残雪でヤブが埋まる国境稜線をシールスキーとイグルーで長距離山行、という計画がたくさん。いくつもある候補から今回はこれを行こうと、昨日のうちに一週間分の食糧をザックに詰め、計画書も「コンパス」に送り、妻にはGPS通信によるトレースの手配も。
今朝は早起きして玄米飯も平らげ、さて靴を履いて玄関を出るだけという段になって、今日はやめようという気になった。気まぐれではなく、昨夜床についてからずっとのしかかってきた「山行前の重い気分」がずっと取れなかったのである。
発行日時 | 見出し |
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2024-5-26 6:32 |
三角山
三角山(雪山ハイキング/札幌近郊)日程:2024-03-07〜2024-03-08メンバー: kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:三角山ピークテンバでスキー練習遠くには羊蹄山ジャンボ唐揚げ
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2024-5-13 10:59 |
奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流
奈良井【鳥居峠・神坂峠・姥神峠】羽渕→奈良井川源流(無雪期ピークハント/縦走/甲信越)日程:2024-05-10(日帰り)メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:整備されてます奈良井宿早朝ニリンソウ咲く杉の小道案内板まであった鳥居峠取り付き御嶽山は藪越し藪原集落と神谷峠、遠くに木曽駒ヶ岳の西尾根短い烏帽子の男拝殿奥の石仏群神谷の最奥、堰堤の巻道と思ったら5本くらい固め打ちだニリンソウいっぱいの峠道廃れかかっている神谷峠への道峠の水場藪原宿の町。昭和っぽいレトロ。姥神峠は木曽郡と筑摩郡の郡境だ。三笠山の刀利天は御嶽山の三笠山の神サマあるじなき家鳥居峠に戻り、木曽側に下ると、いろいろ設置されている。峠山から奈良井ダムと源流部が見えた。白いのは伊那前岳あたり?ここから道細い。石垣あり藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡奈良井川源流部に向かう菊池寛賞の菊池さん、小説を書いていたのか御嶽信仰の碑姥神峠は木がない頃、御嶽山が見えていたのだろうかニリンソウいっぱいの峠道奈良井宿から鳥居峠への神社前すごく見事な栃の木だお不動さま?こちらは測量三角点か笑いをこらえる観音石垣の峠道とヒノキの並木御嶽山見えるのかな姥神峠御嶽山見えた!でも小さいナー宿場つなぎの峠越えは手頃でよい姥神峠の石仏群行者さま神谷峠並木と峠道峠から降りてきた道新品だが数百年持つのが石のすごいところ日陰のヤマブキの色は薄ぼんやりしてよい覚明上人か?神谷集落に降りてきた一里塚このあたりか鳥居山山頂にNHKの三角点が木曽の関門なり奈良井宿よい松水場とヤマブキ集落のメインストリートシカ対策の杉林岩雪崩のデブリ集落はずれの祠羽渕集落に降りてきたこれが木曽義元がオガサワラ軍を撃退戦勝祈願成就の鳥居(の末裔)かあ!姥神峠への登り腹には御嶽講のエンブレム新緑歩道にツツジ権兵衛峠線沿いの神谷岩雪崩のトラバース藪原集落を見下ろす尾張藩鷹匠番の詰め所跡ニリンソウいっぱいの峠道奈良井川最奥集落の一つ武田軍兵500名の屍累々の葬り沢だったのか。木曽側義昌も人質全員殺されてしまった。峠下の沢型渡渉点整備されている一里塚このあたりか祠の跡か炭焼き窯の跡か感想:木曽の鳥居峠は木曽川と奈良井川(→犀川→千曲川→信濃川)の分水嶺で、中山道の最難所で、信濃と尾張の緩衝地帯木曽郡の境。これは歩いて越えなくては、との思いは以前からあり、カレンダーレッドマン(毎日日曜日男)としては翌日の週末山行の待ち合わせにノコノコ行くわけには行かず、兼ねてから気になっていた木曽川源流と奈良井川源流の山間集落を峠越えする行程で向かった。われながら美しすぎる計画。【鳥居峠越え】江戸期中山道宿場町の風情の保存に力を入れている長屋町。ドイツやニュージランドから何十万圓もかけて来て、編笠を被って峠越えする人々が年々増えている鳥居峠越えは、とても手頃に満喫できる良いコース。松本から電車賃590圓で降り立つ。「景観」という資産にたいする配慮が、やはり行き届いている。たとえいにしえを再現した幻の世界とはいえ、景観は貴重だ。その場のもつ力は再現し得るものなのかもしれない。人々の世代は変わっていくのだから。欧米人旅行者数十人と会い、国内の人は二人だけ会った。この峠は武田家滅亡戦争の時と、小笠原家返り咲き戦争の二度、戦場と化している。国境の峠なのだ。木曽国は古来、信濃と尾張の間で難しい政治を強いられてきた。どちらかに付けばどちらかに攻められる。そうした説明が現地に書いてあるのはありがたいが、どうか英語でも表記してほしいと思う。峠から、峠山を往復する。車道は遠回りなので藪を行ってもそれほど濃くない。山頂は通信施設などが林立している。今回のテーマ奈良井ダムが思いがけず見えた。御嶽山遥拝所からの御嶽山は、前山の後ろにちょっぴり。こんな感じでも祠と鳥居と石仏群が。新緑とツツジが良い季節だ。藪原宿は、奈良井ほど江戸景観に復元に熱心ではないが、昭和っぽいレトロ景観がこれはこれで気取らず良い雰囲気だ。若い人がパンを売っていたので買い求め、かじりながら先を急ぐ。腹ごしらえをやぶはら食堂で、と考えていたが「臨時休業中」とのこと。残念。道の駅では観光色強すぎてあまり魅力のある食はなく、自販機のアイスを舐めるに留めて次の峠道に突撃する。【神谷峠】神谷峠はあまり歩かれてなさそうだったのでヤブコギ必定かと思っていたが、まあまあ道の痕跡は辿れた。途中には石垣や杉並木もあり。ただし、地形図にある軌道とはちょっと違ったふうについていた。峠の杉林も神谷側の杉林も、多少の手入れはされていた。さすがは木曽谷である。下りには岩雪崩崩壊地があり横断箇所は不明瞭。神谷の集落は数件。住んでいる家もあるようだけれど、住人にお会いすることはなかった。すぐ近くに権兵衛峠に行くループ橋その下にお薬師様のお堂があって少々気の毒。【姥神峠】そこから神谷の谷をずっと車道を歩いて進むと、終点近くに人家が数件。遠くから犬の吠える家あり。堰堤を右岸から巻いて峠への道はもう何年も通っていなさそう。自動車道路やトンネルもあるし。沢から傾斜のある斜面に入る辺りと峠直下の傾斜の増す当たりは、道が不明瞭で、地図読みと、踏み跡獣道辿りの経験が少々要る。峠の雰囲気はとても良く、昔は幾多の人がここを越えて生業をし、人生の分岐点を越えたのを想像できる。せっかく峠を超えるのだから手ぶらなことはなく、山程荷物を背負ったであろうな。御嶽山信仰の石仏もおどろくほどたくさんあって、良い表情だった。下りの道はなだらかな上にニリンソウの絨毯で、夢のような小道だった。羽淵の集落も10軒ほど。何件かには住人がいるのかもしれない。軒下には美しい花が咲き、山からの澄んだ水は水場に溢れていた。羽渕から旧道に降りたところで通りがかりのバンの運転席の男と目があって、4年ほど前取材した御嶽山画家の山口さんであることに気づいてお互いに驚く。なんでこんなところに!?近況話してヒッチはせず、本日の集合場所、奈良井川本流の車止め行き止まりの栃洞橋まで更に1時間、徒歩で目指す。山間集落の、傾斜地を工面して暮らしている佇まいが好きだ。石垣を組んで、畑に上がる小道を刻んで、小さな水の流れを作ってきた営みを堪能する。もちろん、どこも高齢化でここ10年、どんどん人はいなくなっているけれど、見ておきたいのだ。
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2024-5-12 1:46 |
小樽赤岩
小樽赤岩(アルパインクライミング/札幌近郊)日程:2024-05-11(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:感想:3級中心に登りこみ。沢の準備。
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2024-5-12 1:10 |
奈良井川本流【茶臼山・将棊頭山】小黒川〜奈良井川
奈良井川本流【茶臼山・将棊頭山】小黒川〜奈良井川(沢登り/中央アルプス)日程:2024-05-10〜2024-05-11メンバー: yoneyama macchan90コースタイム:写真:右は小笹、左は苔の樹林結構な傾斜で、下りだと怖い感じ。将棋頭より駒ケ岳孤高の御嶽山 茶臼山より右岸草付きを慎重にヘツリ降りる。10mを超える滝が連発塩尻宗賀のドライブイン水も冷たい避難小屋無事に道に合流稜線に到着伊那谷と、八ヶ岳連峰堰堤クライミング小滝も手頃だ谷の様相、まだまだ巻きは容易だこれも右岸をへつって降りる。太陽に南無阿弥陀仏、ああ寒かった。。何が出るのか、記録は見かけない駒ケ岳北面藪越し駒ケ岳一応evernewの刻印が入っていたどうやら下は快適な滑床のようだ茶臼山に向かうこのヒノキ急斜面を登って尾根に脱出することにするあとあと雪渓登りがあるので足をあまり濡らしたくない試しに履いてみる真北に伸びる谷の空は浅間山更に大きな滝を見下ろす石室内部日向に行きたい行者岩と茶臼山雪渓が連続し始めて、フェルト底をスパイク地下足袋に替える手製かと思うほどの重い簡易鉄アイゼン茶臼山山頂 右手はグンソク将棋頭山近くから下降路を見る浅間山と八ヶ岳。中央は分水嶺山脈両岸が迫るこちらは男一匹現場調達嘉門次ピッケルとスパイク地下足袋で西駒山荘賜り物のヘルメット雪渓が出始める右手はグンソク手袋木曽駒ヶ岳北面ナメ滝。傾斜はそれほどない乗鞍岳と北アルプス 茶臼山より将棋頭山こんなことがあったのかあ、1975年に。花崗岩に黄色い藻で滑るのでフェルト地下足袋奈良井川源流部に日が当たる小黒川源流を下降黒川林道のデポ地にもどるその内部感想:初日は仕事半日で奈良井源流まで来た松と、トリプル峠越えで木曽路山間集落を巡って36000歩あるいた末に合流、更に1時間歩いて(44000歩)河原で焚き火して寝る。あったまる。身軽に支度して奈良井川源流部に突入。堰堤をいくつか越えてスパイク地下足袋をフェルト地下足袋に履き替え今年初の渓流遡行。まだちょっと寒い。いくつも小滝を越えて標高2080mで雪渓ベッタリになったので底の厚いスパジカに履き替える。標高2300mで最近手に入れた骨董品の忍者道具みたいな土踏まず四本爪アイゼンをつけて登ってみる。雪渓はアイゼンいるほど固くないし、ズルズル滑る柔らかさなのでなくても同じだったが、時折崩壊雪渓を巻く泥壁とか草付きでの威力が強く、結構重宝した。岩の上でも、登りならそれほどじゃまにならない。松は、いつもの嘉門次ピッケルを丹念に作りステップを丁寧に切って登行する。下りに取ったら結構怖い傾斜だ。一歩では滑る。2、3回キックして足場を進める。常識的にはアイゼンピッケル硬い靴でくれば、かなり早い登行路だ。ただし、少し長い林道歩きと、下部の沢登りの心得が要るので誰も来ないルート。あっという間に稜線に着き、ザックを置いて茶臼山を往復。見かけは地味な山だが、世に数多ある茶臼山の最高峰はここだ。展望も文句なし。360ドだよ。最近こんな展望の高山久しぶりだな。何より故郷奈良井川の源流最高峰だ。松本は、経ヶ岳のカゲで見えない。楽しい話をしながら下ってうっかり道を間違える。山ではこれがすごくある。下降時に確認しなければ40年登っていても関係ない。100m登り返し茶臼に二度登る。将棋頭までは夏道。この山もロープウエイ山域と距離を置いて独特の魅力を放つ。天候は穏やかに澄んでいる。富士山も、池口岳も白山も頸木も志賀高原も良く見える。1913年の箕輪の小学校の遭難現場の西駒山荘も初でまみえた。ここからが松の主戦場で、2002年小黒川中途敗退の先を今回は下ってつなげようというもの。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21295.htmlいざ雪渓べったりの真っ白な源頭に地下足袋で躍り込む。先の沢より傾斜は優しく、地下足袋の踵のキックも決まる柔らかさなので安心して地下足袋グリセードも決めてあっという間に雪渓の末端まで。沢でもスパジカのまま下り降りる。黄色く藻の生えたすべすべ花崗岩では滑るが草付き泥壁ではフェルトより効く。道具は何でも一長一短なのだ。今回、冷たい雪渓ではフェルト地下足袋では厳しいが少し底の厚いスパイク地下足袋ではネオプレン靴下なら凌げた。フェルトの出番は多くなかった。松はスパジカ+装着型フェルトわらじという組み合わせ。これもこの時期はフェルトの出番が少ないので良い。地下足袋本来のスパイクピンはふたりともほぼ消失していた。鋼鉄カンジキは、あれが必要な場面なら12本爪が必要だ、と思った。やがて10m前後の大きな滝が連発して現れる。側面の草付きや岩岩を立ち木を掴んでクライムダウンなどしていくつか越えていくが、地形図上はこの先もこれが連発しそうだとの判断で、無理に22年前のポイントまで降りるのはあっさり諦める。左岸の急斜面を夏道目指してエスケープする。帰りの行程が長いので時間切れだ。22年前と線は繋がらなかったけれどまあまあ満足した。藪漕ぎもC級で助かった。よく整備された道を分岐まで下り、再び奈良井川源流への地味な夏道をたどる。この道も人気なさそうで整備はあてにしていなかったが、あるだけありがたい。案の定末端部分は地形図の位置と違い、林業作業道に導かれて大幅に上流側に出た。下りならわかるけど、登りでは登山口がわかりにくいと思う。長い林道を歩いて、黒川二俣で泊まり装備を回収し、車止めまで歩く。よく歩く。周囲の林地の仕事ぶりなどを林業家の松に聞きながら。13時間行動、いやあよく歩いた。帰りに贄川のSS食堂といきたかったが、あいにく4/29以降料理人の高齢化引退で休業になっているのはマチのウワサになっている。宗賀の気になる「お風呂入れます」看板のある食堂に飛び込むと、ウチの親といい勝負(90歳前後)のじじばばがやっている店で、とんかつ定食と肉入り野菜炒め定食。お風呂はもうやってないとのこと。木曽路は高速道路が無いため、70年代ドライブイン文化がほそぼそと生き残っているのだが、高齢化でもうあと何年も無いだろうと思う。壁には何十枚もの国粋系団体のステッカーと名刺があり、寄る辺としていた頃があった模様。松本の自宅近所の日帰り温泉で禊をして松と帰宅、ビール一本飲んでクラクラと落眠。翌昼は餌差町の山山食堂で角煮やサバ定食で見送る。長いこと課題だった山行線を伸ばした。
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2024-5-9 5:34 |
春合宿・美瑛
春合宿・美瑛(雪山ハイキング/十勝連峰)日程:2024-05-03〜2024-05-05メンバー: shibabemaru onodera22 Sugiyama_2022 kaneko23 tamaki_2023コース状況/その他周辺情報:<時間とルート>Day1:美瑛富士登山道ゲート(6:00)美瑛富士避難小屋=C1(14:00)くもり。ツボで林道歩き登山口まで。雪ほぼない。夏道沿いに進み、Co 1150 あたりで雪で夏道分からなくなったので、コンパス見ながらコル目指す。少し進むと視界ありコル見えるので、コンパス見るのやめてそのまま進む。雪あるところ繋ぎながら進むが、東に進むのに藪漕ぎ複数。Co1300くらいで部分的に固いのでEストック。Co1400あたりでツボに戻す&気にならない風強。尾根東に1本超えたら風大分和らいだので、そのまま進む。避難小屋まで。一安心。Day2:小屋(6:50)美瑛岳(9:45)美瑛岳肩(10:00)晴れ。ツボで夏道沿いに進む。美瑛富士南東側の雪面でEストックに変える。美瑛岳の登りは岩と雪。鶴留時間かかる。美瑛の肩からはカチコチ。EPに。1年目連れて行こうとしたら厳しそうだったのですぐ引き返した。玉木と1年目待機で、2年目以上でさくっとAt。1.5年班。2年班:美瑛岳肩(10:00)引き返し(11:15)小屋=C2(13:40)美瑛岳の肩の十勝側にGap3mあり。空身でcd。2級。シュリンゲで荷物受け渡し。少し進んで雪なくなったのでツボに変える。美瑛十勝間最低コルより十勝側に少し進んだところ、ときより振られる風。ポンピ沢から突き上げる風が強烈。敗退。来た道戻る。1年班:美瑛岳肩(10:00)美瑛富士(12:00) 美瑛富士避難小屋=C2(13:30)2年班と分かれて美瑛富士に向かう。下り始めは硬めのところもあり、一年目もいて気を遣う。裾でE外す。美瑛富士までは歩きやすい夏道。来た道戻り、安全な場所で滑停練習した。帰りはズボズボでE不要。滑停練習したDay3:美瑛富士避難小屋(5:00)オプタテシケ(7:15-30)小屋(10:15-10:45)ゲート(14:10)晴れ。夏道進む。コルからオプタテまでの登りは夏道崖側で雪ありだったので、反対側岩の上進む。ピークで電波拾い明日雨予報なので今日中に下山することを決める。来た道戻り小屋まで。小屋からEストックにしたが、ツボでもよかった。自分たちとは別のトレース辿っていく。スキー組はザラメの尾根を飛ばしていく。楽しそう。廃林道みたいなところに降りて少し西に進むと夏道合流。あとは林道入口まで。写真:オプタテピー写。林道は雪ほぼなし。美瑛岳ピー写。1年目ごめん!山部ドライブイン敗退。オムカレーも2店舗敗退し、3年連続安心の小玉家。オプタテよりトムラウシ方面。雪がない、、、Gap。下から夏道使って巻けたがせっかくなので。藪漕ぎポンピ沢より爆風。感想:GW前半の記録見て、雪なさすぎるので急遽計画変更し、6月山行的な春合宿に。新入生2名、上級生6名、計8名と穏やかな春合宿。スキー履けなかったのは残念だが、風と藪漕ぎと岩稜歩きと、まあ新歓として1年目はいい経験ができたと思う。
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2024-5-7 1:50 |
北アルプス・オートルート/飛越トンネルから室堂まで
北アルプスオートルート/飛越トンネルから室堂まで(山滑走/剱・立山)日程:2024-05-07(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:笠ヶ岳がお出迎え稜線にはスキー背負って登る滑降、やや硬い越中沢岳ピーク昨日迷い込んだ斜面薬師岳山頂からから北方を見る、劔が立派・2338の天場、アーベンロードザラ峠から獅子岳への登りの斜面、つづら折り登山道がついている獅子岳ピークからこれまで辿ったルートを振り返る。ここからは山々は白くみえる。北上したのが正解だったね。北薬師を超え、2832から滑降越中沢岳の登り北ノ俣岳ピークにて北ノ俣避難小屋と北ノ俣岳、雪すくないS氏のダイナミックな滑降2日目、シーアイゼンで薬師を目指す薬師岳方面寺地山で一休み稜線に出る、ガスが時々切れて後立の峰々が見えた。アイゼンつけて通過南側の展望、はるか彼方に槍の穂先B氏の華麗な滑り金作谷カール、身軽であれば滑ってみたい五色ヶ原、小屋を捲くようにトラバーススゴ乗越頭にて薬師を振り返る、北向き斜面にはそれなりに雪残る薬師がでかい感想:入山前日、メンバーが札幌、東京、大阪から富山に集合。久しぶりの再会を祝って富山の地酒で入山コンパ5/2:一番列車で高山線の猪谷まで、そこから予約していたタクシー。和佐府から林道を歩く覚悟だったがゲートなく飛越トンネルまで車で行けた。スキー背負って運動靴で入山。Co1700位で雪繋がりはじめスキー履くがCo2350あたりからルート上雪消え再びシートラ。今年は全般に雪少なく、先が思いやられる。稜線に出て北ノ俣を空身で往復。分岐から太郎平に向かって滑降を開始するがガスで視界なく・2589の北向き尾根に迷い込んでしまった。正規のルートに戻りツボ足のトレースを確認しながら慎重に下る。5/3:太郎小屋を超え、薬師峠からシーアイゼン。快調に登り今回のメインピークである薬師岳に。ピークから少しシール滑降したのち夏道をツボ足で歩いて・2832まで。ここからスゴ乗越小屋まではフィルムクラストのド快調斜面だった。少し時間が早かったがスゴ乗越頭を越えたコルでC2。赤牛岳を見ながらウダウダと物干し大会。5/4:朝方少し風がある。初めてジャンパーを着た。朝一からアイゼンシートラで歩き始める。越中沢岳のピーク近くで急な雪面のトラバース。今山行で唯一ピッケルを使った場所。その後、南向き斜面はシートラツボ足、北向き斜面は滑降といったサイクルが続く。まさに「苦あれば楽あり」。ザラ峠からの登りを見上げると気が重くなったが、歩いてみると案外歩きやすい夏道だった。最後のピーク獅子岳で握手したのち御山谷に向かって急なルンゼを滑降する。御山谷の登りは氷河の上を歩いているようだった。疲れた体に鞭打って一ノ越まで。5/5:観光客の足跡でデコボコになったカチカチ雪面を滑ってバス停に下山、今山行で一番難しい滑降。始発バスで美女平に。富山電鉄の車窓からは、田んぼの水面に映る残雪の北アルプスが印象的だった。
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2024-5-3 4:13 |
《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖
《上信国境》横手山 志賀山 赤石山 大高山 野反湖(積雪期ピークハント/縦走/志賀・草津・四阿山・浅間)日程:2024-04-25〜2024-04-27メンバー: yoneyamaコースタイム:写真:夜中に起きたらイグルーがやせ細っていた。午前二時崩落。ダム湖堤体の上赤石山の最後の標高差100m、雪も硬いのでせっかく持っているジュラアイゼンで登ると楽に行ける。しかしシートラは重いな!南望。横手山の魅惑的な東斜面の彼方に浅間山、榛名山、赤城山。素敵な山々高沢山山頂直下より浅間山、草津白根火山群、横手山草津峠付近より鉢山を見上げるのぞき分岐から、スキー場を離れていくあたり。雪はあるといえばある。山頂には岩峰が剥き出していて展望よし。赤石山、意外に良い。雪渓と、笹の中の夏道を選択しながら、スキーを着脱しながらの行程山頂標識は樹林内沢地形を行く。雪がつながっていると良い横手山から四十八池〜沢形地形と、来た行程を振り返るガスが野反湖を隠す道ではシートラだ。シートラ、スキー履きを100回くらいやった。半融けの沼をスキーで渡る高沢山山頂四十八池から志賀山と裏志賀山。ここを横切って真ん中の谷から遡行したい。無人境なり横手山北面。一面の針葉樹林。噴火したのははるかはるか昔鉢山北東コルに戻り、イグルー作る。1時間かかった。雪が重くてくたびれた味噌納豆玄米雑炊樹林の間に天狗平が見えた。無人境。昭和37年まで走っていた草軽鉄道の展示志賀山の最高点ダム湖春ランマン三壁山山頂上り下りもシールスキーで快調だ降雪はご無沙汰という雰囲気の割と滑りやすい雪面の森。志賀山頂き付近でダイダイ色の蓋の午後ティーボトル拾った。湯たんぽに使おう。トーシバのトランジスタラジオは1987年3月萩町商店街の鬼頭電器店で購入。左奥は浅間山ここも往年のツアースキーコースがあったみたいだな。青森の山を思い出すよ。今よりも人々が山を滑っていた時代の名残のサクラカラー行程中ずっと格好良かった寺子屋峰を遠望。右の高まりは本日のメインピーク赤石山山頂に小さく岩峰が見える何かの散策施設こんな傾斜になる。朝は硬い。もうこの時間帯は重荷でかなり苦しい。群馬県境トレイルというので道を整備しているよう。後半はこの道に助けられた。「警告」ってことは事故があってたくさん人が苦労したんだろうなカモシカ平へ降りる道、正面は高沢山稜線の雪は意外と多くスキーで進むのに最適。風下側の南斜面に積雪が多いのが意外。三壁山へ。右に白砂山が見えているキャンプ場バンガロー村横手山山頂の祠。奥は浅間山と白くなくなった草津白根火山。横手山は百名山の草津白根より高いけど白くない。豊かな森が載っている。横手山最高点へ、スキー場の左脇を登る行程最高峰に到着隙間だらけだけど、風もないし気温も高いのでそのままにした野反湖が見えた草津峠は渋峠が危険なため明治に作られたとある。横手山の南面の急斜面が危険だったのかな?群馬側はどこへ行くのかな?続きが読みたい。朝日を浴びて志賀山中腹の秘めたる沼。横手山の北面にはスキーコースのZ字が見える。浅間山は煙が立ち上がり始めたスカルパF1の足の甲締めつまみがヤブに持っていかれてしまった横手山きょうは1.8リットル飲みきってしまったので明日は3リットル作る。昨日開通の渋峠自動車道沿いの県境レストラン、バスでいきなり標高2150mその右側、魚野(ようの)川をはさんで彼方には苗場山、佐武流山、白砂山が見えてんじゃん!!! と・遠いワオッタテ峰西のコルあたりは風が弱まるのか太い樹齢あるタンネが多い。トラバースと直登を選びながらルートどりするここに来て初めて大沼が見えた。厳冬期にも良いな。向かいの飯縄山の麓は善光寺平のあたり北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!ついにオッタテ峠付近で笹原出現。この程度の丈30センチの笹ならスキー履いたまま進める。写真中央に道が横切っているのを視認して進む大高山を見上げる。笹原上部に道の刈分けを視認。ルートファインドが重要おおたか沼と裏志賀山高沢山登り途中より南望 浅間山、草津白根火山群、横手山大高山を超えた緩いコルで泊まることにする。イグルー作に1時間。雪重い。もう限界時期。北北西には寺子屋峰への稜線が続く。北軽井沢のバス乗り換え30分で、旧北軽井沢駅舎の展示室に群馬県立体模型が!カモシカ平には分岐があって中高沢へと刈分けがあったけど、どこへ行くのだろう中はほぼ加牟那塚古墳。夕日を浴びているけど、窓、閉めちゃった。感想:定年退職記念山行で、志賀高原〜苗場山までの53.5km、行動5日予備3日の計画だったが、後半の残雪がだめそうだったのと、30kgでの野反湖登り返しのパワーが沸かなかった。あと二週間早く行けばよかった。でも、スキー向きのよい山域を発見した。一日目 ガスのち晴れたった2500圓で長野駅から標高2000mの渋峠まで。フォーリン客の殆どは雪猿公園で降り、峠までは一人だけ。バスは昨日から運行。運転手に「いい日に来たね」と祝福される。昨日は雨で出発やめた。今朝も家を出る10分前に決断した。退職したので自由だ。車やバイクの喧騒峠を後に、スキー場の左の樹林内を最高点目指す。最高点はスキーコースから離れた静かな場所だ。南側展望が良く、浅間や富士山まで見える。草津白根はここより低い。志賀高原の最高峰は裏岩菅山だけど、横手山は善光寺平からも目立つし、山容も良い。スキー場になっちゃっているから名山リストに入らないけど、褒めてあげたいいい山だ。この山の東側の長大な無人スロープに興味がある。スキー場から早く離れたくてほぼ県境の北西急斜尾根を下ろうと思ったら、傾斜も強く立ち木も多く、それにいわゆる「スキー場コース外滑走」にあたりそうなので、スキーコースを下る。横手山北面の夏道記号は、スキーコースだった。2170で分かれて樹林帯へ。尾根上は少し融けて道が出ているところもあったが、概ね雪の樹林帯は快調で、重荷のシールスキーでもターンして樹林の山旅を始める。今回は20年はいたボリエールの二重靴をやめ、昨年買ったスカルパF1という兼用靴で、しかもヤブコギシートラ予測の130cm板+ジルブレッタ300という初の組み合わせ。滑りで靴がいいので楽に滑りやすい。歩きでもこの靴で十分だ。鉢山の北東コルにザックを置いて、空身で志賀山を往復。かるい〜〜〜。四十八池まで軽やかに滑り、湖上を横断、志賀山と裏志賀山の間の沢型地形から攻める。途中清流をガブガブ水を飲み、笹の上もシールで登行して、直下の硬い急雪面もシール登行。シール自在だ。先日再読した信州百名山で、著者清水氏が、徴兵で教職を離れる朝見た志賀山のことを書いていた。離任のあいさつのとき山を見たら何も言えなくなったと。個人的なストーリーが込められた山行記録を読むのが好きだ。観光開発地としての志賀高原の名は志賀山からとったという。大小の湖沼に囲まれ喧騒のないこの季節は最高だ。雪にノコは入るが重い。本ギッシリ詰めた宅急便の箱クラス。風あるが雪面下部分にいると感じない。明け方、煌々と明るい月あり。二日目 快晴赤石山までの東西稜線は快適に飛ばす。シールスキーで十分機動性あり。片方のシールのテールがプラプラ。ノリがほとんど薄々だったところに、湖沼の横断で濡れてくっつかなくなってしまい復活せず、テーピングで固定した。これで一日弱切れずに持つ。厳冬期はこうはいかない。気温高く快晴。赤石山の最後のあたりは傾斜があるのでスキーを担ぐ。せっかく持ってきたジュラルミンアイゼンもあるのでつけると楽に上がれる。山頂は、岩が立っていて展望が360°良い。北アから富士山まで。それに行く手の苗場山までの長大稜線も。果たして雪はつながっているのか。北につながる寺子屋峰の存在感が良い。志賀エリアはスキー場だらけだが、少し外れれば冬季の魅力ある山に満ちている。小地形を地形図見ながらスキーで進むのは楽しい。樹林の中には、遠目にはわからないが日陰だから雪が多く残っている。ただ、東に進むにつれて笹原の露出が多くなる。笹原は樹林がないため日があたり、雪解けが早い。尾根の下りは、雪につられて方角を間違えやすい。雪がきれた場合を考え、夏道からあまり離れないようにする。1937の降りはうっかり間違え登り返す。五三郎小屋跡のコルは完全に笹原草原だ。樹林がないと雪解けも早い。雪と笹と道を見分け、スキー着脱を繰り返しそのたびに30kgの荷物を下ろし、背負う。繰り返し今回は百回くらいしたのではないか。大高山の登りではかなり速度も落ちて、休み時間も長くなる。大高山の山頂では大高くんの顔を思い浮かべる。この前能登地震で久しぶりに会ったとき、子供ができたってすごく喜んでいたな。1.8リットルの水を全部飲んでしまった。倒木だらけのコルで泊まることにする。イグルー作り1時間。もう暖かいし、ゴロ寝でもよい。と思っていたら、午前0時にイグルーの屋根ブロックがスカスカに細くなっていて、午前2時に崩落した。春を感じる、イグルー季節の終わり。三日目 高曇り屋根なしイグルーを腰を上げずに片付けた後、しばらくそのまま寝ていて、お茶を飲んでラーメン食べて出発。カモシカ平までの樹林はだいたい快調に滑れた。が、コルに降りるあたりから雪が切れてシートラ。シートラは重い。高沢山への登りも休み休みだった。午前のうちからパワーが出ない。イノシシの掘り返しや、トレースが目立つ。くまのうんこも何度か。彼らもこの夏道を頼りにしているのか。雪渓に覆われても道を大きく失わないのはヤマレコGPSの威力で助かる。紙の地図だけだと、行ったり来たりは増えるだろうな。高沢山の山頂では前歯の欠けた高校生の頃の高沢君の顔を思い出す。今頃どこに住んでいるのかな。三壁山までの行程で、野反湖下山を決めた。すごく迷ったけど、この先は夏道が無い区間に残雪が乏しいとかなりきつい。シートラで30kgのヤブコギになる。野反湖道路が開通してしまっているのもちょっと大きい。三壁山の下りも、残雪と夏道のトラップに注意して下る。スキーの着脱を繰り返すより、シートラのほうが楽になった。キャンプ場ビジターセンターは営業準備中、ちらほら連休の車がやってきて、写真を撮っては帰っていく。ここまでは電話が通じたのに、対岸右岸側のダム上では不通になっていた。腰をおろして休んでいると湖岸ハイキング中の若い夫婦が話しかけてくれて、なんと散策を終えたら野反湖南岸のコル1561に駐車してある車でお迎えに来てくれることに!嬉しい!花敷温泉のバス停まで徒歩4〜5時間かタクシーかというところだったのだけど。花敷温泉までのつもりだったけど長野原草津口まで載せてもらった。沢登りをするとのことで成瀬さんや大西さんの話やNHKのドキュメンタリの話に。とても楽しかった。幸運な出会いで、ツいてる。予期せぬ下山路だったので、どこをどう帰るか長野原の駅で調べると、高崎にでる電車よりも、北軽井沢のりかえ経由のバス路線が魅力あり、これを行く。この上信高原山麓に、昭和37年まで草軽鉄道が走っていたのを、バス乗り換え30分の北軽井沢郷土館で知った。乗客はたった一人だったのに軽井沢に近づくに連れ連休観光の人で満席に。乗り降りの支払いで到着が遅れ、軽井沢での新幹線はドアの閉まる3秒前に駆け込んだ。出発20秒前に券売機から切符が出てきたので駄目かと思った。高速鉄道で長野に連れて行かれ、篠ノ井線も特急しなので松本へ。あの浅間山麓のお客ガラガラの貸し切りバスで山と花をみながらウトウトした下山路、よかったな。先週ラジオで聞いたA Woman to left lonely (ジャニス・ジョップリン)が、山行中ずっと脳内で流れていた。
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2024-4-24 15:52 |
今日は長期山行気が乗らず、入山延期しました
北極圏のイグルー作りの動画を見て、ぼーっとしています。
今日は延期残雪でヤブが埋まる国境稜線をシールスキーとイグルーで長距離山行、という計画がたくさん。いくつもある候補から今回はこれを行こうと、昨日のうちに一週間分の食糧をザックに詰め、計画書も「コンパス」に送り、妻にはGPS通信によるトレースの手配も。 今朝は早起きして玄米飯も平らげ、さて靴を履いて玄関を出るだけという段になって、今日はやめようという気になった。気まぐれではなく、昨夜床についてからずっとのしかかってきた「山行前の重い気分」がずっと取れなかったのである。 自由であること人と約束していたり、貴重な週末の限られた時間だったり、飛行機の切符を予約でもしていたら、仕方がないから出かけたかもしれない。しかし今の自分は自由なのだ。明日に替えたところで計画書の日付を訂正するだけですむ。 列島南岸に伸びた前線のせいか、東の山裾の雲が低い。昨日もずっと雲が厚くて暗かった。天気のせいでもあるかもしれない。入山日の雨くらい、長い山行ならどうってことないはずなのだが。 延期を決めた後の家族との会話は、運命の分岐を超えた後の世界であり、さりげない話が面白い。もしかしたら聞いていなかったはずの、交わされなかったはずの話。とても楽しい。それに、山行に行く行かないを決めた自由を感じる。ぽっかり浮いた時間の自由も魅力だ。 しかしまた一晩、山行前の緊張を味わうのか。まあ出かけてしまえば楽しいばかりなのだけれども。いや、前の晩からウキウキするような時にこそ入山をするべきだろうな。いつまでも勤め人時代の、時間の限られた遊びなんかの習慣に縛られてはいけないな。人生はこれからなのだ。 I’m watching a video on building igloos in the Arctic Circle and feeling a bit spaced out. Today’s postponed.There were plenty of plans to traverse the border ridge buried in lingering snow using seal skis and igloos for a long-distance mountain hike. From several options, I decided on this one yesterday, packed a week’s worth of rations into my backpack, sent the plan to “Compass,” and arranged for GPS tracking with my wife. This morning, after an early start and finishing a bowl of brown rice, I got to the point of just needing to put on my shoes and step out the door when I felt like calling it off. It wasn’t a whim; it was the heavy feeling of “pre-mountaineering” that had been weighing on me since last night and just wouldn’t lift. To be free.If I had commitments with others, or if it were a precious weekend with limited time, or if I had already booked a flight ticket, I might have gone anyway. But right now, I am free. If I postpone it to tomorrow, all I need to do is correct the date on the plan. Perhaps it’s because of the front stretching along the southern coast of the archipelago, but the clouds in the eastern mountain foothills are low. The clouds were thick and dark all day yesterday too. It might be because of the weather. A little rain on the day of entry shouldn’t be a big deal for a long mountain hike. Conversations with my family after deciding to postpone feel like entering a world beyond the crossroads of fate, where casual conversations become interesting. Maybe stories that weren’t supposed to be heard or exchanged. It’s very enjoyable. And I feel the freedom of deciding whether or not to go mountain hiking. The freedom of the vacuum left behind by the postponement is also appealing. But will I experience the pre-mountaineering tension again for another night? Well, once I’m out there, it’s all fun. No, I should embark on the hike when I’m excited from the night before. I shouldn’t be bound by the habits of limited-time play from my days as an employee forever. Life is ahead of me.
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2024-4-18 22:03 |
ブロックが重くて硬い暖かい時期の心得 ノコギリの基本
つまづきのほとんどは、ノコギリの使い方ですいいブロックが切れないです!というケースのほとんどは、姿勢の問題が多いです。残雪期のブロック切り出しは力の使い方を間違えると、特に筋肉の少ない人はすぐ疲れてやる気が減退します。腱鞘炎にもなります、腰痛もきます。ノコギリに限らず何事も重要なのは、「大事な仕事はヘソの前20cmでやること」です。字を上手に書くときも、包丁で魚をおろすときも、合気道の技をかけるときも同じです。腕ではなく指先にエネルギーを集中できるからです。 ブロックを切るときの体の立ち位置ヘソの前20cm以内に手首があるとなぜ楽なのか?体の重心に近いから、全エネルギをノコギリに費やせるからです。脇を開き、腕を伸ばした先でノコギリに力をいれるのは無理です。距離20cmにするには、切りたい場所に「自分の身体を寄せる」しかありません。足場を進め、膝を曲げ、腰を落としたりしながら、ヘソを作業ポイントに近づけてください。そうすると、少ない力で楽にノコギリを動かせます。 切り出したブロックを持ち上げるときもヘソから20cm以内また重いブロックを運ぶときにもブロックをヘソの前10cmに近づけてから持ち上げます。これも重要です。この季節は気温が高く、宅急便大のブロックもかなりの重さになります。力があるからと、理に沿わない姿勢でブロックの切り出しを続ければいつか腰が痛くなるし、山行中なのに無駄なエネルギーも使います。ぜひ最小限の力技を覚えてください。 ブロックの前に足首を立てて正座して、ヘソをブロックになるべく近づけ、抱きかかえるようにして、自分のヘソの上に乗せるぐらい引き出してから立ち上がります。 抱きかかえるので上着全面のファスナーは上まで閉めておきましょう。懐に雪が入ると、融けて後で腹回りが濡れて寒い思いをします。 ショベルは指をいれる隙間を作るためだけの道具ブロック取り出すとき力任せにショベルを使うと、安い製品だと首が簡単に折れてしまいます。ブロックはノコギリだけで切り離し、ショベルはそのブロックを2センチ動かすのに使うだけです。2cm隙間が空いたらそこに指を入れて、ブロックを手前側に転がして取り出します。ショベルを軽く刺し入れてもブロックがコトコト動かなければ、切れ目が奥でつながっていません。もう一度ノコギリで切れ目を合わせてください。コトコト動くのに出てこないときは、ハの字切りに問題があって引っかかっています。もう一度、表開き、上開きの方向に切れ目を入れ直してください。 気温高く落ちやすいので屋根材は厚いものをこの季節は午後の高温時間帯に、せっかく作った屋根が融けて落ちることがあります。屋根のブロックも20〜30cmの厚みのある大きなものを使えば、融けずに済みます。気温の低い時期は薄いブロックを乗せただけでも大丈夫なのですが。大きく重いブロックは不安定ですが、案外ブロック同士のくっつきが良く、大胆に内側にせり出しても、安定しています。サイコロ型のものだけでも屋根を塞げたりします。 今週は、みなイグルーを仕上げたあとは気温も高く風もないので、外にテーブル席を掘ってビールと鍋、月と星を楽しみました。最後にそれぞれ個室に戻って、戸締まりもおろそかに就寝。一人は外でゴロ寝しました。寒くなったら入ろうと作っておいた大集会室イグルーは作ったけど使いませんでした。 Most stumbling blocks come from improper sawing techniqueMany cases of ‘can’t cut good blocks!’ stem from posture issues. Cutting blocks during the lingering snow season can quickly exhaust those with less muscle, leading to decreased motivation. It can also cause tendonitis and back pain. Whether it’s using a saw, writing neatly, filleting a fish, or executing an Aikido technique, the key is always the same: ‘Do important work within the first 20cm below the navel.’ This allows you to focus energy on your fingertips rather than relying solely on your arms.” Body Position When Cutting BlocksThe reason it’s easier to have your wrists within the first 20cm below your navel is that it’s closer to your body’s center of gravity, allowing you to expend all your energy efficiently on the saw. It’s impossible to exert force on the saw effectively by extending your arms outward. To bring your position within 20cm, you have to “bring your body closer to the work area.” Advance your foothold, bend your knees, lower your hips, and get your navel as close to the work point as possible. By doing so, you can move the saw with minimal effort. When lifting the cut block, keep it within 20cm from your navel.Similarly, when carrying heavy blocks, bring them within 20cm in front of your navel before lifting. This is also crucial. During this season, with the temperature high, even a block the size of a parcel delivery box can become quite heavy. Continuing to cut blocks with improper posture, relying solely on strength, will eventually lead to back pain and wasted energy during mountain trips. Be sure to learn minimal-effort techniques. Sit in seiza (sitting on your heels) with your ankles in front of the block, bring the block as close to your navel as possible, and lift it as if hugging it, then pull it out and stand up. Make sure to zip up your jacket completely to prevent snow from getting into your pockets, as it will melt and make your waist area wet and cold. The shovel is only a tool to create space for your fingersWhen extracting a block, using the shovel forcefully can easily break the neck, especially with cheaper products. Use the saw to detach the block, and use the shovel only to move it 2cm. Once there’s a 2cm gap, insert your fingers there, roll the block forward, and remove it. If the block doesn’t budge even after lightly inserting the shovel, the cut is not deep enough. Realign the cut with the saw. If it still doesn’t move smoothly, there may be a problem with the notch. Realign the cut in the direction of the tab. Since the temperature is high and prone to melting, use thick roofing materialDuring this season, there’s a risk of the roof you’ve carefully crafted melting and collapsing during the warm afternoon hours. If you use blocks for the roof that are 20-30cm thick, they won’t melt. During colder times, even thin blocks are sufficient. Large and heavy blocks may seem unstable, but they surprisingly stick together well and are stable even when protruding boldly inward. Even dice-shaped blocks can be used to cover the roof. This week, after everyone finished their igloos, the temperature was high and there was no wind, so we dug outdoor table seats and enjoyed beer, hot pot, the moon, and the stars. Finally, everyone returned to their individual rooms, neglecting to secure the doors and went to sleep. One person slept outside. Although we made a large meeting room igloo just in case it got cold, we didn’t use it. |
2024-4-17 11:15 |
甲府岳心会とイグルー講習@遠見尾根
遠見尾根・地蔵の頭は雪山練習の人気場所今期最後のイグルー講習会は、遠見尾根地蔵の頭でした。ここはリフトを降りて5分で行ける講習適地。先月も来たときも、別のチームが雪崩捜索訓練や冬山宿泊練習をしていました。1989年の雪崩事故も、ここのすぐ脇の小さな沢の対岸の急斜面でした。長野県の山岳連盟や山岳会がよく使うし、よくテント泊するところです。 イグルー講習をやるなら無垢の積雪地がよいので、平らなコルから少し離して急斜面に上がり始める傾斜地で行いました。前に人が掘ったりした後だったりすると、ブロックがきれいに切れないからです。傾斜地だろうと雪稜だろうとイグルーはできるのです。 8年ぶり岳心会とイグルー前回講習をしたときの隊長・今村さんと、今回はゲンキなヤングが+5人。そのうち一人は北大山岳部の8年目OBで、クライマー巡業中の竹中源弥さん。来週からデナリ・カシンリッジに行くってことで、「里にいてもキンチョーなので」来たとのこと。この春から甲府にやってきたのだそう。一昨年はペルーアンデスの難峰タウイラフの細い雪稜でイグルーに泊まってクライミングしてますよ。 山梨大山岳部3年の八木さんが参加。10年前イグルスキーの甲府在住時代、山梨大山岳部員とよくイグルー山行をしました。富士山でイグルーはキツいなあ!と知ったのもこの頃です。雪少なすぎ、風強すぎで、作れるけど隙間から粉雪ぶち込まれまくりなんですよね。 コロナ禍の3年間で部員活動が制限され、山梨大では先輩とのつながりは絶えてしまっていて、いま孤独に部の再興を一からやり直しているとのことです。また梨大にイグルー山行仕込みたい。対象的に北大山岳部は、大学当局や世間の自粛ムードをなんとか乗り切って、山に行き続けていた模様。人に会わない北海道の山、コロナだからって行かない理由にならない。このコロナの乗り切りの件は、来たる100年記念誌でも振り返りたいテーマです。 はじめ大きく作りすぎたけど、後半逆転勝利ゆかこさんのイグルーははじめちょっと大きく作りすぎ、しかも二段目くらいから大きなブロックが取れず、形の悪い小さいのばっかりでした。本人も半ば諦めてました。 しかし深さ30cmのトレンチの掘り方をちゃんとやって見せるとコツを掴み、後半は特大イグルーがバンバン取れるようになりました。時間はかかったけど、ブレイクスルーを見ました。 放射状イグルー団地を設計一人一つづつイグルーを作り、それを中央の大きな集会用イグルーにトンネルでつなぐという計画でやりました。まずイグルスキーが一人用個室を40分でデモ。その後みんなが個室を放射状に作る真ん中に、イグルスキーが再度大きなイグルーを作ります。積雪は1.5mくらいだったので、下部に1mは掘れる見込み。傾斜地なので上のイグルーはちょっと高いところからこんにちはとなります。実際は夜暖かく、外のテーブル席で遅くまで広々談話したので、そのまま個室に入ったので、大きなイグルーは使いませんでした。寒い時期はここに入りこんでみんなで体育座りで談笑です。 翌日もみな一個ずつ作って技を確認し、山の話や世間話に大いに盛り上がり下山しました。スキー場の雪はかろうじて下までつながっていました。 次回は暖かい時期特有のイグルー作りポイントをまとめまて書きます。 Tohmi Ridge, Jizo no Kashira, a Popular Spot for Snow Mountain TrainingThe last igloo building training session of the season took place at Jizo no Kashira col on the Tohmi Ridge in Hakuba. This is a training site accessible with a 5-minute horizontal walk from the lift.Last month, another team was conducting avalanche search training and winter mountain camping practice here. The site of the 1989 avalanche incident was on the steep slope just across a small stream from here. It’s a place frequently used by the Nagano Mountain Federation and mountain clubs, and it’s also common for tent camping. For igloo building training, it’s best to have untouched snow, so we conducted the training on a steep slope slightly away from the flat col. This is because if the snow has been previously disturbed by someone else digging, the blocks won’t cut cleanly. Whether on a slope or a snow ridge, you can still build an igloo. Igloo Building with Gakujin-kai after 8 YearsThe leader from the previous training session, Mr. Imamura, was joined by energetic young participants plus five others. One of them is Genya Takenaka, an 8th-year alumnus of the Hokkaido University Mountaineering Club, currently immersed in alpine climbing and striving to conquer challenging walls.He mentioned feeling nervous even in civilization because he’s heading to Denali’s Cassin Ridge next week. He just arrived in Kofu this spring. Two years ago, he camped in an igloo on the narrow snow ridge of the challenging peak Taulliraju in the Peruvian Andes. Mr. Yagi, a third-year member of the Yamanashi University Mountain Club, also participated. Ten years ago, during my time in Kofu, I frequently went on igloo camping trips with members of the Yamanashi University Mountain Club. That’s when I realized how tough it is to build an igloo on Mt. Fuji! There’s either too little snow or too much wind, so even though you can build it, you end up with powder snow blowing in through the gaps. Over the past three years of the pandemic, club activities have been restricted, and there has been a loss of connection with the seniors at Yamanashi University.? He mentioned that he’s currently working alone to rebuild the club from scratch. I also want to organize igloo camping trips for Yamanashi University again. In contrast, it seems that the Hokkaido University Mountain Club has managed to continue going to the mountains despite the university’s restrictions and the societal mood for self-restraint. They have found ways to overcome the challenges posed by the pandemic. This overcoming of the pandemic challenges could be an interesting theme to reflect on in the upcoming 100th anniversary publication. Yukako’s Big Igloo Comeback VictoryYukako initially made her igloo a bit too big, and she had trouble removing large blocks from the second tier, resulting in small, misshapen blocks. She was about to give up. However, after demonstrating the proper technique for digging a 30cm deep trench, she grasped the method and was able to remove extra-large blocks easily in the latter half. It took some time, but she had a breakthrough. Designing a radial igloo colonyI proceeded with a plan to individually construct igloos, each connected to a central large assembly igloo via tunnels. First, I demonstrated building a single-person igloo in 40 minutes. Then everyone made their own individual igloos radiating from the center, and? I built the large center igloo again. Since the snow was about 1.5m deep, we estimated that we could dig about 1m down. Because of the slope, the upper igloos ended up being a bit higher. In reality, it was warm at night, and we had lively conversations at the outdoor table seats until late, so we ended up not using the large igloo. During the cold season, we could all huddle in there and chat while sitting on the ground. The next day, everyone made one igloo each to confirm their skills, and we had lively conversations about mountains and worldly matters before descending. The snow on the ski slope barely reached the bottom. Next time, I’ll summarize the points of igloo building specific to warm weather.
