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発行日時
2021-2-23 1:51
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飛騨小坂から厳立、摩利支天山
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飛騨小坂から厳立、摩利支天山(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2021-02-18〜2021-02-22メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:摩利支天へ立ち枯れも多く助かる樹林限界、継母岳と再開コメツガ林をコツコツ登る。剣ヶ峰に日の出。噴煙も見える摩利支天へ飛騨行き列車、松の荷物。美濃太田すぎると客なし。乗鞍岳南面25キロのザック吊り上げ摩利支天から三ノ池へ。細い尾根に急に現れるギャップ草木谷溶岩流の舌端部分槍穂常念笠薬師も。きょうは低気圧の寒冷前線通貨のはずなのに。厳立溶岩台地の上は公園歩道小坂道の駅に、重要図解あり。我らの全行程の地質的詳述あり。摩利支天から西に下る「草木谷熔岩流」をまさに辿る内部継母岳北面。あの稜線を昔登った。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21146.html飛騨小坂駅到着朝食。野菜入りマルタイラーメン。上部はシリセード覚明上人由来の水場継母岳が美しすぎる。山頂だ雪稜の上からギャップを見る。アイゼンに履き替える。継母岳と継母岳とあと5mのとこ台地に乗ったイグルーと火コメツガの密生林に加えシャクナゲの密生に往生二合目。厳立台地から根尾滝への降り口1785年に木曽黒澤ルートを民間解放した覚明上人はその6年後に飛騨ルートも開いた。ここがその起点。この先、ズーッと進んだ先の中間点が濁河温泉アイゼンに替える覚明上人由来の水場コメツガ林をコツコツ登る。山頂だ台地の狭まるところ密生のところもある開田口ルートを下る岩稜帯は斜めにトラバース不動明王あり上は笹起点でござる継子岳が見えた起点でござる御嶽山飛騨側登拝道、一の鳥居に到着山頂直下のシートラ・トラバース。ひっかかるぅ〜。中洲へ、右岸へそして中又へ、50mほどの雪中河原歩きもオマケハーフムーン積雪不十分でスキーもヤクタタズコメツガ林をコツコツ登る。シールの裏には高さ10センチの下駄ができた(松)。飛騨行き列車、米の荷物弱点を見つけた平地の先に目指す三間山台地の上は延々植林と思われるヒノキ林内部1260m台地はカラ松多く明るい林相コメツガとシャクナゲと相撲をとっていると継子岳と摩利支天が微笑んでいる。摩利支天への上りコメツガの密生林に加えシャクナゲの密生に往生いよいよ摩利支天の西尾根末端に取り付く御岳遠望渡渉用にフェルト地下足袋摩利支天と剣ヶ峰の間に日の出。噴煙も逆光。・2567のギャップ手前は雪稜になっている。乗鞍岳が見えた三間山山頂こここそが飛騨ルート起点。覚明上人由来の水場スピードが変わる飛騨川鉄橋を渡河。ここは濁河川との二股。濁河川の全行程を行くことになる。三ノ池と鳥居三ノ池が見えたコメツガの密生林と倒木帯に往生渡渉準備探りを入れて見る松はグンソクで渡渉1260m台地はカラ松多く明るい林相二合目濁河川と兵衛谷の二股。軍艦の舳先のような台地、あそこに取り付く。イグルー作り。新雪フワフワが1mもあり、こりゃだめかと思ったが、その下に良い雪質層が当たった。深いところ。駅前より御嶽山方面厳立の絶壁、長い草木谷熔岩流の残滓摩利支天から三ノ池へ。