられた事も嬉しい。まさに冬山メイン山行で、十勝川からトムラウシを登って石狩川に乗越すスタイルをアラスカで実践されたのだと思った。
池上さんは1980年のバルンツェにも登頂されている。この時の装備開発と気象研究が2年後の冬期8000m峰につながった経緯が「寒冷の系譜」に詳しく報告されている。 そして更に、越前谷さんが「池上の作った膨大な事務局ファイルというのは、全部記録として残っている。このファイルはAACHが初めて立派な登山報告書を作る上に貢献した。」と評価されている。その談の通り池上さんは、1本締めのアタックザックに収めたマッキンリー遠征のアルバムと地図を持参して下さった。
アルバムには写真とスケッチが丁寧に整理されており、報告書で見た覚えのあるチロリアンブリッジでクレバスを越える写真が、何故か目に焼き付いている。
さて、関西支部の報告というよりも池上さんを巡る“寒冷の系譜”を断片的に追った内容になったが、関西支部の常連メンバーは益々ご健勝につき詳細報告は割愛させて頂きたく。終わりに、今回欠席の連絡を頂いた窪田さん、伏見さん、福本さん、米澤さん、石松さん、川井さん、中谷さん、鈴井さん、三瓶さん、またの機会にお会いしましょう。
2020-2-6 14:13
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2019年秋関西支部会員...
2018年9月20日に京都駅前のビアホールで「甚暑祓い/豊穣祈願」の飲み会を開いた。この年の関西は梅雨時から尋常ではない暑さが続き、関西支部の先輩の何人かは、参ったと弱音を吐いておられたので、少し涼しくなったら顔を合わせ気分転換をはかるのも良いのではと急遽集合を設定したもの。(飲み会参加者:安間、相田、高橋(昭)、田中(英)、内藤、伏見、川道、岸本) 勿論皆様お元気でいつものようにジョッキ片手に近況雑談で盛り上がりました。席上、安間さんから空沼小屋の現状を話していただき、胆振東部地震がありスタートが遅れたがこれから北大当局を説得し、空沼小屋及びヘルベチア小屋を有形文化財として登録申請するように進めてゆくとのこと。
2020-1-14 21:44
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2019ヴェチア祭り レポ...
現役のヴェチア幹事岡崎君から第92回ヘルヴェチア祭りが10/27に催され、写真とレポートが来たので遅くなったが編集しました。
OBは川道(1962入)、小野寺(65)、高橋(66)、安藤(70)、岩間(70)、中村(88)の6名、 現役は15名、若手OB2名他2名で計26名。峠越えは若手OB神谷(2015)1人のみ。主任幹事の笠井(4)の挨拶で前夜祭スタート。現役は今年は1年目6人が入部し将来は明るい。途中小雨もあったが焚き火を囲む。OBからの酒や料理の差し入れが例年より多くありがたい。例年の現役ワンコイン、OBからは3000円の会費で間に合う。メニューは生ハムにクラッカー、ラーメンサラダ、鍋、ポテトサラダ、牛丼、とりわさ等。
朝は昨晩の鍋にうどんを入れて朝食。11時ごろまで小屋の掃除や薪割り、煙突掃除など。手こずった薪割り用の切株数個残して記念撮影。11時半ごろ解散。
北海道新聞20200112別冊
道新記者が当日取材しにきて、丁度1/12日曜版別冊に山小屋の鎖という題で2面に渡り特集を組んでくれた。
ヴェチア幹事の岡崎君や小泉前会長、空沼小屋の保存を考える会の安間会長のコメントもあり、なかなかの小屋PR記事になっている。14年前理学部博物館で催された山小屋展の再現ともいえる記事。写真入りのインタビュー記事の在田氏は山スキー部OBで当時の館長。
2019-11-2 14:56
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関西支部 月見の会
日時:2019年10月19〜20日
場所:奥琵琶湖キャンプ場
参加者(敬称略、入部年西暦下二桁):吉田(57)、相田(58)、高橋(59)、田中英(59)、内藤(59)、川道(62)、須田(62)、米澤(69)、奥様タップティムさん、石松(73)、宮本(82)、岡島(83) 合計12名
