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発行日時
2023-3-2 1:22
見出し
越美国境・土倉岳、三国山、三周ヶ岳、美濃又丸、笹ヶ峰
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越美国境・土倉岳、三国山、三周ヶ岳、美濃又丸、笹ヶ峰(積雪期ピークハント/縦走/東海)日程:2023-02-23〜2023-03-01メンバー: yoneyama fujiwara61コース状況/その他周辺情報:例年よりも少雪のようだが年間で最も積雪の多い季節で、足りないということは無し。視界不良時のルートファインドはかなり難しい。全域ほぼブナのみ。ところどころ、急傾斜に挟まれた細い雪稜あり。雪面の硬さも様々で、スキーを担ぐ(シートラ)か履くかの判断は極めて頻繁。人里からの隔絶度は満点の山域。それぞれのピークは地味ながら美しい。写真:(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)能郷白山は遠かった。夜叉丸北面の硬かった斜面朝焼けのC5(フジ撮)三周ヶ岳への岩稜1206夜叉姫岳への登り、クラストと新雪の斜面揖斐川源流の道谷と赤谷に囲まれた孤島のような釈迦嶺氷の上の薄い粉雪なので鮮明。通ったホヤホヤ?朝日の中で。一泊目イグルー作る荷物がないとスキーが楽しい!ようやく白い稜線が見えてきた、三国岳?(フジ撮)霧の山稜視界不良でルート不鮮明白山と別山三周ヶ岳と白山(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)カレー雑炊(フジ撮)ひげ1週間分(フジ撮)(フジ撮)カレー雑炊ブナの巨木あり尾根末端は急すぎる傾斜で登り返すほどトイレ棟も。狭い雪稜、シール利かして重荷で通過夜叉ヶ池微風改正、行く手は高丸と木曽御嶽山。高丸アタックは割愛。(フジ撮)(フジ撮)古そうな標識あり(フジ撮)ブナの尾根、大ダワから土倉へ(フジ撮)段差の向こうで5mほど西側急斜面に落ち、樹木に引っかかって止まったとのこと。1210夜叉丸への登り、西側はかなりの急斜面で東は雪庇。2段めから長いブロック焼酎黒霧島の広口ボトルの柿の種を食べる(フジ撮)手製のストックリング。一週間持った。北陸本線、今庄駅。(フジ撮)白山と能郷白山崩落してしまった!(泣)外で天気図取っています。(フジ撮)トイレの天守。ズボンを直しながら周辺を隙間から見る。(フジ撮)美濃俣丸を振り返る。奥は三周ヶ岳太陽光充電のラテルネ4泊目も明るい。高倉峠への最期の楽しい滑り(フジ撮)(フジ撮)滑落したところ(フジ撮)(フジ撮)三国山は風雪、視界なし、下降路探しで写真無し。1206夜叉姫岳への登り、クラストと新雪の斜面金草岳(フジ撮)笹ヶ峰(フジ撮)(フジ撮)午後はバリバリ進んで、三周ヶ岳北面の見える1122の天場に。下降尾根はブナ密過ぎてスキーは早々にやめてシートラ(フジ撮)(フジ撮)木が踊っている(フジ撮)ムムッチ!あれは能郷白山と木曽御嶽山ではないか左は三周ヶ岳の手前、1252ポコ。その代わり晴天なのに熟睡して出遅れた。雪を溶かしている(フジ撮)神又峰1050mピーク坂内のお宮、この裏から登る大ダワより金糞山(フジ撮)(フジ撮)右・三国岳、左・上谷山方面夜叉ヶ池(フジ撮)トレンチを掘ると長いブロックがキチキチと取れる。残雪なのにスキーが快適でもない林道C3を発つ朝。曇天。トイレイグルーは天守付き。高いほうがズボンを上げて直しやすい。