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- 発行日時
- 2024-10-15 3:14
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- 《諏訪伊那郡》茅野駅【諏訪大社上社・守屋山】辰野駅
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- 《諏訪伊那郡》茅野駅【諏訪大社上社・守屋山】辰野駅(無雪期ピークハント/縦走/甲信越)日程:2024-09-25(日帰り)メンバー: yoneyamaコース状況/その他周辺情報:守屋山の西側は完全にバリルートなので、地形図を読める人のみ。写真:農耕放棄地が遠くに見える。トンボの向こうは木曽山脈守屋山最高点後山集落に降りていく。中腹の緑の葺き屋根が登る神社。分杭平、突然ファミリー鉢盛山と穂高田んぼの畔に腰を下ろして休む、よく歩いた。沢の中で古いケルンあり諏訪大社上社本宮。諏訪大社は上下それぞれに、本宮前宮、春秋とあって4つもあるんだよヒコバエかな、放射状ブナの木オフネ古墳。5世紀とのこと。坂を降りたらお地蔵さん広場甲斐駒〜北岳〜仙丈ヶ岳と中ア後山への下降路、踏み跡はかすか。赤テープは連打してある。裏山の杉林、深淵東峰より穂高〜鉢伏山すすきと、麦みたいな変な草原東峰直下の樹林の切れ目から空神社裏から踏み跡は確か牛首尾根から諏訪湖を遠望傘が特大権益域を過ぎると看板がなく静かになる。甲斐駒北岳仙丈ヶ岳傘が特大いきなりこれじゃあ、素通りできない入山禁止の看板が10mおきに並ぶ沢底集落からは木曽山脈が見える稲刈り機が動かないのか?トリカブト蓼科山〜八ヶ岳人影がない風情ある民家諏訪湖と美ヶ原空木駒ケ岳茶臼経ヶ岳最高点は腰掛け多し。左奥に倉庫のような避難小屋が見えるトタン屋根の上にヒノキが根を張る。稲刈りまっさかりだそばかな。人影なし門をくぐる山越えして降りていく途上のハイオク茅野駅坂の上より守屋山方面まだ細い天竜川をわたる 木曽駒と空木が見える登山道、さがしまくってここだった本宮の拝殿長い廊下はざ掛け終えている。これをやるの大変なんだ。集落を見下ろす神社。屋根は手入れされている。中央道をまたぐ橋の袂から辰野の町見下ろす東峰より鉢伏〜美ヶ原〜霧ヶ峰弓と鎌と丸石急登に巨大カヤの木守屋神社 奥宮だ。沢底集落の公民館前広場怒りが食い込んでいる守屋山最高点広い芝刈地跡に出た脇の杉が太いケヤキも太い沢底集落が見えてきた感想:諏訪大社御神体の守屋山だから、里宮から登りたかった。昨日から突然猛暑の夏が終わり、低山シーズ入り。松本から朝一番列車で茅野駅、ここは穂高連峰が見えるんだ。坂下って巨大傘地蔵を二度見して大社本宮へ。ここへは初めて来た。木曽義仲の軍資金を提供し、平家打倒の信濃武士団の後ろ盾になった諏訪族の要。信玄もここを行ったり来たりしたものだ。神社裏手の道がわかりにくい。矢印看板が変な方を向いていて、探した。道も余り踏まれていない。周辺からの守屋山への道はいくつもあるようだが、地元では一番南の道を推しているようだ。理由は行ってわかったが、きのこ盗掘が多く、この辺りからは登ってほしくないようにみえる。中腹の、林道から近づきやすいあたりには、茸を取ったら厳罰という看板が、100枚以上貼られていて、有刺鉄線も続き、穏やかならぬ雰囲気。登山道歩いていても気が滅入るくらい。道も歩いちゃ駄目なのか?という気になってくる。財産区が終わると急にフレンドリーな案内標識が連発する。極端だよなあ。小さな峠を越えて分杭平に降りると子どもの遠足団体がいる。近くまで杖突峠からの車道が来ているようだ。登り切ると樹林が無く、展望が良い東峰。遠くの山まで澄んでいる。きょうは穂高もよく見える。浅間山も見えている。これから諏訪に来たら、この山の頂をさがそう。山頂祠には弓と鎌が供えてある。最高点山頂にはベンチが多数。周囲のヤブもよく刈り、手入れされている。山頂近くに避難小屋があり、一坪くらいの部屋においちゃんが二人で座ってご飯食べていた。灯油ストーブもあり、地元の人が飾り付け、手入れしている小屋のようだ。なかを少し見学させてもらった。名久井岳にあった小屋に雰囲気が似ているな。地元の人の親しみぶりがわかった。二度目の山頂も満喫して、いよいよ不明瞭なルートへ突撃。後山集落に降りる道は五万図にはあるけどほぼ廃道の気配。赤テープは誰かが付けてあるが、沢に入った途端になくなる。この道は他所から来る人は使わないだろうから、後山集落の人が守屋山に登るための道だったのだろうか。谷が広がると、山間で耕作している家があった。人影は見えなかった。後山はかなり隔絶した集落だが車が何台も停めてあり、今も人が住んでいるようだ。でも誰にも会わなかった。神社の裏から最後の峠越え道を登る途中、昭和26年の慰霊碑があった。災害ではなくおそらく戦没者だろう。11名の男の名が刻んである。元は集落を見下ろす高台だったろうけれど、樹木が生い茂り、森になってしまっていた。この小さな集落から11名。峠からの下りも、地形図通りには踏み跡は無い。大してひどいヤブでもないから磁石を切ってバンバン進むが、ノイバラが多くて閉口する。コルのところでふと見るとブル道が上がってきていて、そこできょうの藪漕ぎは終わった。道は草こそ生えているが落石崩落も無く、歩きやすい路面で快適に沢底川の本流へ導かれた。集落までは、地形も緩いおかげで林道の崩落もなく、のんびりと長々歩いていく。このあたりは谷が緩く細長く奥まで伸びていて面白い。車道としては行き止まりだから、知らない人は通らないけど古代とか中世とかからも結構人が住んでいたのではないかな。そんなことが鎮神社の立札にも書いてあった。三河攻めの秋葉街道ルートなどで武田信玄だって通ったことだろう。沢底集落では稲刈りの最中だった。先日友達の実家の稲刈りを手伝って、ハザ掛けを一日やったのでわかる。今が一番人手がいる。この時期に抜かりがあると、年間の稼ぎがパアになる重要時期だ。稲刈り機でハザ掛けの家と、コンバインで一気にやってしまう家とある。コンバインは楽だが機械は高額で、故障したらアウトだ。どうも動かなくなって、業者を呼んでいるようだった。沢底川右岸の尾根をまたいで、新興住宅街造成地の脇を抜け高速道路をまたいで、天竜川を渡って辰野駅へ。駅前食堂あたりでカツ丼かラーメンでも食べたかったけど、商店街は全滅していて、歩き回る楽しみもなし。1時間の電車待ちは、駅となりの公共施設の一角の喫茶コーナーでコーヒーのみだった。農家の人は70代後半以上、商店街は多分みな亡くなったのだろう。10年後には稲刈りを見ることもできなくなるかもしれない。我々の世代以下で山間農家をしている人を見かけたことがない。どうしてもとんかつが食べたくて、松本駅前の松電地下スーパーで買い求め、自転車こいで帰宅して温めて食べた。妻は麻婆豆腐を作ってくれていて、これもうまかった。御神体守屋山に、気になる集落2つ訪れて充実した。