切り抜き詳細
- 発行日時
- 2024-10-15 3:13
- 見出し
- 《筑摩山地》美ヶ原温泉〜烏帽子岩〜三才山峠〜鹿教湯カレー
- 記事詳細
- 《筑摩山地》美ヶ原温泉〜烏帽子岩〜三才山峠〜鹿教湯カレー(無雪期ピークハント/縦走/甲信越)日程:2024-10-10(日帰り)メンバー: yoneyamaコースタイム:コース状況/その他周辺情報:市ノ瀬〜三才山峠間以外は道なし。三才山峠の北の内山沢に降りる尾根は細く両側急斜面で、安心安全とは言い難い。廃林道は全般に、幅の広い夏道くらいの感じ。写真:扇状地を奥へのぼり振り返る。松本盆地は雲海気味烏帽子背景市ノ瀬バス停前の道祖神慰霊塔はおしまいらしい 本郷公民館に訪ねてみよう逃せないバス尾根上部には炭焼き窯の跡朽ちている遊歩道朽ちた祠烏帽子岩と武石峰昆虫学者小松氏のハイマート、藤井沢の蟻塚の記事戸谷峰と女鳥羽川源流部。遠くは穂高連峰ご主人と市ノ瀬に降りていく尾根末端近くには階段状に整地した耕作面があった。桑畑だったのかもしれない。藤井沢扇状地の坂道と古い町並み良かった。ダムの向こうに道が通じている。ダム湖これは・・鹿教湯に来訪ヤブの向こうに烏帽子岩火山岩と思われる露頭武石峰〜三才山峠の林道。こんな道なんだ。子供の頃天体望遠鏡で稜線に見た「ミサイル基地」は、戦没者慰霊碑だったのか!ダムの堤体急傾斜絶壁尾根を終えて振り返る。核心部では写真撮るのわすれた。カレー屋発見鹿教湯病院 閉店の様子ダム素性市ノ瀬の右俣ドンツキあたりに出たカレーだ!女鳥羽川源流の橋をわたる尾根上端近く、シダとカラマツの爽やかな木立烏帽子の尾根道は最高の道設計角度廃道林道っぽい雰囲気通れるのは許可車のみという雰囲気。バングラディシュカレーをお願い緩い谷状の底で、イノシシの野郎のヌタ場切り株にきのこ奥宮郷土だけじゃなくて全国なのか。ここに建てた経緯も知りたい。穴の空いた階段烏帽子岩の奥宮いろんな営みがあったこんな傾斜地にも石垣で耕作面道祖神と秋の萩?三才山峠。18世紀以前の大名はここを超えて参勤交代していたんかい!腰掛けのあるお休み処忽然と現る。道も何も無い山の中。切り株にきのこ烏帽子奥宮前の格好良い松カレーだ!おお、内山ダムと獨鈷山。遠くに浅間山。鹿教湯は見えないな〜外観 かなりこったデザインだと思う山に入る時お祈りする山神さまとのこと烏帽子岩は松本旧市街からは見えず、南部や西部、塩尻から見える大きな建物は広丘のセイコーエプソン感想:ひなびっぷりも板についてきた丸子の鹿教湯温泉。ここで知人のカレー屋を継いで4年前からコロナを乗り越えて続けているご主人の店に、山と絡めて行きたかった。長雨があけたので決行。山の近くに住んでいると、自宅から歩いて行けて最高。うちから山に突撃すると藤井沢の扇状地に導かれる。先日の新聞でここの砂防堰堤には凄い蟻塚のあるクヌギの大木があり、それを何十年も研究している人(小松貴さん)の話を読んだ。大木は見つけられなかった。堰堤を超え、鹿柵ゲートを超えていきなり道無し尾根に。道はなくても獣道はあり、グイグイ登ればそのうち人の踏み跡にも合流する。最初の山越えは全国戦没学徒の慰霊碑のタワーあり。ちょっとデザイン建築風の慰霊塔だった。突然思い出した。これは小学生の時天体望遠鏡で実家からよく見た。対宇宙人戦のミサイル基地ということにしてあった施設だ。最近見えなくなっていてなくなったのかと思っていたが、周りの樹林が伸びすぎて、隠れていたのだった。高さ20mはあろうかという大きなものだが。あちこちの山で見る、故郷を見下ろす丘の上に50年前に建てた戦没者慰霊塔、今はどこも樹林に覆われて、故郷は見えなくなっている。弔う人も居なくなっている。ここも8年前に魂抜きしたとのこと。修理してくれれば樹林が伸びただけに松本を見下ろす良い展望塔なのだが。1967年竣工、2016年立ち入り制限。あのような全社会的な惨事の死者は20年後に漸く慰霊され、その50年後には弔う人もこの世からいなくなる。修理ぐらいすれば良いのにな。市ノ瀬への道は、はじめ林道だったが次第に怪しくなる。集落の近くでは見失った。廃林道ではトゲだらけのノイバラが茂る事が多い。人工物の名残を好むのか。民家の裏の畑の畔に出た。尾根末端は以前は開墾して多くの平面を切ってあったが、いまはもう手が回らない様子。市ノ瀬は以前も山越えの途中で通ったが、完全保存の山里集落だ。7年経って、住人は減っているかもしれない。今回は人に顔をあわせられなかった。烏帽子岳への登山道は、傾斜角といい、足の踏みしめ感触といい、よく整備された道だ。送電線の補修があるからきれいに管理されているのだろうか。きょうも送電塔に保守の人が居た。烏帽子岩は松本の旧市街地からは見えない。広丘のエプソンのあたりが見えている。残置ボルトが見えた。武石峰北面の2つの谷も、女鳥羽川の源流だ。沢を詰めてみたい気もする。故郷の川だから。武石峰から三才山峠への林道は、これも廃林道の雰囲気。走れない事はないがガタガタの車道。舗装もまちまち。広めの登山道の感じ。三才山峠の立て札を見ると、堀田藩主までのほぼ1600年代いっぱいは、この峠を殿も含めて参勤交代で超えたとな。マジか!具体的にどんなラインだろう。松本側も急だが、上田側の斜面はかなり急だ。ちょっと想像がつかないよ。でも古代から、鎌倉街道含めてこっちがメインとのこと。水野藩主時代に稲倉峠+保福寺峠のダブルのっこしルートに替えたのが地形をみればわかる。ここから沢を下ると、自動車道路の動線に入ってしまうので、少し北に進んで、緩そうな尾根を下る。しかしこの下降尾根の上部は細い上に両側が切れていて、かなり緊張する。細いからルート間違いはしにくいけれど、細い尾根が崖で切れて、脇から巻いて急斜面を下るのが何度もある。やはり踏み跡はかすかにあるが。末端は傾斜も落ちて、牧歌的に下る。鹿とリスを何度も何度も見た。鹿教湯病院の裏に降りる。ここの病院は閉店したようだった。ここから延々沢底の道を温泉目指して歩く。右岸中腹に幹線自動車道路が走り、その走行音が谷中に響く。以前仕事で上田方面に行くときはよく通った道だが、あの道は味気ない。ノコノコ歩いていたら轢き殺されそうだ。トンネルも怖い。谷底の道はほぼ貸し切りだ。地形図を見る限りつながっているけど、本当に行けるかどうかはヒヤヒヤだった。最後のダム脇の歩道橋も通れて安心した。人造物に阻まれると、マジで絶壁になるのが怖い。ダム建設前の昭和40年代にはあったであろう集落の祀った鳥居や祠もある。三才山峠手前で電波が通じたのでカレー屋に電話していた。到着は閉店ギリギリになりそうだったので、計画にあった三才山や六人坊のアタックはカットした。今日のメインは烏帽子とカレーだ。半地下の店に、開いている時間に入ることができた。ご主人は穏やかな話しぶりのかっこいい人だ。置いてあった本のことできいたら書いた人だった。いろいろ話していたら互いの実家がすぐ近くで、先日図書館帰りに初めてあって話をして、話が弾んだ94歳の西村さんとも今の家が町会一緒とのことだった。それに中学高校が19年先輩で、楽しい話がたくさんできた。逃したらまた歩いて山越えしなきゃならない路線バスの、出発時間まで話した。発車するまで遠くて見てくれていた。この路線バスはありがたいのだが、行きでは時間が遅くて山行には使えず、帰りもちょっと時間が早い。希望を言えば、昔みたいに上田までつないでほしい。でもバスは今、大変だからな。あるだけでも感謝だ。町の中に降りて来るまで、他の客は居なかった。和泉町でバスを降りて女鳥羽川を渡って元町の古書店に寄ったら、さっきの本をちょうど置いてあり、重いやつ背負って徒歩帰宅する。きょうはよく歩いた。マンポ計は45500歩だった。良い出会いあり。未踏ピークも踏めた。晩ごはんにノンフライ・焼きコロッケを作ったら好評だった。