四の池カルデラと継子岳、五ノ池小屋。木曽福島駅吊橋は板を外してある。草木谷溶岩流の舌端部分飛騨小坂無人駅遠赤外線。ぬれものを乾かし湯たんぽもできるギアナ高地の弱点を探して右へ左へルートを探す松完成コメツガの密生林に往生闘志マンマンこらえる摩利支天へ台地の上は延々植林と思われるヒノキ林積雪不十分で笹薮倒して進む。シャクナゲは手強い。とっとと沢を下る。出発の朝高さ30mほどの壁が台地の縁を延々覆う。厳立への脇には洞穴ある岩壁ありあと2mのとこ開田口の鳥居。日が暮れてクタクタ泊池1。濁河温泉から来る林道をラッセルシールの裏には高さ10センチの下駄ができた(米)。濁河川奥地の佇まい。コメツガ林をコツコツ登る。摩利支天へ一合目摩利支天へ標高が上がり積雪が30センチ近くなったのでスキーを履く摩利支天へコメツガ林をコツコツ登る。弱点を見つけた感想:私的御岳教徒の松氏、久恋の御岳山飛騨ルート。地形図の放つ魅力に引かれ、草木谷溶岩流ラインに6日当てる。厳冬期を狙ったが気温は総じて高く氷点下一桁くらい。連日晴れで気温にも恵まれた。1日目いろいろあって飛騨小坂から厳立まで8.5キロ歩くことに。25kgの大荷物でスキー背負った我々に、途中小坂のまちで声をかけてくれた愛嬌あるご婦人の優しさにホワンとする。どちらへ?ええあの、山越えで木曽まで。厳立入り口では1791年、覚明上人の、フランス革命期と重なる登拝道の信仰的な人民解放運動の名残を偲ぶ。冬季無人の厳立公園を抜け上の台地へ。雪がない。積雪5センチほど。それでも地形図上に長く伸びる龍のような細長いギアナ高地のようなテーブルマウンテンの上を辿る。ツエルト泊。2日目第一の台地を二合目の碑の前から降り、岩脈上はおそらくつながっている、本命の第二の長いテーブルマウンテンへ河を渡る。根尾の滝への遊歩ルートのようだが、吊橋の板が外してある。左岸側は熔岩岩壁で行き止まり。中洲に渡り、その先でまた右岸に渡り、その先でまた中尾根に渡る必要があり、三回渡渉となる。米はフェルト地下足袋を用意した。松は穴だらけの木綿軍足で挑む。大した水量ではないが毎度冬の渡渉は極道だ。気温が高くて助かる。南無阿弥陀仏。さて、濁河川と兵衛谷に挟まれたこの第二のテーブルマウンテンは戦艦の舳先のように壁に囲まれている。記録未見のこの壁の弱点を松が探す。なかなかスキが無い。兵衛谷側に100mほどのあたりに見当を付けて岩壁下を右へ左へ。大きな木をまたいでトラバースした先に、チムニー脇の小さな岩壁に目をつけた。手持ちの20mザイルで足りそうだ。松がトップ。首尾よく25キロのザックを二つ吊り上げ。米はチムニーの中を行くともっと楽だった。その先は笹の斜面少しで台地の上に出た。用意したザイルの長さのちょうど良さといい、松はやはり現場の男だ。最大の未知未踏の核心部が解決した。台地上は相変わらず雪は少ないが笹も凶悪ではなく、スキー担いだまま突き進む。夢にまで見た細長尾根の上だ。植林と思われる20〜30年もののヒノキ林だった。尾根が極端に狭まるところは予期せぬ地図にないギャップやシャクナゲ密生もある。台地の上には植林以外、人の気配痕跡は無い。覚明上人はここを通ったのだろうか。根尾の滝は上からは見えなかった。ヒノキ林の中でC2。渡渉で濡れたものを火を焚いて乾かす。彼女との思い出もあったというザイルの最後の20mもここでお焚き上げ。遠赤外線はありがたい。3日目細い尾根を抜け広いカラマツ林にでると積雪が増え、ようやくスキーを履く。スピードが違う。歩幅も沈みも。三間山へは、尾根ではなくゆるそうなので沢型を登る。稜線に至るとコメツガとシャクナゲの密林になり、倒木の障害物も増え、雪が腐って下駄になり、ガクリと速度が落ちる。