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書評・出版・ 2011年7月11日 (月)


坂本直行 はるかなるヒマラヤ 自伝と紀行
編集 高澤光雄
2011年7月
北海道出版企画センター
http://www.h-ppc.com/single.php?code=366



坂本直行氏の1967年のヒマラヤ山麓スケッチ旅行の紀行「はるかなるヒマラヤ」、それに自伝「山と絵と百姓と」を中心にまとめた。どれも限られた読者媒体で以前連載されたもの。生前本人が本としての出版を楽しみにしていたとのことで、氏と交流の深い北海道登山史研究家・高澤氏による編集。
「原野から見た山」、「雪原のあしあと」など代表的な画文集で触れられていない直行さんの生い立ちから山岳部時代のことなどが詳しい。長男、登氏による直行さん通史「日高のいごっそう坂本直行伝」も収録。

書評・出版・ 2011年6月7日 (火)

高澤光雄さんは北海道登山史家。その黎明期を知る人物たちとの直接の交流、そこから受けた啓発により、埋もれた山登りの記録の丁寧な発掘、読み込みで、独自のテーマで道内の山の歴史をまとめてきました。これまで「山書研究」 やあちこちに興味深いテーマで小文を発表してきた。あまり出回る本としてはこれまでにまだまとまっていなかったので、今回が初めての待望の一冊です。先ごろ「北海道の登山史」という本の紹介もしましたが、こちらはそれに「探究」がつく深煎り本です。高澤さんの探究ワークをご覧ください。

書評・出版・ 2011年5月20日 (金)


裸の山 ナンガ・パルバット
山と渓谷社2010年

書評・出版・ 2011年4月1日 (金)


ニセコの新谷さんの4冊目の本。新谷さんはニセコでエリア外滑降の安全と自由のため20年間働いてきた知床シーカヤッカー。という説明では、知らないと意味不明かもしれないけどまあ皆さん知っているでしょう。タイトルの「骨鬼(くい)」は13世紀、元代のアムール川畔で、モンゴル族と戦ったアイヌと思われる北海道人のこと。アリューシャン、知床と関わってきたから思い至った、北海道先住天然人たちへのあこがれの本、と読みました。

書評・出版・ 2011年3月5日 (土)


竹内洋岳氏は、14ある8000m峰を完登しそうな初の日本人登山家。2007年G2で、雪崩で死にかけて、書き残しておきたいと思い、この本を出したという。 90年代に大学山岳部でヒマラヤを始め、誘いの声には即答で「行きます」と答え、やるべき事を積み重ね、歩んだ二十年間。極地法登山の一員から個人速攻登山へと脱皮し、経験と実力を積み重ねて続けて来た様が、語り口調でよくわかる。周囲の人たちとの関係や、どう身を置いて来たかなどがよく語られる。自伝ではなく、聞き書きインタビューという手法で、人柄が余すことなくわかる本。

書評・出版・ 2010年12月6日 (月)


北海道の登山史
安田治
北海道新聞社
2010.12
本の装丁は20年前の大学の火山岩石学か何かの教科書風。中身もずばり、ありそうでなかった北海道登山史の教科書。あとがきを読むと、労山の登山史学習会の資料が元になっているとのことで納得。北海道外、中部山岳での山岳史もその都度同時代を触れていて北海道の立ち位置がわかり、ここが肝腎なところだ。教科書好き、検定受験本好きの方むきの面あります。道民登山家は買い置くべし。

書評・出版・ 2010年11月30日 (火)



「サバイバル登山家」の服部文祥氏の最新刊。道具を持たず山に向かう姿勢は、20世紀初め、日本アルピニズム初期の登山、ひいては京都北山鯖街道、加賀藩の黒部奥山行にまで遡る。百年前の山、北海道の山ではアイヌが歩いていた事だろう。1920年代のAACH黎明期の登山を部報で読むにつけ、昔の人はどう登っていたのか?が僕にとっての大きなテーマになっていた。吾が意を得たり、の主題だ。その山行を装備装束含めて復元し、体験から得られる考察に共感する。古典は読んで思いは馳せるけど、ここまでやって書ける人はこれまでいなかったよね。

書評・出版・ 2010年11月26日 (金)

空白の五マイル 集英社
角幡唯介



面白い本だった。ヤルツアンポ空白部探検の記録は、未踏地帯の価値としては第一級。それに加え、生還が危なくなる終盤は、非常に気持ちを持って行かれた。久しぶりに同時代の探検記録を読みましたよ。

