ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
最新のエントリ
最近のコメント
  • 23年08月05日
    Re: 【書評】北アルプス鳴沢岳遭難報告書(米山1984入部)...ゲスト
  • 22年12月28日
    スーパーコピーモンクレール...スーパーコピーモンクレール
  • 22年12月27日
    モスキーノコピー...モスキーノコピー
  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH

記事・消息・ 2015年12月22日 (火)

おくやみ・谷口けい 米山悟(1984年入部)
けいさんと、初めて会ったのは、2002年の今頃でした。奥穂の冬季小屋で、厳冬期穂高に来るようなクライマーにインタビューしようと何日か待っていました。三日目に初めてやってきた人が谷口けいと大木ボンドの二人、前穂の北尾根からはるばる縦走してきたところでした。その時のインタで、こんな季節にこんなところに来て、とその感想を問えば「地球を感じるんです」と、けいさんはイキイキした目で真顔で答えてくれました。若若しくて、本当に素敵でした。僕の聞いたこれまでで屈指のインタビューの一つです。
その後けいさんはカメット南東壁を登るような大物になりました。
2011年の春、マッキンリー付近で死んでしまった後輩の白石淳也が、最後にベースキャンプで会ったのがけいさんだったという縁で連絡を取りあいました。
昨年、僕は今甲府に住んでいるのですが、けいさんから、八ヶ岳山麓の古民家に住みたいけどいいところないかな、という相談を受けて、いくらかつてをあたりました。八ヶ岳山麓の暮らしを愛したけいさんでした。
今年はる、ネパール大地震の際に現地にいて、山麓からカトマンズまで10日かけて徒歩で歩いて帰った話も、甲府での講演会で聞きました。冬になったらイグルー山行したいねと話して、それが最後になりました。
若くて残念だけど、手ぬかりなくやりたいことをやり続けて、悔いのない人生だったのだと、僕は思っています。人の命はいつか限りが来るのだから、けいさんみたいに生きられれば僕ならば満足です。人の付き合いは死をもって終わることはありません。死者は死んでなお、残った人々の縁結びをしてくれると、死んだ仲間を思い出す時僕はいつも思います。
  • コメント (1)

新しくコメントをつける
題名
ゲスト名   :
投稿本文
より詳細なコメント入力フォームへ
 
コメント一覧
すぎやま もちやす   投稿日時 2015-12-22 23:49
穂高岳山荘の冬季小屋での出会いから13年?あっという間でしたね。
北尾根からでなくて、たしか明神から登って来てました。
吊り尾根で苦労したようでしたね。
ほんとに、自分がやりたい事を追求し続けた、見習いたい生き様であると思います。
出会えて、幸せでした。
 
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido