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山の会昔語り・ 2009年1月24日 (土)

山の会裏ばなしー(25)ー消えたネコダ
山の会裏ばなしー(25)

    消えたネコダ

北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
入社して半年の実習を終えると、寮の大部屋での生活から個室へと移った。その寮を早々に訪ねて来たのが四年後輩で通称もNのN君だった。涸沢をベースにして奥又白で岩登りをやっての帰りに冬山の寄付集めに来たという。彼は後にこの松高ルートの積雪期初登攀を成し遂げているが、この時はまあ良かろうということで募金に応じ、ついでに札幌への用件を一つ頼んだ。

それは加納一郎大先輩に頼まれていたネコダというものを届けて貰うことだった。ネコダとは飛騨地方の農家で使われていた筵で作った民芸的な実用品で、筵で袋のような物を作り縄の負い紐を付けてサブザックのように背負う牧歌的な民具である。加納先輩にお渡しするには深い訳があった。

前年の夏山の遭難で鈴木康平君を亡くして教養部の部長教授から山岳部の存亡にかかわる非難を受け、その経緯と対策について全学に分かる掲示を出すよう指示を受けた。その文案の推敲をお願いしたのが加納大先輩だったのである。そんな経緯から赴任前にご挨拶に伺った。すると先輩は

「飛騨にはネコダというものがある。一つ欲しいのだが」

と仰しゃったのだった。流石の博識に恐縮しつつ赴任早々に手に入れ、正月の帰省の折に年始を兼ねてお届けしょうと思っていたのである。丁度いい機会、早いに越したことはないとN君にお届けを頼んだのである。

ところがである、彼は汽車の網棚に載せてひと眠りしている間に、自分の荷物もろとも持って行かれてしまったそうである。

正月になって年始のご挨拶とシャレこんで大先輩を訪問すると、加納さんは開口一番「あのネコダはNさんが持って帰る途中で盗まれちゃったそうだ」と

奥さんともども大笑い。気難しいこの大先輩の笑いを見たのはこの時の一度限りだったような気がする。
  • コメント (1)

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米山   投稿日時 2009-1-27 21:56
ネコダ見てみたいです。加納さんはおもしろい趣味をお持ちだったようですが、僕も興味深く想像しました。ネコダってのはどんなだろうか。

この時代は遭難が多く、いまこんな遭難したらあっちこちから砲撃されてタイヘンだろう。昔はユルかったのかな、等と思っていましたがやはりそれなりにタイヘンだったのですね。やはり遭難はタイヘンだからいけません。
 
 
 
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