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- 発行日時
- 2021-8-17 11:36
- 見出し
- 五郎沢遡行・予定外に野口五郎岳〜ブナ立て尾根縦走
- リンクURL
- http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3443689.html
- 記事詳細
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五郎沢遡行・予定外に野口五郎岳〜ブナ立て尾根縦走(沢登り/槍・穂高・乗鞍)日程:2021-08-11〜2021-08-16メンバー: yoneyama macchan90 fujiwara61コース状況/その他周辺情報:五郎沢取り付きの本流渡渉は水量次第。五郎沢は滝の巻きと登りのルート取りの力が必要晴嵐荘前の吊橋は3年前より消失(知らなかった〜)濁沢の橋は無事だが、水流は今回別のところに流れを変えた写真:北を見る新品の秀岳荘フェルト地下足袋で入渓だ。左手ルンゼ状から捲き登った。川を見るお二人一面が荒れ之原標高2150mC2本流渡渉翌朝、雨で火は落ちていた。C1標高1380mう〜ん、また出た。10m滝。根株掛かる小滝だが、荷のある身には容易になく、一段上がるのにエイリアン支点の鐙を垂らした。そこからデリケートに落ち口へ下る。アブミ回収後、本場仕込みのペンネ・アラビア〜タ。C1標高1380m奥は薬師岳、前は赤牛岳コロナ対策今回、この程度の滝は三者フリーで登ったけれど、各自に緊張の持続が要求される場面多くあった。デシマルグレード、ではなく。展望満喫標高2150mC2チングルマ展望満喫五郎沢へ、高瀬川本流を渡る花崗岩とハイマツの景観そぼ降る雨七倉駐車場で仕度湯船、天国。背後に濁流。ヤマハハコ野口五郎と槍ヶ岳左岸捲き始め二人目はユマーリング、しんがりは確保して。濁沢渡渉五郎沢。赤い岩が多い湯俣川増水中「門」抜け口から廊下状を見下ろす。C1標高1380m。快適な夜だった。登れまいか?左手最下部が水量多く取り付けず(上段は登れる)、悔しいが左岸捲きを選択する。ただ、容易ではない。野口五郎のおじさんの決めポーズです。ペンネアラビアータのもと烏帽子岳を見る30年前、ヘーカさんに茶を飲ませたというその斜面は花畑連なる3m滝右手は容易地獄と、濁沢渡渉増水がじわり迫る。C1標高1380m二股の下前日に偵察してルート工作しておけばヨカッタ。燕岳から大天井にかけてアチャ〜、未だ滝があるかよ。床もぽかぽか。本流渡渉ペンネを茹でる左手の藪棚から、辛うじて引っ掛かる栂の流木を頼りに通り抜ける。さぁ、逃げろ。ルート工作すれば登れそうだったが、次に控える右曲滝の様子が掴めず、困難そうに見えたことも手伝い右手を捲く。いつまでも手を降ってくれる五郎小屋の一家本流渡渉ホンキの本流渡渉抜け口にシュリンゲ垂らした扇状5m滝高瀬ダムでタクシーを降りる。微妙だった高瀬川本流、チン濡れ渡渉。前日降雨があったそうで、もう少し水量が多かったら渡れなかったろう。流木掛かる二段滝は、ボーノ!天国。対岸まで20m、大西氏なら、渡るかもしれないと想像した。食堂付近嫌な感じのザレた側壁を登り、後続のためにロープを垂らす。烏帽子の小屋また雷鳥だ〜五郎沢は手を緩めない。捲いて、三連瀑落ち口野口五郎山頂珈琲の美味しい、オイカワさん家。肉まんもゴッツァンでした。根株掛かる小滝だが、荷のある身には容易になく、一段上がるのにエイリアン支点の鐙を垂らした。そこからデリケートに落ち口へ下る。同前。もとの流路は一滴もなくボーの。シュリンゲで荷揚げした3m滝晩ごはん。もう山行日数分の食料終わり標高2150mC2ペンネアラビアータのもと同行のふたり湯俣川の増水。まだ渡れない。山行を終えた雷鳥二ピッチの懸垂下降で沢床を目指す。烏帽子の小屋奥の3m滝。ザックの閊える登りで一段上がり、落ち口に引っ掛けたナッツ支点の鐙を支えに登り抜ける。小雨降る中、タープ下での焚火炊飯。藪の薄い尾根を伝って、降り立った先に1,2,3mの三連瀑。右手を小さく捲けた。