No,坂本直行のピッケル
製作者銘:MANUFACTURED-BY-KADOTA SAPPORO初代:門田直馬(1877-1954)
坂本家より当館へ寄贈された直行愛用のピッケルは、札幌門田のごく初期、1932(昭和7)年作である。
ヘッド長31?、楕円形の頭抜き構造でピックにN.SAKAMOTOの刻印がある。全長86?で、フィンガー長は160?で3点止め、ブレードは二等辺三角形、製作銘はレモン型二重楕円の中にMANUFACTURED-BY-KADOTA SAPPOROとある。
この銘は山岳部員で門田直馬にアイゼンとピッケルの製作を指導した和久田弘一(工機1934年卒)が、門田ピッケルを世に出すにあたって命名したものである。門田はその後、昭和8年にはSAPPORO KADOTA、昭和10年頃から炭素鋼を用いたものにはSAPPORO BERGHEIL K.I.W.と刻印した。
ヘッド長31?、楕円形の頭抜き構造でピックにN.SAKAMOTOの刻印がある。全長86?で、フィンガー長は160?で3点止め、ブレードは二等辺三角形、製作銘はレモン型二重楕円の中にMANUFACTURED-BY-KADOTA SAPPOROとある。
この銘は山岳部員で門田直馬にアイゼンとピッケルの製作を指導した和久田弘一(工機1934年卒)が、門田ピッケルを世に出すにあたって命名したものである。門田はその後、昭和8年にはSAPPORO KADOTA、昭和10年頃から炭素鋼を用いたものにはSAPPORO BERGHEIL K.I.W.と刻印した。
「時折頼まれる原稿を書いて、山岳雑誌などに寄稿したりしたが、僕はその原稿料をためたりして、昭和七年にようやくピッケルとアイゼンを手に入れてよろこんだ。それは門田の製品だった。死んだ門田のおやじ(注:門田直馬)は、僕のおやじ(注:坂本弥太郎)と若い時、北海道に渡った時からの懇意さもあってか、特別入念な作品をくれた。今の門田のピッケルとくらべるとひどくごついものであるが、まだ愛用している。当時学友に和久田というのがいて、材料の分析まで行い、門田の現在のニッケル、クロームの製品を作り出させた。学友和久田の功績は後世に残るものである。アイゼンの方は日高登山の時(注:昭和8年冬、札内川より北日高諸峰登頂)寒気のために折れ、再び入念の作を門田からもらって、現在それを愛用している。楽しくない借り物のピッケル、たとえそれがシェンクにしたところで、門田に及ぶわけがない」
(坂本直行「山と絵と百姓と」北海道の山8号、1961年1月より)
【参考】門田のピッケルについてはこちらのサイトが詳しい.
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