記録的短時間大雨情報が千葉県に発表されるなど、10月19日土曜日は関西地方も天候が不安定。今夜は外でのBBQは無理かなと思案しながらJR湖西線の安曇川駅に向かい宮本さんと合流する。天候は回復に向かい12時過ぎに駅に着く頃には雨は上がった。
安曇川は琵琶湖に流れ込む二番目に大きな河川で、比良山系の雪解け水が流れ出す春先には、「琵琶湖の深呼吸」と呼ばれる全層循環を引き起こす要因の一つであると、以前の月見の会で伏見さんがレクチャーされた事を思い出す。
我々先発隊は先ず、淡水魚専門の養殖場でイワナを仕入れる。養殖池にはニジマスやビワマス、鮎やコイがたくさん泳いでいた。次のスーパーで酒や肉、野菜の買い出し中に石松さんと遭遇。石松さんに永原駅での須田さんの迎えをお願いし、宮本号は今回のベースキャンプとなる奥琵琶湖キャンプ場へと直行する。
ここ湖北の西浅井町は、柴田勝家と羽柴秀吉の合戦となった賤ヶ岳が直ぐ東にあり、西方は鯖街道など御食国の若狭から朝廷に水産物を貢いだ街道も多い。また今回のベースの最寄りの集落である永原は、隣町の塩津と合わせて古代から琵琶湖の水運の要衝であった。更に、北方の山並みの向こうは越の国となり、敦賀・舞鶴からは小樽行きの船便(北前船)が蝦夷ヶ島に通っている。現代は塩サバに代わって、大飯・高浜の原子炉から赤坂山を越えて高圧送電線を電気が送られて来る。ちなみにこの辺りは関西では貴重な山スキーのエリアである。
今回の会場は薪ストーブ、キッチン、冷蔵庫、ベッド、風呂、ウォシュレットトイレ付の別荘風の2階建てのコテージ。玄関前のバルコニーを宴会場として、テーブルと椅子を並べ、夕食や炭起こしの準備をしている間に12名全員が集合し、午後4時に開宴となった。イワナの塩焼き、焼肉、鳥鍋、鯖寿司、マス寿司と饗宴が続き、米澤奥様のタップティムさんが華を添えて、インターナショナルな会話が弾んだ。
雲も晴れ、月も望めた9時過ぎに山の四季を歌い屋内へ移動。その後、高橋さんが準備された空沼小屋とヘルべチアヒュッテを巡るスライドショーの上演となった。またこの会に先立って芦峅寺の佐伯トンコのご長男である高男氏を訪問され、関西支部の山小屋に置かれていたヒュッテン・ブッフやアルバムを持参された。小屋ノートの緒言は吉田さんで始まり、途中には富山での雪氷学会の折に立ち寄られた木崎ジミーの筆跡もあり、最後は高橋さんの文で終わっていた。
高橋さんが探されていた物の一つは、芦峅寺の山小屋「北大山の会関西支部ヒュッテ」に掛けられていた伊吹良太郎さんの墨跡の看板でした。しかし残念ながら見つからなかったとのこと。確か30年ぐらい前の山の会会報に看板が写った写真付きの記事が載っていた記憶がある。「関西支部の名越ら悪童たちがまた今年もやって来た・・・」と記した恐らくトンコの寄せ書きだったと思う。私の手元にはこの会報は見当たらなかったが、平成11年に編纂された北大山の会会報の総集編を捲ると、昭和53年12月第46号「中野征紀前会長追悼号」10頁(p472)に「芦峅寺の山小屋」の題で関西支部の一文がある。
また、平成7年に編集された「芦峅の自然児・トンコ−佐伯富男追悼集−」に寄せられた思い出話しも芦峅寺の山小屋での場面であったのかも知れない。また別の機会に、芦峅寺のトンコの山小屋の資料が公開されることを期待したい。その他の話題として、伊吹さんが編纂された「行手は北山その彼方−京都一中山岳部85年の歩み」(2003年12月発行)の資料の紹介もあった。
伊吹さんの京都一中時代の貴重な写真をはじめ北大に関する章もあり、一行を紹介します。「当時は一中から三高へ進むのが一般的なコースであった。しかし、『謀反』を起こして北を目指す人たちがいたのだ。その中で、最初にブランキスト線−津軽海峡を越えたのは加納一郎(大正5年)ではないだろうか。・・・」このような会話が盛り上がる中、夜は更け11時過ぎ、7時間にも及んだ大宴会はお開きとなった。
翌朝はパンとサラダ付きベーコンエッグ、スープとコーヒーの朝食で始まる。合宿なので自炊である。朝食の後、皆さんの近況と今後の抱負を語って頂いた。
吉田:学生のヒマラヤでのフィールドワークを企画しています。ゴンドワナ地質環境研究所まで。
相田:六甲山を越えて有馬温泉に通っています。
田中:クルージングの海外旅行を楽しんでいます。同期会が段々と閉会し、世代を超えた山の会の集まりは大切な時間です。
内藤:家内と孫の世話をしています。若い人向けの料理も作って食べさせています。