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2024-4-14 12:16 |
ニセコアンププリ北面
ニセコアンププリ北面(山滑走/積丹・ニセコ・羊蹄山)日程:2024-04-14(日帰り)メンバー: saito1987コースタイム:写真:五色温泉から浅い沢型から夏道の1010mコルに上がる北面滑るイワオヌプリとワイスザラメの滑降頂上羊蹄900〜800mあたりで北面からトラバース気味に峠へ戻る感想:ザラメ雪を滑りに。まだまだ雪あります。
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2024-4-9 12:21 |
《筑摩山地》渕東駅〜鉢盛山(北尾根から)〜烏帽子岳〜御馬越
《筑摩山地》渕東駅〜鉢盛山(北尾根から)〜烏帽子岳〜御馬越(積雪期ピークハント/縦走/槍・穂高・乗鞍)日程:2024-04-05〜2024-04-07メンバー: yoneyamaコースタイム:コース状況/その他周辺情報:雪は標高1700m以上。あとはヤブのシートラ写真:霧の中、道といえば道だ。結局なんとなくヤブに覆われてはいなかった。昭和8年の雪崩災害 被害人数は不明雪、全くなし。シートラして地下足袋登行。20kg+スキー1941はトラバースしようとして笹薮にドハマリする。コルまで来て振り返ると、なんだ雪の廊下続いているんじゃん!これはこれですべりにくいけど 巨大なサルノコシカケのようなもの以前は学校ができるくらい人が多かった産業があったということだ。常念岳がチラリ入口を壁で埋めてふさいだところ乗鞍岳だ案内は整備されている花束のような春の小枝一人用なので狭い古い感じのお地蔵山形村最高点のところ。木曽からの峠越えルートなんだな。鉢盛峠。600m降りた。奈良井川、木曽川乗っこし峠足りない分は右後ろから運んできた。1830年代って人口賄うために米作増産時代なのだ。鍋冠山でも見た。この越境水路計画寝坊した朝これから向かう2020と烏帽子岳。その後ろの波々の山並みがすごく美しい。天井田村堂大きなダケカンバありハト峰南側斜面は日当たりもよく笹だらけ。笹の上を荷物20kgの横滑りスキーで敢行する。後半あきらめシートラサルオガセかなり凝った祠朝、町に行く便しかないかあ40年前の記憶にある、プレハブの小屋。まだ在ったのですか!中央アルプスと経ヶ岳樹間から見えるのは、塩尻から広丘のあたりかな。白くでかいのはエプソン工場ではないかなほとんど山城でござる。一番上に白山堂、その取り付きが田村堂完成本堂のあたり力を振り絞って山頂へ、御嶽山が。その後ろは杉の木立だったようだ足が冷たくて登山靴に履き替える木曽義仲公ここにも?あの峠を超えるのかな。2月28日の鉢盛山御岳までの森林帯も課題ウサギ頭忽然と現わるる山小屋。△2064には北面から林道が伸びてきているのでここまで車で来ちゃうんだろうか。もう疲れ果てた。ここらでイグルー作りたい、浅間山だって見えるじゃないか穂高や常念や焼岳も。なんとなくブル道っぽい鉢盛山を振り返る2022峰はオンダシ峰っていうのか。コロナイヤーだ。盆地全域が見えている南アルプスと八ヶ岳若沢寺滅亡後の散逸した寺宝あり40年前からある反射板。高校生の時、タケイが登った。いよいよ若沢寺への山道へ最上段、田村堂ブロック供給場所乗鞍岳が見えるようにカラマツが刈ってある。見えたのはここだけ。若沢寺の名残2064から上はシラビソとコメツガの針葉樹林にガラリと変わる。これまでは延々カラマツだった。隙間から夕暮れよる、雨予報だったのでタープかけといたけどたいして降らなかったそろそろ登るのが嫌になった頃、吹き溜まりを見つけてイグルーつくる。3.28の鉢盛山若沢寺とは美しい立体のオニグルミ烏帽子岳と、結局下ることになった下降尾根庚申塚スキーは履いたり担いだり。下から二段目の郭雪は出てきた、少しだけとても良い斜面だがころんだ。こういう狭くて硬い急斜面を20kg背負って横滑り朝ご飯。40分でできた。積雪30センチでもできる。坂上田村麻呂様の田村山頂烏帽子岳1952m。松本からもよく目立つ三角の峰白山山頂祠のみ面倒くさいからスキーで落ち葉を登るこんな感じの残雪です石垣笹が増えてきたサルオガセ穂高翳っちゃった笹と雪のミックス斜面寝坊した朝こういう感じだが雪はかろうじてつながっているさーはいろうはいろう一番下の郭ハト峰から東のみ見える。カラマツ三本が伸びてきている。左が八ヶ岳、右が南アルプス2022からの斜面は割とスキー快適。カンバまばらで雪も少し融けた。松本盆地南部のあたりが見える落ち葉などがトレースに貯まるのはなぜ?ダケカンバの皮が1000円札に見える。焚き火のとき必要町石説明コルまで降りた河岸段丘、上の段にある田村堂の仁王くぐり誘うポスター仁王像は若沢寺ではなく西光寺とのこと標高1450m石碑にしては字がない。何かの標識か。また撮影南無阿弥陀仏上高地線渕東駅(えんどう)坂上田村麻呂様の田村奥に見えるのは経ヶ岳と坊主山かな。あっちも雪は終わっているかなんとなく続く道風はそよ風その右側。経ヶ岳の手前のくろぐろした山並み、雪なさそうだ。本当はあれ全部歩いて奈良井宿までの予定よく働いた明治4年、廃仏毀釈のため滅亡そこからの眺めかかとの靴擦れも痛いし、足首も空が干渉して痛い。自由な地下足袋に履き替えると、生きかえった気分。ザックは重くなる。雪も絶えいよいよシートラを覚悟 標高1700m鉢盛峠。600m降りた。奈良井川、木曽川乗っこし峠。ここからまた登る。寝坊した朝そろそろ下る若沢寺の名残感想:一日目 曇り・ガス ●若澤寺から入山上高地線・渕東(えんどう)、超無人駅、初めて降りた。スキー担いで地下足袋で。駅周辺は田畑だが、河岸段丘一段上には古い集落。雀脅し付きのお屋敷も多数あり。田村堂にて、明治4年の廃仏毀釈の嵐で滅亡した古刹、若沢寺(にゃくたくじ)の名残を見学。そのままスタスタ歩いて若澤寺古蹟へ。奈良時代からの古刹で中世には修験、近世以降は武将、藩主の庇護で「信濃日光」と大いに栄えたが、明治4年の革命の嵐で哀れ滅亡した幻の大伽藍建造物群の跡地。ほとんど山城だ。栄枯盛衰。松本藩の廃仏令は藩主自ら菩提寺を叩き壊してその木材で開智学校を作った。●白山から清水分岐若澤寺の最上部田村堂から白山へは道といえば道かもしれない程度の杉林を地下足袋めり込まして急斜面をシートラ登行する。温暖化で、こういう入山が増えた。白山は、下で見た絵図では大きな社が描かれていたが今は石の祠一個。依然雪はないが、湿った地面で濡れた地下足袋の指先が冷たくて、登山靴に履き替えた。最近、趾が冷えやすくていけない。当初ここから先は雪を期待していたが、もう無い。それでも笹薮もそうひどくなく、なんとなくの踏み跡もあり延々進んでいく。松本市内から見上げたあの長大で緩やかな尾根の上を進みゆく。濃霧の上に樹林は絶えず、展望はなし。もう少しで清水分岐というあたりで、良い吹き溜まりを見つけ、イグルーを作る。積雪は周囲20cm、そこだけ30〜50cmって感じだが、一人分なら作っちゃうよ。宅急便大のブロックだけでゴンゴン積んで作る。こういう季節は高温で溶けるし雨も降るので、薄いブロックは駄目だ。厚いから重くて、長いのはできないけどくっつきやすいから内傾は容易。昔よく作ったタイプだ。二日目 雲海 晴れ ハト峰と鉢盛山ハト峰まで登り始めてすぐ清水分岐。鉢盛山って山形村朝日村方面だけど、山形村の最高点はここで、村内には顕著なピークがないんだ。ここからはカラマツ林を切り開いて、乗鞍岳方面だけが見える窓のようになっていた。こういうの、いいと思うよ。傾斜は強まらず、延々カラマツ林をスキー摺り足で進む。還暦定年退職向きのロングコースだ。幽玄なサルオガセの森をとおる。晴れて遠くの山も雲海の上のようだが、樹林で見えない。ハト峰山頂は東側の木が刈ってあり、雲海の上にヤツ、甲斐駒仙丈ヶ岳が見える。遠くて緩い良い山。●南面の雪は無いハト南面の急傾斜は、雪が融けて笹薮。笹薮横滑りスキーは得意技だが、完全にヤブコギに。後半はシートラして降りる。コルから次の1941は西側を迂回してズルしようとしたらやはり南面急斜面の笹薮をトラバースする羽目になりこりた。素直に上を行けば南面も東のヘリだけは雪がつながっていた。コルから振り返ったら気づく。●控えめな展望樹間からときおり、松本盆地南部の様子が垣間見える。その向こうには高ボッチやヤツ、浅間山と、盆地の底では見えない遠い世界が多層的に見える。これが見たくてこういう山行をするのだ。△2064の下の斜面は、それまでのカラマツが消え、急にダケカンバの疎林に。展望も良くなり穂高や常念が見え始めて、ここらでイグルーでも作ろうか、と思ったころに避難小屋現る。裏側の林道が通じていたのだ。簡素な作りだ。積雪期は想定外みたい。もう少し先に行くか。そこから山頂まではシラビソやコメツガの気持ちの良い針葉樹林に。これがこの山の本来の植生か。イグルーは展望の良いところがいいと、少しずつ進める。40年前に見覚えのあるプレハブの小屋も過ぎ、その上の急斜面を過ぎ、結局山頂の反射板の脇まで。穂高も常念も乗鞍も御岳山も見えるのはここだけだった。積雪は1mほどあり、楽勝で棺桶型を作って眠る。きょうは湯たんぽを象足の中に入れたので朝まで安眠した。深さが雪面下90cmなので隙間が空いていても風は上を抜け、横になっていると全然寒くない。三日目 晴れ●分水尾根で意外とスキーイグルーを出て奈良井川・木曽川の中央分水尾根を下る。樹林だし、結構方角決めが難しい。急斜面でかなり硬いのでスキーを担ぐ、念の為持参のクランポンもつける。狭くて傾斜のある尾根を少し下ると標高のせいと時間のせいで潜るようになり、スキーに替える。笹半分、硬い雪半分の傾斜ある狭い尾根で、横滑り多用で結構厄介。半分位から下は、尾根直下の北側面を突いて滑り、あっという間にコルへ滑り下ることができた。こんなとこ滑る人、いないだろ。2022への登り返しは傾斜もゆるく雪もかろうじてつながっていて孤独で自由な深い山を味わう。2022からのスキーも案外楽しく滑った。期待していなかった楽しいスキーの場面は、とてもラッキーに感じる。烏帽子岳は、松本から見ると鉢盛に次ぐ特徴的な山頂だ。ぜひこの稜線を歩いてみたかった。登りも降りも今山行中、最大の傾斜でおっ立っている。●行程半分で下山を決める烏帽子岳で最終判断。計画ではここから延々標高を下げて奈良井宿までだが、きょうのペースだとあと1.5日はかかりそう。飯も時間もあるが、この先は雪が消え、シートラヤブコギになりそう。このルートは行きたいがあくまで雪を踏んで行きたい。今年は3月に来られなかったのが敗因だろう。ここに来て電波が通じ、エスケープの北尾根から御馬越に下山する旨を伝える。下降尾根の東側面の真っ白な斜面をスキーで下る。登山靴のグラグラ足首と、ザブザブの雪質はかなりハイレベルだが、それなりに愉快に降った。尾根と脇の側面を乗ったり逸れたりしながらスキーで降り、ヤブ6割くらいになったあたり1700mでシートラに。1550mで地下足袋に替える。登山靴は20年ものだけど、かかとの内側の内装が剥がれ、必ず靴擦れができる。今回も500円玉大の皮が破れた。もう買い替えかな。地下足袋で地面を踏みしめると、生き返った気分だ。背中は重くなるけど。ザックの後ろに立てに挿したストックが50回くらい枝に引っかかり、角持った鹿の気分だったが、どこかで一本ヤブに持っていかれてなくしてしまった。自作の竹ストックだ。痛恨。道は踏み跡程度だが、迷いやすい広い尾根には目印テープが的確にある。●御馬越(おんまご)尾根末端には木曽義仲由来の祠があった。ここは、あの峠越えルートで木曽の味噌川との直結ルートだ。中世には重要だったのだろう。調べてみたい。御馬越という地名も義仲起源に違いないだろう。タクシー呼んで、歩き始め、スキー場近くで出会う。洗馬を通って塩尻駅まで。このあたりは初めて通る。塩尻は段丘の取り残された桔梗ヶ原台地の上だ。水は乏しかろう。そこが近代に都市にならなかった理由かもしれない。駅で立ち食いそば。42年前、高校二年の冬、御馬越まであったバスで来て、一人野俣沢林道から鉢盛山に向かった。誰にも雪山登山を教わらず完全に一人で始めた。丸一日、膝までのラッセルがきつくて、行こうか帰ろうかずっと考えて、林道半ばで引き返した。夕方の最終バスにかろうじて乗って帰り、翌朝熱を出した。その後、鉢盛山は何度か登ったけれど、町から鉢盛を見るたびその時を思い出す。もうバスもとっくにないし、授業をサボって山に行くのを放っておいてくれた担任の先生も、この前亡くなった。
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2024-4-8 9:59 |
十勝と日高を繋ぐ/D尾根から狩勝峠まで
十勝と日高を繋ぐ/D尾根から狩勝峠まで(積雪期ピークハント/縦走/十勝連峰)日程:2024-04-05〜2024-04-08メンバー: zeniya1990 Yanke1987コースタイム:写真:しばし、休憩いったん登り返し翌朝、快晴気温上がり雪緩む、ザラメの滑降こっちは(左から)東大雪、石狩、二ペソツ、丸山、ウペペが並ぶ4日目朝、狩勝国道と雲海の十勝平野(ピンぼけ)D尾根、化物岩、風強い境山の白い南斜面とコルの湿原樹間からオプタテガリガリ斜面を滑降芦別方面D尾根下部登る本峰をバックに太麓山とトウヤウスベ十勝連峰方面を振り返るシーズン終了したサホロスキー場特急十勝で札幌に帰るタクシー待ち椎空知山近ずくこれから向かう方向をのぞむ、てっぺんが白い椎空知山と佐幌岳、彼方に日高が霞む林道に出た、下ホロを南から見る下ホロ南斜面の白い一本の縦筋が印象的下ホロが見えてきた崖尾根小屋着シーデポに戻る尾根型がはっきりしてきた三峰ーH(上富良野岳)間コルから広がる大斜面その右方、前富良野と富良野岳時折視界が開けるここからだと山名の同定困難、芽室、オダッシュ、狩振はわかる3日目の朝椎空知山についた、向こうのより高いポコを越えなければならない佐幌方面に向かう、ここより高い無名峰下りの尾根、日高らしく細くなってきた、下ホロ登る1下ホロピーク135度斜滑降の途中、下ホロの東斜面狩勝峠まで最後の滑降(左から)美瑛、オプタテ、トムラウシ下ホロ登る2感想:D尾根から始まり下ホロ、椎空知山を経て狩勝峠まで歩く。初日のD尾根は視界なくツェルトで時間待ち、八つ手のコル少し下くらいまでスキー(シーアイゼン)で行けた。主稜線は体がふらつくほどの爆風。三峰から原始ヶ原への滑降は真っ白な大斜面の中、時折視界がなくなると滑っているのか止まっているのかわからなかった。2日目は良い天気、境山とのコルを経由して下ホロに、1480くらいまでスキーで行けた。ピークには空身で往復。これまで遠くからまたいろんな方向から見ていた下ホロにようやく立てた。シーデポから時計回り135度の円弧状斜滑降、三点鎖線を超えたあたりから斜面を滑る。林道を少し歩いたあと、目印のない平坦な尾根をひたすら南に磁石をきって進む。今夜も焚火、お湯をガンガン作り喉を潤す。3日目も快晴、椎谷空知が近ずくと尾根がはっきりしてきて磁石を見る回数が減る。今日も暑い、ペットボトルに入れた焚火で作った水を飲むが焚火臭い。よく見ると茶色に濁っていて細かいゴミもいっぱい。こんなもの飲んでいたのか。佐幌岳まで2,3回シール外した。小屋は薪ストーブがあり快適、異臭のないお湯を飲みまくる。4日目、狩勝峠に向けてガリガリ斜面を滑るが時間がたつと雪緩みザラメとなる。峠の自販機でペットボトルを飲むと、もういいやという気になり下山。当初は新得まで歩く予定だった。
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2024-4-3 12:33 |
スバリ岳中尾根単独
スバリ岳中尾根単独(アルパインクライミング/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-30〜2024-03-31メンバー: nrtk7写真:核心中尾根は真ん中のやつ核心ピッチ核心ピークここのトラバース悪かったちゃんと冬ちょい悪M5くらい?感想: 最近またソロが面白くなってきたので、去年赤沢岳大スバリ沢奥壁を登りに行ったときに見えて気になっていたスバリ岳中尾根にひとりで行くことにした。Day1 今日はアプローチなのでゆっくり起きて4時間ドライブで大町へ。日向山ゲートに駐車して何気に通い慣れた道路歩きで扇沢ゲートへ。去年の同時期より雪は多い気がする。気温高すぎてズボズボの尾根を登る。スノーシュー持ってきてよかった。稜線直下のテンバ適地にザックを置いて中尾根を見に行く。稜線は風強い。テンバに戻ってブロック積んでテント張ってC1。しかし夜中は風が強くテントが顔をはたいてきてあんまり眠れなかった。イグルーにするべきだったか。Day2 朝方は爆風に加えガスガス、雪も降っていたのでテントで待機。これは敗退か?と思ったが6時ごろ視界出たので出発。しかし風は強い。適当なところから沢型をトラバース気味に下降して中尾根に取り付く。あまり情報がなくどこを登るのかは現地判断で楽しい。最初は?〜?級なのでフリーソロ。たまに?級くらいのところが出てきたのでカムにセルフかけながら登った。ガスガスビュービューなので壁はベルグラ張ったりしていて結構冬コンディションでいい感じだが、たまに爆風にあおられそうになって緊張した。積み木みたいなところをトラバースしたのも痺れた。5ピッチ分ぐらい進むと核心っぽい岩塔。流石にロープ出す。氷交じりの凹角を登って被り気味の右トラバースをすると垂壁。登ってハングに頭を抑えられたところをジャミングとカチとリスフッキングで左トラバース、そのままのっこして終了。結構面白い。これを越えると簡単な歩きでピーク。時間あったので針ノ木岳まで行こうかとも思ったけど天気悪いのでやめた。下り始めると右膝が痛くなってきた。ゆっくり下りてテンバで荷物を回収、足を引きずりながら下山した。埼玉までのドライブはクソ長かった。
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2024-4-3 1:58 |
甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁中央稜
甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁中央稜(アルパインクライミング/甲斐駒・北岳)日程:2024-03-09〜2024-03-10メンバー: nrtk7写真:中は快適いい天気だねえ1p目岩小屋完全に埋まってた。3p目。なんか崩壊してる?奥壁感想: 赤石沢奥壁左ルンゼに行きたかったがパートナーが見つからなかったので中央稜をソロで行くことにした。Day1 実家にC0して出発。黒戸尾根をえっちらおっちら登る。途中でクライマー2人を抜いた。ルート被ったらいやだなとか思ってたら知り合いのIさんとYさんだった。左ルンゼに行くとのことで安心。特に急ぐ理由も無いので世間話をしながら一緒にまったり登った。しばらくして上から降りてきた登山者とすれ違ったと思ったら♯上だった。ウケる。その後花谷さんにも会った。知り合いばっかだな。七丈小屋以降はトレースなく、膝ラッセル。3人で交代しながら進む。正直1人だったら諦めてどっかで泊まってた。八合目に着くが岩小屋が見当たらない。3人で探すがよくわからない。最終的にI田さんが夏に泊まったときの風景からここら辺じゃね、と推定したところは完全な雪。掘ってみたら洞窟が出てきた。これはオンサイト不可能。I田さんたちはテント泊予定らしいが僕はテント持って来てなかったので見つけられなかったらつらい夜になるところだった。Day2 岩小屋は快適だった。横断バンドすこし行って雉撃ちしてたらI田さんたちも来た。彼らは爆風でほとんど眠れなかったらしい。トラバースして彼らと別れて登攀開始。 最初は簡単そうだったのでロープ出さずに行くが、10m程登ると細かくなってきたのでカムにセルフかけながら登った。トポ上の1p目を登ってから2p目をフリーソロ。3p目は流石にロープ出して行く。この時期は少し雪で埋まっているので1月とかよりも核心の出だしが高くなっていて簡単な気がする。あとなんか最近崩壊したっぽい見た目だった。快適に登って懸垂で下りているとYさんが。左ルンゼはコンディション悪く転戦してきたそう。何かぜんぜんソロっぽくなくなっちゃった。4p目のワイドはキャメ3番までしか持って来てなかったので全くプロテクションがとれずモジモジしてたらYさんたちに追いつかれた。待たせるのもあれなのでクライムダウンして先を譲った。そのときムーブ見てしまったのもあり普通に登れた。その後は雪壁。全部I田さんがトップを行き、僕はYさんとのんびりお話をしながら登った。ソロとは。流石にずっとついていくのもあれなので途中で抜いて尾根にトップアウト。ピーク踏んで3人でおしゃべりしながら下山。黒戸尾根はやはり長い。実家に泊まって翌朝帰宅。思っていたのと全然違う山行になったけど楽しかったのでヨシ!
