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発行日時
2024-5-13 10:59
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奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流
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奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流(無雪期ピークハント/縦走/甲信越)日程:2024-05-10(日帰り)メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:整備されてます奈良井宿早朝ニリンソウ咲く杉の小道案内板まであった鳥居峠取り付き御嶽山は藪越し藪原集落と神谷峠、遠くに木曽駒ヶ岳の西尾根短い烏帽子の男拝殿奥の石仏群神谷の最奥、堰堤の巻道と思ったら5本くらい固め打ちだニリンソウいっぱいの峠道廃れかかっている神谷峠への道峠の水場藪原宿の町。昭和っぽいレトロ。姥神峠は木曽郡と筑摩郡の郡境だ。三笠山の刀利天は御嶽山の三笠山の神サマあるじなき家鳥居峠に戻り、木曽側に下ると、いろいろ設置されている。峠山から奈良井ダムと源流部が見えた。白いのは伊那前岳あたり?ここから道細い。石垣あり藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡奈良井川源流部に向かう菊池寛賞の菊池さん、小説を書いていたのか御嶽信仰の碑姥神峠は木がない頃、御嶽山が見えていたのだろうかニリンソウいっぱいの峠道奈良井宿から鳥居峠への神社前すごく見事な栃の木だお不動さま?こちらは測量三角点か笑いをこらえる観音石垣の峠道とヒノキの並木御嶽山見えるのかな姥神峠御嶽山見えた!でも小さいナー宿場つなぎの峠越えは手頃でよい姥神峠の石仏群行者さま神谷峠並木と峠道峠から降りてきた道新品だが数百年持つのが石のすごいところ日陰のヤマブキの色は薄ぼんやりしてよい覚明上人か?神谷集落に降りてきた一里塚このあたりか鳥居山山頂にNHKの三角点が木曽の関門なり奈良井宿よい松水場とヤマブキ集落のメインストリートシカ対策の杉林岩雪崩のデブリ集落はずれの祠羽渕集落に降りてきたこれが木曽義元がオガサワラ軍を撃退戦勝祈願成就の鳥居(の末裔)かあ!姥神峠への登り腹には御嶽講のエンブレム新緑歩道にツツジ権兵衛峠線沿いの神谷岩雪崩のトラバース藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡ニリンソウいっぱいの峠道奈良井川最奥集落の一つ武田軍兵500名の屍累々の葬り沢だったのか。木曽側義昌も人質全員殺されてしまった。峠下の沢型渡渉点整備されている一里塚このあたりか祠の跡か炭焼き窯の跡か感想:木曽の鳥居峠は木曽川と奈良井川(→犀川→千曲川→信濃川)の分水嶺で、中山道の最難所で、信濃と尾張の緩衝地帯木曽郡の境。これは歩いて越えなくては、との思いは以前からあり、カレンダーレッドマン(毎日日曜日男)としては翌日の週末山行の待ち合わせにノコノコ行くわけには行かず、兼ねてから気になっていた木曽川源流と奈良井川源流の山間集落を峠越えする行程で向かった。われながら美しすぎる計画。【鳥居峠越え】江戸期中山道宿場町の風情の保存に力を入れている長屋町。ドイツやニュージランドから何十万圓もかけて来て、編笠を被って峠越えする人々が年々増えている鳥居峠越えは、とても手頃に満喫できる良いコース。松本から電車賃590圓で降り立つ。「景観」という資産にたいする配慮が、やはり行き届いている。たとえいにしえを再現した幻の世界とはいえ、景観は貴重だ。その場のもつ力は再現し得るものなのかもしれない。人々の世代は変わっていくのだから。欧米人旅行者数十人と会い、国内の人は二人だけ会った。この峠は武田家滅亡戦争の時と、小笠原家返り咲き戦争の二度、戦場と化している。国境の峠なのだ。木曽国は古来、信濃と尾張の間で難しい政治を強いられてきた。どちらかに付けばどちらかに攻められる。そうした説明が現地に書いてあるのはありがたいが、どうか英語でも表記してほしいと思う。峠から、峠山を往復する。車道は遠回りなので藪を行ってもそれほど濃くない。山頂は通信施設などが林立している。今回のテーマ奈良井ダムが思いがけず見えた。御嶽山遥拝所からの御嶽山は、前山の後ろにちょっぴり。こんな感じでも祠と鳥居と石仏群が。新緑とツツジが良い季節だ。藪原宿は、奈良井ほど江戸景観に復元に熱心ではないが、昭和っぽいレトロ景観がこれはこれで気取らず良い雰囲気だ。若い人がパンを売っていたので買い求め、かじりながら先を急ぐ。腹ごしらえをやぶはら食堂で、と考えていたが「臨時休業中」とのこと。残念。道の駅では観光色強すぎてあまり魅力のある食はなく、自販機のアイスを舐めるに留めて次の峠道に突撃する。【神谷峠】神谷峠はあまり歩かれてなさそうだったのでヤブコギ必定かと思っていたが、まあまあ道の痕跡は辿れた。途中には石垣や杉並木もあり。ただし、地形図にある軌道とはちょっと違ったふうについていた。峠の杉林も神谷側の杉林も、多少の手入れはされていた。さすがは木曽谷である。下りには岩雪崩崩壊地があり横断箇所は不明瞭。神谷の集落は数件。住んでいる家もあるようだけれど、住人にお会いすることはなかった。すぐ近くに権兵衛峠に行くループ橋その下にお薬師様のお堂があって少々気の毒。【姥神峠】そこから神谷の谷をずっと車道を歩いて進むと、終点近くに人家が数件。遠くから犬の吠える家あり。堰堤を右岸から巻いて峠への道はもう何年も通っていなさそう。自動車道路やトンネルもあるし。沢から傾斜のある斜面に入る辺りと峠直下の傾斜の増す当たりは、道が不明瞭で、地図読みと、踏み跡獣道辿りの経験が少々要る。峠の雰囲気はとても良く、昔は幾多の人がここを越えて生業をし、人生の分岐点を越えたのを想像できる。せっかく峠を超えるのだから手ぶらなことはなく、山程荷物を背負ったであろうな。御嶽山信仰の石仏もおどろくほどたくさんあって、良い表情だった。下りの道はなだらかな上にニリンソウの絨毯で、夢のような小道だった。羽淵の集落も10軒ほど。何件かには住人がいるのかもしれない。軒下には美しい花が咲き、山からの澄んだ水は水場に溢れていた。羽渕から旧道に降りたところで通りがかりのバンの運転席の男と目があって、4年ほど前取材した御嶽山画家の山口さんであることに気づいてお互いに驚く。なんでこんなところに!?近況話してヒッチはせず、本日の集合場所、奈良井川本流の車止め行き止まりの栃洞橋まで更に1時間、徒歩で目指す。山間集落の、傾斜地を工面して暮らしている佇まいが好きだ。石垣を組んで、畑に上がる小道を刻んで、小さな水の流れを作ってきた営みを堪能する。もちろん、どこも高齢化でここ10年、どんどん人はいなくなっているけれど、見ておきたいのだ。
 
 
 
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