(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)三周ヶ岳と4段目(フジ撮)晴天の夜叉ケ池(フジ撮)美濃俣丸を望むC5建設1000mピーク。標識あり(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)白山と能郷白山。冠岳も見える。出発前C3イグルー、稜線下の風除けになりそうな場所。でも吹き溜まりにもなりそう。尾根末端の雪、シートラ(スキーを担ぐこと)(フジ撮)笹ヶ峰手前ポコは笹が出ていた。釈迦嶺の林道跡の左延長が高倉峠能郷白山の左奥には北アルプス、木曽御嶽山、中央アルプス、恵那山、南アルプスも右はトイレ用イグルー、フジ氏初作。920ポコ周辺の地形が霧でつかみにくいので、14時には泊まってしまうことにする。三周ヶ岳の夕暮れ高倉峠への最期の楽しい滑り(フジ撮)夜叉丸の北面を振り返る夜叉ヶ池への急な下りは凍っていてアイゼンをつけシートラ(フジ撮)(フジ撮)稜線のスキー可能幅が狭すぎなのでシートラ。団子も着くので高丸と三周ヶ岳、美濃俣丸山頂より(フジ撮)(フジ撮)縦のシートラ狭い雪稜、シール利かして重荷で通過(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)朝焼けのC5(フジ撮)(フジ撮)左奥に三周ヶ岳が。ほぼ完成のところで、一段目ブロックを外から踏み抜いて崩落。天井。ズクズク雪の踏みかため床面からの長いブロック。稜線はブナ林(フジ撮)夜叉ヶ池周辺の岩稜帯は石灰岩層だった夜叉丸よりゆくて。三周ヶ岳は雲の中。雲間から朝日。ここもクラスとしていてシートラ判断を問われる。風強し。C4イグルー二連。稜線はブナ林晴天のブナ林美濃俣丸と荒削りイグルー晴天の朝(フジ撮)25キロ+7キロ崩落ごろごろブロックでも、くっつきやすい雪なので再利用して完成美濃俣丸山頂より行く手を見る上から1段目ブロック、新雪層、ザラメ入氷層、かるかた層、ザラメ層滑落したところ(フジ撮)夜叉丸より見下ろす稜線。左が夜叉ヶ池(フジ撮)三周ヶ岳北面濃厚な霧能郷白山とイグルーの夕景朝焼けのC6。今日は夕方から雨とのことで下山(フジ撮)(フジ撮)イグルーと蕎麦粒岳(そむぎだけ)(フジ撮)(フジ撮)夜叉丸の北面を振り返る5段目は、特に長いのが取れたので、ほぼ平らな屋根のイグルーになった。ブナ林の中のC2、広く小地形入り組むところ三周ヶ岳山頂(フジ撮)(フジ撮)タープを掛けていたので、隙間の吹込みが無かった。背景は、高丸と三周ヶ岳。凍った斜面のトラバースではシートラもこまめに切り替える。判断と着脱の繰り返し三国岳への本格登りを前にイグルー泊にする。(フジ撮)天井遺跡1210夜叉丸への最後の上りは細い雪稜にある段差がカチカチで、シールが効かない。この段差の裏側に姿を見せるまで20分ほど待つ。ビーコンを落とし、探しに行き、ここで2時間待つ。1252ポコあたりから振り返る(フジ撮)美濃俣丸山頂より。笹ヶ峰はどれだ〜〜よく見えないけどこの方角。遠くは白山と北方稜線(フジ撮)自撮り棒(フジ撮)(フジ撮)笹ヶ峰へ。ポコをいくつも越えていく(フジ撮)(フジ撮)美濃俣丸と3段目(フジ撮)古い集落へ。きょうも気温があがりそう。美濃俣丸を下るムムッチ、あれは伊吹山と金糞岳だ。(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)(フジ撮)白山と能郷白山のツーショット。両白山脈です。(フジ撮)(フジ撮)三周ヶ岳山頂より北東を見る、白山、笹ヶ峰、冠岳、能郷白山1252高丸分岐の手前より、夜叉丸と夜叉ヶ池。