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2024-4-1 0:49 |
イグルーにタープ、ツエルト、テントを組み合わせる
18泊の日高全山縦走でのイグルーは4泊。あとは?前回紹介した先週の北大山岳部OB中川凌祐さんの全山縦走山行でイグルー泊は3ヶ所4泊でした。中川さんはイグルー作りは慣れていて、すぐに作ってしまいます。なのになぜテントを持って行ったのか訊いたところ、丁寧にこたえてくれました。 山行記録: 日高山脈主稜全山縦走(芽室岳~楽古岳~襟裳岬) 2024年03月06日(19日間) 日高山脈, 積雪期ピークハント/縦走 / Nakagawa2019の山行記録 www.yamareco.com ?イグルーでは濡れが乾かないイグルーだと製作時にウェアが濡れ、寝てる時に吹き込みによりシュラフカバー等装備がどうしても少し濡れてしまいます。長期戦を考えると濡れものは重くなるし不快なのでそれらをしっかり乾かしてから進みたいのですが、冷えにくいけど暖まりにくいイグルーだとストーブを炊いても乾きにくく、ガスが勿体無いと考えました。テントの場合濡れは行動中に生じるもののみで、ウェアは炊事しながらの着干し、グローブやソックスは上に洗濯バサミで吊るしておけばほぼ乾きました。 確かにそのとおりです。イグルーは、ストーブをたいてもテント内が暖まるようにはなりません。吹き込む粉雪も、不評です。この「濡れ」をどう受け入れるかですね。 ?風の弱い支尾根に降りてテントを張る選択肢悪天や緊急時に風下の支尾根に逃げ込んでテントを張るという選択肢を持っておきたかったという点です。実際降ろすかどうかは別にして、そのような状況下で様々な選択肢を持っておくのは単独行において精神的に良いと感じました。今回、C6=C7,C9はそのような使い方でした。支尾根に下ろしてイグルーよりテントを使うのは1つ目の理由が大きいです。 選択肢を多くするため。これもわかります。 ?キツい行程の最後にイグルー作るのが辛いときもある30kg以上の荷を背負い10時間を超えるような行動をした後イグルーを作るというのを連日やるのは身体的に厳しい気がしたからです。特に腰が怖いです。勝亦さん*も全山の際、腰を痛めイグルー製作を断念した日があったようです。 重いブロックを扱う作業です。たしかに重心の配り方を誤ると痛くなります。私も講習会で一日に5つも6つも作って見せるときなどは腰に不安を感じます。単独の長期山行ならではのリスク想定です。*北大山岳部で2015年に日高全山縦走をした勝亦浩希 重さ・雪壁作り・朝のテント撤収のデメリットそれらのメリットとデメリットを天秤にかけて最終的にテントを持っていく判断をしました。再挑戦を考え始めたのは昨年の8月くらいだったと思いますが、そのタイミングでテントを持っていくのは決めてました。なので多少重くなっても背負える身体を作り、入山したら朝はイグルーの時より睡眠時間を少し削って解決しました。 イグルーといえども強風の場所では徐々に壁が削られます。特に強風のために積雪が無いくらいハイマツや地面が近くに見えているような所は、今はイグルーを作れる積雪があっても多少風向きが変わると、雪が削り取られる可能性があります。 強風地帯の3ヶ所はイグルーが頼りだった去年はイグルーが目的になってしまっていた感が否めませんでしたが、今年は前進のための武器として使えたと考えてます。今回イグルーを採用したタイミングは、吹きさらしで強風地帯のカムエク手前、ナナシの吹上の1823峰、2つ玉低気圧襲来で停滞した神威手前でしたが、どれもイグルーを作る労力を費やす価値のある局面だったと思います。 暴風雪でのテント泊はブロック壁で風を防いでもテントへの雪の吹きだまりは避けられず、積雪で押しつぶされないよう夜中でも除雪しなければなりません。イグルーはこの点が非常に優れています。中川さんはイグルー経験を自信にして、この強風帯を進めることができたといいます。 イグルー+テントイグルー内テントうまくいきました。動機はせっかくテント持っているしイグルーと組み合わせて双方のメリットを組み合わせた快適空間で停滞し身体を休めたかったからです。結果としてテントは一切風に煽られず、内部はポカポカ、ちょっと入ってくる吹き込みはテント膜が遮断という思い描いた通りになりました。黒部横断で雪洞テントがよくやられるそうですが、それやるならイグルーテントの方が積雪少なくても可、短時間で作れる、生き埋めや酸欠の心配は少ないといったように有効なんじゃないかと思いました。 イグルスキーも初期の頃、イグルー+テントやりました。4人用エスパースだったので、巨大イグルーになりました。いまは、テント持って行くほどの動機がないのでやっていませんが、確かにテントを持って行っているのならハイブリットで最強です。 イグルー+タープイグルスキーが最近やるのは、タープをイグルーの外側にかぶせて、四隅の紐をピッケルやストックやハイマツに縛って固定する方法です。隙間からの吹き込みが無く、気温の特に低い夜は暖かく過ごせます。 イグルー+ツエルトイグルー内にツエルトを張る方法を考えました。ツエルトは必携品だから、憶えておきましょう。8割ほどイグルーを作ったら、ストックを、ツエルトのベンチレーターに通した後、ストック2本をバンドなどで2ヶ所で縛り、長い梁を作ります。梁を、イグルーの入り口方向に向けて壁にかけ、残りの屋根を塞ぎます。前後の張り綱はストックに沿って外に出しておきます。梁があるから、屋根も塞ぎやすくなります。イグルーが完成したら、中でツエルトを広げ、梁綱をブロックの隙間から外に出して、周りの雪の中にハイマツの枝などに絡めて埋めて固定します。ツエルトの側面の梁綱も、ブロックの隙間から外に出して張ります。こうすると、イグルー内ツエルトが張れて、ストーブを焚けば暖かく、隙間からの吹き込みも防げるハイブリッドイグルーができます。 |
2024-3-31 10:39 |
濃昼三山スキー縦走(濃昼岳〜円錐峰〜幌内山)
濃昼三山スキー縦走(濃昼岳〜円錐峰〜幌内山)(山滑走/増毛・樺戸)日程:2024-03-30(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987コースタイム:写真:一気に沢底まで明日行く幌内山方面濃昼川〜中ノ沢川沿いに続く林道を経由して濃昼岳南西の尾根へ取付く幌内山の北スキーの快調そうな尾根を滑る円錐峰から濃昼岳このあたり東向き斜面にはオープン斜面が多くみられる群別岳が顔を出した安瀬山幌内山から北の稜線は東側が切れ落ちている巨大雪庇崩壊の跡円錐峰の取付き尾根へ厚田川の左股川を渡渉水量多く渡渉時期に注意幌内山を振り返る円錐峰頂上スキー山行の醍醐味円錐峰を振り返る幌内山手前のポコ標高はこちらの方が高いまずは濃昼岳頂上からの滑降円錐峰への取付き尾根の下部林道上にC1増毛の海が見えてきた幌内山頂上着円錐峰から滑降濃昼岳南面は灌木の密度が濃くスキーに不向き円錐峰への登り気持ちよく下山尾根上からオープン斜面へ平らな濃昼岳頂上重いパウダーだが充分逆川の林道に出る感想:標高が低く地味な印象の山域だが、東向き斜面には谷底までのオープン斜面がいくつも存在する。札幌からも近く、もっと滑られて良い山域だと思う。稜線沿いよりも今回のように斜面〜谷〜斜面とつなぐほうが面白い。まだまだ魅力的なラインがありそうだ。
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2024-3-29 8:48 |
北大若手がイグルーで日高全山単独縦走貫徹
痛恨の遭難救助からのやりなおし北大山岳部の若手のOB中川凌佑さん(2019年入部)が、日高山脈の全山縦走をやってのけました。記録も一気に書いてくれました。19日間187キロ。万感の襟裳岬です。 彼は、昨年も日高全山に挑戦していたのですが、戸蔦別岳付近の事故でヘリで救助されるという痛恨の体験がありました。それでも挫折せず、この冬にはペテガリ岳の東西稜線単独縦走を成し遂げたうえでの復活でした。そして再び挑戦での貫徹です。 山行記録: 日高山脈主稜全山縦走(芽室岳~楽古岳~襟裳岬) 2024年03月06日(19日間) 日高山脈, 積雪期ピークハント/縦走 / Nakagawa2019の山行記録 www.yamareco.com 昨年の事故の概要昨年の事故の概要です。2023 年 3/20から行動 14 日予備 9 日の計画で臨んだ日高単独全山積雪期縦走の途上、戸蔦別岳付近でイグルー製作中、完成した屋根ドームの下の狭い出入り穴に体を入れた際、肩の付近がスタックした。イグルー内部の上半身で運良く手に届いたショベルを使い周りの雪を崩そうと3 時間あまり脱出を試みたが果たせず、下半身は積雪で埋まっていまい、低体温症を自覚し始めたため、運良く胸ポケットにあった携帯電話でヘリ救助を要請した。運良く天候もよく2時間後救出された。搬送時の深部体温 は28°Cで意識不明、筋肉損傷もあり深刻な容態だったとのこと。 聞いたこともない、予測も困難なレアな事例ではあるが、単独リスクの貴重な事例として記憶に残したい。狭すぎる穴は、自力脱出できないことが起こり得る。 でも今回の彼は、イグルーをうまく使い、悪天を迎え撃つ場面ではイグルーを作れるということを大きな自信にして望んだといいます。 後輩の長期山行記録を読んで、やる気出すこの山行記録を読んで、イグルスキーもファイトが燃えてきた!俺達はパウダーとか、ワンデーとかじゃなくて、長距離無人ルートが大好きなんだ。 20日もかけるようなパワーは今のところ湧いてないけど、10日くらいの計画ならいくらでもストックがあるんだ。ヤブが積雪で覆われているこれからの季節こそ、長距離ラインをイグルーで通り抜けたい。信州の国境ラインや、松本盆地を囲むすべての空と山の境界線を歩きたい。 今年は、2月は雪がなくてもう駄目かと思ったけど、3月には降り続いて、いまも結構ありそうだ。今週前半の雨も山の上では白く積もっていた。尾根末端のヤブさえシートラでクリアできれば、標高1500m以上ならなんとか短いシールスキーでバンバン行けそうな気がする。 ちょっと特殊な山スキー山行だし、体力もシール技術もいる。なかなか誰でも誘えるでもない。一人で行くことになりそうだ。昨年は付き合ってくれたありがたいセンパイは、今年はアフリカの長期旅行中。 でも一人でも行くのだ。若い後輩の記録が、強いやる気を充填してくれる。同じ日高に青春を捧げたゲマインシャフトなのだ。 Young Hokkaido University Climber Accomplish Solo Traverse of Entire Hidaka Mountain Range Using Igloo“A Redemption Journey from a Regrettable Mountain RescueRyosuke Nakagawa, a former member of the Hokkaido University Mountaineering Club (joined in 2019), successfully completed a solo traverse of the entire Hidaka Mountain Range. He diligently documented his journey, covering a distance of 187 kilometers over 19 days, culminating in the heartfelt achievement at Cape Erimo. Last year, he attempted a traverse of the entire Hidaka Range but encountered a regrettable accident near Mount Tottabatsu. Despite being rescued by helicopter, he did not let this setback deter him. This winter, after achieving a solo traverse of the east-west ridge of Mount Petegari, he made a triumphant comeback. Now, he has once again challenged himself and succeeded. Details of Last Year’s AccidentHere are the details of last year’s accident: During a solo snow-season traverse of the entire Hidaka Range, planned for 14 days with a 9-day reserve starting on March 20, 2023, Nakagawa became stuck near Mount Tottabetsu while constructing an igloo. After completing the roof dome, he attempted to enter the narrow exit hole and became wedged near the shoulder area. Despite using a shovel within reach to try to dig himself out for over three hours, he remained trapped. With his lower body buried in snow and beginning to experience hypothermia, he used the mobile phone in his chest pocket to request helicopter rescue. Fortunately, he was rescued two hours later under favorable weather conditions. At the time of transport, his core body temperature was 28°C, and he was unconscious with severe muscle damage. Although this is an unprecedented and unforeseeable rare case, it serves as a valuable example of solo risks that should be remembered. It highlights the possibility of becoming trapped in an overly narrow space. However, this time, Nakagawa’s confidence in constructing and utilizing igloos helped him confront adverse weather conditions. Drawing Inspiration from Junior Colleagues’ Extended Mountain RecordsReading Nakagawa’s mountain record has reignited my motivation as the igloo sky! We don’t like just about powder or one-day trips; we love long-distance routes where you hardly encounter anyone. While I may not currently have the energy to sustain a 20-day endeavor, I have plenty of stamina for a 10-day plan. As the upcoming season covers the shrubs with snow, I aim to traverse long-distance routes using igloos. I want to walk along the borders of the sky and mountains surrounding the Matsumoto Basin and the boundary lines of Shinshu’s mountainous terrain. This year, I was worried in February when there was no snow, but it has been steadily falling since March, and it seems like there’s still plenty. Even the rain earlier this week turned into snow on the mountain tops. If I can clear the shrubs at the end of the ridges by carrying ski on back, I feel confident that I can navigate the slopes easily with short seal skins as long as it’s above 1500 meters. It’s a somewhat unique skiing and mountain trek, requiring both physical fitness and seal skin technique. It’s not something everyone can join easily. It seems like I’ll be going alone. Last year, I was fortunate to have a supportive senior accompany me, but this year, he is on a long-term trip to Africa. Nevertheless, I’ll go alone. The records of my young junior colleagues fill me with strong motivation. We are a community that has dedicated our youth to Hidaka Mountains.
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2024-3-27 2:57 |
日高山脈主稜全山縦走(芽室岳〜楽古岳〜襟裳岬)
日高山脈主稜全山縦走(芽室岳〜楽古岳〜襟裳岬)(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-03-06〜2024-03-24メンバー: Nakagawa2019コースタイム:写真:装備たち火ってのは素晴らしい自分探しの旅に終わりはない初見パートへ入る15日目に恵んでいただいた食料たち。なんという僥倖。カムエクのお膝元でΩ5C18ロケーション重視のC16ピラトコミが素敵に見えるC6=C7靴幅山より神威岳1823峰ピークにて朝焼けのピリカヌプリガスが晴れると背後にカムエク好きな風景お決まりのやつ食料たち。人間これで19日間暮らせる。ずいぶん削られたカムエク北面が神々しい芽室岳より進む稜線を眺める17日目、最終ピーク靴幅リッジ暗闇を神威岳へ向かう奥に39も見えてきた神威岳より北望シュンベツ岳周辺の岩稜。かなりアカンかった。1807峰より降る。ドキドキ。さあ日高に入ろうC4より残照のエサオマンと幌尻カムイ〜エサオマンへの長い稜線ルベツネとペテガリ23とのコル付近は全力日高体操北トッタよりトッタベツと幌尻はじめてのカムエクトッタベツはひょこっとしてる雪崩れてもうたピリカより南望。左右の海が迫ってきた。朝焼けの似合う山C111940峰から長い核心部が始まるこいつに落ちまくるイグルー内にテントを張り停滞C10よりペテガリ岳ブロック積みに性格が出る1823峰より南望七つ沼カールと幌尻感想:はじめに私は昨シーズン3月、日高全山縦走中に遭難事故を起こしました。山岳救助隊の方々をはじめ、多くの人たちの尽力のおかげで九死に一生を得、幸いにも大きな後遺症なく今に至ります。また、私がこうして再び山に戻れたのは、精神的に支え、尚且つ刺激を与えてくれる北大山岳部関係者をはじめとした周りの人たちのおかげです。恐ろしい思いをさせてしまったにも関わらず、私の山登りに理解を示してくれる両親の存在も大きかったと感じています。今回、単独行というカタチにはなりましたが、決して1人では成し得なかった山行だったと思います。私を山に向かわせてくれた全てに感謝します。2024.03.06-24(17-2) 日高山脈主稜全山縦走燃え尽きて灰になったっていいんだだからもう一度、もう一度だけDay0(3/5)[曇り]帯広へ向かうバスから見る空は灰色だ。中札内に着いてもなんだかナーバス。ダメならまたくればいいと言う人もいるが、モチベーション的に今回、というか明日がラストチャンスであることは自分が一番よくわかっている。止めるなら今だとも思うが、やるなら今しかないというのも確かだ。入山してしまえばなんとかなると信じて寝る。Day1(3/6)[晴]除雪終点(5:00)尾根末端(8:00)尾根頭(15:50)=C1今回始点を日勝峠にしようかとも思ったが、やはり平らなところからゆっくりと山に入って行きたかったので芽室岳からにした。除雪は思ったより手前で終わっている。そして一歩目から脛ラッセル。ズッと沈むたび20日分の荷物にのしかかられる。時間はあるので焦りはないが苦しい。何度も吠える。尾根に取り付いても状況変わらず、最後は空身ラッセルも敢行。どうにか主稜線に出たところのカンバパヤパヤ帯でC1。初日からなんかガスストーブの調子悪いし、乾かしてた手ぬぐいが炎上し慌ててテントから投げ出す一幕もあり。ドタバタ珍道中のはじまりはじまり。Day2(3/7)[晴→曇→雪]C1(5:20)芽室岳(5:40)雪盛山(10:30)ルベシベ分岐(13:30)1696手前コル(15:00)=C2朝起きたらストーブの火をつける前にシュラフカバーをひっくり返し内側の結露をコッヘルで剥ぎ取る。丁寧な暮らしってやつだ。冷えた空気の中を芽室岳に登り、これから進む果てしなき山稜を眺める。山に入った。もう大丈夫だ。芽室以降ずっとズボズボ。稜線の地味さも相まって楽しくはない。今日も何度も吠えた。この2日間まるで修行のようだと気付く。山岳信仰ってやつだろうか。Day3(3/8)[晴→曇り]C2(5:00)ピパイロ分岐(9:30)1940峰(11:00)北トッタベツ岳(14:00)トッタベツ岳(15:45)1803西コル(16:30)=C3ピパイロ分岐直下まで相変わらずのズボズボ。ラッセルに励む。分岐から足はアイゼン手は片手ストック片手ピッケルの山野井スタイル。1940峰直下は突然傾斜60度のガチガチ氷雪壁となり恐怖する。これはロープ付けてダブルアックスでやるもんだ。1940先の岩場は、前回は日高側を捲いたが最近のコンディションでは雪崩そうなので極力上を行く。そこを越えればしばらくは締まった快適な稜線となる。去年墓穴を掘った場所を通過するときはゾッと寒気を感じた。二週間前に来たときはカチカチで滑落を恐れた中間ポコの捲きは、雪がもっさりで腰まで埋まり今回は雪崩が怖かった。ヨレヨレになってメインで目をつけておいたC3に入る。何はともあれ去年の自分は超えた。Day4(3/9)[晴→曇り]C3(5:30)カムイ岳(11:00)エサオマントッタベツ岳(16:15)札内JP(17:00)=C4朝起き上がるのが辛いほど体幹がヨレている。朝一歩目から膝ラッセル。やばい予感がする。二週間前にアイゼンで駆け抜けた稜線とはとても思えない。しかも気温が上がってくると稜線上のシュルンドにズドンズドンとハマる。リアルに胸くらいまで落ちるので脚怖いし心臓にもよくない。もうここで泊まってしまおうという場面が何度もあったがギリギリ耐えに耐えて前進を続ける。エサオマンへの急な登りに差し掛かるとようやく硬くなり、疲れた体に鞭打って札内JPまで行きC4。夕焼けに染まる北日高がご褒美だ。Day5(3/10)[晴→曇り]C4(5:30)ナメワッカ分岐(7:30)シュンベツ岳(9:00)1917峰(11:30)カムエク手前コル(14:30)=Ω5いよいよ初見の稜線に入る。ナメワッカ分岐までは広く、アイゼンを快適に軋ませ歩く。分岐からシュンベツ岳までが厳つい岩稜となっており今山行で最もテクニカルなセクションだった。グローブで岩を保持したり前爪を丁寧に岩の突起に置いたりして慎重に進む。この重荷で息の詰まるようなムーブをすると全身がパンプし、しばらくゼーハーしないと回復せず大変だ。シュンベツ岳から1917峰までも岩稜だがこちらは岩の迷路といった感じで幾分マイルド。楽しくルーファイし進んでいく。1917峰からの下りは急でよく分からずひたすらバックステップで降りていく。カムエク手前のコルに良い吹き溜まりがありイグルーを掘る。今日は終日EPでの行動となり前爪を蹴り込みすぎて膝が痛くなってしまった。Day6(3/11)[ガス→雪]Ω5(5:00)カムイエクウチカウシ山(6:00)1807峰(8:30)八の沢右岸尾根Co1700(9:00)=C6昼から低気圧が接近するらしい。前面で天気が持っているうちにカムエクだけでも乗越そうと出る。明日は停滞日にするつもりだ。まだまだ続く長い道のりを考えるとカムエクを越せてるかどうかで心理的にかなり異なり、停滞の質が左右されそうなので覚悟を決める。とりあえずピラミッドとのコルまではなんとしても行かねば。Ω出ると視界100気にならない風。上部は白く躊躇するがこれまで積み重ねてきたものを信じラインを越える。ピークはガスガスビュービューですぐさま退散。まさかはじめてのカムエクが全山になるとは。地図コンパス勘を頼りにピラミッド方向へ降りていく。絶対にミスが許されないので緊張する局面だ。ビンゴ。理不尽な斜度でそそり立つピラミッド峰を凍ったまつ毛を引っこ抜きながらがむしゃらに登って降りる。まだ天気は持っている。集中力は最高潮だ。1807峰への登りもナイフリッジなどあり風に煽られないよう進む。1807峰より八の沢右岸尾根をCo1700まで降ろしてブロック積みC6。短いが今日できる最大限のことはした。ずっと言ってみたかったセリフをもう言っても良いだろう。夜はとっても寒エク。Day7(3/12)[雪]C6=C7ザーザーと雪が降り続く。3回除雪に出た。くたびれてきた装備と身体のメンテナンスをし1日を過ごす。停滞日は粗食でつらい。ふと腹をさすると、自分のものとは思えぬほどペラペラでビビった。Day8(3/13)[ガス→晴]C7(5:15)1807峰(5:40)1823峰(11:45)南東コル(12:30)=Ω8明日はガス濃く、明るくなってから出発。50cmほど積雪あったようで1807峰までもすごいラッセル。このドカ雪にこのあとしばらく悩まされることになる。主稜線に出ると視界100くらいありルーファイ可能なので進む。1807峰からの岩稜帯は捲くと雪崩リスク高そうで、降り切るまで緊張感のある行動が続いた。コルまで降りるとズボズボ地獄。スノーシューにしてもズボズボ。天気も悪いのでテンションは上がらない。雪庇が大きく張り出しているのでカンバジャングルに突入し捲いて行くが埋まるし荷物引っかかるしでストレスフル。極めつけはピッケル突き刺した瞬間、目の前で雪崩発生。規模は小さいしブッシュに捕まってたのでセーフだった。雪庇が向こう側に落ちていく図ばかりイメージしていたのに、まさかのこっちに雪崩が落ちて来て面食らった。どうにかこうにか1823峰に着き一安心。ピークに着く頃にはガスも晴れ、カムエクや1839峰がよく見えて歓喜。ドカ雪が降ると稜線のコンディションは悪くなるけど山並みは白化粧して美しさを増しますな。ここからはRP区間なので少し気が楽だ。記念撮影しコルに降りていく。しかしこの下りから日射による昇温で雪の不安定感に拍車がかかった感じがする。一抹の不安を抱きながらコルまで降り、ピラトコミ分岐への登りを見るとやけに白くて急に見える。しばし行ったり来たりして逡巡し、結局ここで行動を打ち切ることに。