川道:大学院生の海外での学会発表の支援をしています。川道国際学術交流協会まで。
ムササビの写真集を米国で出版するための編集中です
須田:自給自足の農業を営んでいます。
米澤:タイと日本の季節の渡りをしています。
タップティム:タイにいらしたときはぜひ遊びに来てください。
石松:定年後で余裕が出てきたので出席しました。アルバイトで足腰を鍛えています。
宮本:災害情報に関するインフラ整備の事業を立ち上げています。
岡島:冬山は雄山東尾根を考えています。
湖畔のベースキャンプを10時に撤収し、永原の駅前で散会となった。吉田さん、相田さん、内藤さん、川道さん、須田さん達と湖西線の客車のコンパートメントに二班に分かれて座り、車窓から琵琶湖の向うの横山岳、伊吹山、鈴鹿山脈を眺めながら話に花が咲いた。
川道さんの50年来の秀岳荘のアタックザックの話に始まり、51年ぶりにロシアとジョージアの国境にあるウシュバ南峰(カフカス山脈)下の氷河で見つかった小林年さんのザックの話に発展。ネンさんがザックを落とした理由として、秀岳荘のザックなら背負い紐が切れたのではなく、バックルの留め金のピンが革バンドの穴から外れたのではないか?
「ネンさんの岩登りの上手さは特別だ。」と川道さんが回想。その後は、写真家の星野道夫さんと朝比奈先生との交流の話も出た。「旅をする木」に記されている内容ですが、動物研究者でアラスカ大学に学んだという共通項で繋がった川道さんの話を聞くと、星野道夫と朝比奈先生の繋がりがぐっとリアルに感じられた。(注:低温研の朝比奈先生はアラスカ大学北極生物研究所のアドバイサリー・コミッティの一員として、留学中の川道とお会いしました)。合宿帰りの汽車の中の様な、ゆったりとした時間が流れた。
まだ陽も高いので、私は途中の叡山坂本で下車し、比叡山延暦寺を越えてキララ坂を下って修学院離宮の側に降りた。明後日の10月22日は即位礼。風水害が治まりますよう鎮護国家を祈念しながら帰路に就いた。
(文:岡島、写真:高橋、宮本)
2019-10-19 22:58
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【読書備忘】熱源 米...
熱源
川越宗一 文藝春秋社 2019.8
日露の文明に飲み込まれたかに見えるサハリン島の樺太アイヌと、独露の圧政にあり123年間独立を喪失していたポーランドの、19世紀から1945年の物語。
クライマー、ヴォイテク・クルティカの評伝をきっかけに、ポーランド関連本をこれで5冊目ハシゴしている。巨大なロシア文明に飲み込まれた東西の少数民族文化の数々に興味がある。19世紀はその滅びゆく最後の時期にして学術記録も残された時期。興味深いテーマの史実が盛り込まれたフィクションで、この秋の新刊。フィクションを思って手にとったけれど、かなりの部分が史実で驚いた。
以前からなんとなく思っていたが樺太の北緯50度線は、ただ日露が半分に引いた線ではなく、もともと南のアイヌと、北のニブフ(ギリヤーク)との大体の境だったのだろうか。
1875年の樺太千島交換条約での樺太アイヌの北海道への半強制移住、1904年日露戦争の日本軍による南樺太侵攻と40年間の統治、そして1945年のソ連南樺太侵攻。この時代に翻弄されて生きた樺太アイヌのヤヨマネクフと、1795年以降国を亡くしていたリトアニア・ポーランド人のブロニスワフ・ピウスツキ。遠く離れていたが流刑地としてのサハリン島で出会う両者。
読みすすめるうち、ブロニスワフの姓、ピウスツキと、ペテルブルクでのナロードニキの先輩革命家、ウリヤノフの名に既視感を感じてはいた。後半になって、実在有名人がたくさん出てくるに至って、ブロニスワフもヤヨマネクフも、実在の人物だったのを初めて知った。二人だけではなく、登場し生き生きと描かれる樺太アイヌたちのほとんども、民俗学者ブロニスワフによって記述され記録された人々だった。
登山愛好家の読者として注目するのは、1912年白瀬矗の南極探検隊の犬ぞり担当者として参加したヤヨマネクフの働きだ。わが主人公は歴史上ではこの役割によって名を留めているが、少数民族として南極隊に参加する動機とその葛藤、消えゆく存在とみなされることへの反発など、心の内がずっと描かれている。同じく終章で登場するウィルタ族の若く優秀な射手もまた、対照的なひとつのあり方として描かれていた。
