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部報解説・ 2008年12月26日 (金)


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半年ぶりの更新です。歴代最長期間18年間(1941-1958)の部報8号紹介。ナナシ沢探査完結編と、幻の大雪温泉小屋建設始末、南極観測隊に貢献した犬ソリ研究の記録、それに数多の遭難者のためにかかれた追悼文の数々。戦前の香りを残し、戦後日本登山界の質量ともに最盛期の時代をすべて網羅した密度の濃すぎる年代をまとめた部報。

部報解説・ 2008年6月2日 (月)


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歴代最長期間部報の8号の中身前半。看板記録の1956日高厳冬期全山縦走、1951大雪厳冬期全山縦走の二連発と、それに先立つ、ペテガリ厳冬期初登、イドンナップ厳冬期初登、カムエク北面、カムエク南面、中ノ岳厳冬期初登の五大記録を紹介。これでもか!の黄金時代です。しかも先日公開になった画像アーカイブでこれらの記録の写真がほとんど見られます。会員以外はサムネイル画像までですが、雰囲気をお楽しみください(右列「会員限定」の「画像アップ」から「全アーカイブ」→「道内」→「日高」)。8号になると御存命どころか活躍中のOBがたくさんおられますが、謹んで敬称略させていただきます。

部報解説・ 2008年5月8日 (木)


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コイカク沢遭難でまとめた7号以来、戦争を挟んで18年ぶりに出たこれまでで最長期間の部報。山岳部の最高目標だった厳冬期ペテガリ初登(1943・昭和18年)を戦争悪化ぎりぎりまで粘って勝ち取り、戦後早くも再開した日高未踏地帯の最後の踏査記録が満載。またマナスル初登の機運で空前の登山ブームを迎えた1950年代、部員も多く活動も盛んで、日高と大雪の全山冬季縦走という大作戦を貫徹している。中身たっぷりの時代ゆえ、この部報にこぼれた多くの珠玉の記録もあったろうと思う。三回にわけて紹介する。一回目は目次代わりに18年の年報をさらりと駆け足で。

部報解説・ 2008年1月25日 (金)


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部報7号の後半は、総て追悼文集である。卒業後の故人二名、1938(昭和13)年12月上ホロ雪崩遭難の二名、1940(昭和15)年1月ペテガリを目指したコイカク沢の雪崩遭難の8名で、あわせて計12名の追悼13題。二年にわたって雪崩遭難を起こし、冬季の沢ルートの行動が見直されていく転換点になった。ルームの中核、有馬(兄)と葛西をはじめ、上級部員を多く失ったが当時は部員がたくさん居た。生還した橋本、兄と友人を失った有馬(弟)の追悼文がある。戦前最後の部報である。(敬称略)

追悼
故島村光太郎君の追憶 櫻井勝壽
徳さんを憶ふ 相川修
憶ひ出 本野正一
追憶 朝比奈英三
徳さんの憶ひ出 橋本巌
有馬洋 福地宏平
追憶 湊正雄
戸倉君を憶ふ 林和夫
清水誠吉君を憶ふ 有馬純
近藤達君 橋本誠二
追悼 倉林正尚
羽田君 新美長夫
渡邉盛達君を憶ふ 塩月陽一

部報解説・ 2007年11月7日 (水)


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遭難報告2題と追悼13題にはさまれたわずか三つの普通の記事。ペテガリ紀行は三人とも遭難死する前の夏の記録。みんなのペテガリに対する思い入れと情熱にあふれている。当時のメナシベツ川中流部の深山大河ぶり、ナナシ沢出会いの謎めきぶりもうかがえる。橋本による山名の真偽に関する小文は全文を掲載した。コイカクの名が変更された歴史的に決定的な一文である。アイヌ語山名の由来について書いた、あやうい根拠も示されている。カムエクの名はその後修正されることはなかった。


●紀行
・三月の忠別越え石狩岳 橋本誠二
・遙かなるペテガリへ(遺稿)     清水誠吉
・カムイエクウチカウシ山、コイボク札内岳等の山名に就いて  橋本誠二

部報解説・ 2007年9月28日 (金)


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戦前発行では、最後の部報。ペテガリの冬期初登を目指して1940年1月、4回目の挑戦中、史上空前の雪崩事故に遭った。その報告書として少数出版された。時代は世界大戦に進む頃。山に行けない絶望的な世相の中、1943年1月、ペテガリの初登に成功するが、その報告は18年後に発行される部報8号に。