場所が場所なのでイグルーを掘る。今日は第六感に忠実に行動できた自分を褒めてあげたい。Day9(3/14)[晴→ガス]Ω8(5:15)コイカク(9:00)夏尾根Co1550(9:15)=C9風の音が大きいがコイカクまでは進もうと意を決して出る。雪は昨日より安定して不安感は薄まった。コイカクの登りに差し掛かるとみるみる天候が悪化。視界50時折振られる風。目出帽オバテハンガロンのルーム最強装備でコイカク岩稜に取り付く。強風下での行動にはトラウマがあるが、通い慣れた場所なので突っ込めると判断する。ナナシの吹上げにボコボコにされながらなんとか登り切った。上にあがると風は弱まったが視界さらに悪化しほぼホワイトアウト。夏尾根頭のあの棒を見つけた時の安心感と言ったらもう。迷いなく逃げ込む。これを下り切っちゃえば楽になるのになとか考えてしまうがCo1550で踏みとどまりC9。単独での悪天行動は精神的消耗が激しく短時間でもドッと疲れがくる。気が緩んだのかテントポールを一本沢に流してしまい本山行一敗退が近づくが、たまたま30mくらい下で木に引っかかって止まった。まだ見放されてないみたいだ。なにはともあれ気持ち的には半分来た。明日からまた頑張るべや。Day10(3/15)[ガス→曇り→雪]C9(4:15)夏尾根頭(5:00)ヤオロマップ岳(8:00)1599峰(13:00)ルベツネ山手前1688南東尾根頭(16:45)=C10ラテルネで出る。頭に出ると風視界ともに昨日よりマシ。と言っても視界は100くらいか。たまにガスが飛んで視界が出るのでそこでガーっとルーファイして進むセンス。ヤオロピーク近くまで来るとガスが一気に晴れ、短い間だったが雪煙を巻き上げる1839峰が見えた。あの山にもいろいろとお世話になったので近くで挨拶できてよかった。ヤオロを乗越すと低気圧の前面か天候が一時回復。どデカい雪庇の出た稜線を1599峰まで。リンゴ畑は1823峰手前の地獄みたいなのに比べればかわいいものだったが、もはや根本的な持久力が低下しているらしく終盤はひどいシャリバテ。過去に泊まった記録を見ていたので勝手に期待していた1688南東尾根頭にたどり着くが、あんまりパッとしない感じで結局氷混じりの斜面を開削して無理やり泊まる。あー疲れた。でも明日はいよいよペテガリだ。Day11(3/16)[晴→ガス→晴]C10(5:30)ルベツネ山(6:30)ペテガリ岳(10:00)1469(13:40)1314先北西尾根頭(15:15)=C11凍ったテントを起き出でて、朝焼けに染まる山並みを横目に歩き出す。身体中に血が巡り、ここでしか会えない強い自分が目を覚ます。山をやっていて良かったと思う瞬間だ。ペテガリ。様々な意味で日高の"核"を成す山だと思う。そして僕にとって一番大事な山だ。ピークからはどの方向を見ても様々な思い出が浮かぶ。強風の中のピークだったが来るのは今日が最後になるだろうと悟り、しばし感慨に耽った。まだ旅は続くが自分の中で大きな何かが終わった気がした。さて、気持ちを新たに南下を始めると一気に平均コンタが下がり南日高に来たなという感じだ。そしてズボズボだ。1573〜1469間が最悪で、細く大きな雪庇が出ているのでやむなく日高側を腰まで埋まりながら進む。天候も悪化して来て修行模様。その後徐々に天気回復したが中ノ岳を越える気力は無くペテガリの展望台のようなテンバでC11。Day12(3/17)[曇り→ガス]C11(4:00)中ノ岳(6:00)ニシュオマナイ岳(10:15)1224北西コル(11:15)=Ω12中ノ岳までは稜線広いので暗いうちから出る。ラッセルは相変わらずだが素直な稜線なので快調。小八剣やその後のニシュオマナイ岳までの細い稜線は手も足もこまめに換装して慎重に進む。ニシュオマナイ岳で低気圧に追いつかれガス。翌日にかけての悪天に備え1224北西コルでイグルー。時間あるので大きめに作って中にテントを張り、濡れ物を乾かした。超快適。Day13(3/18)[雪?]Ω12=Ω13シュラフからすらほとんど出ないのでよくわからないが天気図的には悪天だったんだろう。連日の緊張感&ラッセルで明らかに疲れが溜まっているので終日停滞。終盤戦に向け回復を図る。これから出番の増えそうなスノーシューの爪も研いでおく。残りの行程と物資を整理して作戦を練るがちょっと食料が心許ないか。ここまで来たんだ、不足分は身を削って凌ごう。Day14(3/19)[晴→曇り]Ω13(4:50)神威岳(7:40)靴幅山(10:40)ソエマツ東峰(14:10)=C14ついに2週間か。もはや山での生活が日常になっているので長いという感覚は無い。イグルーの出口はかなり埋まっていた。またラッセル増えたかと恐る恐る出るが、なんと停滞前より締まっており嬉しい。神威岳ピークに着くと、北は1839峰より先でガス、南は全見えという冬型お決まりのパターン。靴幅リッジはやじろべえとなり慎重に通過。神威岳は靴幅山から見るのが一番だと思う。ソエマツ岳の登りに差し掛かると次の低気圧に追いつかれたか今日も微妙な天気になりテンション下がる。そして足が痛い。ずっと耐えて来たがいよいよ本当に痛い。泣きそうになりながらソエマツピークに着き、以前泊まったことのある直下のチョロカンバ帯でC14。明日でカタがつきそうだ。焦らず大事に行こう。Day15(3/20)[快晴]C14(4:50)ピリカヌプリ(8:30)トヨニ岳(13:50)1254(15:00)=C15寒い夜だった。バリバリとテントを出ると、かすかに色づいた海に漁火が輝く。The Dayだ。ソエマツピリカ間は前来た時はあまり印象に残らなかったが、雪が豊富な今回は岩と雪庇がダイナミックな稜線を成しており素晴らしい雰囲気。息を切らしてピリカへ登り南を見れば、視界の左右に海、真ん中に楽古岳でいよいよここまで来たかという感じだ。ピリカ南面の急斜面をバックステップで下り、厄介な雪稜を処理すれば日高の核心は終わった。一息ついていると南の方からピリカアタックに向かう単独行者がやって来て、15日ぶりにヒトとの遭遇を果たす。どこから?と聞かれたので芽室岳からですと答えると握手を求められてしまった。照れますなあ。トヨニ岳への長い稜線を足の痛みに悶えながら進み、トヨニ先の少々面倒なナイフリッジと岩稜を処理した先1251にて、風をうまくかわせそうな地形がありC15とする。テンバ整備しているとさっきの方が戻って来て、なんと余った行動食をくださるという。すれ違った時からひそかにこの展開を期待していたのはここだけの秘密だ。ノンサポートにあんまりこだわりはないし、そもそも行動後の空腹絶頂期なので断るはずもなくありがたく受け取る。思った以上にいろいろ貰っちゃった。大事に食べます、と言ったのに持ち運ぶのも重いからと自分に言い訳して大消費祭。ここまで15日間同じものしか食べてなかったので不意に新しい味が入って来て体内がカーニバル状態だ。Day16(3/21)[ガス→曇り]C15(5:45)1268手前コル(6:30-10:30)野塚岳(13:10)オムシャヌプリ(16:00)オムシャヌプリ東峰先岩陰(16:30)=C16朝起きるも風の音が大きく二度寝。いまいち収まらないがここで停滞ってのもなと思い出発。しかし、ぼーっと歩き出してしばらくして気がついたのだが結構ヤバい風。振られまくってどうしようもないので適当なコルのカンバ帯に逃げ込みテントを張り時間待ち。貴重なカロリーを浪費してしまった感がすごい。まあクヨクヨしてても仕方ないのでシュラフにくるまり昼寝。起きると風収まってたので再び出発。が、歩き出して身体の異常に気付く。朝ふらついたのは風のせいだろうと思っていたが風がなくてもなんだかフラフラする。いくら行動食を食べても身体に力を込めることができない。登りは超スローペース、下りは踏ん張れずコケまくる始末。昨日まではなんだかんだやって来たが核心を超えた安心感でガクッとギアが落ちてしまったようだ。天馬街道が見えてしまうのも気持ちが削がれてよくない。とりあえず、もう多少ふらついても問題ないゾーンなのでピヨピヨになりながらも野塚岳とオムシャヌプリを乗越す。電波ないのでイマイチわからないがたぶん天候は安定してるだろうという楽観的観測、というか半ばヤケクソでロケーションのいい岩陰にテントをポンと置きC16。さて、考えるべきは明日からの行動だ。もはや身体は疲労を通り越し限界が近いのは明らか。ここまで来たんだから一般に日高全山の端点とされる楽古岳までは這ってでも行くとして、問題はその後。僕の中ではこの旅は襟裳岬まで行かないと終わらない。岬に行くには楽古岳からさらに稜線を1日分南下して猿留川林道に降りるのが一番合理的なラインだと思うし僕もそのつもりで来たのだが、もはやあと2日間山を歩けるとは思えなかった。というわけで、楽古岳で主稜線を離れ山を下り、あとは道路を歩いて本当の限界が来るまで岬を目指すことにした。そうと決まれば明日の最後の稜線行動に備えて夕飯を2日分かき込み寝る。Day17(3/22)[ガス→晴]C16(4:20)十勝岳(6:30)楽古岳(10:15-45)楽古山荘(14:00)=C17朝、垂れ流しているラジオから聞こえてきた欧陽菲菲"ラブイズオーバー"がバチ効きする。朝飯も2日分食べる。もう行くしかない。終わりにしようキリがないから。ガスガスで何が何だかよくわからないまま十勝岳ピーク。この山にも大事な思い出がある。ガス濃いし意外と稜線白いしで楽古方面への降り口がよくわからない。視界がないとどんどん弱気になる。身体が弱ると精神も弱るんだろう。稜線と空間の微妙なコントラストを探り、雪庇を踏み抜かないギリギリのラインを経験から弾き出して進む。楽古岳への登りにかかると今日も身体がストライキ発動。でもここまで来れば逃げ切れる。休み休み登って最後の絶頂へ。ピークに着く頃に一気にガスが飛び、まるで祝福されているようだった。背伸びしてもジャンプしても始点の芽室岳は見えないが、17日間一歩一歩刻み続けたトレースが果てしなく遠くまで続いていると思うと誇らしい。しばらくホゲホゲして主稜線に別れを告げ楽古山荘へ向かう。夏道尾根をツボと尻滑りで快調に降りていくが、今度はヒザの爆弾が起動。なんとか大爆発する前に山荘に辿り着きギリギリセーフだった。快適な山荘でストーブの炎を見つめ、本当に歩いちゃったんだなあとしみじみ思う。大きすぎてうまく捉えられなかった憧れが現実のものとなりつつあることに興奮し、寝付きの悪い夜だった。Day18(3/23)[晴]C17(4:00)道路(6:30)海(12:00)コトニ川河口(16:00)=C18満月に照らされた林道を歩く。「陽春橋」といういかにも暖かそうな名前の橋を渡ると道路に出て、足元から完全に雪がなくなった。擦り寄ってくる馬たちと戯れながら天馬街道を海へ。硬い路面と冬靴の相性が最悪でヒザが痛すぎるので思い切ってインナーブーツだけで歩いてみたら改善された。様似の集落を過ぎ、コトニ川の河口にいろいろと素晴らしい適地を発見しC18。海に沈む夕陽を眺めながら焚き火でいろんなものを燃やし、波の音を枕にごろ寝。日高全山を思い立った時から夢想していた最後の夜、そのものだった。Day19(3/24)[晴]C18(5:30)襟裳岬(15:00)車に轢かれそうなので十分明るくなってから歩き出す。足の負担を少しは軽減できるかと、インナーブーツの上からテントシューズを履いてみた。見てくれは最悪でアホ丸出しだが僕は本気だ。最後に残った非常食のα米2袋を大事に食べながら岬へ。陸地が、日高山脈が海に沈んでいる。自分の中に区切りをつけるには十分すぎる光景だ。分かっちゃいたが、感動や達成感は特に無い。暖かい解放感と一番見たい笑顔がそこにあった。
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2024-3-24 11:19 |
層雲峡/新大函ノ沢から屏風岳
層雲峡/新大函ノ沢から屏風岳(山滑走/大雪山)日程:2024-03-23(日帰り)メンバー: saito1987 Yanke1987コースタイム:写真:大函に満月ニセイチャロマップ川林道から北西尾根から屏風の肩へ新大函ノ沢から屏風岳の肩西面の沢を詰めていく北向き斜面はパウダー南向き斜面はベタ雪奥が三角点頂上新大函ノ沢を橋で渡る重いパウダーの西面沢を滑降新大函ノ沢林道へ東大雪をバックに北西尾根へは西面の沢筋から取付く雲霧山と武利岳北方の稜線私の好きなクマネシリ山群360°眺望のピークを後にこちら方面から東大雪感想:天気にも恵まれ、頂上からは360°の眺め。大雪山カムイミンタラの全貌、道北の山からオホーツクの流氷、知床まで見えた。積雪期屏風岳を登るのによく使われているのは南西尾根のようだが、この西面沢〜北西尾根ルートの方がはるかに登りやすいと思う。スキーは屏風の肩まで使える(スキーアイゼン着けて)。西面沢の滑降は南向き斜面がベタ雪、北向き斜面がパウダーとなって苦労した。
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2024-3-24 6:43 |
40cm細身ノコの紹介・BDショベルの柄にピタリ
細くて長いノコこの細いノコギリはなんと40cm。ノコギリの長さは最低30cm とイグルスキーが常々言っているのは、それより短いと小さいブロックしか作れず、小さいブロックではイグルー作りは苦労するからです。この40cmは、大きいブロック切りに大変有利。ノコギリは長ければ長いほど、イグルー作りが楽です。そして細くて困ることは特にありません。糸鋸みたいに、切りながら90度方向を変えて切ることも出来ます。 シルキーツルギ 万能目400 | 世界一の切れ味を目指して 鋸メーカー シルキー(silky) ユーエム工業 | のこぎり ノコギリ 高枝 万能 両刃 世界に誇る切れ味『シルキー』鋸 メーカーのユーエム工業 www.silky.jp この40cm、これからあたらしくイグルーにノコを買いたい人には、おすすめです。 粗目(赤い柄)と万能目(黄色い柄)があるようですが、粗目は売り切れていました。 運命のようなノコとショベルの出会いしかも、更に嬉しいニュース。北海道のイグルー愛好家からの情報で、このノコがイグルスキー愛用の30年前のブラックダイアモンド社ショベルの柄にぴったり収まるというタレコミがありまして、買ってみたら正にシンデレラフィットでした。 イグルー愛好家にあまねくおすすめしたいけど、残念ながらこのショベル自体がもう生産されていないのです。30年冬山やっている人が持っているのは時折見かけます。前々回のイグルー講習会で、これをメルカリで手に入れて持ってきていた人もいました。 イグルー作りに理想のショベルとは一般的な雪山登山用スコップは、デブリの掘り起こしとかテント周りの雪かきに使うものなので、皿の部分はあまり平らではなく、両脇は雪がこぼれないように少し反り返っています。 しかしイグルー製作で望ましいショベルは、ノコギリで切った隙間にそっと差し込み、コトコト慎重に動かして、手をいれる隙間に広げるための道具なので、この反り返り部分はなるべく小さい方が、ブロックを傷つけないのです。また、先端は「真っ直ぐ」より丸くカーブした「剣先」型のほうが、その作業には向いているかも。したがって現在手に入るショベルではこれといっておすすめが無いのです。「反り返り」が、せっかくのブロックに切り傷を入れてしまうのですね。もちろんこれで作れないことはありません。理想を言えばの話です。持っている道具でがんばりましょう。 数年後にもっとイグルーが広まったら、イグルーに適したショベルをエキスパートオブジャパンとかで特注で作りたいものです。30年前のブラックダイアモンドのパクリで良いのですが。 Allow me to introduce the 40cm slim saw, which fits snugly into the handle of the Black Diamond shovel (BD shovel).Thin and Long SawThis slender saw measures an impressive 40cm. Iglooskiy constantly emphasizes that the minimum length for a saw should be 30cm, as anything shorter can only produce small blocks, making igloo construction challenging. This 40cm length is highly advantageous for cutting larger blocks. The longer the saw, the easier it is to build an igloo. Plus, there are no particular difficulties with its slender build. Similar to a coping saw, it can change direction while cutting, even at 90-degree angles. シルキーツルギ 万能目400 | 世界一の切れ味を目指して 鋸メーカー シルキー(silky) ユーエム工業 | のこぎり ノコギリ 高枝 万能 両刃 世界に誇る切れ味『シルキー』鋸 メーカーのユーエム工業 www.silky.jp For those who are looking to purchase a new saw for igloo building, this 40cm one comes highly recommended. Although there seem to be options between coarse (red handle) and versatile (yellow handle) saws, the coarse type was sold out. The fateful encounter of a saw and shovel.Furthermore, there’s even more good news. From information shared by igloo enthusiasts in Hokkaido, it seems that this saw perfectly fits the handle of the Black Diamond shovel used by Igloosky 30 years. Upon trying it out, it was indeed a perfect fit, like a Cinderella moment. While it’s something I’d recommend to all igloo enthusiasts, unfortunately, this shovel itself is no longer in production. You might occasionally spot someone who has been doing winter mountaineering for 30 years with one. In the last igloo workshop, there was even someone who had acquired it from Mercari. The ideal shovel for igloo makingTypical snow shovels for mountain climbing are designed for digging out debris or shoveling snow around tents, so their scoops aren’t particularly flat, and both sides are slightly curved to prevent snow spillage. However, for making igloos, the ideal shovel is one that can gently slide into gaps cut by the saw, carefully maneuvered to spread apart the gap for inserting hands. Therefore, a shovel with minimal curvature on the sides is preferable to avoid damaging the blocks. Additionally, a shovel with a rounded, curved tip may be more suitable for this task. Hence, there isn’t a specific shovel currently available that’s highly recommended. The curvature could inadvertently leave marks on the blocks. Of course, it’s still possible to build with what you have. Let’s do our best with the tools we have. In a few years, if igloo making becomes even more widespread, it would be great to have shovels specifically tailored for igloo construction, perhaps custom-made by “experts of Japan”. Even if they’re replicas of the Black Diamond shovel from 30 years ago, that would be fine. |
2024-3-21 13:00 |
緊急時のイグルー・ビバークの可能性
先週の雪崩事故、救助までの一晩先週の2024年3月14日に長野県・白馬連峰の小日向山北東斜面で発生した雪崩事故について、関係者からの聞き取りを行って書いたという日本雪崩ネットワークのweb記事で、雪崩事故のあと、骨折で動けないメンバーと救助を待つ一晩、イグルーを作りかけたとの記事がありました。
「P2は痛みにより、まったく動けなかったため、周辺の木、スキー、雪を使い、イグルーを作成。その後、雪洞に移動し、お湯を沸かし、夜を明かす。」
とありました。当日は連絡はついたものの、ヘリ救助には厳しい天候のため、翌朝のフライトまで一晩過ごしたとのことです。骨折した負傷者は寒いでしょうから、長時間安静にできる場が絶対に必要なんです。手持ちの道具と材料で、その場でできることをやってみる、そのためのヒントになることは頭に入れておく。これが山登りで最も大切な点で、奥深い魅力でもあると思います。
これだけの文面から、以下は私の想像ですおそらくノコギリが無かったので屋根を塞げるきちっとしたブロックまでは切り出せず、雪の壁の上にスキーや木の枝をかぶせてブロックを載せようと試みたのではないかな。隙間風などで寒く、あまり快適ではなかったので、周辺で雪洞を作れる十分な積雪と時間が十分あり、作った経験のある雪洞に結果的に切り替えたのでしょう。 というのも、ノコギリさえあれば隙間風なく屋根のあるイグルーは何とか作れただろうし、イグルー経験があればノコギリは持っていただろうと思うからです。でも、イグルーを作ってみよう!と思い至った経過は、とてもうれしいです。
ノコギリはたいして重くないし、焚火も各段にやりやすいし、負傷者の寝床にノコで集めた針葉樹の葉の茂った小枝を敷き詰めれば快適なベッドもできます。日帰りならマットもなくて尻が冷たかったと思います。写真ではこの現場には針葉樹は無かったようですが。
日帰りの山スキー山行でノコなんか持って行かないよ、という人は、今は多数派でしょう。でも、ビーコンもプローブもなかった頃から北大の山岳部ではスコップとともに持っていきました。4000〜5000円で買えるし、一生ものです。ぜひ一本どうぞ。夏も活躍します。
“The possibility of using an igloo for emergency bivouacking.”The night until rescue following last week’s avalanche accidentIn a web article by the Japan Avalanche Network, based on interviews with involved parties, it was reported that following last week’s avalanche incident on March 14, 2024, on the northeast slope of Mt. Kohinata in the Hakuba Range, Nagano Prefecture, one member, unable to move due to a fracture, spent the night awaiting rescue, attempting to construct an igloo. “Using nearby trees, skis, and snow, P2 created the structure but later moved into a snow cave, where they boiled water to spend the night.” Although contact was established that day, harsh weather conditions prevented helicopter rescue until the following morning. It was essential to provide a place for the injured with a fracture to remain immobile for an extended period, considering the cold. The importance of being prepared to improvise with available tools and materials in such situations cannot be overstated. This epitomizes the essence and profound allure of mountaineering. Based on this text alone, the following is my speculationFrom this account, it seems likely that due to the absence of a saw, they couldn’t create tightly fitting blocks for the roof, so they attempted to cover blocks placed atop the snow wall with skis or tree branches. However, due to drafts and discomfort, they ultimately switched to a snow cave, benefiting from ample snow and time. If they had a saw, they might have managed to construct a more comfortable igloo with a draft-free roof. However, the decision to attempt building an igloo was still commendable. A saw is not particularly heavy, and it greatly facilitates tasks like making a fire. Additionally, laying pine boughs collected with a saw as a bed for the injured person would provide comfort. Those on day trips for skiing or mountaineering might not typically carry a saw, but in Hokkaido University’s mountain club, we have always carried one alongside a shovel, even before the days of beacons and probes. They are affordable at around ?4000-?5000 and are a lifelong investment. I highly recommend having one, as they are useful not only in winter but also during summer outings.” 今回から英訳をつけました。 |