噴火口のような広さを持つ大きな窪地だ。晴天のブナ林クラスト面での重荷スキー林道に到着美濃俣丸を振り返る。奥は三周ヶ岳縦のシートラ今日はよく歩いた(フジ撮)「かんのまた」山頂イグルー作る(フジ撮)美濃俣丸山頂にて(フジ撮)狭い雪稜、シール利かして重荷で通過白山の左手前に金草岳が見えた。右手前、林道跡が山腹を横切っているのが釈迦嶺樹間に見える坂内の集落。見えない?夜叉ヶ池を見下ろす。画角に入らず(フジ撮)味噌納豆玄米雑炊金糞山に雲。琵琶湖はよく見えず。その代わり晴天なのに熟睡して出遅れた。あさの光(フジ撮)岩稜と細い雪稜あたりで。脇をトラバースするポコ一日目イグルー晴天の稜線。雪庇と、ブナの疎林自作乾燥野菜と大豆肉載せマルタイラーメン餅入り蕎麦粒岳猫ヶ洞分岐あたりずっと左に見えていたクリュチェフスカヤのような日野岳と鯖江盆地笹ヶ峰を下ったコル、能郷白山の格好良く見えるポイントにC6(フジ撮)(フジ撮)瀬戸の集落、伊藤氏庭園感想:〈計画〉奥美濃の人里からの隔絶度が魅力で、数日刻みでの入山より、一度につなげて行ってしまいたいという思いがここ数年あり、名古屋暮らしを締めくくる大計画を企画した。今年は一人でも行くぞ、と計画を作った。イグルーと山スキーを使った重荷長距離山行は北大山岳部文化で、センパイのフジワラさんが参加することに。雪質次第で進行速度は変わるので、元の計画111km油坂峠までは、好調な場合。状況に応じて6つのエスケープルートを用意して、日程後半に判断できるよう調べた。能郷白山までが本命かな。〈食料、燃料〉長期間なのでカロリー計算し、朝は毎朝マルタイラーメンと餅、晩は隔日でカレー雑炊と納豆味噌玄米雑炊のみに。フジさんが禁肉食中で、乾燥大豆肉入。行動食はグラノーラと柿の種という粒状をメインに毎日ワンカップ容器に掬って胸ポケットへ。かりんとうを補足。食料は10泊11日分で一人8.5キロ。燃料はホワイトガソリン朝晩飲用水作り込みで、二人で250cc×10日。この山域はブナのみで、焚き火できる薪が無かった。入山時全重量はザックに25kg、スキーと靴10kg、衣類3kgだった。〈装備〉イグルー泊でテントは無し。ただし、雨に備えてタープ(500g)を備えた。吹き込みも防止でき保温性もあり快適。スキーは150cmの短板(ヨネ)がヤブ、シートラ時、狭い雪稜滑りに最適。フジ氏の170cm幅広の板はエッジを効かせる登りが弱く、苦労していた。ビンディングはジルブレッタ300と500。300(ヨネ)は蝶番の部品が金属疲労で壊れたがなんとか持ちこたえた。40年モノ。もうご臨終かも。500(フジ)は安全装置の横ずれ機能がすぐズレて不調。何度も叩いて治す。重荷でもあり、シールは下山林道まで外さなかった。ノリが薄くなっていて、テーピングで縛って対処。ラッセルもあり、スノーシューやわかんよりスキーのほうが良いと思う。ただし快適な滑降箇所はオマケ程度。アイゼンは持っていって良かった。風の当たる急な雪面はカキカキに凍っていて必須。ピッケルは使わず済ます。〈記録〉1日目:〈雨のち曇り)入山名古屋から車で2時間半で取り付きへ。お宮の裏から直登。もう少し右に廻ると踏み跡があったかも。ヤブはたいして無し。すぐに雪になる。フジ氏がビーコンを無くして、探しに降りる。3時間かけお宮まで降りて見てきたが無い。結局気がついたところから2,3分のところに見つかった。疲れたので標高差400mで泊。フジ氏が書いたばかりで私は昨日まで読みたてホヤホヤの「評伝・酔いどれクライマー永田東一郎」の話で盛り上がりながらカレー雑炊。2日目:〈曇り→ガス〉霧の山稜ラッセルには登山靴+スキーが重宝。