山渓joy五郎沢源流と野口五郎岳、まだまだ高い濁っていないので飲む。丘の上に観世音菩薩雲、湧いてきたまだまだ容赦無し。しかし、然しもの五郎沢も流石に心安くなってきた。右手(左岸)捲き。良いラインで捲けた。湯俣岳からの支沢を左から合わせた辺り。降り立った先に、15m滝アリ。この周辺は側壁が立って黒部に似て険しい様相だった。渡った左岸灌木帯のケモノ道を拾って上手く滝の落ち口へ。本流渡渉6m幅広斜滝3m滝左手をヘツルも、水量も手伝って容易くはない。乾燥室、天国近い雷鳥。今年の生まれ。懸垂下降少々戻り、小沢を伝って登山道を目指す。雨待ちの間の手すさびに焚火を少々。下の天場で作って持ち上げた焚き付けが生きた。標高2150mC2晴嵐荘外観右岸に渡らないことには帰れません。ヨツバシオガマ・・・標高2700m、尾根が崖になり右にトラバースするところチングルマその上の5m、4m滝も纏めて捲いてしまう。最後の下降点でシュリンゲを垂らした。右手を偵察する。ロープを出すのを嫌い、結局戻って右岸を大きく捲き上がる。連なる3m滝右手は容易アザミ水滴記念撮影その奥へ。トリカブトの季節対岸に五郎沢の出合の扇状地烏帽子への下り道一面が荒れ之原よく見ると、地衣類のようだ。登山大系にあった「門柱」だろうか? 廊下状の「門」ではあったが少なくとも「柱」ではない。やはりその先が厳しい。かような下山はチベット高原以来か。左曲点の8m滝。らいてふ。キミは何故に逃げやうとしないのか。二条3m滝右岸捲き始め。本流渡渉野口五郎小屋。件の野口五郎氏は未だ訪問の機会無いとのこと。本流は巨石がゴンゴン転がっていく高瀬川対岸、唐沢岳と餓鬼岳4m堰堤状滝。ここから右岸(左手)を捲き始めて、三ツ岳奥の3m滝。本流渡渉濁流と化したひぃ〜。名古屋帰るのに19000圓。近い雷鳥。今年の生まれ。ハイマツ帯を越えて抜け口では落ちられない。標高2150m地点の堆積地に大小タープを二つ張った。10m程だが、濁水を落として我らを寄せ付けない。濁沢渡渉再び狭まる。山行を終えた7m巾広滝は左手の藪テラスへ。寝床はぽかぽか雷鳥コマクサ水滴シュリンゲをケチってロープ直掛けで、食堂の床もぽかぽか。三ツ岳までの稜線。左奥は立山と剣右奥は後立山水晶岳の南北稜線一面が荒れ之原根株掛かる小滝だが、荷のある身には容易になく、一段上がるのにエイリアン支点の鐙を垂らした。そこからデリケートに落ち口へ下る。シュリンゲで荷揚げした3m滝出れば撮るジョイジョイ。ジョイ。その上の5m、4m滝も纏めて捲いてしまう。最後の下降点でシュリンゲを垂らした。三羽くらいいた火が熾きました。全身びしょ濡れ、風も吹いてきた。湯俣へ急げ。でろ〜ん。標高2150mC2左手に垂れる小枝を支えに登り切った小滝。ようやくの遠景を見る夏道のある標高2610m辺りへ。これで帰れる、とこの時は思っていた浅はかな了見の三人衆。翌朝。玄関付近右手の階段を登る。奥の3m滝。ザックの閊える登りで一段上がり、尾根登り返しの出発。お見送り湯俣岳山頂付近の溜池水流の溝を切る野口五郎山頂一旦開ける。C1標高1380m食堂貸し切り標高2700m、尾根が崖になり右にトラバースするところ三羽くらいいた笹覆う登山道。濁沢渡渉雷鳥山小屋らしい山小舎に泊まるのは初めてのことだったので、写真を撮らせてもらった。米粒、付いてない?感想:【計画】まだ未踏の最高峰、野口五郎岳を、遡行記録の乏しい五郎沢から遡行して、五郎池経由で東沢に乗っ越し、ニノ沢から烏帽子岳へという素敵な計画を松が設計。「ぶらっとヒマラヤ」の藤原さんと三十年ぶりの山行を計画した。8/11 入山前夜岐阜入りして早朝信濃大町へ。東京からの藤原さんと合流して七倉に駐車し待っていたタクシーで高瀬ダムの上まで。日本列島には上海から伸びる長大な前線。明日夜から降り出して数日続く予報だが前線は気まぐれに南北に動くので、山行を止めるほどの要因ではない。高瀬川本流の渡渉は、かろうじて可能。腰までの清流をドスコイ歩きで渡る。最初の二股のすぐ下に砂地の寝やすい天場あり。ローマ人に教わったというペンネアラビアータを藤原さんが作ってくれた。焚き火でグラグラと煮えたぎらせるのがアラビアータ(怒り)なんだそう。うまい。