2024-3-17 8:24 |
岳都まつもとフォーラム@乗鞍岳、2024二回目
乗鞍は別天地今年の冬は2月くらいまでは雪少ねえ!ってかんじでしたが、3月に2回ほど南岸低気圧ドカ雪が松本にあり、その間に温暖化の氷化した層を挟んでいました。でもまあトータルの積雪量は十分あり、スキー場トップ近くのタンネの森の中の練習場で30個築城しました。このあたりでは今年三回目ですが、毎度数百m場所を変えてやっています。 参加者のホンキ度に焦げ付きそういつも通り40分くらいでイグルスキーのデモを作って見せて、その後各自で築城。今回は、昨年の松本フォーラム講習のとき大雪で、イグルスキーが名古屋から松本入りできなかったとき憂き目にあった人も多く、しかも中にはこの一年、イグルスキー動画を何度も何度も何度も見てシミュレーションしてきたという熱心な人もいて嬉しい限り。募集して数日で満員になっただけあって、参加者のホンキ度に焦げ付きそうでした。遠い街から延々運転してきてくれた参加者も多かったのですが、地元の県内の人も多く、中には山好きで神戸・徳島から松本に移住してきたっていう若い夫婦がいて、イグルスキーはすごく感動しました。みんな、もっと移住してこいよ!子供が出来たら、子どもとイグルー合宿しようぜ! 今回、イグルスキーの気づきは、○細かいブロックしか取れない人は、トレンチの深さが甘い。30?ノコの目一杯を切り出せる「深さ30cm」のトレンチを丁寧に掘ろう。 イグルー作るのは楽しくて多くの人からブログやヤマレコや著書を熟読してくれていた感想をきいて本当にうれしかった。あんな地味な本でも誰かの心に届いていたことが。それに、出来ても苦労しても、みんなイグルーを楽しそうに作っていた。 朝出発前に、先月栂池で講習した雷鳥写真集団とグーゼン邂逅。きょうは位ヶ原でイグルー泊するとのこと。講習で身につけて、どんどん皆自分の山行に取り入れてくれる。講習ではできるってことを知って、自信を持ってもらえるまでで良い。その先は各々工夫して、自分のものにしてもらえれば良い。 有志7〜8人が、作ったイグルーで泊まっていました。 山行記録: イグルー講習@乗鞍・岳都まつもとフォーラム 2024年03月16日(日帰り) 槍・穂高・乗鞍, 講習/トレーニング / yoneyamaの山行記録 www.yamareco.com |
2024-3-11 7:54 |
北アルプス/小日向山(Co1550mまで)
北アルプス/小日向山(Co1550mまで)(山滑走/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-09(日帰り)メンバー: Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:感想:前日、名古屋を発ち中山道歩きを経て松本のビジネスホテルに泊まる。東京に在住するババア氏とここで早朝に合流した。出張合間の週末で忙しいにも関わらずお付き合いいただき感謝です。この時期にしては異常なドカ雪、各地で大雪・雪崩警報が出ている中、行けそうなところをチョイス。車道脇に車を停め準備していると早速降りてきたパーティがいた。彼らがつけたトレースを辿り小日向山を目指す。上部に行くにつれトレースが不明瞭になる。ザラメを想定し細板できたことを大いに後悔する。標高1550m位で、雪がスパスパ切れたり、破断面が出てきたので引き返し。滑降は細板でも楽しめた。地酒買って来馬温泉に泊まる。
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2024-3-11 7:49 |
北アルプス/蒲原山
北アルプス/蒲原山(積雪期ピークハント/縦走/白馬・鹿島槍・五竜)日程:2024-03-10(日帰り)メンバー: Yanke1987 babaa1986コースタイム:写真:ババア氏現る今年還暦、山頂にてピークを後にウッヒョー!華麗なる滑降ブナの森を登る晴れた、ここでシールオフ平らな一難場山頚城方面が見えた感想:昨日よりは天気よさそう。横前倉山と迷ったが、雪崩の危険性が低そうな蒲原山に行くことにした。湯原の国道脇駐車場からスキー担いで歩き始める。今日も先行者のおかげで楽をさせていただく。ブナ林を快調に登ると標高1000m位で先行者に追いつき、トレースのお礼をする。ババア氏の知り合いの知り合いだそうだ。1264標高点を過ぎると尾根が細くなる。2回ほど雪庇を崩落させた。蒲原山山頂が近ずくと天気が回復してきた。今回断念した頚城方面も遠望できた。1420mの東斜面はブナ林のパウダー斜面を絶叫滑降。その後トラバース気味に登ってトレースに合流したのち、次の斜面を滑った。温泉で温まったのち糸魚川で解散。ここに新幹線も高速も来ていることに驚く。糸魚川といえば鄙びた日本海の漁村というイメージのままだった。ババア氏は高速道路で東京に、私は新幹線で大阪にむかった。二日間お付き合いいただき感謝です。
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2024-3-10 11:39 |
支笏/美笛峠から白老三山(南白老岳南東面滑降〜ホロホロ峠まで)
支笏/美笛峠から白老三山(南白老岳南東面滑降〜ホロホロ峠まで)(山滑走/支笏・洞爺)日程:2024-03-10(日帰り)メンバー: saito1987 zeniya1990コースタイム:写真:滑降を無事終えて滑り落ちる銭公南東面滑降ライン北白老岳を振り返るホロホロ峠付近から振り返る‼美笛峠付近から樽前山北白老岳の登り白老岳頂上白老岳へ白老岳頂上から南白老岳感想:モナカ雪の上にうっすら粉雪。南白老岳南東斜面は、雪質が悪いうえに所々地肌が露出していて滑りにくかった。パウダー時期は雪崩が怖そう。
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2024-3-8 8:58 |
ブロック切りの大事な技「ジャガイモではなく豆腐」
「ジャガイモではなく豆腐」早くイグルーを作るには大きな長いきれいなブロックを沢山切ること。「きれいな」とは、角がそろっていて面がまっすぐなブロックです。こうでないと積んで行った時、その上の段が安定しなくてガラガラ崩れんですよ。「ジャガイモではなく豆腐」です。 「お掃除が重要なのだ」そのためには、ノコギリの性能を最大限引き出します。スコップの力をなるべく頼らない。切れ目が不十分なのにスコップでガジガジやると、ブロックが壊れる上に、スコップが安いと付け根が金属疲労でヒビ入ります。 切れ目同士が見えない雪の中で出会っているかイメージしてください。ノコを差し込む角度の影響を与えるのが、手首の動く範囲にある雪クズが整理整頓されているかどうか、手首の動く範囲にある壁が膨らんでいないかです。一手間ですが、スコップで整形して退けておくと、切れ目がぴたりとあいますよ。 ノコを扱う姿勢も重要図のNGでは、立って腰を曲げたまま低いところのノコを扱っていますがこの角度ではノコが水平ではなく下向きになります。姿勢を低くしてノコをへそに近づけると、腕力も無駄に使わずつかれませんし腰にも優しいです。膝をついて、腰も接地してやりましょう。 図のNGでは、体を動かさずに右手と左手だけで持ち替えて切れ目を入れますが、その切れ目がどちら向きの「ハの字」になるべきか、考え、右手が向いているのなら身体を移動しましょう。体を都度移動する、というのが大切です。ヘソの位置→身体の位置が重要。 |
2024-3-4 11:33 |
Tribute Creek (New Zealand, Westcoast, Harihari)
Tribute Creek (New Zealand, Westcoast, Harihari)(沢登り/オセアニア)日程:2024-02-18〜2024-02-22メンバー: hazuki2012r fukumoto_2013写真:途中で見つけた青いキノコF9〜F3は登りと同じく右岸岩棚Wanganui川本流についたなんか見えてきた森へ。この辺りは斜度も獣道ついていてそれほど苦労せず。本格的なゴルジュとなる捲きの途中のFantail。たまに尾羽が扇のように開いてキレイ。F22F16と17の捲き始めF22、福本絶妙なライン取りで右岸直登。F22を懸垂で降りて左岸から捲くことにする偵察に行く。F20の中ほど。この先が怖いのでロープ出したF13 20m見に行くが厳しそうだ左岸捲くやっと下山時に登り返せそうな場所を発見。懸垂で降りる。結果論だが入口の滝を2つ捲いたらさっさと懸垂するのが正解。F18.5は懸垂高捲きに突入F12のクライムダウンやっと下山時に登り返せそうな場所を発見。懸垂で降りる。結果論だが入口の滝を2つ捲いたらさっさと懸垂するのが正解。雨の日のテンバロードを5キロほどちょうどよい岩があったので捨て縄まいて支点にしたCo560二股 左はF16 これは登れない三股の快適テンバ。すぐ先の二股 70mくらいの登れそうな滝F19左岸側の稜線帰りはすんなり渡れたお、、、?300二股付近はすごいガレまさに門。奥が15mのF22入山サザンアルプスの主稜線すぐに日陰渡渉点のHot Spring Flatに到着奥に見えているいかつい谷がHot Spring Creekこの日は渡渉できずF10F2 二回目お助け出したところ渡渉点まで遡るF13は右岸懸垂交代で仰ぎ続ける事約2時間、ついに火はつかなかった。が、このおかげで温まったという事にする800m頭上の源頭まで水流ある場所はすべて滝この景色を見られたので引き返すことにする初日テンバ。Sandflyが鬱陶しいこの辺が特にすばらしい楽園に帰還捲き終わりの400二股捲いたゴルジュの偵察暫定版ですF19以降の滝番号など修正箇所あるので後日差し替えます懸垂して様子見に行こうかとも思うが、、、F20の下部。下部は右岸のチムニー状、上部はチムニー~シャワーで登った。苦労して右岸からF10捲いたところHot Spring偵察。手に負える感じではないように感じた。F18は左岸から。振り返るとタスマン海その奥にF23 写真だと8mくらいに見えるが三段30mこれは手が出ない…翌日 なんとか渡れた思ってたのと違う渡渉点までの道入山地点F20晴れ植生のあるラインからお助け出した多分シャモアとかいうカモシカ系の獣ニュージーランドにいる蝙蝠以外の哺乳類はすべて外来種早く日なたへ行きたい河原についた。水位+2~3mの所に数日前の雨の侵食跡があったF14は登りと同じく左岸捲いて懸垂F1F14の捲き始めはやや立ったルンゼ状で、一応ロープ出したF19 右岸登るよく見ると登りの時と水量が全然違うF12はクライムダウン登りの時はF11とまとめて左岸をまいたところ目覚め 濡れもの 10℃は下回っていた息は余裕で白いF2Co690の広い三俣についた。正面に730二股の滝が見えている。捲いた滝Hot Spring源泉発見。源泉は30℃後半か。渡渉で冷えた身体にGood見た目以上の激やぶこの捲きで時間切れかなF11-12濡れと寒さでヤラれてきたので来た道を戻りテンバ探すことにする記念撮影して引き返し入山前からびびらさるしばらく河原を挟み、上部ゴルジュが見えてきた。写真の奥がF214時間くらいこの風景Tribute Creek出合雰囲気出てくる、水量多く渡渉がいちいち地味にしんどい翌日。テンバすぐのF18最終日 大捲きした560‐650ゴルジュはF16,17のみ小さく捲くことができた。下りはタネが割れているので早いF20の上部。捲いたゴルジュを下って内部を確認してみるが、意外と中は何もなかった。写真は捲き初めの二股から見えていた連瀑。帰りはここから左岸を上がれそうなことを確認してから先に進む。Harihariに帰ってきたお疲れ様ですF3?この辺から右岸の岩棚で捲くF11手前。懸垂で一度沢に戻ったF21は大岩の隙間から這い上がる捲いたゴルジュの偵察テンバから。増水のピークを過ぎたころ。すぐ先の二股 70mくらいの登れそうな滝迫力あり、左岸から取りつきF11は懸垂捲きの途中から見えたF17 感想:福本詳細な記録をありがとう。自分のメモから小話メインで補足しておきます。2/14・東京で幸せそうな五島と飯。2/16・間違えて羽田空港に向かっていた。途中で気づいて良かった。2/17・この時期のHokitikaの気温は夏の終わりの北海道くらいの感覚。ザブザブと中を行くには結構寒い。・Hokitikaまでは小さなプロペラ機。空からArther`s PassやMt. Cookを見下ろすナイスフライト。・ Kiwiは想像以上にデカくて、走ると早い。2/18(Day 1)・植生が熱帯林に近いものを感じて驚いた。West Coastはタスマン海で水分を含んだ雲によって雨が多いらしい。最初はホールドスタンスとして信用できなかったが、慣れれば日本と同じ感覚で使えた。ただしグニグニした小さいヤシの木みたいな植物は全体重をかけると根元からもげる。・Hot Spring Flatまでの林道の途中ですごく不思議な声で鳴く鳥に出会った。通称ねじまき鳥。帰って調べるとTuiという鳥で、2つの声帯を持っているらしい。2/19(Day 2)・Tribute Creekの下部はCo520屈曲くらいまでは川原だろうと話していたが、予想に反して巨岩やゴルジュに苦労させられた。・Tribute Creekは増水の速度と勢いはかなり迫力があった。増水も早かったが、減水に関しても同様だった。引き返し判断は妥当だったと思う。2/20(Day 3)・山行全体を通して高捲きは辛かった。下船直後で山的な体力が全然仕上がっていない事や、この手の本格的な沢は数年ぶりという事もあり、福本にはよく前を行ってもらい助けられた。・捲きの途中で、白いセキレイのような鳥によく付きまとわれた。最初は近くに巣があり威嚇しているのかと思ったがずっとついてくる。時折長い尾羽を扇状に広げてアピールされる。帰って調べるとFantailという鳥で、人間の動きに驚いて飛び出してくる小虫を食べるらしい。途中からは求愛されているのかと思っていたが、違ったようだ。・Co690三股はゴルジュの奥に現れた円形劇場のよう。景色よし、薪あり、虫少なし、でまさにオアシス。今日の苦労が一気に報われた。2/21(Day 4)・寒すぎてまともに寝られず。肩から上がタープから出ており結露していたのも良くなかった。朝起きると喉が痛く明らかに体調を崩してしまった。そもそも持参のシュラフがペラペラの夏用だったが、結果的にはこの時期になら3シーズン用の方が良かった。・F21~の高捲きは特に過酷だった。そもそもの計画の1/4くらいしか進めなかった訳だが、藪の中の引き返し地点は山行の到達点として悪くないロケーションで、満足しての引き返しだった。2/22(Day 5)・下部の川原の砂地には金色のピカピカが堆積している箇所がいくつかあった。砂金かもしれない。・最後、河原から林道に戻る時に、ブロンドの散歩のお姉さんが逆に川原に降りようとしていた。が、僕らをみて踵を返した。2/23・ヒッチでHokitika。福本と解散してヒッチでSpringfieldへ。・Smyliesというホステル泊。ここはオーナーさん最高(奥さんは日本人です。食事もめちゃうま、自炊もできる。)、雰囲気最高、ドミトリーなら高すぎない(40ドル)、Castle Hillまでアクセス良好、マットレンタル可能、そういう人たちがよく利用している、などなど、オススメな素敵ホステル。2/24-26・Smyliesで知り合った日本人のI夫婦にご一緒させていただき、Castle Hillでボルダリング。2度目のCastle Hillだそう。毎日車にも便乗させてもらい、本当にお世話になった。・Castle Hillは草原の丘の上にボルダーがゴロゴロしている素敵空間。雲と風があるとかなり寒く、雲と風がないとかなり暑い。ここもまた再訪したい。2/27・ヒッチでArther`s Passへ。Active RestでAvalanch Peakへトレッキング。2/28・登りに行きたかったがガスガス。ヒッチでCave Streamへ。真っ暗な洞窟の中をキレイな小川が流れる。水も気温も結構低い。腰まで浸かる。デートにおすすめ。2/29・ヒッチ三発でHokitikaに戻る。お土産買って帰国。・成田空港に預け荷物が着かなかった。オークランドでは荷物Pick Upしなくていいと言われたからそうしたのに、オークランドで荷物Pick Upしなかったから届いてない事になってた。一転、成田での丁寧すぎる対応に感動。========= しばらくガッツリ系の沢登りから離れていたので期待と不安が入り混じっていたが、結果としてとても良い山行だった。Day3で3.5時間かけて高捲いた区間を、下りではものの30分で通過。答えが分かっていればこんなにもあっけない。未知の沢でこういう経験ができるのは本当に充実度満足度が高い。苦労して未知を解き明かすような過程は楽しい。多少ブランクがあってもセンス的なものは割とすぐ戻ったと感じられたのも嬉しかった。三十過ぎて、ぐちょぐちょの泥の上に葉っぱ敷き詰めて凍える未来はあまり想像していなかったが、寒空の下で南十字星を眺めながら幸せを感じた。 ハイポテンシャル素敵山域を見つけてくれた福本に感謝。ぜひあの先を見に行きましょう。 四月から半年間関東勤務になりました。基本土日休みらしいです。ぜひ遊んでください。ニュージーランドで沢登りしようと思い立ったのが具体的にいつのことだったかはあまり思い出せないが、大学院休学中の2018年に海外遡行同人最終回にふらっと参加した時のことは覚えている。たしか報告のお題目の一つが大西良治氏のグルーミーゴルジュ下降で、異次元空間みたいなゴルジュの中を色んな技を駆使して下っていく様子が紹介された。なんだか曲芸でも見ているかのような気持ちで報告のスライドを眺めていた。全長3km、標高差800mの激ゴルジュの中で2泊3日(3泊だっけ)する、みたいな世界で、ちょっとここまではやれないなあというのが率直な感想だった。報告会の後のアルコールゴルジュ(治安悪い飲み会)では、当時は誰だかよくわかっていなかった佐藤裕介氏とちゃっかり同卓になったりした。「ニュージーランドの沢はすごいんだけど捲いてるうちに終わっちゃうんだよね」みたいな話が出て、そうかー捲くしかないのかーと頭スカスカの相槌を打ったものだった。たぶんこのときにニュージーランドでトラディショナルな一般的沢登りをするのにちょうどいい(=凡人が挑んでも捲きに終始するだけになるほど激しくなく、無味乾燥な河原でもなく、適度な難しさの滝やゴルジュを捲いたり登ったりできて、沢中2泊くらいを要する規模の谷をその気になればいくつか繋ぐことのできる)場所を探してみようという着想を得たのだと思う。普通の沢登りをしたいのならわざわざ海外に出る必要はないし、未遡行の谷筋だって国内にたくさん残っているというのは確かに一理ある。しかし本流筋とか目立つ支流を無造作に選んでも基本的に手つかずというのはやはり海外遡行の大きな魅力といえるだろう。その半年後、3ヶ月ほどニュージーランドに滞在する機会があり、ドンパの平井とアスパイアリング山に登りに行くなどした。その際に周辺の谷に注目してみると、河川の本流はU字谷で非常に穏やかな渓相なのに対し、その支流はU字の側壁を穿つため極めて急峻な険谷を形成していることが見て取れた。確かにこれは極端な遡行内容となるのも頷ける。しかし、ということであれば、逆になるべく氷河の影響が少なそうなエリアであれば日本的な沢登りの余地がありそうだとも思った。その後の滞在中にどこか沢行ってみようかなと思うものの、単独で行く勇気もなく、なんだか消化不良のまま日本に帰ってきたのであった。とはいえ、このころ時間だけは捨てるほどあったのでニュージーランド国内の地形図を読み込んだりした。その時に出した結論は、山岳地帯である南島の中で、氷河による地形への影響が限定的なカフランギ国立公園(南島の一番北)が良いのではないかというものだった。実際に良さそうな沢をピックアップしたりもした。そして5年ほどの月日が流れ、ちょうど南半球の盛夏にあたる2月に長めの休みを取る機会に恵まれた。最初はかねてから温めていたカフランギの沢に行こうと考えたのだが、いかんせんこの辺りの山は標高が低い。日本国内では下田川内のような例があるにしても、やはり流程の中にある程度標高差があったほうが魅力的な渓谷となりやすいのではと思い、別のエリアを模索することにした。あまりに険しい谷ではかえって何もさせてもらえないというジレンマを抱えつつ、高い飛行機代を払うのだから少しでも色々出てきそうな沢に行きたいと思うのが人情というものである。このような紆余曲折の末に出した答えが、「南島 West Coast 」であった。同地域はニュージーランド有数の田舎だが、サザンアルプス山脈が南島中央よりも西海岸寄りに走っており、すそ野が小さいことから山地までのアクセスがよい。なおかつ湿潤な気候によるものか山脈前衛部には深いV字谷が多く、特にHokitika~FranzJosef辺りがよさげである。今回はアプローチの観点から町から歩いて入山できるHarihari周辺の沢に狙いを定めた。船上の羽月さんとラインで打合せしながら、地形図を見る限り山域で最も登攀的と思われるTribute Creek を登り、最もゴルジュがすごそうなHot Spring Creekを下る計画を立てた。========2/17前日夕方から成田、オークランド、クライストチャーチと乗り継いできた飛行機は午前中にHokitikaに到着した。タクシーで市内まで移動してホテルにチェックインする。national kiwi center でキーウィを見たりする。街のキャッチフレーズはsmall cool town らしい。確かにいいところだけど1日で満足かな。まずは登山の拠点となる村のHarihariまで移動する必要があるため、インフォメーションセンターでバスについて調べると、1時間程度の距離の割に60ドル以上するそうで結構高い。相方の羽月さんは「高いな ヒッチにしようや」と言う。彼は某商船会社の船員なので給料はかなりもらっているはずだが、即座にこの選択肢が出てくるのは流石である。自分は社会人になって躊躇なく高速道路を使うようになったりしたが、失いかけていた物を思い出させてもらった気がした。2/18今日は我々にとっての登山基地であるHarihariに移動するだけの予定。8時に起き、カフェで朝ごはんを食べたのちにスーパーで酒を買い足したりしてからホテルを出る。町の横を流れる大きな川の橋の手前でヒッチを試みると、20分ほどでキャンピングカーに乗ったご夫婦が拾ってくれた。オーストラリアから3週間の休みで旅行中で、フランツジョセフ氷河を見に行くところだという。1時間ほどでHarihariに到着する。街に入る前に通り過ぎたWanganui川が思いの外大きい。これ渡渉大丈夫なのか。街に着いたらとりあえず荷物を置きたいのでキャンプ場にテントを張って昼飯を食べたりする。計画上は翌日に近くの日帰りの沢で足慣らしの予定であったが、翌日が雨の予報だったため、今日明日はハリハリに留まり、悪天をやり過ごしてからメインの計画に入山しようと話していた。しかし明後日の入山だと初っ端のWanganui川渡渉が雨後の増水で困難になると考え、降り出す前の翌日午前中に渡ってしまう方が得策と方針が変わる。そうと決まれば天気良く暇を持て余している今日中に渡渉点まで移動してしまった方がよいということで、山用にパッキングを行う。キャンプ場に余分な荷物を預けられないか頼むが、すげなく断られてしまった。しょうがないのでもう一軒あるペンションのようなところに頼みに行くと、荷物を預かってくれる上に入山地点まで車で送ってくれるという。何と親切な。Wanganuiの右岸にある林道通行止めの場所で降ろしてもらい、いざ出発。看板があり、この近辺はオポッサム駆除のための毒餌を撒いているため見つけても触らないようにとある。通りがかりのアベックに聞くとエリア内は水も飲まない方が無難とのことであった。入山地点から進むとしばらく歩きやすい林道だが、川による侵食が激しく、時折寸断されている。こうした場所に出くわすたびに巻道のようなものが付いているため急な登り降りがそれなりにある。しかも道はドロドロしている箇所も多い。そんな悪路になるとは知らず、下界で消費する予定だったスパゲティソース(ザックに入れると事故りそうな容器に入っていた)を片手に持って歩いていたため難儀した。2時間ほど歩いて渡渉点のHotSpringFlatに到着した。できれば今日中に渡って対岸にあるHotSpringCreekの偵察をしてしまいたかったため、渡渉を試みる。始めにHotSpringCreek出合の少し下流の瀞場のように見えるポイントで試すが、水圧重く危険を感じたため断念。吉四六どんの渡し舟よろしく引き返す。続いて少し下流の川幅が広い場所を試してみるがいきなり深くてまたしても断念。次に少し上流に見にいってみるが、良さそうなところは見つけられず、最後に2回目に試した地点の少し下から上下に中洲を繋ぐルートを試みるが、あと2,3メートルで流芯を越えられそう、というところで急に深くなり引き返し。これはまずい。地元の温泉おじさんが何なく渡って対岸の野湯に入っている記事を見つけ当てにしていたのだが、こんなところで敗退の可能性が出てきた。往復22万もかかったというのに…こんなところで日本人とのフィジカル差を見せつけないで欲しかった。そしてWanganui川本流も問題だが、尾根の裏に少しだけ見えるHotSpringCreekの谷も相当に険しく、でかそうだ。安易に入ってきたやつはぶちのめすぞという雰囲気がびしびし伝わってくる。でもまあ、今日は渡渉成功とはいかなかったが、Wanganui川の源流は氷河であり、朝の方が流量が少ないということも一応考えられるため、とりあえず日帰り沢への転進も視野に入れつつ渡渉点付近の河原で泊まることにする。荷物を広げたりしていると体やザックに悪名高いサンドフライがわらわらと群がってきた。ブユによく似ている。日暮れにいなくなるはずと思っていたらサマータイムで日没は21時と遅い。しかもやっと日が沈んだ後もしぶとく1時間くらい飛び回っており閉口した。こいつらには早寝遅起きを心がけて欲しいものだ。2/195時に起きる。今日は午後から雨の予報である。差し当たり雨が降る前になんとか渡渉を成功させたい。なるべく虫が出てこないうちに支度する。とりあえず昨日一番いい線行った中洲を繋いでいくラインでもう一度渡渉を試みることにした。昨日と同じように中洲まで渡り、そこから反対側の本流筋を渡るが、前日よりも中洲から上流側に遡ってから流芯に入っていく。へそより上ぐらいの深さになりスクラムを組んだりする。それでもじわじわと流され始めるが、足は下に着くので半分流れに乗りながらも河床を蹴って対岸までたどり着くことができた。やった!無事渡ることができたので、下降に使う計画のHotSpringCreekを偵察に行く。日本風に呼ぶとしたら「Harihari湯沢」といったところか。しかし牧歌的な名前の割に覇気がすごい。名前通り出合に温泉がある。ぬるめである。出会いからしばらくは河原だが、じきにゴルジュになる。谷が右に屈曲する辺りに釜滝があるが、すごい水量でとても手に負えない。ここでこの地域の沢の渓相やレベルを何となく察し、我々の実力ではとても事前情報なしに下降で使えるようなものではないことを悟る。とはいえ地形図を見る限り、この山塊では下降予定だったHotSpringCreekと遡行予定のTribute creekが両雄という印象なので、せめてTribute creekは登ってみたい。しかしそうなると問題は想像していた以上に密な植生である。Tribute creek上部はかなり険しく、計画段階から尾根を使って丸ごと捲く可能性を認識していたのに加え、下降路に沢を使えないとなると源頭から相当な骨を折って薮尾根を降りてこないといけない。