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件名 | クライマーほど信仰に一途なやつらはいない。 米山悟(1984入部) |
要旨 | クライマーほど信仰に一途なやつらはいない。7月15日、那智の滝を登っていたクライマーが警察に捕まった。神主が警察を呼んだそうだ。世俗上の罪状は不法侵入とか世界遺産云々とかだそうだ。クライマーほど宗教的に真面目なやつらはいない。山岳信仰とか修験道とかお山... |
- Re: クライマーほど信仰に一途なやつらはいない。 米山悟(1984入部)
- 投稿者: いはら 投稿日時: 2012-11-6 20:07
- 山岳信仰と同様、どこの地域にも昔から女体信仰とか男根信仰というのがあるかと思いますが・・・。
いいオンナがいて、やむにやまれぬ信仰心で、同意も得ずに無理矢理してしまうというのは、世俗上の罪であって、愚かではないといってもいいのでしょうか?
日本という国は、江戸期ころまでは、性に対して結構奔放で、野良で、河原で、夜祭りで、あちこちで楽しんでいたようですが、まぁ今はそんな『時代』ではないですね。
確かに、ご神体だから登ってはいけないという理屈はないかもしれません。しかし相手に対して十分な礼をつくすという姿勢は必要だと思います。
和解してお祓いとのこと、報道されてしまっては、登ったという事実は消せないし、天誅を加えるか、許すかとなれば『許す』という選択をせざるおえないないのも、やはり『時代』のせいであって、寺社が独自に兵力を持っていた時代であれば、警察へも通報せず取り殺していた可能性は高いですね。そうすれば2700年の伝統は維持される訳ですから。
現代においてはもう一歩踏み込んで、2700年に一度の神事として、改めて水垢離・お祓いの上、白縄、白装束を与え、完登させるというのも一興かと。
信仰というのは、人々の精神のよりどころにもなるし、それ故、人々を支配・制御する道具にもなります。もしかしたら現代の信仰は、法令や情報(マスコミ)ということになるのかも。
最後に、AACHさん、二礼二拝ではなく、二拝二拍手(or二礼二拍手)の誤記ですね。