8/12 五郎沢を堪能記録は五十年近く前の日本登山体系のみ。美しいが登れない滝を7回高巻く。初めの右岸巻きは高く上がり、懸垂2回で降りる。以降は藪を伝って降りる。松のアニマルさながらの巻きルートファインドにはいつもながら舌を巻く。登れる滝も意地の悪いのが多く、一箇所が辛くシュリンゲ垂らしたりロープ垂らしが5回ほど。ほぼ核心を終えた標高2000mちょっとで天場を探す。砂地で寝やすそうだが浸水には辛い。しかし、高台の天場は無い。予報通りタープを張り終えたところで長雨が始まる。手強かった五郎沢の核心を抜け、タープの下で雨を見ながら火を焚き、体を乾かす。轟々の沢音の傍ら、藤原さんが仙人にインタビューした時の不思議な体験を語る。8/13 五郎沢脱出するも行き止まり雨は夜通し降ったり止んだり。タープに溜まる水溜まりを落としたりしながら朝になる。身支度を整えて出発待機しても雨の勢いが治らない。タープ下で火を焚いて雨が収まらないから待っていると、益々水嵩が増えて、天場にも流れ込んで来た。流れは薄茶色になって水量も増している。もっと良い場所探して停滞する可能性も話していたが、遡行を続けるレベルでは無いとようやく決断する。右岸尾根にちょうど手頃な小沢があって逃げ上がり、尾根に乗って藪を漕ぐ。たいした苦労なく南真砂岳東の肩に上がって竹村新道をエスケープ下山する。湯股岳は、道が沢のようになっていた。尾根末端の晴嵐荘にたどり着くとご主人のモリモトさんに驚かれる。本流の吊り橋が三年前から無い事を初めて聞き、こちらも驚く。山行最終日まであと二日。二日や三日で渡渉できる水量には絶対ならないよとのこと。ここは携帯も通じないので連絡が全く取れない。長雨は続き、再び尾根を1500m登り返して五郎小屋へ行くしか無い。不安は有るが冷え切っているのでまずは湯船に浸かる。フルチンで雨の中歩き、怒濤の濁流の脇の天然温泉に傘さして浸かる。尻の下の砂地から熱湯が噴き出る。マグマのパワーだ。ここは三十年ぶりだ。8/14 温泉停滞終日雨予報と列島の災害ニュースBS TVを見て過ごす。長雨で、北九州、広島、下呂、岡谷などで深刻な水害。家族は心配しているだろうなあ。でもここは連絡途絶なのだ。増水で温泉の水位が上がっているらしい。小屋中がポカポカ暖かく、昼寝の心地が最高だ。連絡さえつけばここで水が減るまで過ごしたいくらいだ。書棚のラインナップも趣味がいい。洞窟おじさんやなんでも見てやろうも有る。オーウェルのカタロニア賛歌を50p程読んで、噂のゴールデンカムイを読み耽る。アイヌの習俗や食習慣が丁寧に描かれ感心する。コミカルなシーンもあり野蛮なシナリオを和らげている。背中に埋蔵金地図の入れ墨は、手塚治虫のシュマリにもあった話だな。溢れる高瀬川本流の濁水がタプタプ流れ込む、ややヌルい露天温泉にたびたび傘さして浸かり、休養停滞。数日前には腰までの流れを渡った、たった20m程なのに、絶望の怒濤が踊り狂っている。ここが渡れれば3時間で帰れるのに。橋もなく電信電話も通じない異世界だ。ここは本当に日本なのか。8/15 尾根登り返し最終下山予定日。意を決して4時発14時間行動のつもりでイッキにブナ立て尾根までと準備したが、雨が降り止まず6時発に遅らせる。今日中の下山は諦めた。連絡がつく五郎小屋まで行って良しとしよう。雨が弱まったので6時出発。黙々と1500mを登り返す。ありがたいことに9時過ぎにはほぼ雨が止み、樹林限界を超えても風が無く、濃霧の中、野口五郎の山頂へ。山頂に来られて満足だ。恐る恐る五郎小屋の戸を開けると、優しく迎えてもらえた。昭和39年築という年代物の山小屋は懐かしいまでの古くささだ。初めて来るのに懐かしい。ご主人一家が凄く優しくしてくれる。乾燥室も使わせてもらいパリパリに乾く。ここで初めて家族と職場に下山1日延長の電話がかけられて、一安心した。これが一番心の重荷となっていたのである。8/16 晴天下山停滞前線が一時的に南下し、我らは雲海の上になった。初めて展望を得た。雲上の道、烏帽子、ブナ立て尾根を目指す。五郎小屋で雨天連泊停滞していたカトーさんとコグレさんの二人と共に出発する。