フジさんも同じ山岳部装備なのでこの山行には最適なビンディングなのだが、どちらも古く壊れかけている。フジさんのビンディングは久しぶりとのことで調整で度々止まること多し。視界は濃霧になり、小さなポコから下る際には地図読みが難しくなる。複雑な地形の窪地に入ったところで、泊まることにする。美しいブナ林だ。フジさんには同時に隣でトイレイグルーを作ってもらう。中でつながっているので朝イチでトイレに行くのに大変便利。今回仕込んだ自作乾燥納豆の粉末の味噌雑炊は今後定番としたい。冬山の天場で足がつるのは一泊目だけなのだと今回わかった。娘や息子とのやりとりの話などで盛り上がる。3日目:〈晴れ風〉ブナの稜線を進む行程がすごく送れているけど、日程が長いからあまり気にしない。予報では寒気で悪天とのことだったのでイグルーにタープを掛けて寝たら吹き込みもなく快適で寝過ごす。好天だったのに気づかなかった。風は強い。三国岳まで行くかと思ったが届かず。小さな登り下りの、下りのところは地図読みがすごく大事。GPS無しで、昔のように確認し合う。冬合宿みたいだ。楽しい。何か探検活動や戦国斥候作戦をしているような高揚感。きょうは能郷白山が遥か彼方に見えた。疲れたときの飲み物にクエン酸砂糖湯が効く。フジさんは初日にストックリングを無くしていたが、米山のストックに40年前から巻いてあった修理用針金を使ってリングを自作した。長い山行ではこういう修理道具の意味が立ち上がる。4日目:〈ガス時々曇り〉濃霧の尾根下り、シートラ、クラスト、滑落毎日移動、安全確認、進路決定、イグルー設営、食事の支度をして又移動。旅暮らしだ。南米やアフリカ内戦の話をしながら、読んだ本の話をしながら。濃霧の山頂から下るのはいつもながら難しい。地図と磁石でわかっていても、三国山の山頂からも一回間違え、夜叉姫岳の山頂からの下りも間違えた尾根を下る。それぞれ30mほど疑いながら下ると間違いがわかる。フジさんはこういうときに抑えるポイントを外さない。必ず確認して実践して修正する。人はいかに視界に助けられているかがわかる。雪稜が狭く、硬く凍った傾斜のある段差が増えてきて、雪庇とは逆側のヤブの斜面の傾斜も強い。シールでは効かず、エッジを蹴り込んで登ることが増えた。フジさんの板は幅が広いせいか、この登り方がうまく行かないらしい。段差をいくつか越えて振り返ると、なかなか登ってこない。50mほどむこうの段差の向こうで、5mほど滑落していたとのこと。20分ほどしても来ないので様子を見に行こうかとザックを背負ったところで現れた。立ち木に乗ってすぐに止まったが、傾斜はずっと下まで続いていたので危なかったとのこと。荷物が重かったので足首に多少のダメージがあったよう。現場は夜叉丸ピークのやや南のあたり。夜叉丸から夜叉ケ池への下りはクラストした急斜面でアイゼン、シートラにする。標高1200mで低くヤブの山域という印象だが、結構アイゼン領域も多い。そして雪面の硬さが七変化で、シートラ判断が常に問われ、重い荷物を上げ下げしての着脱回数は日に十数回になる。天国のような夜叉ヶ池の白い湖畔にイグルー。フジさんは入山以来ずっと手指がしびれているという。重荷で肩を圧迫するのと寒さのせいだろうか。5日目:〈微風快晴〉三周ヶ岳登頂、白山が見える朝日に輝く白い夜叉ヶ池を発ち、岩稜の細い尾根の脇の雪のテラスをたどって高丸分岐へ。もうここは樹林の山の雰囲気ではなく、真っ白な山域だ。今回は高丸アタックは割愛。三周ヶ岳の往復は荷物を少し下げておいて(下げすぎた)、空身で行う。荷物から開放されると、スピードが出る。標高差100m以上を登り20分ほどであっという間に登り、下りも自由にターンして下る。