OBの山行記録・ 2006年8月15日 (火)
ヌピナイ川左股・ピリカヌプリ南東面直登沢から右股へ/(米山)
あの手この手で突破する(初日)
【年月日】
2006年8月12,13,14日
【ルート】
日高山脈・ヌピナイ川左股(クマの沢)→ピリカヌプリ→右股
【メンバー】
斉藤清克(87年入部),梶川耕司(88年入部)、米山悟(84年入部)、澤田卓郎(3年目)、平塚雄太(3年目)
【行 程】
8月12日ヌピナイ川林道終点発(11:30)→標高570m二股(14:00)→標高665m三股(15:50)C1
8月13日C1(5:20)→山頂(15:40-16:15)→ヌピナイ川右股上二股C2(17:50)
8月14日C2(6:50)→ヌピナイ川左右二股(11:00)→林道終点
花崗岩の岩盤の美しさで名高い右股に比べ、ヌピナイ左股・ピリカ南東面直登沢は山頂まで息もつかせぬ滝滝滝の直登沢だ。北西面、南西面と併せ、これだけ多くの実のある直登沢を持つのはピリカならでは。現役学生二人を連れての日高直登沢シリーズ第2弾。
【記 録】
(初日・晴れのち曇りのち晴れ)
ヌピナイ林道は二股よりも先まで伸びていた。日高らしい広い河原を抜けると、早くも函やプールが始まった。標高570まではあっという間に着いたが、ここから函付きの小滝が連続、始めの二つは小さく捲いてあとは中。泳ぎ、へつり、水没しながら進む。100m近い雪渓も塞いでいた。
天場は標高665m三股の中股(直登する二本の沢の左股)の脇。薪が多く、焚き火で尻を乾かす。満点の星。入渓のとき二人パーティーがいたが、少し下で泊まったようだ。塩ホルモンとバーボンとカレー雑炊と葉巻。
C1下の函
(二日目・晴れ後曇り後晴れ)
直登左股を行く。いきなり三段の釜付き滝。登ったり飛び込んだりして越す最中、滝壺に投げ落としたザックを取り損ね、二段下まで流してしまう一幕有り。南東面沢だからすぐに朝日を浴びる。標高760二股あたりは雪べったりで、右股にはいってすぐ崩壊していて右岸を捲く。早めに降りて再び雪渓に乗るが、標高780m屈曲点の大滝の所でこの雪渓がまたキレている。一度谷底へ降り、右のルンゼを詰めて側壁をザイル1ピッチ出して登り、草付きをトラバース、斜め懸垂2回で元の大滝の上に出る。手間は掛かるが、大高捲きはしない。
標高800前後の連瀑帯のひとつ。
ぎりぎりロープは出さずに我慢のクラスの小滝を無数に超える。標高930屈曲点の60mの大きな滝手前は雪渓がメタメタになっている。左岸のツルツル壁をトラバースして、最後はハーケンをピンに沢底まで懸垂。60m滝は右岸を行く。
雪渓をこなし、標高930屈曲点の60mの大きな滝に向かう
60m滝上部。微妙だがノーザイル。
標高1050m付近の雪渓は安定していたが、降りるところが無く唯一3mほどのギャップの所で、バイルを雪に埋め込んで小さく懸垂して降りる。最後の一人はダブルアックスでぶら下がり、肩の上に着地する。ここからは山頂に直登する右の沢を行く。いつまでも油断のならない小滝がばんばん連続する。もう水も消えかけたと思う頃、最後に20mほどのでかい滝が出てきてたまげる。最後のヤブはまあまあのクラス。
ピリカ山頂。ガスが離れて姿を見せ始めたソエマツ
しかし懐かしのピリカ山頂は良いピークだ。適度に狭く、四方に切れ落ちている。たいしてはまっていないのにたっぷり10時間かかった。時間読み通りだ。あいにくの天気でもう降りようかと思った頃、稜線のガスがどんどん飛んでいき、十勝平野が見え、ソエマツが見え、主稜線が姿を見せた。みんな喜ぶ。