この本で一番読みたかったくだりは、ヤヨマネクフがブロニスワフの録音機に、未来に向かって話した「願い」とも「祈り」ともいえる言葉だ(p249)。
「もしあなたと私たちの子孫が出会うことがあれば、それがこの場にいる私たちの出会いのような幸せなものでありますように」
「そして、あなたと私たちの子孫の歩む道が、ずっと続くものでありますように」
19世紀は近いようで遠い。自分の先祖でどんな人生を送ったか伝え聞いているのはせいぜい三代前までではないだろうか。1964年生まれの私なら父は1934年生まれ、祖父は1905年、曽祖父は1870年代、知っているのはそこまでだ。そして先祖の数は3人だけではない。母方にもその母方にもいて、2の階乗の和で増えていく。2+4+8+16ヤヨマネクフの同時代でも16人の直接の先祖がいるはずだが、ほぼ知らない。自分が「純粋な日本人」だと思っている多くの人も、明治初期の4代前の16人全員の生涯を知っている人は多くはないはずだ。アイヌもコリアンも無関係と思っていても、そうではないのだ。自分は旧家の10代目です、という人がいても、2の10乗=1024人のうちせいぜい一人の素性を知っているだけだ。子孫に伝えられなかった、多くの先祖たちの人生を思う。
「熱」という言葉は要に何度も出てくるこの作品のテーマだ。21世紀になり、姿を消したかに見える樺太アイヌの独自環境に根ざした暮らしぶりや習俗。しかし文化、物語は形を変えて残っている。見えないエネルギーの象徴として、「熱」が語られるのだろうか。
先週ちょうどラジオの音楽番組で、アイヌ音楽家のOKIがトンコリを奏でるのを聴いた。90年代半ば以降になって、ようやくアイヌ文化の価値を差別的偏見を通さずに評価する時代になった気がする。30年ほど前の北海道では、今では考えられない、ここに書きたくもないほどの差別的な体験を見たことがある。人が差別的になるときに、両者の無知を思う。作品中の主人公たちが人生通じて、無知からの脱却のために学校を作ろうと努力をし続けたことが印象的だ。
日本統治時代には近代化の開発が進み、ロシア統治時代にはかなり放置される傾向があったように思う。樺太の山河は幸か不幸かロシア統治下で21世紀にも物理的に比較的未開発のままだ。もし戦後も日本領だったら、高度経済成長期やバブル期に今の天然山河は失われていただろう。北大山岳部的には、すぐ近くにある「システム外」の秘境山域を、どこまでも山スキーとイグルーで北上していきたいと思うのである。アイヌ、ニヴフ、ウィルタたちの伝説を読み返しその世界を空想しながら。
2019-10-14 22:33
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北大寮歌祭(東京・蒲...
2019年10月14日(月・祝)に、東京・蒲田の大田区産業プラザで開催された北大寮歌祭に、AACHから9名が参加し、山岳部部歌「山の四季」を披露しました。
左から、中村(1979)、土田(1973)、清野(1979)、竹田(1968)、清原(1986)、 石村(1953)、山森(1986)、大村(1965)、山森娘(小6) 今年はAACHで1テーブルを専有し、世代を超えて交流を深めました。
壇上では、山スキー部、ワンゲルをはじめ大勢の「山の四季」ファンの方々の 応援をもらいました。「山の四季」が幅広く愛されていることを実感しました。
来年は、「2020年9月27日(日)、於:大田区産業プラザ」の予定です。 皆様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
北大寮歌祭サイト
http://www.ryoukasai.org/
北大寮歌祭動画配信サイト
https://www.youtube.com/user/ryoukasai
スマホ用の寮歌集アプリ
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mkuriki/phone/ryoka/list_ryoka.html
山森聡(1986入部)
2019-9-28 15:38
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【読書備忘】アート・...
