ログイン
::
お問い合せ
::
サイトマップ
::
新着情報
::
おしらせ
::
HOME
山岳館
山岳館蔵書ガイド
80周年記念写真集(DVD)
第4章 戦後再出発と山脈縦走登山1945年〜1957年
メニュー
メイン
ブログ
連絡
北大山岳部の案内
北大山岳館
新人勧誘ポスター
-------データ-------
山岳館蔵書検索
書籍電子化
海外遠征記録
山の会会報
ヤマレコ山行記録
画像アーカイブス
-------企 画-------
創立90周年記念「寒冷の系譜」
北大山岳館講演会
空沼小屋保存計画
日高山脈の地名問題
最新投稿記事10件
記事・消息
(123)
現役の計画
(59)
現役の報告
(183)
One Day Hike
(41)
OBの山行記録
(157)
書評・出版
(78)
部報解説
(18)
山の会昔語り
(32)
アーカイブ一覧
コメント一覧
投稿する(要権限)
画像UP(要権限)
投稿方法
お知らせ
概要と連絡先
ゲストブック
名簿・正誤表
メーリングリスト(手続)
aach-mlアーカイブ
--戻る--
第1章 山岳部創立前史(大正期)
第2章 北大山岳部創立と日高山脈の開拓1926年 〜1935年
第3章 “遥かなる山ペテガリ”への挑戦1936年 〜1945年
第4章 戦後再出発と山脈縦走登山1945年〜1957年
第5章 直登沢、集中登山、そして海外遠征 1957年〜1969年
第6章 厳冬期ヒマラヤ8000m峰登頂 1969年〜1982年
第7章 新しい山旅を求めて 1983年〜1995年
第8章 創立100周年へ向けて 1996年〜
前書き・あとがき
--カテゴリ--
北大山岳館
└山岳館収蔵品
└ピッケル
└シュタイグアイゼン
└スキー
└登山用具
└絵画
└坂本直行の遺品
└山岳館蔵書ガイド
└明治・大正期(〜1925)
└昭和期1(1926〜1930)
└昭和期2(1931〜1935)
└昭和期3(1936〜1940)
└昭和期4(1941〜1946)
└翻訳本(1925~1940)
└翻訳本(1942~1945)
└南極・北極
└洋書
└洋書・戦前のヒマラヤ登攀記録
└北大山岳部々報
└80周年記念写真集(DVD)
└90周年記念海外遠征史
└蔵書ガイドブックレット
└山岳館講演会講演集
└電子化図書
└文化活動
└北大山岳館講演会
└画像アーカイブス事業
└ヘルヴェチアヒュッテ八十五周年
└北大山岳部創立90周年記念
└書籍電子化
└北大山岳部
└北大山の会
└北大スキー部
└海外遠征報告書
山岳館蔵書ガイ...
80周年記念写...
第4章 戦後再...
北大山岳館
利用案内
山岳館の場所
蔵書検索
|
山岳館収蔵品
山岳館蔵書ガイド
文化活動
第4章 戦後再出発と山脈縦走登山
昭和20年〜昭和32年
解説
1944(昭和19)年夏日高以後、終戦まで登山は中断された。しかしながら早くも終戦の年(昭和20年)12月にはあらゆる物資が不足する中で、部員の非常な努力により先輩、部員14名が参加して例年どおり十勝岳で冬山合宿が行われた。
翌昭和21年からは山岳部の再出発が積極かつ意欲的に図られ、先輩達を講師に招いての講習会や山行準備会などを通じて懸命な努力がなされた。そして同年夏には早くも北日高へ5班12名、中央高地へ1班3名が入山し、12月の十勝合宿には先輩を含む26名が参加した。
1948(昭和23)年1月奥村敬次郎先生らによるイドンナップ岳初登、同年2月橋本誠二らによるナメワッカ岳初登、昭和24年1月山崎英雄らによる北トッタベツ岳初登など、戦前に匹敵する実力を持つまでになった。
中央高地、日高山脈に未踏峰が無くなった時、次に部員達が情熱を燃やしたのは縦走登山であった。この形式の登山は、1949(昭和24)年1月の橋本誠二らがピリカペタン沢に設営したBCから主稜線にキャンプを出して、札内岳からカムイエクウチカウシ山を往復したのを皮切りに毎年のように試みられた。
雪氷技術と幕営技術(雪洞、イグルー)が向上したことが、過酷な稜線上での行動を可能にした。この成果の延長として1951(昭和26)年冬に十勝岳大雪山縦走、1956(昭和31)年冬に日高山脈全山縦走が成功したのである。
1954(昭和29)年、新学制への切り替えが完了し、当然の結果として在部年数は旧制6年から新制の4年に短縮した。その為、12月の冬山合宿の他に5月の連休を利用した十勝春合宿、11月芦別合宿を行い、部員のスキーと雪氷技術の向上に努めた。
この年1月に行われたトッタベツ川から幌尻岳、カムイエクウチカウシ山への極地法による縦走の成功は、新制で育った部員に部の運営方法に自信を与えた。
この間、山崎英雄と橋本誠二OBの日本山岳会マナスル登山隊への参加、山岳部が主体となった北大極地研究グループの犬ぞり研究、中野征紀、菊池徹、佐伯富男、小林年の第1次南極観測隊への参加があり、部員にとって海外遠征が身近に感じられるようになった。
戦後初の冬山は、ポロシリ岳、余市岳、恵庭岳、旭岳に各1パーティが、羊蹄山に2パーティーが入山した。
Tweet
|
|
第3章 “遥かなる山ペテガリ”への挑戦1936年 〜1945年
80周年記念写真集(DVD)
└第1章 山岳部創立前史(大正期)
└第2章 北大山岳部創立と日高山脈の開拓1926年 〜1935年
└第3章 “遥かなる山ペテガリ”への挑戦1936年 〜1945年
└第4章 戦後再出発と山脈縦走登山1945年〜1957年
└第5章 直登沢、集中登山、そして海外遠征 1957年〜1969年
└第6章 厳冬期ヒマラヤ8000m峰登頂 1969年〜1982年
└第7章 新しい山旅を求めて 1983年〜1995年
└第8章 創立100周年へ向けて 1996年〜
└前書き・あとがき
第5章 直登沢、集中登山、そして海外遠征 1957年〜1969年