山の会昔語り・ 2006年7月12日 (水)
山の会昔語りー(11)
キャベツ捨てていいですか
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
入部二年目の夏山はサッシビチャリ沢川を遡行してシビチャリ山からヤオロマップを経て札内川を下る計画をたてた。昭和二十六年である。この沢の右股上流は夏も未踏だったようである。
この山を目指したのは、昭和二十五年一月、カムイエクチカウシに登頂したパーティーが、シビチャリ山の東面にカール状の地形があると報告していたことによる。未だ誰も入ったことがない。ことによると本格的なカールかも知れない。
リーダーは二年先輩のNさんが買って出て二人で行くことになったのだが、小生はこのN先輩と山行を共にしたことはなかった。ルームであれこれと準備していると、前年にこの先輩のリーダーで夏山に行ったという渡辺祐男先輩、通称センボーが現れて彼のリーダー像を語った。
札内川八ノ沢からカムイエクチカウシ山に向い、四日目にカールバントを登り始めたところでメンバーのFさんが力尽きたらしく
「キャベツ捨てていいですか」と言ったという。
N先輩はキャベツを受け取って自分のルックに詰めたほか、重そうな物をかなり背負ってずっと山行を続けたという。
ところで我々は七月十日に出発し、JR本桐駅からセタウシ山の尾根越えの道を辿って、メナシベツ川へ降り立ったが、連日の雨で川は物凄い濁流で徒渉不可能。翌日、村の青年が馬で渡してくれた。さらに雨天は続き十日目にやっと上流の二股の大分下に到達。しかし、リーダーは渡渉の折に膝を傷め、ここから撤退となった。
リーダーが一日休養している間に小生は二股の少し上まで偵察して合流点のヤナギの大木に鉈目を入れて戻った。食料は余り、流木は豊富、電柱程のタンネも切って豪勢な焚き火。話も尽きた頃、つれづれなるままに、ルームで聞いたあのキャベツの話を持ち出したが、リーダーはただ小さく頷いただけだった。
翌日から、出発点の本桐に向けての退却となったが、N先輩はちょっと足を引きずっているのに「荷物を少し持て」とも言わず、小生も「少し背負いましょうか」とも言わず、トボトボと本桐駅まで戻って、この年の夏山は終わった。
なお、先に述べたFさんは中途退部したらしく、現在の名簿にはその名はない。
この山を目指したのは、昭和二十五年一月、カムイエクチカウシに登頂したパーティーが、シビチャリ山の東面にカール状の地形があると報告していたことによる。未だ誰も入ったことがない。ことによると本格的なカールかも知れない。
リーダーは二年先輩のNさんが買って出て二人で行くことになったのだが、小生はこのN先輩と山行を共にしたことはなかった。ルームであれこれと準備していると、前年にこの先輩のリーダーで夏山に行ったという渡辺祐男先輩、通称センボーが現れて彼のリーダー像を語った。
札内川八ノ沢からカムイエクチカウシ山に向い、四日目にカールバントを登り始めたところでメンバーのFさんが力尽きたらしく
「キャベツ捨てていいですか」と言ったという。
N先輩はキャベツを受け取って自分のルックに詰めたほか、重そうな物をかなり背負ってずっと山行を続けたという。
ところで我々は七月十日に出発し、JR本桐駅からセタウシ山の尾根越えの道を辿って、メナシベツ川へ降り立ったが、連日の雨で川は物凄い濁流で徒渉不可能。翌日、村の青年が馬で渡してくれた。さらに雨天は続き十日目にやっと上流の二股の大分下に到達。しかし、リーダーは渡渉の折に膝を傷め、ここから撤退となった。
リーダーが一日休養している間に小生は二股の少し上まで偵察して合流点のヤナギの大木に鉈目を入れて戻った。食料は余り、流木は豊富、電柱程のタンネも切って豪勢な焚き火。話も尽きた頃、つれづれなるままに、ルームで聞いたあのキャベツの話を持ち出したが、リーダーはただ小さく頷いただけだった。
翌日から、出発点の本桐に向けての退却となったが、N先輩はちょっと足を引きずっているのに「荷物を少し持て」とも言わず、小生も「少し背負いましょうか」とも言わず、トボトボと本桐駅まで戻って、この年の夏山は終わった。
なお、先に述べたFさんは中途退部したらしく、現在の名簿にはその名はない。
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