1980年代から1990年代にかけて8000m級を含む高所の困難なルートに、創造的なルートを見出し、事故もなく、数々の「芸術的」とも言えるラインの登攀を成功させて生き延びたヴォイテク・クルティカの評伝の和訳が8月に出版されて、かみしめながら、こってりと読書した。
表題がart of climbing でも freedom of climbing でもなくart of freedomというので、意味を考えながら読み続けた。読み終えるころ、納得する。山登りの喜びの芯の部分は、「自由」にある。
「自由」こそ、私自身が少年期から山に求めて飽きずに登ってきた山登りの魅力の本質の部分だと思っている。free。道具を持たず、社会システムの保護と制限から逃れて行ける所、それが「山」のはずだ。描くそのラインは、既存のものでも制限下のものでもなく、そして何より美しくなければならない。ガッシャブルムI,II峰縦走、ガッシャブルムIV峰西壁。今でもその美しさを後追いできない。
1947年生まれ。40歳前後のヒマラヤ高所で活躍の時代は、私の山登りを始めた時期であったのだが、同時代ではやはりメスナーとククチカの記憶はあったけれど、クルティカの憶えは無かった。その理由は、本書を読んでわかった。ククチカとクルティカ。名前が似ていて同時代の対照的なふたり。クルティカの軌跡は、当時のメスナーとククチカの「8000m争い」の時代に、惑わされず、始めから最後まで一本芯が通っていた。
「8000m峰全山完登という王冠」を懸けて「クライミングという高貴な芸術を、価値のない見世物に貶めた」。クライミングが持つ「ロマンチックで形而上的、そして美的な価値観を」無視し、「アルピニズムを序列化という罠に陥らせ」た。ということばに、クルティカの考えは集約される(330頁)。おそらくそれとつながる理由で、クルティカは何度もピオレドールの受賞を丁重に辞退し続けた。世から賞嘆を受け、自分がそれにふさわしいものと思い込んでしまう可能性を恐れたために。その丁寧に固辞する文面に、彼の誠実さがにじみ出ている。
読書途中で見た、ジミー・チン監督のドキュメンタリ映画「フリー・ソロ」のアレクス・オノルドの慎重で控えめな人格が何故かかぶってしまう。こちらも「フリー=道具なしあるいは自由」が主題。エルキャプの4時間フリーソロは快挙だけれども、同時に読んでいたクルティカのガッシャ4峰西壁は、誰にも映像化できまい。サードマンまで現れる限界の生還。どちらも「自由の芸術」にふさわしい行いだと思う。
ポーランドにはなぜ、あの頃突出したヒマラヤクライマーが続出したのか?これは個人的に長い間の疑問だった。70-80年代の社会主義体制に理由があったのかな?チェコスロバキアやハンガリーにだってタトラほどの山はある(と思う)。この疑問は何度か本書でも述べられる。この本を読んで少しわかったのは、クルティカの脱法精神が不条理な社会主義体制に育まれた面だ。「違法であることは創造的人生の一部なのです」「制約はほとんどが世界の悪者によって押しつけられ、私達を奴隷化します。これは自由の感覚を台無しにします。」(332頁)ディストピアや他国による長い圧政の歴史が芸術を生み出す、これは映画や文学でも多くあり「東欧産」には僕は心惹かれる物が多い。
クルティカの独白部分の一人称訳が、「です・ます」調であることに、はじめ小さな違和感として気にとまった。外国人の翻訳セリフや字幕は必要以上にフレンドリーというか、ときに馴れ馴れしいほど軽率な言葉遣いになりがちだ。これは日本メディアの悪習だと思うけれど。特にスポーツ選手や元気のいいキャラの場合は間違いなし。読み進めればすぐに分かるが、クルティカの言葉は思慮深く、難解とも言える言葉遣いだが、考えつくされて選ばれて出された言葉なのだろう。おそらく日本語ではこの丁寧な言葉遣いの訳がふさわしい人柄なのだと思う。それがわかるのが、意見の違いで別れていくパートナーたちに対する慈愛に満ちた言葉の数々だ。「アルパインスタイルの登攀には、とても深い倫理的理由があります。私は自分が大切に思う人としか行きません」(269頁)。
マッキンタイアと聴いたマリアンヌ・フェイスフルの歌(Broken Englishかな?)、トランゴで落っこちた後、ロレタンが聴かせてくれたダイア・ストレイツの歌(たぶん「Brothers In Arms」)。聴いてみると当時に時代を引っ張り戻してくれる。ポーランド人の名前や地名の発音しづらさが面白くてポーランド語初級教本やポーランドの地図と略史なども読みながら読み進めた。ポーランド、行ってみたくなってきました。
英語版で買って読んでいたクルティカファンもいるけれど、日本語でなければ私は読めなかったでしょう。理屈っぽくて言葉を選びに選ぶクルティカの独白を日本語にしてくれた翻訳者、恩田さんにも大いに感謝です。
2019-9-27 22:50
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51年前のザック・氷河...
51年前のザック・氷河で発見(小林年さんのザック)北海道新聞9月26日夕刊より
2019-9-14 21:05
山岳館
第13回世界の山々にナキウサギを訪ねる
2019-8-27 20:27
山岳館
北大山岳館
2019-5-21 14:11
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北海道流探検登山熟成3...