ピリカ北面上部はガレガレ。程なく真っ白なナメに変わるが、疲れてしまった体にはあまり響かず、走りセンスで上二股へ駆け下る。上二股には、チーム野良犬の青島さん、海綿体の成瀬さん、釧路の小山田さんのパーティーがいた。焚き火を合同にし、隣にタープを張って久しぶりの歓談。ここからソエマツを越え、中ノ川へ降り、記録の少ない右股からペテガリに上がってキムクシュを下る計画だ。山でしか会わない人たちだ。全国どこへ引っ越しても山で会うことが出来る。ペルセウス座流星群を数えるうち、焚き火の脇で皆眠りに落ちる。
ヌピナイ川右股を滑り降りる。
(三日目・晴れ)
青島パーティーを見送ってゆっくり発つ。程なく花崗岩の滑り台の延々ナメナメ床になる。小滝は大きくても6〜7m、傾斜は児童公園の滑り台風で、尻を打つ突起もない。釜は充分深く、飛び込んでも足が着かない滝ばかりなので、10や20ある滝のほとんどを滑り込み、飛び込み大会で下る。捲き道を使ったのは雪渓がらみの一つだけ。もひとつ、深い溝になっていて飛び込めない滝は、わざわざ懸垂して下に降り、泳ぎ下った。どれも捲き道の明瞭な踏みあとが付いているがすべて無視。水際から離れては沢登りの味わいを台無しにしてしまう、との信念有り。
ヌピナイ川右股・防水カメラも水滴がとれなくなってきた・・
斎藤は17年前、滑落事故を知らせるためにこの沢を超特急(2時間ちょっと)で下ったことがある。その時、全部の滝を滑り下り、全部の釜に飛び込んで下った経験があるので、躊躇が無い。しかし釜での10mそこそこの平泳ぎは応える。上陸して立ち上がると息ぜーぜーだ。雪渓は合計三ヶ所。すべて左岸の際を捲いて行く。
生身のボブスレー、尻が破ける。
飛び込み天国は突然終わり、あとは冗長な花崗岩の白い大河原を歩いて下る。淡々と歩を進め、20年前にもヌピナイを登った事をいつしか思い返した。こんな風に明るい日だった。脳天中毒になりそうな日差し。平泳ぎで使い果たした体力で、最後尾を歩いて二股に付くと、先着の斎藤がラッコのように深みの中で浮かんで遊んでいた。全員、ズボンの尻を破いていた。
ライダージャンプだ!とうっ!
長距離ライダーと帰省家族客で満席。大樹の龍月で豚丼中、当地在住の日高クライマー、乾さんが面会に来てくれた。
豚丼をかっ込む現役平塚。
現役学生には、斎藤のルート判断力や、長い難関部分でスピード上げての行動方法、水線から逃げない姿勢などを吸い取ってもらえれば良し。
斎藤作図
(初日・晴れのち曇りのち晴れ)
ヌピナイ林道は二股よりも先まで伸びていた。日高らしい広い河原を抜けると、早くも函やプールが始まった。標高570まではあっという間に着いたが、ここから函付きの小滝が連続、始めの二つは小さく捲いてあとは中。泳ぎ、へつり、水没しながら進む。100m近い雪渓も塞いでいた。
天場は標高665m三股の中股(直登する二本の沢の左股)の脇。薪が多く、焚き火で尻を乾かす。満点の星。入渓のとき二人パーティーがいたが、少し下で泊まったようだ。塩ホルモンとバーボンとカレー雑炊と葉巻。
C1下の函
(二日目・晴れ後曇り後晴れ)
直登左股を行く。いきなり三段の釜付き滝。登ったり飛び込んだりして越す最中、滝壺に投げ落としたザックを取り損ね、二段下まで流してしまう一幕有り。南東面沢だからすぐに朝日を浴びる。標高760二股あたりは雪べったりで、右股にはいってすぐ崩壊していて右岸を捲く。早めに降りて再び雪渓に乗るが、標高780m屈曲点の大滝の所でこの雪渓がまたキレている。一度谷底へ降り、右のルンゼを詰めて側壁をザイル1ピッチ出して登り、草付きをトラバース、斜め懸垂2回で元の大滝の上に出る。手間は掛かるが、大高捲きはしない。
標高800前後の連瀑帯のひとつ。
ぎりぎりロープは出さずに我慢のクラスの小滝を無数に超える。標高930屈曲点の60mの大きな滝手前は雪渓がメタメタになっている。左岸のツルツル壁をトラバースして、最後はハーケンをピンに沢底まで懸垂。60m滝は右岸を行く。
雪渓をこなし、標高930屈曲点の60mの大きな滝に向かう
60m滝上部。微妙だがノーザイル。
