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記事・消息・ 2007年2月28日 (水)

宮井さんのお通夜
2月25日、宮井さん(81入部)が亡くなった。そのお通夜が小樽で2月27日あった。

25日はよく晴れた気温の低い日曜日で、宮井さんは積丹岳を単独で登った。持参のカメラの写真によれば、おそらく登頂しているようだ。下山して車を運転中、心臓が止まったそうだ。ガードレールで車は止まった。家まで数キロの所だった。

会場にはその日の山の装備が置いてあった。ナダレヒモやAACHと書いた赤のデポ旗、自作デストロイヤーの目出帽、予備のハンガロン、細かく防水パックしたマッチろうそく、水線とコンタラインを書き込んだ地形図など、山岳部現役の基本そのままの個人装備を一つずつビニール袋でパッキングしてある。几帳面な性格を思い出した。僕が入部した春、この装備の意味を一つ一つ説明して揃える面倒を見てくれたのは宮井さんだった。

生涯最後の日に晴れた積丹に登り、春の日本海を見下ろした様を想像した。この季節の積丹はまだ第一級の冬山だ。天候、雪崩の判断も難しい。ガリガリでバリズボの稜線、アタックの時間読みの駆け引きもある。山は久しぶりだったそうだが、この日のアタック、いろんなそれまでの社会でのいきさつから行こうと思って計画し、結果貫徹したのだろう。どんな気持ちだったのか。できることなら本人に聞いてみたい。久しぶりのマジな山で、ちょっとはビビったりしたんじゃないかな。社会や仕事でおかれた身でなすべき事をしてきて、僕達山岳部員のささやかな成功(山行の企画と貫徹)をこの日深く味わい、家族の待つ家に帰るところだった。人は誰でも死ぬ。宮井さんの死は悪くないと思った。なぜならお通夜におつきあいして、宮井さんが家族みんなにとても深く愛されていたのを感じたからだ。お父さんお母さん奥さん五歳二歳のこどもたち。いつまでも棺からはなれられなかった。

お通夜と翌朝の告別式へは前田さん、キンペイさん、キンドーさん、スエさん、松っつあん、樋口さん、藤原さん、ホースケさん、高原さん、ノムラさん、タゴサクさん、名取さん、米山、ディック、しゅうじ、たまちゃんが来た。それから高校の教え子達。

(米山・84入部)
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