17日、1987年探検部入部の澤田実氏が、カムチャツカのカーメンの大岩壁の登攀山行中に事故死したと連絡があった。氏が高田馬場のカモシカスポーツにいた時、ライペンの褪せ柿色ザックと、伸縮性のカッパズボンを冬用に買った。今も継ぎ接ぎしながら履いている。そろそろ捨てようかと思っていたけど捨てられなくなってしまった。昨年3月、遠見尾根でイグルー作っていた時会ったのが最後。ニコニコしていた。
2年前、氏の著書の書評を編集部から依頼されて書いた原稿を以下に転載します。
山と溪谷 2017年2月号 書評記事より
北海道流探検登山熟成30年の技術論
北海道大学探検部の現役学生が北海道最大の鍾乳洞を発見し、彼らを取材したことがあった。函館で仕事をしていた10年ほど前だ。神秘的な深い穴の奥でその学生にきけば、「世界中の誰も来たことのない場所を僕らが見つけて、むふふという気分です」と答えた。誰も行かないところに行きたい。探検部員の真髄の言葉だったと思う。
著者澤田実氏は北大探検部、私は北大山岳部で、数年の違いで共に北海道の探検的山登りの洗礼を受けた。北海道の山は伝統的に未開であり、山岳部も探検部も共に探検的思想無くしては登れない。北大は、「遠くに行きたい、大自然に飛び込みたい」と考える若者が集まる所なので、活発な山系クラブがいくつも共存し栄えている。これは昔も今も変わらない。
実は私自身がつい三ヶ月前に、北大で育った登山経験を核に「冒険登山のすすめ」という本を出していて、今回澤田氏の本を読み、「・・・これはモロかぶりだ」と思った。山岳ガイドである氏が、初級者と登って気がついた沢や雪山の経験的な登山技術を書いていながら、雪洞(私の場合はイグルー)、焚火、地図読み、山スキーと排便問題にただならぬ力点を置いた特異な登山論が両者全く同じだった。なんだか自分の本の書評を自分で書いているような奇妙な状況である。しかし当然ながら、モロかぶりだからこそお勧めする。この本を読んでほしい。
澤田氏と私とは学生時代はほぼ入れ違いで、共通の友人は多くいるけれど長く話した事はない。示し合わせたわけでもないのに、同じ時期に刊行された必然について考えた。
今は登山ブームと言われるが、20代で山を初める人は多くはない。学生登山家として山を始める強みは、経験豊富なガイドではなく、数年しか違わない先輩と失敗しながら手作りで鍛える初期経験である。歴史あるクラブの経験智を引き継ぐおかげで、なんとかギリギリ死なずに、恵まれた時間と体力で長期山行をして、初めて得られる登山力である。我々の頃にはそれが当たり前だったけれど、今その環境はほとんどないと言っていい。90年代、中高年登山ブームとは裏腹に若者が山離れし、北大以外の大学山岳部は全国的に数を減らし衰退した。今再び若者が山に戻りつつあるが、どこも先輩が積み上げた経験智は途切れ、ゼロから積み直している所が多い。先輩がいなければガイドから教わる他はない。そんなに確か過ぎて責任を取ってくれる人から教われば、先輩から教わったような手探りでほどほどの失敗感がない。これは学生に限らずとも現代登山初心者の弱みではないだろうか。今はプロと初級アマに二極化し、中間の中上級アマ層がとても少ない。ヒマラヤ登山を見れば明らかだ。プロがアマを連れて行くガイド山行は盛んだが、手作りのヒマラヤ遠征に行くような上級アマチュア登山隊の話を聞かなくなった。山の世界の本当の胆力はこの層の厚さが重要なのではないか。
澤田氏と私の世代は、学生登山家が知恵と手探りと若い情熱で繋いできた部活登山の、最後の世代なのかもしれない。あの頃日本にプロガイドはほとんど居らず師匠の外注はなかった。手作りで泥臭い北海道式探検山登りの若者が本州に来て感じたアウェイ感を 、30年ちかく熟成させた登山哲学が揃って著作になったのだ。今の時代こそ読んでほしい山登り法だと思う。
「サスガは探検部」のクマスプレー被爆体験は必読である。山岳スキー競技の世界は、新しい道具にではなく新しい発想を新鮮と感じた。岳人誌に2010年頃連載していたものがもとだが2014年の冬期黒部横断長期山行の経験なども盛り込まれ大幅に書き直している。
よねやま・さとる1964年松本市生まれ。北大山岳部、カメラマン。ヒマラヤ、パタゴニア等を山岳取材。著書「冒険登山のすすめ」。
2019-2-2 12:55
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関西支部 新年会
関西支部新年会
日時:2019年1月26(土)13:00−16:00
場所:京都三条木屋町 左近太郎
鴨川と高瀬川に挟まれたウナギの寝床の様な京家にて、昨年に引き続き新年会を催しました。