尾根末端の濁川の渡渉点が悪くなっている可能性があり、小屋に来ていた県警のパトロール・サカタニさんも一緒に下ることに。カトーさんは五郎小屋に年三度もくるほどのゴローファンだそうで、あの小屋とこのルートの魅力を語り合う。途中の三ツ岳の山頂に寄る。岩の高まりが三つ。コマクサが多い。好天の朝に新しい山頂に立てて嬉しい。白馬から乗鞍まで見えていた。烏帽子の小屋も五郎小屋一家の小屋とのこと。暖かいお茶をいただいた。この大雨でやはり下山路は通行止め。お盆だというのにお客ゼロで気の毒だ。ブナ立て尾根は、急だがあっと言う間に下れる整備された道だ。末端の濁川渡渉点がやはり変わり果てていた。丸木橋は流されていないけど、本流が別のところに変わっていて、そこにパトロールさんがロープを張ってくれていた。今日は水は減っている。でも昨日はイッキ下山しても渡れなかっただろう。結局全て、良いようにことが回った。一緒に下ったみんなにお礼を言って心笑温泉の風呂に。葛温泉は規制区域内だったので今回も縁が無かった。大町駅前の蕎麦こばやしで、山菜そば。藤原さんの三十年前在住時以来のお気に入りだそう。麺もツユも山菜もいい。車を置いてもらったオイカワさんちでコーヒーとゴーヤジュースと美味しい肉まんをいただいた。藤原さんと別れて松と帰る段になり、この水害で中央道の岡谷〜伊北が不通で、安房峠越えでかえることに。ネットで中央西線が表示されているようなので、特急しなので帰ろうと明科駅で降ろしてもらう。切符買おうとして、しなのもあずさもまだ運休中と知らされる。松を一人で返してバチが当たったのだ。長野東京周り新幹線で19000圓も払って帰る羽目に。おまけに小田原手前でトラブルで1時間半も停車。乗り換え長野駅の新幹線ホームで立ち食い蕎麦。かき揚げの厚さ8センチはあろうか。信州に来て蕎麦なんか食べて、よその人になっちゃったなあ。思い出深いストーリーに満ちた山行になった。川の渡渉で苦労するなんて、まるでネパールや江戸時代の大井川だよ。でも人って無力だ。待つだけなんだ。六日間も水を巡って七転八倒。藤原さんの面白い話もひさしぶりに沢山聞いた。 先月登った朗らかな黒部の五郎沢とは違ってこちらの高瀬川五郎沢は実際、厳しい沢だった。隣の険谷・西沢程ではないにせよ、雰囲気の似た黒部・口元ノタル沢の数倍難しかったというのが舐めて掛かったキライある私の体感である。どんよりとした天気も相まって下半部の威圧感は中々のものがあり、溯行する我々に緊張の持続を長く要求した。百戦錬磨の大學センパイ方の力量を頼りに高捲きはギリギリに、ロープ出しは最小限に済ませ、手間の少ないシュリンゲ・アブミ垂らし戦法で間断なく現れる花崗岩質の滝群を効率優先で際どく越えていった。核心抜けた、いよいよ黒部へ乗っ越しだ、と勇んだ翌朝から哀しいかな降雨が始まり、野口五郎岳への源流溯行さえも許さない増水っぷりに、悔しいが夏道尾根への脱出を選択した。永く練った計画だけに、エスケープの判断が着きかねたが致し方ない。下山のつもりで辿り着いた湯俣は晴嵐荘で、橋が無いことを知らされて角幡氏へ心を重ねた。川が渡れず帰れない、21世紀の今にこんな事態が起ころうとは。こんな経験しようとは。露天風呂からフリチンで見やる、たった20mの濁流が渡れない為の戻り大高捲きに二日間、台湾大渓谷でないんだから全く。休養停滞に一日費やし、体力の回復を図る。小雨そぼ降る翌朝、ずぶ濡れになりながら竹村新道を辛抱強く登行し、幸いにして風のない稜線辿って2005年の西沢溯行の際に登り損ねた野口五郎岳にようよう立ったのが16年後の終戦の日だった。古式ゆかしき山荘の野口五郎小屋で再び休養した明くる朝、停滞前線の南下に乗じて稜線北上漫歩した。懸案だったブナ立尾根末端の濁沢渡渉を済ませた我々は、一気に里の人となった。 私が一目置く米山さんが一目置く藤原さんとの三人山行は、五郎沢の厳しい溯行内容や予期せぬ?トラブル、停滞中の面白アブナ過ぎる会話や登場人物も手伝い印象実に鮮やかなものとして心に残った。これまで登ってきた米山さんとの数々の完成山行からは得られなかった、不完全だからこそ知る山行の満足を。厚みが違う。「だから成功山行にはロクなモンが無いんや。(by 和田氏)」 また、お願いします。