OBの山行記録・ 2005年4月26日 (火)
友人の遭難でメップ岳
●2005年4月
【ルート】
利別目名川林道→カスベ沢左岸尾根→吊り尾根→メップ岳北西尾根より遭難現場往復
【メンバ】
米山悟(84年入部)、卜部浩一(水産WVOB)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
4月23日
利別目名川林道ゲート車デポ(6:30)発→除雪終点(7:00)→カスベ沢左岸尾根末端(7:55)→吊り尾根稜線(9:45)→遭難現場メップ岳北西尾根標高900m(11:00-12:20)→尾根末端(14:50)→林道ゲート車デポ(16:00)
【天候】
小雨のち吹雪、視界有り
4月10日、函館に来て以来つきあいのあったマツダ君とその仲間のカワツ君がメップ岳で遭難して、カワツ君が死んだ。春にしては硬く凍った尾根上でアイゼン無しのまま20m滑り落ち、ダケカンバにぶつかってそのまま息を戻さなかった。その日ヘリは二人を見つけられず、救助は翌朝になった。マツダ君はヒザが凍傷になるまで甦生に努めた。冷たいミゾレの夜をイグルーで過ごした。現場に残った装備一式を取りに、八雲の北川君、熊石の卜部君と僕との三人で登った。二人と僕は初対面だが、共通の友人が多く、山センスもすぐに理解した。
仕事の後、特急で八雲へ行き、そのまま薪ストーブのある北川宅に前夜泊。翌朝は北檜山で熊石の卜部君と合流して林道ゲートまで。途中まで除雪が入っていて、そこからスキーで尾根末端目指す。少し小雨。尾根はスキーで登るに適した傾斜で、濡れた新雪にシールがよく利く。小雪に変わるが視界は利いている。メップ山頂の少し手前、遭難現場辺りまでが、かすんでいるがぎりぎり見える視界だ。尾根上はブナの疎林で良い感じだ。
吊り尾根に出るところはトラバースが少し怖い。白い斜面で、凍った層に新雪が乗っている。傾斜が緩まる高さまで横着せず登ってから、小さくトラバースする。吊り尾根に出ると厳しい風。日本海側からの風雪がかなり強い。尾根上は雪庇が真上に伸びているようなところがいくつかある。最低コルあたりでアイゼンに替える。雪は締まっていて吹きだまり以外はほとんど潜らない。雪つぶてが目に痛く目出帽を下ろす。
遭難現場にはスキーがまだ立ててあり、イグルーの天井は落ちていたがビバーク跡もすぐに分かった。南側斜面20mほど下のカンバの脇にカワツ君のザックを発見。その場所に花と線香など立てて黙祷する。現場の斜面は急ではあるが、ここが硬く凍っていたとは特別な気象条件だったと思われる。ザックには食料に生のイカ開きがあった。船乗りの彼は、最初に会った函館山西岸の海岸歩きではイカ飯を作ってきてくれたし、家で飲んだときは一夜干し、船で飲んだときは沖漬けを出してくれた。話さずとも気持ちの伝わる良い雰囲気の持ち主だった。
二人分のザックとスキーなどを三人で背負って下る。山頂はガスの中で、行く気がおきなかった。結構な重さになったが、下りの尾根のスキーはそれなりに快適に滑り降りた。ブナの尾根というのは悪かった試しが無い。尾根末端に着くと、除雪がそこまで進んで来ていた。スキーに乗ったり引っ張ったりして林道を歩き終える。
北檜山の町民食堂でカレーやラーメンをがつがつ食べ、臼別温泉という秘湯に浸かり、そのまま熊石、見市川畔の卜部宅にやっかいになる。季節もののサクラマスのルイベをごちそうになって、飲んでいるうちいつしか記憶を無くす。翌日の好天は昼過ぎまで登りやすいタンネのある庭で焚き火して過ごし、カワツ君のイカも焼いて食べた。卜部、北川両氏とは、今後の道南山行を約束した。カワツ君の取り持った仲だ。お別れと出会いあり。
【ルート】
利別目名川林道→カスベ沢左岸尾根→吊り尾根→メップ岳北西尾根より遭難現場往復
【メンバ】
