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山の会昔語り・ 2009年1月24日 (土)

山の会裏ばなしー(26)ー日本のチベット、川の曲がり目
山の会裏ばなしー(26)

   日本のチベット、川の曲がり目

北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
神岡町に赴任して三年目に小生は社宅に入っていた。その夏早々にC、N、S君の三人が現れた。Wがリーダーで通称はC、Nは通称もNでシンマルのSには、あだ名がなかったという。驚いたのはその後現れた同輩のY君通称Pが来た時だったらしい。その時は少しましな社宅に移っていて玄関口は風雪よけの雪廊下になっていた。夕方の薄暗がりから

「きむらくんいますか」

との声に、薄暗い入口に目をやると、どこかの天体からでも来たような異星人的な風体が立っていたというのである。

それはさて置き、この時来た三人は昭和三十一年度の夏山として穂高に入った九人のメンバーの片割れだった。滝谷、北尾根、ザイテングラードなどを積極的な行動で、岩登りも堪能してきた様子だった。夕食も終えて山の話も一段落したところでN君が突然後輩のS君に向って

「お前、何処で採れたんだ」と聞いた。S君は

「生まれた所ですか」と問い返して

「奥さん、日本地図ありませんか」と言って地図をもってこさせると、福島県に入り込んだ阿賀野川の最奥の上流辺りを指して

「この川の曲がり目です」と。

すかさずN君は「日本のチベットから来たのか」と。

この地、飛騨も当時は日本のチベットと言われていたが、わが家では今でもS君は「川の曲がり目さん」で通っている。

その後の話でこの「川の曲がり目」君は、北大の受験で上京か来道した折りに初めて汽車を見、海も見たということだが、これは例による針小棒大化かもしれない。しかし、小生が学部へ移行の折にはドサンコの同級生で、ショッパイ川と呼ばれていた津軽海峡を渡ったことのある人は皆無に近かったのは事実である。
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