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山の会昔語り・ 2006年7月12日 (水)

山の会裏ばなしー(12) ドーバーの広い崖?
ドーバーの広い崖?


北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)

知床は今ではもう知らぬ人はないところだが我々が入部した昭和二十五年には、よ
ほどの物好きでない限り「知る必要のない」知床だった。
しかし、山岳部はやはり山岳部で、半島の中央に位置する羅臼岳には魅力があり
時折夏山の対象として話題に上がっていた。岩尾別から入るのが最良の方法とされ
ていたが、国鉄斜里駅かえの道路はウトロまでで、その先は原始林だった。道路は
三十年半ばに自衛隊の工兵訓練で出来たものだと聞く。
したがって、当時はウトロから漁船を雇って原住民が地の果と呼んでいたというイワ
ウベツ川の河口に接岸して、ここから登りはじめるのだという。漁船は焼玉エンジン
でポンポンとけたたましい音をたてて動く、いわゆる「ポンポン蒸気」だった。こんなア
プローチにも魅力があったのは、これを語ったY先輩の話術だった。彼は通称K、古
参の現役部員。 
「ドーバーの白い崖のような絶壁の下をポンポン蒸気で行き、岩尾別の河口に接岸
する」と言うのである。しかし小生は残念ながら現役時代にこの山へ行く機会はなか
った。
その時は真面目に聞いていたのだが、後で考えてみると海峡の横断飛行や横断水
泳などの夢を孕んだ、そのドーバー海峡を訪れて実見した人は我々の仲間には未だ
居なかったようなのだが!
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