結局、現実的な案として、Tribute creekを登れるところまで登って引き返してくる方針で進めることにする。先の読めない沢での同ルート下降ということで、滝を登っても降りてこられるか、捲きからの復帰で懸垂するにしても登り返せるかを常に考えなければならず、行動の選択肢に制限を感じながらの遡行となった。Hot spring creek出合いからWanganui川左岸を下り、Tribute creekに入る。出合のあたりこそガレているが、やがて小規模なゴルジュとなる。しかしまだゴルジュ内はゴーロ状のためどうということはない。260二股を過ぎると再び沢中をガレが埋める。上部に大規模な崩壊地を持つ300右股からもたらされたものだろう。320で左岸から滝となって支流が出合うといよいよ本格的にゴルジュとなり、また雨も降り出してきた。ゴルジュに入ってすぐの3mほどのF1は左岸側をボルダーチックに登る。直後のF2は右岸の2段の岩棚からお助けx2で越えた。その後もゴルジュの中に釜滝がいくつか出てくるが、いずれもツルツルかつ水量が多いため右岸の岩棚を辿ってまとめて捲いた(F3-9)。この間に雨に打たれてすっかり濡れ鼠になる。ガタガタ震えが止まらない。400二股で一度沢に戻ることができるが、二股の先も登れなさそうな釜滝(F10,11)が見えているため引き続き右岸を捲く。F10の落口右岸側はボロいリッジとなっており、岩棚が途切れてしまうためリッジの上まで登り、ルンゼを二つほど横切ってから登り返し可能なことを確認して懸垂で沢床に降りた。この捲きに1時間以上もかかったが、ほとんど進んでいないことに気付き一気に消耗する。ますます震えが止まらない。このまま進みつつテンバを探す事も考えるが、最もコンディションが悪い日に先の見えないゴルジュをこれ以上進むこともあるまいと考え、今捲いたところを少し戻ってテン場を探すことにする。先ほど懸垂した斜面の少し左のルンゼを登り返し、前述のボロいリッジの頭に出てから登ってきた斜面を降りると、整地すればなんとか泊まれそうな場所を見つけた。いよいよ本降りとなった雨の中頑張って整地したりタープを張ったりする。そうこうしているうちに沢はどんどん増水していった。ついさっきまで薪を探し回った大岩のあたりは完全に飲み込まれている。足元のF9を流れ落ちた水がゴルジュ内のちょっとした岩の出っ張りにぶちあたり、逆噴射した水飛沫がものすごい高さまで吹き上がっているのが見えた。水は茶色く濁り、水位はだいたい2-3メートルほど上がっているようだ。最近は雨が降りそうな時はわざわざ山に行かないことが多いのでこういう惨めったらしい目に遭うことはほとんどなく、かなり堪える。濡れものを何とか着干しできないかと粘るが気温低く湿度高いため全く乾かず、寒いだけなので諦めて着替えた。夕方になると雨が上がったため焚き火でもしようかと試みるが、元々普段泊まらないような湿気た森の中で良い薪が少ないうえ、雨もしっかり降ってしまったためうまく燃えなかった。7時ごろからもうひと降りあったりして、本当に明日晴れるのか不安になる。2/206時に起きる。くそ寒い。目の前には濡れた服が吊るされている。いまからこれに袖を通すのかと思うと心底うんざりする。着替えを先延ばしにしたくてゆっくり支度をしていると太陽が出て来た。途端に活力が湧いてくる。気合を入れて身支度をし、出発。昨日登り返したのと同じ場所を懸垂で下る。釜滝はへつって越えられないか試してみるがやはりつながっていないため左岸を巻きにかかる。途中に綺麗な青いキノコを見つけた。F11,12を捲いて懸垂せずに沢に戻り、ゴーロ帯を行くとやがてF13 20m斜滝が出てくる。左岸の草つきルンゼからお助けだして登るが長さが足らずごたごたする。その後沢は520で左に直角に曲がり、580二股の直前にF14 5mひょんぐり釜滝。左岸直登も考えたが左岸ルンゼから捲いた。懸垂して沢に降りると580二股。左股が本流だが、目の前のF15 3mはいいとして、奥に15mほどの登れそうにない滝(F16)があるため左岸の尾根に取り付き捲きにかかる。途中何度か降りようとするが、ゴルジュが途切れずなかなか下れない。同沢下降の予定なため、登り返しの目処が立たないと安易に懸垂が出来ず難儀する。3時間半ほど苦労して進むとようやく登り返せそうな岩盤の斜面を見つけた。650二股であった。懸垂で下り、捲いたゴルジュ中を見るために中を下っていくと、捲き始めの直瀑F16の上に10mほどの釜滝F17があるほかは特段何もなく、二つの滝ももっと短く捲けそうであった。上から見ていると厳しそうな釜滝がいくつかあるように見えたのだが、何てことはなかった。情報がない沢はやはりどうしても効率が悪くなる。懸垂した650二股に戻り、小滝を二つほど越えると690三俣に到着する。右股は20mほどの威圧的な直瀑で、本流は少し先に滝が見え隠れしている。開放的な地形で気持ちが良いのでここに泊まることにする。待ち望んだ焚き火で服を乾かす。元々の計画では何と町からここまで1日で来る計画だった。これぞ机上の空論。2/216時に起きる。放射冷却で冷え込み、結露がすごい。またしても震えながら支度する。下山に2日は見ておきたいので今日は残りの日程的に行けるところまで行って引き返すことになる。シュラフや余分な食糧はテンバに置いていった。テンバ出てすぐの二股手前のF18釜滝5メートルは右岸ルンゼから草つきを1ピッチロープ出した。続けて容易なF19 5mを右岸から容易に越えると直後に二股があり、両股が滝で出合っている。本流の左股は50mほどの斜瀑(F20)となっている。ツルツルだが寝ているのでこれも右岸寄りに直登すべく取りついていく。中ほどからトップで登っていた羽月さんが苦労し出したため、自分は途中で待機してロープ垂らしてもらった。冷える。確保してもらうとたいしたことないのだが、この手のフリクション系は高度感あると本当に怖い。苦手だ。この滝の後はしばらくゴーロとなるが、860二股の手前から威圧的に両岸が狭まり門のようになっている。F21 3mは登れないので右岸大岩の隙間から這い上がると、門の入り口に15mのF22がある。滝の下からその先の様子を伺うが、次の滝は見えず、F22は右岸直登できそうだったのでとりあえず登る。下部がヌメるがそれほど難しくはない。登ってみるとゴルジュの奥に3段30メートルF23が見えた。これは手が出ないので立ち木を支点に懸垂して戻り、左岸から高捲きを開始する。高捲きといっても要は立った斜面での藪漕ぎである。石楠花系の植物が高密度で生えており、斜度も相まって藪漕ぎとしてもかなりしんどい部類に入る。下から見た側壁はかなり高く、また急斜面と濃密な藪が合わさりルートの自由度が低い。じわじわトラバースしながらも100メートル以上も登ることとなった。そろそろ藪を漕いで2時間という頃、標高1000メートル付近で先を見渡せる場所に出る。そこからはtribute creek奥院の様子が目に飛び込んできた。支流も含め、足元から800メートル上の稜線まで水流のあるところ全て滝という光景である。中でも標高1100メートルまでが非常に困難そうに見えた。地形図によるとこのまま左岸を捲き続けても上流に106mの滝で出会う支流にぶち当たることになりかなり難儀しそうだ。引き返し時間も考えると、ここらで戻るのが妥当なところだろう。この先に進むにはあと2日か3日欲しいと思った。今回はこの光景を見られただけでも結構満足した。ひとしきり記念撮影を終えた後、登ってきた藪斜面を下った。河原を歩き、F19 40m斜滝は2段目は右岸捲き、1段目は懸垂で下降。F18は右岸を少しまいてから飛び込んだ。日がさしており気分爽快。16時ごろテンバに着いたので色々干す。今日は早めに寝た。2/226時起き。今日も今日とて寒い。この日はできるだけ沢を下りてwanganui川本流の渡渉点くらいまでは行きたい。テンバ出てしばらくはゴーロだが、650二股を過ぎると大まきしたゴルジュとなる。ほとんど中を行けることは確認済みなので降って行き、560二股上のF15-17 3m+10m+10m連瀑に着く。ここは左岸からブッシュ帯まで登って560二股の中間尾根を下った。その下のひょんぐり釜滝F14は登りでも左岸を巻いたが、下りではもう少し大きめに巻いて下ることに。左岸のルンゼをお助け出して登り、ブッシュ帯をトラバースして40m懸垂した。その後ゴルジュ状のゴーロを挟み、20m斜爆は登ったのと同じラインを懸垂下降。なんと懸垂の着地地点には持ってきたつもりだったが見当たらなかったキャメロット2番が落ちていた。やっぱ持ってきていたんだ、よかった。400二股上のゴルジュにあるF11,12はF12は右岸をクライムダウン、F11は右岸の岩にスリングをかけて懸垂した。F10は左岸をクライムダウンした。下降ではすでにタネが割れているのでほぼ中を行くことができた。雨をやり過ごしたテンバを懐かしみ、F9から2までは右岸を巻いて、3mF1は右岸クライムダウンするとガレの埋めた沢となった。川床から2メートルほどのところに増水跡ができていた。下りていると途中カモシカのなかまのシャモアらしき獣を見かけた。黙々と歩き、ついにwabganui本流まで帰ってきた。渡渉点まで遡りそのまま往路と同じようなルートでざぶざぶ進むとあっさり渡ることができた。浅瀬のつながり方の影響で帰りのほうが渡渉しやすそうだ。ついに安全圏まで戻ってくることができた!後は夏道を歩くのみ、と思いきや、道を外して急ながれ場登りをする羽目になったり、泥道で転んで突き指したりとストレスフルな道中だった。ついに車道まで到着し、靴づれを我慢しながら5キロほどのロードをこなすと、荷物を預けていた宿に無事戻ることができた。宿にはフリーの洗濯、乾燥機などがあり、洗い物や乾かし物を概ねその日中に済ました。預け荷物のビールで乾杯し、ふかふかベッドに潜り込んだ。========「「ニュージーランドでトラディショナルな一般的沢登りをするのにちょうどいい(=凡人が挑んでも捲きに終始するだけになるほど激しくなく、無味乾燥な河原でもなく、適度な難しさの滝やゴルジュが出てきて捲いたり登ったりできて、沢中2泊くらいを要する規模の谷をいくつか繋ぐことができる)場所を探してみよう」」というモチベーションで企画した今回の遠征だったが、この点についてはかなりの手応えを感じることができた。谷は中を行けたり行けなかったりして、ときには泊まるのにちょうど良い河原も出てくる。自分がこれまでやってきた沢登りをそのまま実践することができた。これは明らかに渓谷登攀やキャニオニングではなく沢登りと呼ぶべきものだ。そしてそれでいてやはり核心部は自分たちの実力を上回っていてまだまだ底が見えない。そういう意味で今回選んだ山域はまさに期待以上の場所だった。2ヶ月間目を皿のようにして地形図を眺めた甲斐があった。そして自分にとって得るものが大きかったのは、初めて地図しか情報のない谷に行き、まっさらな状態で沢登りを楽しめたことだ。もし仮に今回の引き返し地点まででグレードをつけるなら4級程度だと思うが、ゴルジュの先が見通せない状況で進んでいくのは何倍も難しく感じた。今回、遡行では捲きすぎてしまったきらいもあるが、主な原因は沢の未知性と自分達の力量によるものであって、渓相それ自体は捲きを要求する性質のものではなかった。現に、何が出てくるか分かっている下降ではほとんど内部を通過することができた。別に普段から記録をおぼえこんで山に入っているわけではないが、やはり少しでも見ると「この滝を捲いてゴルジュの中に懸垂し、ロープ引き抜いても詰まない」ことをある程度分かった状態で臨むことになるので、判断がはるかに容易であることを実感した。この辺の力量はアルパイン的な場数がものをいうと思うので、精進していきたい。総括すると、今回の一番の収穫はニュージーランドのWestCopastが沢登りの有望なフロンティアであることが確認できたことだと思う。自分自身の展望としては今回未遡行に終わったTributeCreek上流部にまたトライしてみたいし、それ以上に興味ある課題として下降予定だったHotSpringCreekの下部ゴルジュの中を踏査してみたい。興味あったらぜひ。
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2024-3-4 2:02 |
十勝~襟裳岬
十勝~襟裳岬(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-02-21〜2024-02-26メンバー: shibabemaru Mt-sunny kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:襟裳岬。風強過ぎて携帯飛ばされそうだった。・1221の登り。もう雪ない1009。はるちゃんからレモン。すごく美味しかった。イグルー掘ってる。固くて苦戦。C3。オキシマップ。スノーシューにさようなら。今までありがとう。十勝西尾根から楽古の方。1009の先。C2。渡邊は木登りが得意。C3から朝焼け。Ω1から東の方の景色ゴールは岬のトイレの中。風と寒さを避けるにはここしかなかったのだ。感想:私は青木さんチルドレンなので、テントを持ち、いつも端を選び、イグルーには最後に入って雪まみれになりながら出口を閉める、青木さんみたいなLになりたかった。辛いときに柴部大丈夫?って夢に出てきてくれるのは未だに青木さんである。重荷は持てないけど端っこで寝るのとイグルー閉めるのはやってた。少しは近づけたかしら。それにしても3年前に歩いたはずのルート、全く覚えていなくていかに自分が何も考えずについていくだけのMだったか思い知らされた。
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2024-3-3 20:32 |
松本深志高校イグルー講習@暴風雪
今年も高校山岳部のイグルー講習今週は例年この時期行う松本深志高校山岳部員のイグルー練習でした。白馬遠見尾根のスキー場トップ地蔵の頭です。 晴れてはいたのだけど、風が強く、猛烈な地吹雪の中での講習になりました。これまで数多くイグルー講習をしてきましたが、不思議と悪天になったことはなかったです。講習の段取りははじめ40分イグルスキーがデモで一個作る間、皆に観てもらうので、その間がちょっと寒いのですが、各々作り始めれば体が温まり、雪の中でもできます。 南岸前線で降雪はあったが晴れ、でも強風今回は各々が作り始め、ブロック一段目を掘り出して周りに積んだ頃合いで、スキー場のパトロールさんが来て、強風のためゴンドラの運転を停止したいので下山をと促され、中止して下ることに決めました。完成させてもらいたかったけど残念です。泊まりなら良いけど日帰り予定だったので。ゴンドラが止まるとスキーではないのでゲレンデを歩くのも良くないとのこと。 悪天急変冬山体験とはいえ地吹雪が猛烈で、冬山初体験の高校生たちにはイグルー作っているときからかなりキツい状況だったと思います。足先が冷たくなったと、はじめにイグルスキーが作ったイグルー内に避難する生徒もありました。 地蔵の頭からスキーゲレンデまで戻るほんの数百mの雪面も、来たときのトレースは完全にわからず、吹き溜まりの雪がまた腿までのラッセルになり、しかも地吹雪&ホワイトアウト。風上側の顔は白くエビ尻尾がつき、耳を覆わなければ冷たく痛い。素手で作業すれば即座に指が動かなくなる。こういう体験はやってみなくてはわからない。 直前に雪崩講義で「雪崩は傾斜地で積雪があればどこでも起きる」と聞いていたから、それも怖かったのではないか。その斜面が本当に雪崩れるかどうかの正解など、経験者だってわからない。この状況では、危ないかもと思っても、帰り道なら通るしか無いし、ホワイトアウトではそうそう距離を取ること自体がもっと不安だ。
イグルーができれば疲労凍死を免れるこういう状況のときこそ、イグルー技術が物を言う。今回は短距離の上経験者がいるから必要はないが、白い闇の中で数時間進まなければ帰れない状況のとき、いたずらに彷徨えば限りある体力を消耗し、集中力減退、体温喪失してなし崩しに疲労凍死してしまう。暴風の中のツエルトでは体温低下は免れない、その点、イグルーさえ作れれば、靴を脱いで乾いたものに履き替え、無風快晴になるまで待てば良い。山のピンチのほとんどは待てば解決する。 1989年遠見尾根雪崩遭難追悼イグルー作りの前に、まだ風が弱いとき、ここ地蔵の頭の沢を挟んだ急斜面で1989年の3月におきた研修中の雪崩遭難事故の追悼を行い花を添えた。その時死なずに済んだ赤羽さんを招き、昨年までずっと引率でここに来ていた西牧さんも来た。 僕らが下山を決めた強風の時間帯に、少し北の風吹山で10人巻き込まれる雪崩があり(全員無事)、大山でも。この強い風、関係があるかもしれない。 北海道大学山岳部・山の会 - 【読書備忘】天災か人災か?松本雪崩裁判の真実 泉康子 米山 悟(1984年入部) 北海道大学山岳部・山の会 Academic Alpine Club of Hokkaido AACH, Sapporo Japan 札幌 aach.ees.hokudai.ac.jp 作りながらイグルートークいつもは技術的な話しをしながらイグルーデモ製作を見せるのだけれど、今回は若手相手だし、イグルー話を大盛りで手を止めずに語りました。 なぜイグルスキーはイグルーを作るのか? なぜイグルーはテントに比べ安全なのか? なぜイグルーで山に行くと楽しいのか? なぜイグルーは北大山岳部で生まれたのか? これらをトークしながらノコギリ入れ、ブロック積みをしたので息が切れました。でもみな熱心に聞いてくれていて嬉しかったです。 |
2024-2-29 1:46 |
幌尻~十勝幌尻 2023年度春メイン2年班
幌尻~十勝幌尻 2023年度春メイン2年班(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-02-22〜2024-02-26メンバー: Nakagawa2019 koichiro_m onodera22 Sugiyama_2022コースタイム:コース状況/その他周辺情報:カチカチ山写真:翌朝いざ幌尻へエサオマンピーク山スキー部っぽいのを発見しコールを飛ばす両側にカールを抱えたエサオマンエサオマンから南望最後はカチポロ朝焼け燃ゆる幌尻エサオマンから北望。トッタベツが尖っている幌尻ピークこーしてトッタや幌尻振り返る中間岩の捲き。カチカチエサオマン頂稜おれたち天才〜七つ沼カールと頂稜あはれごっつぁんでした!トッタベツピーク林道にクマの足跡!こう!林道はデブリがたくさん長い感想:13回目のメイン、今季2度目の日高横断。ふるい勃たせてもう一回戦
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2024-2-26 8:17 |
シーハイル・モグラ地下街@栂池
山スキー団シーハイルはこの時期毎週滑っている広大な栂池は、シラビソやコメツガ茂る樹林の中に良い無人境があり、よいイグルー場所があります。今週末は山スキー愛好団シーハイルの面々がイグルー村を建設しました。 積雪十分、上部に温暖期の氷層あり、その下部狙う深さは2〜3m、雪質は上から、新雪20cm、先週の雨の氷+ザラメ層20cmほど、その下はしまってやや重いブロック向きの層がありました。一番浅い層は「使えれば使う」くらいの気持ちで軽くイナすつもりだったけれど案外一段目としては使えてしまいました。 そのザラメ層の下の締り雪層を本命に、積み上げ二段目からいきなり長いブロックを取って行きました。雪面下の構成は、ダメ層、良い層、良い層の三段です。その三段だけでほぼ屋根が塞がってしまい、側面から三角柱取りをする必要もなく、40分でできてしまいました。結局、屋根ができちゃった後も壁三方向を拡げ、床下ももう一層ブロックを切り出して室内を広げる必要がありました。こういうときは大きく作り始めてもよいのですが、やはりなれるまでは小さく作り始めるというのは基本です。時間も短時間で済むし。 イグルスキーの40分デモ製作のあと、人数が11人なので、中央部に集会所を作ってその周りに放射状に地下トンネルでたくさんつなげて行き来しようという感じで一人一軒ずつ作りました。イグルスキーがその横にもう一個大きめの集会所(十字路)イグルーを作って2つのイグルーの周りに9個の計画で、宅地造成スタート。 みな雪なれしているし、ノコスコの扱いもすぐ飲み込んでうまい。特にアドヴァイス不要なので、イグルスキーは二軒目を作ることが出来ました。 出来上がってみると、中央の十字路イグルー2つでは11人は入りきれず、一つせいぜい3〜4人まで。3箇所くらいで夜の集会になったようです。でもトンネルでつながっているので一番遠いところからも酒やツマミやチョコが回って来たりしました。基本全て個室なので、行き止まり部屋の人などは、ベッドに戻ってスヤスヤも自由です。イグルー間のトンネルは、プライバシーと便宜性と崩落未遂のバランスで大きさを決めます。まあ何度もやるとわかります。 初日の午後は無風快晴で白馬連山がタンネの垣間に見える朗らかな日だったので、外に掘りごたつトレンチを作って、山スキーの論題で飲酒会もしました。もう、4月の雰囲気です。 今回は以前にもイグルー講習をしたメンバーもいて、手応えを確かにしてくれたかな。初めての人も、モグラ帝国に感激してもらいました。 山スキー愛好家は、人一倍雪に親しんできたけれど、こんな別の雪の世界があると驚き喜んでもらい、イグルスキーは満足です。雪はパウダーだけじゃないし、ラッセル苦の重いやつだけじゃない。雪崩のデブリだけでもない。積んで潜ってごろごろ快適に過ごす雪もありますよ。雪は自由。 山行記録: イグルー作成訓練@栂池自然園 2024年02月25日(日帰り) 白馬・鹿島槍・五竜, 講習/トレーニング / tartletの山行記録 www.yamareco.com |
2024-2-25 8:55 |
道北/イソサム川から毛鐘尻山(東面滑降)
道北/イソサム川から毛鐘尻山(東面滑降)(山滑走/道北・利尻)日程:2024-02-23〜2024-02-24メンバー: saito1987 zeniya1990 Yanke1987 toda1977写真:ダムサイト左岸の尾根から入山直接頂上に上がる尾根に取りつくパウダー斜面を滑降手前の尾根に上がる日差しでやや重くなったがしっとり系のパウダー道北サイコー!一気に沢底までシアッシリと函岳鬱々としたトーウツ岳パンケオロピリカナイ川へ降りるピヤシリ方面滑降後のシュプール頂上から滑降札滑岳流氷だ〜帰りはあの斜面を滑ろう毛鐘尻山頂上流氷に向かって滑ろう毛鐘尻山近づくFull Moon & Fire !樹林帯を天場まで戻る流氷が岸に近づいた感想:オホーツク海へそそぐ雄武川支流のイソサム川沿いに車止めゲートを通り越してあれよあれよという間に雄武ダムまで行けてしまった。ダムサイトへ通じる左岸の道から尾根に取りつき、行動時間30分弱で天場。午後の時間を焚火と飲酒で過ごす。うっすらと降雪あり。陽が沈めば樹間から満月が昇り、天場を煌々と照らした。冷え込んだ朝、天場西の広い沢型からオープン斜面を繋ぎ、毛鐘尻手前の尾根筋へ上がる。背後の海には接岸まじかの流氷群が見渡せた。まずは樹林帯の滑走で隣の沢筋パンケオロピリカイ川へ。スノーブリッジの渡渉を経て毛鐘尻山頂上へ至る尾根に取りつく。ラッセルは踝。先週の熱波で焼かれたカタい雪面の上にしっとり系のパウダーが被っていて仕上がり具合は上々だ。毛鐘尻山東面の真っ白い斜面が目に入り、自然に顔がニヤける。毛鐘尻山頂上からは、南に札滑岳とウエンシリ、北にシアッシリと函岳、遠く道北ポロヌプリ、そばにピヤシリ、と、これまでに登った道北オホーツク側の山群を同定。頂上からは東面をパンケオロピリカイ川の源頭まで一気に滑降。こんな良い斜面が隠されていたとは。沢底から手前の尾根へ登り返すと、海風に流されて、流氷がだいぶ海岸線に近づいていた。エピローグは流氷の海に向かってオープン斜面を滑る。
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2024-2-22 23:25 |
防寒テムレスも重ね着推奨
イグルー作りに最適な防寒テムレス。以前、オーバー手袋と毛の手袋の重ね着だけだったときは出来上がるまでにオーバー手袋はびしょびしょになっていましたが、テムレスのお陰でイグルー作りは快適になりました。これまでも推奨してきましたが、そろそろ10年近く使って長所と短所がわかってきました。 防寒テムレスは中が濡れると乾かすのが難手袋の中に雪くずが入ったりして、中のボアが濡れることもあります。雪は溶ける前に出すよう努めるのですがそれでも濡れる。そうすると、中を乾かすのに苦労します。よる乾かすため完全にひっくり返して懐にいれるのも大変です。指の部分がなかなかひっくり返らない。日帰りや一泊くらいなら濡れても我慢しますが、長期山行の場合、朝までに乾かしていないと翌朝凍傷になることもあります。 それに中のボア素材はストック握りしめのラッセルなんかに使って一冬フルで使うとぺっちゃんこになって、全然暖かくなくなります。寿命が短いです。 厳冬期長期山行の手袋は一晩で乾かせる重ね着式山岳部員の定番は、薄いオーバー手袋+ウールの手袋でした。インナーの手袋は、気温に応じて薄いの、厚いのを使い分け、早朝氷点下13度以下や猛吹雪の体力消耗時など最大ピンチの指先が凍りそうなときにはハンガロン(厚いウール)を出しました。 薄いオーバー手袋は濡れたり凍ったりしても寝るときは放置でOK。乾かす必要もなかった。びしょ濡れでもマットの下敷きで氷漬けにしていました。どうせ朝イチで寒ければ凍って乾くし、暖かければそのまま乾くから。 濡れたインナー手袋は脇の下や懐に押し込んで眠れば、体温で朝までには乾きました。実によく出来ていました。 テムレスでも重ね着が良い同じようにテムレスも、内外一体型の「防寒テムレス」ではなく、「普通のテムレス」+毛の手袋(インナー)が良いと思います。ただし、普通のテムレスをわざわざ買わなくてもよく、いま持っている防寒テムレスのボアがクタクタになってきたらハサミで切り離して、中に履く手袋を別に用意すればよいです。 もちろん、初めて買うなら防寒テムレスでなく、大きめの普通のテムレスを買えばよいです。寒冷地のホムセン以外でも手に入りやすいし、低価格です。 おすすめのインナー・「ポチロン」中厚のウールなら何でも良いのですが、ウールでなくても私のおすすめは「ポチロン」という化繊で中がボアの手袋です。ポチポチがついていて、これだけでストックを握ってもフリクションがあり、何よりすごく丈夫で、普通のウールの手袋なら擦れて穴があき補修が頻繁なのに、ポチロンはすごく長持ちします。穴が空いた事がありません。もちろん化繊なのでマイナス13度以下くらいだときついのでウールも用意しておいてください。 裏起毛の秋、冬(低山)、春用手袋、ポチロン178円 - tanigawaさんの日記 2012年12月09日: 冬山でも低山や、林間のラッセルのアプローチなどでは、稜線行動用のダブルのオーバー手袋は暑くて、取り回しが悪くてやりきれない。アンダーだけで使うと濡らしたら後が怖い。かといって、綿の作業手袋は、濡れるとすぐ冷たくなる。純毛薄手の編み手袋は耐 www.yamareco.com テムレスのさまざまな用途イグルー内で炊事の雪取りでも、壁からノコでかけらを切り出して鍋に入れたり、隙間ふさぎのかけらをつまんだりするのに、冷たい雪に触らずにすみ重宝です。 他にも茹でたスパを取り分けるのに、直接茹で汁に手を突っ込んで麺を掴んで分けられます。箸でやるより早い。 更にはフンをしたあとペーパーレス水洗いで尻を拭くのにも結構便利。食用とは左右で区別してください。 結局雪山の手袋は薄テム、オーバー手、毛厚、毛薄、ポチの5種ですオーバー手しかなかった以前は、ストック握りしめてラッセルする摩耗で、オーバー手によく穴が空いてしまい、ツギハギだらけでした。かなり高価だったので直してつかいました。しかし、最近は極低温猛吹雪のときだけオーバー手+ウール、あとのほとんどはテムレス+ポチロンで済むので、オーバー手が長持ちするようになり嬉しいです。それに最近、こういう重ね着できる薄いオーバー手袋、あまり売らなくなってしまいました。長期山行をする人が減ったせいかもしれません。 いつでもテム・ポチ→オーバー・ウールにチェンジできるよう、雨蓋に入れてあります。吹雪の中で取り替えることになるので、ゴムバンドをつけておきます。
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2024-2-20 17:32 |
長い三角柱を切り出すとき折れてしまう?