米山悟(84年入部)、卜部浩一(水産WVOB)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
4月23日
利別目名川林道ゲート車デポ(6:30)発→除雪終点(7:00)→カスベ沢左岸尾根末端(7:55)→吊り尾根稜線(9:45)→遭難現場メップ岳北西尾根標高900m(11:00-12:20)→尾根末端(14:50)→林道ゲート車デポ(16:00)
【天候】
小雨のち吹雪、視界有り
4月10日、函館に来て以来つきあいのあったマツダ君とその仲間のカワツ君がメップ岳で遭難して、カワツ君が死んだ。春にしては硬く凍った尾根上でアイゼン無しのまま20m滑り落ち、ダケカンバにぶつかってそのまま息を戻さなかった。その日ヘリは二人を見つけられず、救助は翌朝になった。マツダ君はヒザが凍傷になるまで甦生に努めた。冷たいミゾレの夜をイグルーで過ごした。現場に残った装備一式を取りに、八雲の北川君、熊石の卜部君と僕との三人で登った。二人と僕は初対面だが、共通の友人が多く、山センスもすぐに理解した。
仕事の後、特急で八雲へ行き、そのまま薪ストーブのある北川宅に前夜泊。翌朝は北檜山で熊石の卜部君と合流して林道ゲートまで。途中まで除雪が入っていて、そこからスキーで尾根末端目指す。少し小雨。尾根はスキーで登るに適した傾斜で、濡れた新雪にシールがよく利く。小雪に変わるが視界は利いている。メップ山頂の少し手前、遭難現場辺りまでが、かすんでいるがぎりぎり見える視界だ。尾根上はブナの疎林で良い感じだ。
吊り尾根に出るところはトラバースが少し怖い。白い斜面で、凍った層に新雪が乗っている。傾斜が緩まる高さまで横着せず登ってから、小さくトラバースする。吊り尾根に出ると厳しい風。日本海側からの風雪がかなり強い。尾根上は雪庇が真上に伸びているようなところがいくつかある。最低コルあたりでアイゼンに替える。雪は締まっていて吹きだまり以外はほとんど潜らない。雪つぶてが目に痛く目出帽を下ろす。
遭難現場にはスキーがまだ立ててあり、イグルーの天井は落ちていたがビバーク跡もすぐに分かった。南側斜面20mほど下のカンバの脇にカワツ君のザックを発見。その場所に花と線香など立てて黙祷する。現場の斜面は急ではあるが、ここが硬く凍っていたとは特別な気象条件だったと思われる。ザックには食料に生のイカ開きがあった。船乗りの彼は、最初に会った函館山西岸の海岸歩きではイカ飯を作ってきてくれたし、家で飲んだときは一夜干し、船で飲んだときは沖漬けを出してくれた。話さずとも気持ちの伝わる良い雰囲気の持ち主だった。
二人分のザックとスキーなどを三人で背負って下る。山頂はガスの中で、行く気がおきなかった。結構な重さになったが、下りの尾根のスキーはそれなりに快適に滑り降りた。ブナの尾根というのは悪かった試しが無い。尾根末端に着くと、除雪がそこまで進んで来ていた。スキーに乗ったり引っ張ったりして林道を歩き終える。
北檜山の町民食堂でカレーやラーメンをがつがつ食べ、臼別温泉という秘湯に浸かり、そのまま熊石、見市川畔の卜部宅にやっかいになる。季節もののサクラマスのルイベをごちそうになって、飲んでいるうちいつしか記憶を無くす。翌日の好天は昼過ぎまで登りやすいタンネのある庭で焚き火して過ごし、カワツ君のイカも焼いて食べた。卜部、北川両氏とは、今後の道南山行を約束した。カワツ君の取り持った仲だ。お別れと出会いあり。
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コメント一覧
野入
投稿日時 2005-4-27 16:00
昨年の夏に函館山の海岸で河津さんが作ってきてくれたイカ飯を思い出しました。海水に浸水したのを焚き火で焼いた味が微妙においしかったのが印象に残ってます。本当に惜しい人を亡くしました。合掌。