書評・出版・ 2021年4月24日 (土)
【読書備忘】岐阜百秀山 清水克宏 米山 悟(1984年入部)
地方の百名山の書は数あるけれど、県山岳協会や当地の新聞社が手分けして踏査して協議して選んだ本が多いのではないだろうか。中には各市町村に公平にというような選定もある。岐阜にも、上述のような選定を経た1975年の「ぎふ百山」があったが、124山と絞りきれていない。また高速道路ができ徳山ダムができて環境の変わった今の時代にふさわしい「佳き山」を選びたいと、著者清水克宏氏は最新情報を載せるため五年に限って踏査し選定したという。
ひとり個人が候補の100以上を登って選んだというものは、深田久弥の日本百名山と清水栄一の信州百名山だけではないだろうか。強い計画力と実行力とを要する情熱、そして教養がなければなし得ないのではないか。
私は先月3月に石徹白から白川郷まで一週間の白山縦走をしてきたばかりで、歩いてみて知りたく思ったこと
「なぜ三つの越前、加賀、美濃の禅定道のうち最も泰澄法師ゆかりで正統のはずの越前道がいま見るかげもないのか?」
「なぜ石徹白はあの独特の雰囲気なのか?」
「念仏尾根の妙法山周辺の複雑な地形もやはり古くから人が通ったのか?」
などすべての好奇心の答えを、この本は歴史的な視点から教えてくれた。
信州人の私の目線で岐阜県とはどんな県か。長野県と北アルプスを挟んで対称の位置にありながら、信濃にはない多様性がある。北陸豪雪地域に面した山嶺が長く、標高はなくても遠く深い奥美濃や、白山に連なる国境があるかと思えば、鈴鹿山脈にも木曽山脈にも引っかかっていて、実に多様。それから低山だけれど個性ある山と人里の多い県中央の山間部。これらを俯瞰して一冊の中に眺めることができた。
この多様な山域の隅々まで、歴史的背景や地名山名の由来なども漏らさず盛り込まれている。往時の修験者、木地師、鉱山師に関する話も、知れば山歩きで見える風景を変える要素だと思う。とりわけ、徳山ダムで沈み非常に行きづらくなった千回沢山(とても100山に入れるわけにはいかなかったとある)や、廃村の馬狩で出会う現地の人とのささやかな交流の話などはとてもおもしろい。日本の山里には従来、人と文化があり、今はそれが失われゆく時代なのだ。こうしたさりげない話が貴重なのだと思う。そうした時間軸を意識すると、コラムで触れていた奥美濃の山を紹介した昭和15年刊行の「樹林の山旅」には、たいへん興味を惹かれた。
岐阜県の山にはその名前が地形図に載っていないものが多いという。信州との対比で、濃尾平野以外は山がちなので、遠くの名山が抜けて見えない、そのため名前が広く認知されなかったり、飛騨山脈が視覚としても印象に残らないのではないか、との話もしていただいた。本書に一貫するのは、そんな「少し不遇な」岐阜の山への愛着である。
私はいくつ登ったのかな?うきうき数えてみたら34だった。楽しいものだ。
私も、筑摩、安曇両郡(犀川流水域)50名山を選んでみた。故郷の山への愛である。
ナカニシヤ出版2021年5月
森の国水の国 岐阜百秀山
清水克宏
2200円
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