この山は国境線から離れて独立峰のようにあり、この日の午後はその外側をくるりと北へ回り込んでラッセルした。北側に回り込むほどに美しい姿になり、登頂の喜びが沸き出づる。長い距離のラッセルで午後1時台は板の裏に雪団子で足かせトレーニングしているようだ。美濃俣丸を見上げる1122白い台地の上にイグルー。遠くまであかね空が見える最高の天場。健さんが妻の過去を根掘り葉掘り聞く「黄色いハンカチ」のシーンや、戦争を経験した小津安二郎が戦争を描かない話、369、258、147の話で盛り上がる。ここで初めて携帯電波が通じて、GPSログを送る。6日目:〈微風快晴〉美濃俣丸、笹ヶ峰越え朝は雪面が固く、美濃俣丸の登りもシートラしたりスキーにしたりとせわしない。しかし山を超すたびに遠い白山が少しずつ大きくなるように感じる。能郷白山までの国境線が遠い。笹ヶ峰の向こう側でぐぐっと標高が下がっているようだ。左門や平家の方もようやく分かるようになってきた。1288西面は固く凍っていて、トラバースも苦労する。笹ヶ峰までにはいくつかのポコがあり、どれも真っ白だ。視界があるとはありがたことだ。笹ヶ峰の下り、結構スキーのターン幅が狭いのに急な下りで、ところどころシートラに切り替える。でも案外、うまくターンできたりもする。最低コルから見る能郷白山の角度がとても美しく、そこにイグルーを作る。ほぼ完成というところでうっかり下段を踏み抜いて、半分崩落。でもジャリジャリ雪でくっつき易い雪だったので、残骸を大幅に利用して再建する。ラジオで天気図取って、明日の夕から明後日にかけ雨になるとのこと。そろそろ長期作戦会議を、と検討すると、結構スロウなこのペースで能郷白山まで行くのも、残り5日かけるとギリギリかもしれないことがわかり、冠峠まで行くにも雨で一日停滞するのもなあ、などと話していて、明日高倉峠から下る選択となる。旅の終わりは突然やってきてしまった。でもそれは夢と同じで、よくあることかもしれない。7日目:〈晴れ、高曇り〉高倉峠〜瀬戸シールスキーじゃどうなんだよ、という結構細い雪稜もあるし、下は硬いけど柔らかい雪を載せていて制動になるスキーの楽しい斜面もあり。旅も終わりかと思うと名残惜しい。「天国のキッス」のピアノパートや「絶体絶命」の二股男のモノマネの話で盛り上がる。高倉峠から下降尾根に入ると、始めはスキー向きのゆるい尾根なのに、植林杉後は木が密になってシートラ。尾根末端は450mくらいから下は西によりすぎて、絶壁近い急斜面に出てしまい、登り返したりする。ピンクの印も西に降りていて、地形図の夏道は今はどうも無いようだ。最期に苦行をしてようやく林道に出たと思ったら、林道の雪もズボズボで、シール外してスキーで行こうとすれば時々雪が切れ、またシートラを繰り返す。転んで鹿の糞溜めに尻もちをついたりする。クタクタだ。ようやく降りた瀬戸の集落は古い建築の民家がひしめく素敵な佇まい。辻の石仏。玄関先で銀杏を干す老人や、寡黙で凛々しい甲斐犬を連れたおじさんに出会う。珍奇な来訪者にも動ぜず話す人達だ。神社前で今庄タクシーを呼び今庄駅へ4110圓。谷間の宿場町のよう。汽車はトンネルをくぐって敦賀へ。特急しらさぎの無い時間帯で、快速で1時間で米原へ。新幹線で30分で名古屋へ。大曽根のスーパー銭湯で祝杯。1984年以来のセンパイと1週間も長旅をできた。学生の時そのままの、25kgシートラ雑炊無人領域イグルー山行。本州中央部にもまだこんな無垢な山域がある。
 
 
 
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