また、1938年12月、上ホロカメットク山直下で、山岳部で初めての雪崩死亡遭難があり、7号は事故報告と追悼一色である。これまでの日高へ、未知へという生き生きとした雰囲気が意気消沈してしまっている。


目次

●山登りの危険に就いて 伊藤秀五郎

●十勝上ホロカメツトク山遭難報告 湊正雄
一・緒言
二・遭難経過
三・救援経過
四・遺骸発掘
五・雪崩に関する考察
六・結言
● ペテガリ隊遭難報告
一・緒言
二・ペテガリ隊の準備 橋本誠二
三・ペテガリ隊の行動 内田武彦、橋本誠二
四・一月の捜索 中野征紀
五・アバの建設 中野征紀
六・七月の捜索 原一郎
七・雪崩に就いて 石橋正夫
八・結言

部報解説・ 2007年5月18日 (金)


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後編です。樺太、台湾の山行記や1823m峰の冬季初登記。それから二編の追悼です。

・ 樺太の山雜感     岡彦一
・ 北部日高山脈の旅   山崎春雄
・ 一八二三米峰     中野龍雄
・ 蕃人         岡彦一
● 最近の十勝合宿について
ー冬期合宿覺え書きの一つとしてー 朝比奈英三
● 追悼
・懷舊         伊藤秀五郎
・伊藤周一君      福地文平

部報解説・ 2007年4月21日 (土)


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二部構成の予定でしたが、味わいのある原文を引用していたら長くなってしまいました。三部構成にします。中編の今回は悪絶な初遡行記録2本(忠別川、キムクシュベツ川)と「新しき山行より」と題した随想風山行記録集から4本。当時はキムクシュとは一言も出てこない。「ペテガリソナタ」は、前編ペテガリ冬期山行の前の夏の偵察山行だが、水無しの稜線を雨水で1週間もよくもまあ!

●忠別川遡行           石橋恭一郎
● ヤオロマップ川遡行       豐田春滿
● 新しき山旅より
・ 音更川遡行           中村粂夫
・ 蘆別岳北尾根の池        鈴木限三
・ 散布岳             岡彦一
・ ペテガリ・ソナタ        有馬洋

部報解説・ 2007年3月24日 (土)


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1937年1月末の(第一次)ペテガリ冬季初登頂作戦の遠征報告がメイン記事。残念ながら途中引き返しだが、これまでにない大企画だった。このあと1943年の成功(部報8号に報告)の前には1940年の雪崩遭難という苦難があるがそれは7号での報告。時代はペテガリまっしぐらだが、冬期のトヨニ、ピリカ、神威岳、1823峰の初登頂記もある。

また海外記録が豪華だ。北千島、中部千島(新知島の新知岳、松輪島の芙蓉岳など初登)、択捉の散布岳初登、樺太の日ソ国境周辺の山散策、ほか朝鮮の冠帽峰、台湾の新高山や合歓山はもちろん、タロコ峡より中央尖山、南湖大山を「蕃人」たちの案内で登り、山稜でゾンメルスキーをやっている。東亜の山へ存分に足を延ばす1930年代。京大が白頭山、大興安嶺、京城帝大や早稲田が冠帽峰を登っている。数年後に迫る世界戦争が無情だ。これらは次回後篇で紹介する。


部報6号(1938年)前半編
● ペテガリ岳ー嚴冬期におけるー
・ まへがき       葛西晴雄
・ 準備         有馬洋
・ 經過         有馬洋
・ 冬期登攀用品に就いて 林和夫
・ 食料ノートより    岡彦一、中野龍雄
・ 氣象について     星野昌平
● 冬の南日高連峰
・ 豐似川よりピリカヌプリ山へ 湊正雄
・ 一月の神威岳        葛西晴雄

部報解説・ 2007年3月2日 (金)


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5号後半は千島、樺太の山行記録が特徴。樺太の山は、ソ連国境(北緯50度線)近い地味な山だが、当時の辺境の様子がわかって面白い。


部報5号(1935年)後半分
●シユンベツ川より滑若岳へ 水上定一
● 北千島 初見一雄
● 北樺太の山々
名好山 本野正一
樺太に関する文献表 水上定一
●知床半島の春 豊田春満
●三月の石狩川 石橋恭一郎
●創立前後の思出 渡邉千尚
 
 
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