書評・出版・ 2016年12月6日 (火)
【書評】 冒険登山のすすめ 米山悟
山ガールいざなう、本格登山の入門書
(藤原章生 ちくまNo.548 2016.11月号p16より)
実情を私自身調べたわけではないので不確かだが、2011年3月の大地震でこんな話があったと聞いた。全身ずぶ濡れで高台に避難した人々が、寒い中、暖もなく凍えながら救助を待っていたという。もし、彼らにたき火をする術が身についていれば、心理状態もかなり違っていたのではないだろうか。
本書を読んで、そんなことを思い出した。この本は単に登山技術を教えるだけでなく、一般の人のサバイバル術としても有効だ。夏山から猛吹雪の冬山まで、いかに少ない装備で、どう工夫して生き残るかをきめ細かくつづっている。
「平成登山ブーム」という言葉がある。神奈川県の湘北短期大学准教授の山形俊之さんが命名した言葉で、要は平成に入ってこの方、登山者数の高止まり状態が続いているそうだ。レジャー白書の推計で平成に入ってからの平均登山者数は約八〇〇万人。年に一度のハイキングや富士山詣でも含まれるので、こんな数字になるが、実際の登山愛好家は「一〇〇万人程度」と雑誌「山と渓谷」の方が話していた。
そんな一〇〇万もの人々の最近の流行は、人が築いた基準、コースにのっとった「百名山」にも通じる「ブランド登山」で、〇八年ごろ急増する「山ガール」の登場もそれと重なる。北アルプスの槍や白馬などの人気コースにファッショナブルな人がひしめき、登山ブームを底上げしている。
著者はこうした人気コースを「公演」と呼び、そこから離れた本当の山の楽しさを紹介している。登山道具店が宣伝する高い装備やGPSなど余計な機器は一切使わず、限られた装備、食料で山を楽しみ、どう生き抜くかを、実体験とともにつづる。
本書は単なるマニュアル本ではなく、著者の登山人生を語る半生記でもある。信州の一高校生が山の喜びを初めて知ったのは、何の変哲もない一七〇〇メートルほどの裏山だった。一人で藪こぎをしながら這い上がるうち、疲れて寝込んでしまい、気づいたら夕暮れ間近。焦って登り続けると、さっと視界が開け、一面青い花が咲く頂上にたどりつく。まるで神々しいものにでも出合ったかのように、著者はザックも降ろさず花畑をさまよい、一人で夜を明かす。<自由の実感。自分一人だけで、この山頂と特別な関係を結んだ>と記しているように、著者は人気コースでは決して味わえない魔力にこの時とりつかれた。
その後、北海道大学山岳部に入った著者は、夏は燃料やストーブはもちろんテントももたない沢登りから、やはりテントなしでイグルーや雪洞だけで縦走を企てる厳冬の登山まで、装備に頼らないシンプルな山登りを身につけていく。
著者の登山思想を一言でいえば、新たな道具に頼らないからこそ人間力が身につく、ということだ。人はGPSを使えば地図が読めなくなり、強固な登山靴をはけば、地下足袋で味わえる石の感触、無駄のない歩き方を身につけられなくなる。テントを利用すれば、目の前にある雪は邪魔なもので、それを使おうという考えは浮かんでこない。
NHKのカメラマンとして、時にヒマラヤや国内の山岳撮影をしてきた著者が、自分のための登山を三〇年間もやめずに来たのは、やはり高校の時の藪山の至高体験が胸に深く刻まれているからだろう。だが、これは著者だけの特権ではない。
「ブランド登山」を楽しむ登山客にしても、相手は山である。ひょんなことから道を間違えたり、雷雨にやられてひやりとしたり、不安を抱えとぼとぼと道を探した経験に見舞われることはままある。そんな山の怖さ、自身の焦りにこそ「倒錯」」とでも呼べそうな」魅力を感じる人が中にはいるはずだ。そんな人たちが「ブランド」に飽きたらず、山らしい山に」入りたいと思う瞬間がきっと訪れる。だが、どう始めたらいいのか。そんな時、本書を開いてみれば、山の魔力にひかれたように、するするとその世界の門が開かれる。山ガールを始め登山を目指す人たちをいざなう、ありそうでない、実に貴重な「本格登山」の入門書と言える。イラストも秀逸だ。
(ふじわら・あきお 新聞記者)
ちくまプリマー新書 冒険登山のすすめ
米山悟著 820円+税 2016.10刊