周辺には角倉了以邸跡や佐久間象山遭難之碑、大村益次郎、桂小五郎、山縣有朋の寓居跡や別荘跡の碑が建っていて、島津製作所資料館が創業当時の姿で残っています。
江戸から明治にかけての事物が雑多に混ざった街角で、平成最後の関西支部のイベントを行いました。
先ずは川道支部長のご発声で、皆さんのご健勝と再会を祝して乾杯。
続いて岸本さんから、酔っぱらう前に、「北大山の会-関西-変遷史」編集の提題がありました。
関西支部の発足は昭和37年チャムラン遠征の募金活動や、坂本直行さんの大阪での個展開催(昭和39年)に遡ります。これら事業の応援に関西在住OBが参集したことが支部発足の契機です。その発足当時の資料を収集、編纂して記録に残すべく活動について出席者の賛同いただきました。参加者の年齢を考えますと、今こそ資料を収集する時期と思います。発足当時の記録や写真をお持ちの方は岸本さんまで情報提供をお願いします。
さて、宴のメニューは京料理の小鉢に始まって、太刀魚や寒ブリの刺身、メインはテッサ、唐揚げ、てっちりとフグのフルコース。宮本幹事の計らいにより京の地酒の飲み放題。月桂冠の大吟醸をはじめとする一升瓶をテーブルに三本並べてセルフで徳利に分注するところは、札幌の北18条界隈の安酒場のスタイルと変わっていません。
皆さんの近況報告や、登頂を断念した三浦雄一郎氏の話などで盛会の中、時折激しく降る雪を格子戸の向うに眺めながら札幌の冬に想いを巡らせました。
実は、昨年の新年会当日も激しい降雪で、田中夫妻は福井から参加できませんでした。今年もか、と憂慮していましたが、無事参加いただきました。田中さんの奥様の着物姿が京都の古い屋敷のたたずまいに溶け込んでいました(奥様は踊りの名取だそうです)。
奥様は、帰りの地下鉄からJRの駅に向かう途中も、上機嫌な田中さんの右手を肩で受けながら仲良く寄り添って歩かれて行きました。
「さあ、帰って全豪オープン・テニスを見よう。」という神戸さんの潮時を告げるコール。
肩を組んでの「山の四季」に続いて、応援団出身の窪田さんによる前口上で明治45年寮歌「都ぞ弥生」を高唱して平成の宴はお開きとなりました。
楽しく懐かしい時はすぐに過ぎ去ってしまいました。また秋に観月の宴でお会いしましょう。
若手OBの参加をうながす努力・秘策を探し求めています。
参加者(敬称は僭越ながら略、数字は入部年19xx)
窪田58、相田 58、高橋 59、田中ご夫妻 、内藤 59、渡辺(尚) 59、神戸59、伏見 61、川道62、須田 62、岸本 65、宮本 82、岡島 83、多田86
文:岡島、写真:伏見、宮本
2018-11-25 10:43
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関西支部 月見の会
日時:2018年11月10日(土)16:00〜
場所:琵琶湖畔 はなれ山水 大コテージ
参加者(敬称略、数字は入部年19** ):相田 58、内藤59、高橋 59、田中(英) 59、伏見 61、川道62、須田 62、岸本 65、米澤64ご夫妻、小泉74(ゲスト)、宮本 82、岡島 83 計13名
今年の月見の会は、趣向を変え、琵琶湖畔の貸切りコテージで開催することとなった。また、小泉会長と、米澤ご夫妻に初めてご参加いただいた。
開宴後、小泉会長から近況報告。北大山岳館の図書受入れ、空沼小屋の状況、北大山の会組織の今後の見通し等に関する説明があった。遠く離れた札幌で、山の会の運営に尽力されている方々のご苦労を察する。続いて、米澤さんからのご挨拶。仕事の関係で、長年、海外生活を送り山の会の活動に参加できなかったため、今後、山の会の活動にも参加していきたいとのこと。
その後、日が暮れ、差し入れの鮒ずしや、焼肉、鍋もの等をつまみながら、いつものように話が盛り上がり夜は更けていく。
今年は11月8日が新月であり、月見は期待できなかったが、それでも、細い三日月が見えた。これから満月に向けて新しく誕生した月を眺めるのも悪くはないが、次回は満月に近い日程での開催を目指したい。
焚火がないのが寂しいのか、岡島君が松の枯葉を集めてきてバーベキューコンロに投入。すると、誰ともなく紙コップや、食材の運搬に使用した段ボールなどを燃やし始め、人の背丈ほどの焚火ができた。
本格的な焚火なしでは寒い時期であり、また、近くのコテージに宿泊している数組の若い家族連れなどにも遠慮して、山の四季を歌うこともなく宴会はお開きになった。この点は次回の月見の会に向けた反省点である。
その後、コテージに入っても、進化論の話や今後の山の会の運営に関する議論を深め、少し薄い布団で眠りについた。