三間山とその南のピーク周辺では絶望的な密林となる。ジャングルジムスキー、北大的である。天気良く樹間から白き御嶽山がチラ見えしているというのにヤブと苦闘する。午後三時、ようやくコルで広いところがあり、テン場とする。積雪はイグルーに充分だが疲れたのでツエルト張る。夜中に少量降雪あり。4日目このまま稜線を進んでも時間が潰されるので、脇の沢型を下って下の林道に当て、濁河温泉のスポーツ館手前から摩利支天への尾根に乗ることにした。摩利支天の尾根はコメツガの尾根。傾斜はスキーにちょうどよく30度ほど。着実に高度を上げる。鬱陶しい密生帯は下のほうだけで終わった。時計の高度計で1968m、1984m,1994mなどと見ながら静かに登る。それぞれの年に何があったか思い出しながら。いつの間にか2024m(定年の年!)を過ぎた。明日の摩利支天までの標高差をポッキリ700mにしようと、2259mまでがんばる。今日の登行速度は時速標高差150mだった。荷物は20キロくらいには減っただろうか。松は火を、米はイグルーを支度する。新雪が深さ1mほど下までコナコナで、はじめ駄目かもと思ったが、その下に良い締り雪層あり。1時間弱で立派なのができた。天井の隙間から月光が淡い。5日目なぜか好天が崩れない。あまり眠れなかったが6時発で摩利支天へ。膨大な草木谷溶岩流最後の詰めだ。樹林限界を超えたあたりで16年前二人で登った継母岳の国境稜線が美しく姿を見せた。まるでカラコルムか雲南の鋭鋒のようだ。今回の独自ルートはその時に肩を並べる独自っぷりだ。不動明王も覚明上人も我らの行を御覧くださいよ。アイゼンに替える頃から風が強まる。でも厳冬期の割にそう気温が厳しくはない。氷点下一桁台という感じだ。酸素が足りず苦しく松を待たせることが増える。山頂直下の岩場は南側を回り込み、数m危ないところが数箇所。ノーザイル。45度くらいの岩氷ミックスを垂直に抜けるとそこが山頂だった。賽の河原の向こうに剣ヶ峰、狭くてイカした山頂だ。すべて見える。四の池噴火口を時計回りに回って下る予定だったけど、もう満足したのでここから開田に下る。三ノ池の湖面近くまで快適に下り、開田道へ。このときはすぐに下れるという気がしていたけど、この下山道は小地形が多く登山道標識もほぼ少なく、樹林帯にはいると地形図を読むのが非常に難しい。加えて下降のスキーは狭く急で木の多いところを重荷で下るためかなり体力を消耗した。時間が過ぎ、暗くなる。シールもノリ切れで剥がれ、最後は担いだ。クタクタだ。ようやく鳥居の前にたどり着き、安堵する。最後の林道は凍っていたのでスキーで快適に飛ばして下った。開田に住むナトリさんと連絡が取れ、除雪終点まで迎えに来てくれた。わざわざ福島のせせらぎの湯まで連れて行ってもらって、自宅で肉鍋までごちそうに。20年前泊まりに来て以来だ。お父上、母上も高齢ながら健在。開田の2月なのに全然寒くない。ぐっすり眠り、朝中央線で帰宅。御岳山は巨峰で、濃尾平野から白く輝いて見える。しばらく住む名古屋で遠くに見てこの山旅を思い出すことができる。登った山を朝に夕に眺める喜び。他の誰にも渡せない。覚明上人も尾張出身とのこと。 極めて充実した五日間の山行だった。今回の巌立から草木谷溶岩流台地を経由した摩利支天山登頂。表現行為としての私の山登りはもうこれで済ませていいかも知れないとも思えた、六万年の時空を経ての会心の山行だった。天候と同志とに恵まれ、月光に照らされた下山時の鳥居で思わず感謝の念に手を合わせた。【記録は想いを整えて以降、改めて書きたい】
 
 
 
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