太くないと折れる今週の講習では皆ブロックを丁寧に切り出すことが出来ていましたが、雪質が悪かったりするのか屋根づくりの決め手となる三角柱の長細いブロックがなかなか取り出せず、切り出すときに折れてしまうという声が多かったです。でもイグルスキーがそこにいってやってみせるとできる。なので、雪質のせいではなかった。原因の一つに、三角柱が細すぎて、長さと太さのバランスが悪いので折れる、というのを仮説にしました。 ここでおさらい、三角柱切り出し法とは雪面下三段くらいブロックを掘り出すと、1mくらいの深い壁に囲まれます。その壁から長細いブロックを切り出してラスト、屋根にして塞ぐのですが、平らな壁の裏側にはノコギリが入れられないため、四角柱ではなく三角柱で壁から横長の柱を切り出すのです。ノコギリの切れ目を出会わせるために。 壁から三角柱のあと、どやって続けるか? みなさんこんにちは!イグルスキー米山です。
今回は、屋根を塞ぐために長細いブロックを内部から切り出す三角柱切り出し法の、その後に付いて技術を図説します。しっかりイメージしといてね。
三角柱切り出し法のあとどうするか
ブロック切り出しは、切... igloosky.com 2022.03.26 一辺30センチの正三角形の柱を!30センチのノコ刃の長さがブロックの大きさを規定するのですから、三角柱を切り出すときの二本の横線の幅はズバリ30センチです。大胆にいきましょう。幅1mくらい狙ったら、太さは一辺30センチくらいないと折れます。太くても、三角柱は傾斜面を滑り降りてくれるから取り出しやすい。ぜひ大きいやつを滑り落としてくださいね。 それでもなぜか折れやすいとき前段階の竪穴を掘ってブロックを切り出しているとき、周りの壁に無造作にノコギリを食い込ませたりしていると、後で壁から三角柱などを切り出すときに思わぬ切れ目があって逆襲を受けます。ノコとスコップを持ち替えるときは絶対ブロックを切り出す予定のない、すでに積んだブロックの隙間などに刺すようにしよう。スコップは壁に立てかければよし。 イグルーづくり、結構細かい気遣いありますよ。
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2024-2-18 21:20 |
岳都松本イグルー講習・乗鞍2024.1st
参加メンバーはやる気マンマン松本市の岳都フォーラムの講習でイグルー募集したら、数日で30人枠×2回分が満席。やる気マンマンの人々が福島から神戸から江戸相模武蔵から名古屋岐阜から大阪からそして長野松本から詰めかけてくださりました。深雪は少雪だけどこの高さまでくれば170センチで十分。 しかもかなりの人がすでに自習でイグルートライ済み。動画もイグルスキーブログも熟読済みで、きょうは絶対アンダーワンナワー(1時間以内完成)を!というやる気の高さをヒシヒシ感じてうれしかったです。 イグルー作り楽しい! 明らかに完成一歩手前のスキル持ちの人が多かったです。話をよく聞いてくれる人ばかりでトレンチ切り出し方はほぼ出来ていて、でかいブロック切り出しが出来ていました。 講習は日帰りスケジュールだったけど、30人中7,8人が自主宿泊で、今夜は自作イグルーに泊まりました。 きょう講師として学んだ現場の気付き○三角柱切り出しは、壁の下なので一回見せただけではなかなか再現できない→細長いブロックなので太くないと真ん中で割れる、もっと思い切ってデカく太く切り出すべし とても楽しんでもらえて、イグルスキーも褒められてとても楽しかったです。 ※昨年大雪で電車と国道が止まって、イグルスキーが名古屋から松本に来られなくて中止になったときの参加予定者が沢山いて、ありがたかった。諦めずまたきてくれてありがとう。 ※13年前にデナリ山群で遭難死した北大山岳部の後輩の兄貴が来てくれていた。会えて、彼の話ができてうれしかった。 |
2024-2-14 8:48 |
オロフレ~ホロホロ~徳舜
オロフレ~ホロホロ~徳舜(積雪期ピークハント/縦走/道南)日程:2024-02-10〜2024-02-11メンバー: shibabemaru Mt-sunny kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:ここから登る。道路。靴擦れしたオロフレ手前。写真じゃわからないが結構急で苦戦オロオロから見下ろす。写真じゃわからないがなかなか急だった。徳舜から。みんな早くおいで。オロフレ。全部見える。テンバより林道に合流。渡邊のフルーチェ。とても美味しかった。今日の渡邊のネーベンホロホロ、視界なし。朝焼け色テンバ。実に快適感想:2年班なら1日で行けるでしょう。
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2024-2-13 1:13 |
十勝連峰/美瑛丸山
十勝連峰/美瑛丸山(積雪期ピークハント/縦走/十勝連峰)日程:2024-02-12(日帰り)メンバー: Yanke1987 babaaコースタイム:写真:滑降2滑降3ピークにて滑降1林道のラッセルは足首から脛上部のラッセル、時折現れる作業道を行く感想:東京からババァ氏がやってきて旭岳温泉に投宿しているという。せっかくなので未踏峰の美瑛丸山を目指すことにした。林道は両泉橋までトレースあり、オプタテ中央稜を登っていたパーティとすれ違う。その後のラッセルは足首から脛位、林道終点に着いたのは11時過ぎで、ここまで結構時間かかった。その後もラッセルが続く、登るにつれ脛・膝、場所によっては腿まで。ピークに立ちたい一心で交代しながら黙々とラッセルを続けるのはAACHの神髄。時間が押していたので早々に下山、短いながらもパウダーを堪能。車に戻り、次回山行の約束をして解散。
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2024-2-12 21:09 |
乗鞍高原イグルー・滋賀労山チーム
積雪170 cm、標高2000mイグルーです昨年夏から早々にオファーを頂いていた滋賀労山の15人に講習しました。暖冬少雪でシーズン縮小かと心配ですが、ようやく満足の積雪になりました。イグルーは50センチで作れるけど、講習会となるとビギナーだからたっぷりあったほうがいいのです。スキー場終点から10分以内のシラビソ林の向こうで実施しました。 今回のリーダー、信森さんは、以前このブログでも紹介したイグルー好きです。琵琶湖沿岸山脈で何度か自作していましたが、今回は強い意欲で講習会を企画してくれました。自力で研究に励んだ人なので今回は大いに飛躍したとのことでした。うれしいです。 越前、銀杏峰・部子山からイグルーたより こんにちは、イグルスキー米山です。
またまたイグルーたよりが届きました。滋賀県の山岳会・彷徨倶楽部のNさんとTさんが、先日1/29-31まで2泊、初イグルー泊に成功しました。イグルスキーを参考にしてくれたそうです。嬉しいです。今年の日本海... igloosky.com 2022.02.06 接近イグルー村は歩行に注意4〜5人単位で、トンネルで繋げ、晩飯など一緒にしたらどうかと思い、割と至近距離にイグルーを建造したので、なんだかアルベロベッロの円錐屋根村みたいな雰囲気になってきました。翌日は雪を載せ、更にメルヘンな景観に。 しかし、イグルーが近くて参加者が多いと、壁際の踏み抜き事故も多発し、イグルスキーの初めのイグルーもなにかのはずみで瓦解。日暮れ前に急いでもう一つ作り直す羽目になりました。
製作アドバイスで多かったのは●ブロックが小さすぎる。40センチ以下は全部捨ててください。 などです。それぞれ、過去の記事で詳しく書いていますが、また次回から改めて書こうと思います。イグルー作りの要点は、「いかに大きくて長いブロックを切り出すか」これだけなのです。 アドバイスが至らなくて悔やまれたのは●いつもデモで作って、屋根まで完成したら各自製作に入ってもらうので、中の広げ方などまで見せられない。屋根が落ちるのが怖くて、加減が分からず広げが不十分だと、狭い空間で寝ざるを得ない。座って寝た人もいて、申し訳無かった。 などです。 今回は聴覚障害のある3人と手話通訳さんが来てくれて、とても熱心にやってくれました。聞こえる人でも伝えるのが難しいこともあるハの字などもよく理解してくれてとてもうれしかったです。完成したときの嬉しい顔がとても良かったです。 ああ、松本に移住したいなあ、という人もいました。来ちゃってくださいよ。 イグルーで気ままに、常識に縛られない山行計画を作りたいという人もいました。それこそイグルーの持つ可能性の核になる部分だとイグルスキーも思います。
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2024-2-7 8:36 |
武利武華
武利武華(積雪期ピークハント/縦走/大雪山)日程:2024-02-03〜2024-02-04メンバー: shibabemaru Mt-sunny kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:JP武利方面イグルー。急。一年目ラッセルありがとうライオン岩の方晴れ。林道。JPから武利方面。武利。玉木登頂の瞬間。あとは帰るだけ向こうの尖ってるのが武華感想:武利、無理じゃなかった。
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2024-2-6 8:26 |
中ノ岳~神威岳
中ノ岳~神威岳(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-02-03〜2024-02-05メンバー: Nakagawa2019 koichiro_m onodera22 Sugiyama_2022コースタイム:写真:ニシュオマナイと神威C1中ノ岳と小八剣その先も細い区間が続く神威へ大変よくがんばりました小八剣へ感想:タフな準山だった。メンバーは根性あり頼もしい。メイン並の満足度
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2024-2-2 1:14 |
浜益御殿
浜益御殿(積雪期ピークハント/縦走/増毛・樺戸)日程:2024-01-27〜2024-01-28メンバー: shibabemaru Mt-sunny kaneko23 tamaki_2023コースタイム:写真:533くらい750くらい6時半近いのに暗いトイレ用イグルー時間待ち。渡邊のネーベンは何故かフランスパン。テンバ。確かに樹林限界超えてなかったかも。時間待ち玉木のイグルー晴れた。感想:The Dayだと思ったんだけどな
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2024-1-31 11:39 |
八剣山
八剣山(アルパインクライミング/札幌近郊)日程:2024-01-31(日帰り)メンバー: Nakagawa2019 onodera22 Sugiyama_2022写真:ギャグみたいに細い感想:<ルートと時間>果樹園(6:40)登攀開始(8:00)八剣山(14:20)果樹園(14:50)曇りのち雪。 取り付きまでのラッセルは膝くらい。稜線上の雪庇は0.5〜1m。リードは4p目以外全てL。1p目 Ⅲ+くらいの岩。灌木/イボイボ/#0.1でビレイ。20m。2p目 かなり細い雪稜。雪の状態が不安定で難しい。馬乗りになったりする。コルの木でビレイ。50m。3p目 引き続き細い雪稜。Gap手前で灌木/イボイボ*2でセルフとり腰がらみ。40m4p目 急なcd。先にM2人を腰がらみで降ろし、Lは降りた先のコルの木でセカンドビレイしてもらい降りた。10m。5p目 ちょっと細い雪稜。ピーク手前コル付近の岩でハーケン/ナッツ/#0.3でビレイ。60m。6p目 Ⅲ級くらいの岩。ピーク看板掘り起こしてセルフ取りスタンディングアックス。55m。あとはピークから東に降りる夏道で下山。春メイン2年班準山2.5回目雪稜、ナイフリッジ、ロープワーク
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2024-1-31 6:06 |
月光の白馬連峰イグルー
写真家は場所が一番写真家や絵描きの友人らと栂池の奥の方でイグルー泊をしてきました。全部で5人。写真家は、朝夕のサムい時間もくつろいでいませんよ。イグルーから抜け出してゴソゴソやっています。イグルー出たら絶景ババ〜ンというロケーションを地形図見て決めました。 連結イグルーは4,5人が理想イグルーは全員が練習したいので、人の数だけできます。自分で作ったイグルーには泊まってみたい。でもみんなで顔も合わせたい。ってことで、最近のスタイルは、真ん中に4〜5人集まれる大きめイグルーです。周りに個室イグルーを放射状に作って地下トンネルで出入りするというものです。それぞれのイグルーには出入り口をつけるも良しつけずにほかから出入りするも良し。こうすると、トイレもそれぞれの個室で気兼ねなくできるし夜中に出入りしたければ自分の専用出口を使えば良いのでとても良いです。もちろん真ん中でくっつき合って眠るのも温かい。イグルーは4〜5人を超える大きさは、かなりよいブロックでないと難しいです。 専用出口の使い分け個室イグルーの出入り口は、撮影などしたい人はツエルトを架けてしのいでいます。寒いですが。風でとれたりもします。そういうときはブロックで壁を作ってしまい、トイレは中で済ませます。個室では音はほとんど外に聞こえないし、香りもすぐに失せます。 写真家は夜中も明け方も宵闇時も出入りするので、個室だと気兼ねがありません。イグルスキーも写真家の端くれですが、スマフォカメラしか持っていないので、壁を作って出入りしません派でした。 食事はみんなで真ん中イグルーに集まって鍋とか最近はパーティーで登ってもキャンプ指定地では個室テントで泊まっているらしいぞ、と驚いていましたが、イグルーはまさにそれできます。しかも、飯時だけは集まって鍋がやれます。なんだかイマっぽくないでしょうか。 今回はノー記録エリアの冬季山行を志向する、イグルスキーと嗜好の合うユカさんが、ぜひイグルー技を身に着けたい、とのことで熱心に 、嬉々として研鑽を積んでいました。頼もしいです。イグルーで、マイナー山域の長期山行行きましょう 通りかかって飛び入り参加したモカさんは、寝袋フリーで一夜過ごして「足先が冷たくて死ぬかと思った」とのこと。イグルスキーも足の指先が冷えて眠れませんでした。感覚も対策もそれぞれですが、指先にホッカイロをいれたゲキさんは安眠。イグルスキーも冷える夜は小さいPTボトルに70℃のお湯をいれて象足にいれます。この晩は外気温マイナス13℃、中はマイナス3℃くらいとおもいます。死ぬかと思ったことが一つ一つそうでもなかったことに変わっていくのが山登りの面白いところですね。 山行記録: イグルー講習会 栂池 2024年01月28日(2日間) 白馬・鹿島槍・五竜, 講習/トレーニング / yoneyamaの山行記録 www.yamareco.com |
2024-1-24 10:36 |
北大山岳部のイグルー稽古2024・平地下掘り式
北大山岳部のビバーク訓練北大山岳部は正月休みの長い山行と春休みの長い山行、その間の週末を使った週末山行で、冬はすごーく忙しい。この時期は一年目部員対象の基本練習+サバイバル練習があります。その機会にイグルー作りを身につけます。イグルスキーのイグルー技術は日進月歩して世界最先端なので、以前はやっていたけど最近はこっちの方がいいや、というのがいくつかあり、それを披露しに行きました。2年目以上の 学生は基本的にみなイグルーくらいすぐ作れるんですよ、すごいでしょう。 そして、作ったイグルーでテントフリー、寝袋フリー、ストーブフリーで一晩耐える練習をします。「そこにあるもので凌いで晴天を待つ!」カッコいいですよね。山登りの戻るべき原点です。 最新イグルスキー式は、クズ雪出さずの掘り下げ式イグルー以前は、技術的に楽な雪洞が主流だった名残で、急斜面の際にイグルーを作り、最後に整地した時出る「くず雪」を掻き出すというのがありました。しかし最近のイグルスキーの見解では、 ★ブロック作りをトレンチ法で丁寧にやれば「くず雪」は出ない ★最後に内部を広げまくった時に出る「くず雪」も地面の下に敷き詰めてしまえばそのうち沈んでなくなる という点を伝えました。次に詳しく話します。 ★ブロック作りをトレンチ法で丁寧にやれば「くず雪」は出ないイグルー作りの決め手は「角と平面のきいた、丸くない大きなブロックを丁寧に切り出すこと」でした。こうでないブロックは崩落の元です。このためにノコの切れ目に気を配れるかどうかが分かれ目です。こうして石切り場か氷切り場みたいに角材が出れば、くず雪がでませんね。くず雪を外に掻き出すエネルギーで疲れずにすみます。そして前に触れた、「三角柱切り出し法」によって、部屋内側面の拡張も果たせます。これでかなり「くず雪」をなくせます。側面の三角柱とその下部のブロックは細長くとれるので、屋根材に適しています。 以下過去の記事ですが繰り返し重要なポイントです。 トレンチ切り出し法・残雪季に特に使う方法
硬めの雪の季節のトレンチ法
積雪が1mほどあるならば、イグルーの壁の中だけからブロックをとって、屋根まで作ってしまいます。下一層目は普通にサイコロブロックをとって周りの壁を作り更にその下の層からもとります。その際は、踏み固まった足元か... igloosky.com 2023.03.16 壁から三角柱のあと、どやって続けるか? みなさんこんにちは!イグルスキー米山です。
今回は、屋根を塞ぐために長細いブロックを内部から切り出す三角柱切り出し法の、その後に付いて技術を図説します。しっかりイメージしといてね。
三角柱切り出し法のあとどうするか
ブロック切り出しは、切... igloosky.com 2022.03.26 ブロック切りの基本・ハの字には2つある こんにちは、イグルスキー米山です。
イグルーで屋根が塞がるかどうかは、長くて角が揃った、平面がきれいなブロック切りの技術が重要です。
奥の方で三方向の切れ目を合わせる
奥の方で縦、横、底面の3つの切れ目がきちんと合えば、スコップでガジガジ... igloosky.com 2022.04.16 ★最後に内部を広げまくった時に出る「くず雪」も地面の下に敷き詰めてしまえばそのうち沈んでなくなる側面からのブロックを使ってイグルーの屋根ができてしまっても、まだ数人寝るのに十分な広さがないときは、側面の壁をスコップでバンバン削ります。見かけは一人用のイグルーでもこの作業で軽く3〜4人用に拡張できます。その結果出る大量の「くず雪」を、出入り口からスコップで出すのは大変です。こういうときは部屋の中央に盛り上げて、ズンズン踏んづけたりズンズン寝転がったりして、床下に沈ませてしまいます。結構これで広いスペースになるし、何時間かみんなで過ごしていると、どんどん下に沈んで行きます。疲れちゃうからこれでいいのだ。 平地下掘り式は、どこでも作れる私も以前は、急斜面のヘリは雪庇もできるし雪が多く作りやすいのに対し、平地下掘り式は雪のかき出しが厄介そうで避けていました。しかし、このように「くず雪」処理をこなすと、もはや雪原の真ん中でも作れて、イグルー作りの自由度が上がります。 要は確かな切り出し技術、これに尽きます。今回ほとんどのメンバーは切り出しを器用にこなしていて、特にアドバイスは不要でした。 今回の札幌行きでは、ビバーク訓練の学生とはおさらばしてOB4名はヘルベチアヒュッテに泊まって翌日は白井岳の北面を滑る日帰り山行してきました。以下にヤマレコ記録です。 山行記録: 山岳部イグルー、ヘルベチアヒュッテ、股下山と白井岳 2024年01月20日(2日間) 札幌近郊, 積雪期ピークハント/縦走 / yoneyamaの山行記録 www.yamareco.com
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2024-1-24 1:31 |
札幌近郊/朝里岳
札幌近郊/朝里岳(山滑走/札幌近郊)日程:2024-01-20(日帰り)メンバー: saito1987写真:エリコ山雪中訓練場より朝里岳方面翌朝−18℃の冷え込み小屋から裏手の斜面を登り、股下山を目指す朝里岳から戻ってくると、先輩のイグルスキー講習真っ最中。実践を積み重ね、独自の理論を進化させている。一緒に山の中でギャーギャー作っていたころが懐かしい。一度下山してヘルベチヤに泊まる正月明けからだいぶ積もったようだ雪崩捜索訓練中「アバラ〜ンチ」の声が響く日本人なら「ナダレ〜」では?雪庇の合間から崖尾根へ乗る頂上から西寄りの快調斜面に吸い込まれてしまったが、軌道修正して無事朝里岳沢へ雪質は良いが地すべりの微地形が鬱陶しい冬型緩んで天気も良さげ。山岳部の雪中訓練についてはきたものの、体がムズムズし始め、ひとり朝里岳へ向かう。戻りは沢筋へつながるメロウな斜面を一気に。股下山頂上付近白井岳頂上ガスの中で視界利かず屋根の雪で煙突が完全に埋まり、潰れかけていた。日没寸前、煙突周辺のみを除雪小屋帰着白井岳残照明日はあの付近を滑ろう股下山から白井岳目指す正面の崖尾根へ沢筋をトラバースして近づく
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2024-1-22 1:58 |
芦別岳 北尾根~冬尾根
芦別岳 北尾根~冬尾根(積雪期ピークハント/縦走/芦別・夕張)日程:2024-01-20〜2024-01-21メンバー: Nakagawa2019 koichiro_m onodera22 Sugiyama_2022コースタイム:写真:夫婦岩2日目朝本峰Ω芦別下りのトラバースザンギカレー(接写雲海の向こうに十勝大雪の山並感想:最近は日高ばかり行ってたので久しぶりに地図とコンパスを真面目に使いました
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2024-1-22 1:35 |
札幌近郊/朝里天狗岳からエリコ山まで
札幌近郊/朝里天狗岳からエリコ山まで(積雪期ピークハント/縦走/札幌近郊)日程:2024-01-20(日帰り)メンバー: Yanke1987コースタイム:写真:帽子をかぶったヘルベチア朝里天狗から屏風の舳先、左側を巻いて登るイグルー村三角点朝里岳方面舳先を踏んでおく感想:現役のビバーク訓練・イグルー講習会に参加するついでに近郊未踏峰を狙う。ラッセルは終始脛位。エリコ山に着いた頃には訓練・講習会はほぼ終わっていた。朝里岳まで行きたかったが時間切れ。夜はベチアで宴会。
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2024-1-16 8:42 |
トヨニ岳~野塚岳~オムシャヌプリ
トヨニ岳~野塚岳~オムシャヌプリ(積雪期ピークハント/縦走/日高山脈)日程:2024-01-13〜2024-01-14メンバー: Nakagawa2019 koichiro_m onodera22 Sugiyama_2022コースタイム:写真:感想:あの日あの時以来のΩ泊でした
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2024-1-15 21:47 |
北大山岳部員、中札内村でイグルー講習
北大山岳部と中札内村中札内村は、最も長く深く日高山脈に通っている北大山岳部と連携をしています。往復の計画ではないためクルマ入山ではないことが多い北大山岳部の山行では、林道終点までのアプローチが結構大変です。その入山下山の便宜を地元ならではの、できる範囲で少々はかってもらう一方で、村民にとっては地元であるのになかなか足を踏み入れられない日高深部の魅力を山岳部員に講演会などで伝えてもらうというものです。 中札内村と北大山岳部の関係は創立当初の100年前から深く、1940年のペテガリ岳厳冬期初登遠征の雪崩遭難の時や、1943年の初登成功の際にも、中札内分教場の男澤先生はじめ、地元の人々に並々ならぬ支援を頂いてきました。 日高山脈の国立公園化に向けて、地元でも日高を知りたいという動きの一環での提携です。日高は未整備天然の領域が広く、地元の人といえども現代社会にあっては相当な山好きかつ相当休みの多い人でなければ深部へは行けません。とても良い試みと思います。 山岳部員がイグルー講習会イグルーづくりは誰にでも興味を持ってもらえる入り口だと思います。それに日高のペテガリ岳はイグルー史上の聖地です。1943年の厳冬期初冬記録は、イグルーなくしてはできませんでした。中札内村民にこそ、イグルー文明に加わって頂きたいです。 世界遺産とか国立公園とか、いろいろ政治的、経済的に大きな機会なのかもしれませんが、地元の人がどれだけその天然世界を理解し体感できているかが大きいと思うのです。体感できていない人が、政治的、経済的な話を進めてしまうことが多いだけに。青森に住んでいた時、白神山地の最深部には一般の人には時間的、技術的になかなか行けないために地元の人にさえその価値が共有できていないという印象がありました。元々、力量ある人しか入れなかったエリアでの、世界遺産登録に伴う入域規制で、さらに益々その天然世界へのアプローチは阻まれた感がありました。 深い天然世界を知るための入り口として子どもたちにイグルーを体感してもらいたい。私も強くそう思います。 雪山登山、イグルーで体感 日高山脈国立公園化PR事業実行委【中札内】 | 北海道ニュースリンク hokkaido-nl.jp イグルー作り、北大山岳部に学ぶ 中札内 冬山の雰囲気体験:北海道新聞デジタル 【中札内】雪のブロックを積んだ住居「イグルー」を作る催しが14日、中札内文化創造センター敷地内で開かれた。参加者は北大山岳部員からイグルーの作り方を学び、2時間ほどで完成させた。... www.hokkaido-np.co.jp |