翌日は、スカッ晴れ。遠くの山々まで見通せる中、各自、寒い寒いと言いながら淹れたてのコーヒーをすすり、コテージの前で立ち話をしたり、散歩をしたりと自由に過ごす。
その後、近くのパン屋の焼き立てパンやゆで卵などの簡単な朝食を食べながら各自近況報告。そして、別棟で宿泊していた米澤さんを加え集合写真。
解散後、小泉会長を含む有志三名は、午後のフライトで帰札する小泉会長のスケジュールに合わせ、比良山系の堂満岳を往復。また、他のメンバーは最寄りのマキノ駅まで湖畔を歩き、三々五々帰路に就いた。
余談ではあるが、火を見ると何でも燃やしたくなるルームの習性がひと騒動を引き起こす。コテージのチェックアウトの際、コテージの女性管理人に「燃えるゴミは持ち帰りしているか?」と聞かれ、燃えるゴミは、すべて燃やしたと回答。
管理人は「そんなはずはない。通常このような大勢の宿泊の場合、大量のゴミが発生するはずだ。小さなバーベキューコンロで燃やせるはずはない」と言う。いくら燃やしたと言っても信じてもらえず、「コテージを確認するから一緒に立ち会え」と言う。結局、管理人と一緒にコテージに戻ったが、コテージは整然と後片付けされており、(恐らく管理人が想像していたのであろう)ゴミだらけの状態ではなかった。そして「山登りの人達は何でも燃やすのね」と一言。「いえいえ、我々だけですよ」と説明しようとしたが、先を急ぐので、誤解を解くことなく車を走らせた。
(記:宮本、写真:伏見、小泉、米澤婦人、宮本)
2018-9-9 20:11
山岳館
第12回北海道の森林変遷史 −花粉化石から復元された15万年間−
2017-12-27 18:01
山岳館
蔵書目録
2017-12-2 9:30
山岳館
部報2号
2017-12-2 9:30
山岳館
部報1号
2017-12-2 9:27
山岳館
カール
2017-12-2 9:26
山岳館
山の会会報
2017-9-9 20:41
山岳館
第11回山と美術と音楽と
2017-7-3 14:46
記事
北海道新聞に式典の記事が掲載されました(2017年7月3日)
2017-6-9 13:52
山岳館
山水無尽蔵/小島烏水/1906
2017-1-29 17:43
コメント
Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)
2016-12-17 19:42
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Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル 米山悟(1984年入部)
2016-9-9 22:58
記事
空沼小屋改装仕上げ作業のご案内(2016年10月1~3日)
2016-7-28 22:47
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Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました
2016-7-4 13:41
コメント
Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内
2016-6-17 9:54
コメント
Re: 道新に今村昌耕会員の記事
2016-6-12 11:16
記事
空沼小屋修復工事いよいよ開始(2016/6/12)
2016-2-26 19:14
記事
北大・空沼小屋 修復保存工事決定と募金のお知らせ(2016年2月掲載)
2015-12-22 23:49
コメント
Re: おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)やま
2014-5-17 19:51
スケジュール
山岳館開館日
2012-6-21 12:49
海外遠征
パミール・レーニン峰(7134m)登頂
2012-5-24 9:42
記事
ダウラギリとその時代
2011-12-8 22:40
記事
リンク
2011-6-30 17:09
海外遠征
北大ネパールヒマラヤ学術調査隊1969
2011-6-30 16:34
海外遠征
スダルシャン・パルバート
2011-6-30 16:33
海外遠征
81-82年パタゴニア
2011-6-30 12:47
海外遠征
海外遠征の記録
2011-6-30 12:29
海外遠征
96ロルワリン・タンナ・リ峰遠征
2011-6-30 12:26
海外遠征
ヒムルンヒマール(7126m)初登頂