(藤原章生 ちくまNo.548 2016.11月号p16より)
実情を私自身調べたわけではないので不確かだが、2011年3月の大地震でこんな話があったと聞いた。全身ずぶ濡れで高台に避難した人々が、寒い中、暖もなく凍えながら救助を待っていたという。もし、彼らにたき火をする術が身についていれば、心理状態もかなり違っていたのではないだろうか。
本書を読んで、そんなことを思い出した。この本は単に登山技術を教えるだけでなく、一般の人のサバイバル術としても有効だ。夏山から猛吹雪の冬山まで、いかに少ない装備で、どう工夫して生き残るかをきめ細かくつづっている。
「平成登山ブーム」という言葉がある。神奈川県の湘北短期大学准教授の山形俊之さんが命名した言葉で、要は平成に入ってこの方、登山者数の高止まり状態が続いているそうだ。レジャー白書の推計で平成に入ってからの平均登山者数は約八〇〇万人。年に一度のハイキングや富士山詣でも含まれるので、こんな数字になるが、実際の登山愛好家は「一〇〇万人程度」と雑誌「山と渓谷」の方が話していた。
そんな一〇〇万もの人々の最近の流行は、人が築いた基準、コースにのっとった「百名山」にも通じる「ブランド登山」で、〇八年ごろ急増する「山ガール」の登場もそれと重なる。北アルプスの槍や白馬などの人気コースにファッショナブルな人がひしめき、登山ブームを底上げしている。
著者はこうした人気コースを「公演」と呼び、そこから離れた本当の山の楽しさを紹介している。登山道具店が宣伝する高い装備やGPSなど余計な機器は一切使わず、限られた装備、食料で山を楽しみ、どう生き抜くかを、実体験とともにつづる。
本書は単なるマニュアル本ではなく、著者の登山人生を語る半生記でもある。信州の一高校生が山の喜びを初めて知ったのは、何の変哲もない一七〇〇メートルほどの裏山だった。一人で藪こぎをしながら這い上がるうち、疲れて寝込んでしまい、気づいたら夕暮れ間近。焦って登り続けると、さっと視界が開け、一面青い花が咲く頂上にたどりつく。まるで神々しいものにでも出合ったかのように、著者はザックも降ろさず花畑をさまよい、一人で夜を明かす。<自由の実感。自分一人だけで、この山頂と特別な関係を結んだ>と記しているように、著者は人気コースでは決して味わえない魔力にこの時とりつかれた。
その後、北海道大学山岳部に入った著者は、夏は燃料やストーブはもちろんテントももたない沢登りから、やはりテントなしでイグルーや雪洞だけで縦走を企てる厳冬の登山まで、装備に頼らないシンプルな山登りを身につけていく。
著者の登山思想を一言でいえば、新たな道具に頼らないからこそ人間力が身につく、ということだ。人はGPSを使えば地図が読めなくなり、強固な登山靴をはけば、地下足袋で味わえる石の感触、無駄のない歩き方を身につけられなくなる。テントを利用すれば、目の前にある雪は邪魔なもので、それを使おうという考えは浮かんでこない。
NHKのカメラマンとして、時にヒマラヤや国内の山岳撮影をしてきた著者が、自分のための登山を三〇年間もやめずに来たのは、やはり高校の時の藪山の至高体験が胸に深く刻まれているからだろう。だが、これは著者だけの特権ではない。
「ブランド登山」を楽しむ登山客にしても、相手は山である。ひょんなことから道を間違えたり、雷雨にやられてひやりとしたり、不安を抱えとぼとぼと道を探した経験に見舞われることはままある。そんな山の怖さ、自身の焦りにこそ「倒錯」」とでも呼べそうな」魅力を感じる人が中にはいるはずだ。そんな人たちが「ブランド」に飽きたらず、山らしい山に」入りたいと思う瞬間がきっと訪れる。だが、どう始めたらいいのか。そんな時、本書を開いてみれば、山の魔力にひかれたように、するするとその世界の門が開かれる。山ガールを始め登山を目指す人たちをいざなう、ありそうでない、実に貴重な「本格登山」の入門書と言える。イラストも秀逸だ。
(ふじわら・あきお 新聞記者)
ちくまプリマー新書 冒険登山のすすめ
米山悟著 820円+税 2016.10刊
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