梅雨の走りで天候不順な昨今だったが、当日一日だけは珍しく晴れ上がった。富士山を背景とするこの山は遠景の残雪を狙うのが一番とヤマをかけてこの日を計画したのが的中したようだ。
集まったのはこのハイクのベテラン?(=古狸)大井センセイ、渡辺ダン吉、大村の諸氏と、岳友の佐藤君、小生(ヤシ)の5名。
大峠までタクシーを使用したので登りが少ないとダン吉の口が少しとがったようだったが、残雪の富士山を背にした少々の登りは、眺望の少ない当ワンデーハイクのコ−スとしては別格のものだった。周囲の山々満喫。五百円札の裏絵の富士山の写真を撮ったという場所だけのことはあった。金山峠を越えて、尾根道を使って金山鉱泉に出る。ここは小枝君、浜名君が幹事で2回ばかり月見の会をやったところである。小枝君は今はなし、当時を忍びつつタクシーで大月に出る。
今回の最年少は大村(富士夫)。1974年鹿島槍赤岩尾根の遭難は彼より少し後のことのようだが、帰り道でそれをちょっと振り返ってみた。報告書の後書きに『行動計画以外のルートからの下山。安易な判断を下させた下地が現在の山岳部に内在したことも事実。ここ数年の山岳部に蓄積された曖昧性が遭難というかたちであらわれた』と寸鉄がくだされて
いた。山行計画もぼつぼつでている当方も兜の緒を閉めねばと思い直す。