標高1050m付近の雪渓は安定していたが、降りるところが無く唯一3mほどのギャップの所で、バイルを雪に埋め込んで小さく懸垂して降りる。最後の一人はダブルアックスでぶら下がり、肩の上に着地する。ここからは山頂に直登する右の沢を行く。いつまでも油断のならない小滝がばんばん連続する。もう水も消えかけたと思う頃、最後に20mほどのでかい滝が出てきてたまげる。最後のヤブはまあまあのクラス。
ピリカ山頂。ガスが離れて姿を見せ始めたソエマツ
しかし懐かしのピリカ山頂は良いピークだ。適度に狭く、四方に切れ落ちている。たいしてはまっていないのにたっぷり10時間かかった。時間読み通りだ。あいにくの天気でもう降りようかと思った頃、稜線のガスがどんどん飛んでいき、十勝平野が見え、ソエマツが見え、主稜線が姿を見せた。みんな喜ぶ。
ピリカ北面上部はガレガレ。程なく真っ白なナメに変わるが、疲れてしまった体にはあまり響かず、走りセンスで上二股へ駆け下る。上二股には、チーム野良犬の青島さん、海綿体の成瀬さん、釧路の小山田さんのパーティーがいた。焚き火を合同にし、隣にタープを張って久しぶりの歓談。ここからソエマツを越え、中ノ川へ降り、記録の少ない右股からペテガリに上がってキムクシュを下る計画だ。山でしか会わない人たちだ。全国どこへ引っ越しても山で会うことが出来る。ペルセウス座流星群を数えるうち、焚き火の脇で皆眠りに落ちる。
ヌピナイ川右股を滑り降りる。
(三日目・晴れ)
青島パーティーを見送ってゆっくり発つ。程なく花崗岩の滑り台の延々ナメナメ床になる。小滝は大きくても6〜7m、傾斜は児童公園の滑り台風で、尻を打つ突起もない。釜は充分深く、飛び込んでも足が着かない滝ばかりなので、10や20ある滝のほとんどを滑り込み、飛び込み大会で下る。捲き道を使ったのは雪渓がらみの一つだけ。もひとつ、深い溝になっていて飛び込めない滝は、わざわざ懸垂して下に降り、泳ぎ下った。どれも捲き道の明瞭な踏みあとが付いているがすべて無視。水際から離れては沢登りの味わいを台無しにしてしまう、との信念有り。
ヌピナイ川右股・防水カメラも水滴がとれなくなってきた・・
斎藤は17年前、滑落事故を知らせるためにこの沢を超特急(2時間ちょっと)で下ったことがある。その時、全部の滝を滑り下り、全部の釜に飛び込んで下った経験があるので、躊躇が無い。しかし釜での10mそこそこの平泳ぎは応える。上陸して立ち上がると息ぜーぜーだ。雪渓は合計三ヶ所。すべて左岸の際を捲いて行く。
生身のボブスレー、尻が破ける。
飛び込み天国は突然終わり、あとは冗長な花崗岩の白い大河原を歩いて下る。淡々と歩を進め、20年前にもヌピナイを登った事をいつしか思い返した。こんな風に明るい日だった。脳天中毒になりそうな日差し。平泳ぎで使い果たした体力で、最後尾を歩いて二股に付くと、先着の斎藤がラッコのように深みの中で浮かんで遊んでいた。全員、ズボンの尻を破いていた。
ライダージャンプだ!とうっ!
長距離ライダーと帰省家族客で満席。大樹の龍月で豚丼中、当地在住の日高クライマー、乾さんが面会に来てくれた。
豚丼をかっ込む現役平塚。
現役学生には、斎藤のルート判断力や、長い難関部分でスピード上げての行動方法、水線から逃げない姿勢などを吸い取ってもらえれば良し。
斎藤作図
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コメント一覧
齋藤清克
投稿日時 2007-2-15 23:10
佐々木三知夫
投稿日時 2007-2-15 18:55
今だ現役ご苦労様。窓拭きのバイトしたのおぼえてる?
野村、石川、大学に残っているらしいな。
連絡とれるかな?どなたかよろしくおねがいします。!!!
野村、石川、大学に残っているらしいな。
連絡とれるかな?どなたかよろしくおねがいします。!!!