「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」

書評・出版・ 2010年10月13日 (水)

<ロープはなぜ融けたのか>
札幌登攀倶楽部利尻山雪庇崩落時におけるロープ切断のケース(p51)
角幡唯介

利尻東北稜で今年四月セッピ崩落で墜落した折、三人の間の二本のロープがこすれ合い、一本が切れて一人が谷底に落ちた事故。図と写真で大いに分かり易い。こんな事もあるのか、という話。テンションのかかっていない方のロープが切れてしまうというのが腑に落ちないが、現実。安藤さん雪崩にも埋まらずご無事で良かった。

<2010年夏 沢登りの遭難事故(P155)>

この夏の沢遭難のあらましをまとめた記事。発生直後の新聞報道やTV報道では、山登りする人が知りたい情報はあまり無かったり見当違い情報だったりで、これを元にうっかり感想も言えない。半端な情報で思い込みでコメントなんかしたら当事者を傷つけるし自分も恥をかく。
で、山岳雑誌が書く山ヤの知りたい情報記事を待つわけだ。そして本当の中身は遭難報告書を読んでようやく分かる。
○奥秩父の救助ヘリ墜落事故
そもそもの元事故の現場の様子がだいたい分かった。現場の滝のへつり箇所は以前にも事故死があり、クサリまで設置してあり、残置ロープもあるとのこと、意外だった。そんなに人の多いルートでの単純事故だったか。問題は事故者の経験不足あるいは年齢と、16時にこの場所にいたパーティーの動きなどに思えた。
○幌尻岳額平川徒渉失敗水死事故
増水の見極め力が無かったためらしい。百名山目的の人たちとの事。沢の経験が無いのだろう。
○中ノ川上二股鉄砲水事故
中ノ川上二股(下降尾根末端)って泊まれるところあったかどうしても思い出せない。そもそもいつも素通りしているところのようだ。記事を読むとテントを張ったのは中州だったとのこと。お気の毒で言葉も無い。東京理科大ワンゲルは1957創部で部員13人とのこと。うちより多いよ。懲りずに沢経験を生かしてほしい。報告書を待ちます。一人でも生き残って本当に良かった。
これだけ日高の洪水遭難が多いと、今年の夏、大雨であきらめた日高のタイトルマッチ山行も仕方が無いかという心情。

<熊よけスプレーは劇薬につき使用法を間違えないこと(p182)>
澤田実

探検部OBのサワッチョが、青年倶楽部で酔っぱらって熊スプレーを噴射して、救急車で運ばれたときの経験を恥ずかしながら披露。さすが探検部。つくづく思う。熊スプレーは、持っていたって風向き逆なら絶対使う勇気無い。僕も一回、間違い噴射でちょこっと手についただけで死ぬかと思ったことがある。あれはそう気軽に使いこなせる道具ではないよ。日本刀と同じじゃよ。

ところで利尻の記事の角幡さん、ヤルツアンポ探検記「空白の五マイル」で第8回開高健ノンフィクション賞(集英社主催)受賞だそうで、間もなく本が出ます。楽しみです。あそこは、あんなところをよくもまあ、という絶界の秘境です。

書評・出版・ 2010年9月21日 (火)

平成21年4月北アルプス鳴沢岳遭難報告書
鳴沢岳遭難事故調査委員会 京都府立大学山岳部

昨年4月26日、二人の現役学生と、山岳部と20年以上にわたってかかわってきたコーチ役の伊藤達夫氏が山頂部周辺で疲労凍死した。北ア黒部ダムの下から取りつく鳴沢岳西尾根をのっこして、大町側に抜ける計画。春の二つ玉低気圧が来なければ、さして問題のあるルートではない。

伊藤達夫といえば、冬の黒部の熱烈な開拓者の一人。1957年生まれ。5年前、黒部別山~積雪期~という、すごく分厚い本を和田城志氏とともにまとめた。岳人誌上で彼の追悼を書いていたあの和田氏が、自分よりも黒部に入れ込んでいたと告白していたほどだった。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=540
伊藤氏は信大山岳部出身、京都府立大の助教であり、以前京都左京労山の代表だったが、黒部での未踏ルート開拓などの志向を極めて「京都てつじん山の会」として独立していた。

事故調査委員会は京都府立大山岳部関係者以外の、同志社大、京大OBなど、京都の登山界の顔役の人たちが中心になり、これにオブザーバー参加として京都府大山岳部関係者が参加し、この報告書を執筆している。
 
 
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