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書評・出版・ 2015年6月11日 (木)

オオカミが日本を救う!
丸山直樹 2014.1白水社

「日本は100年間、頂点捕食者を欠き続けて来た。これから人口減少する日本で、ヒトにはオオカミの代わりは務まらない。」
先週、日本オオカミ協会主催で、シンポジウムがありました。オオカミ復活先進地のアメリカ、ドイツからの報告者を招いて、各地でイベントがありました。残念ながら直接関われませんでしたが、オオカミ放獣に興味を持ち、日本オオカミ協会代表の本を読んでみました。明治中期、ヒトによる組織的な駆除によって滅ぼされたオオカミ。日本の生態系の頂点にいたオオカミを、もういちど日本の山に放つ可能性を語る書です。


オオカミ放獣が一見、荒唐無稽に聞こえるとしたら、それはオオカミに対する大きな偏見に自分が嵌っていることを知るチャンスだと思います。「オオカミはヒトを襲うというのは偏見である」という命題を、近代欧米の事例からあるいは、明治期にいかに政策的にオオカミを駆除し追いやるための濡れ衣として作られた話であるかを、当時の公文書を丹念に調べ、イザベラバードや南方熊楠の事例を挙げ、また現代欧米のオオカミ復活先進地のデータを示し論証します。オオカミを恐ろしいものと思い、拒否反応を示すことを「赤ずきんちゃん症候群」と述べ、著者に寄れば、オオカミ放獣を提唱し始めた20年前から、それが一番の大敵だったとあります。

そして、増えすぎたシカの数を減らすためにオオカミを放獣する、という、人間の都合としての動機にも一言書いています。ヒトの都合で滅ぼしておいて、またヒトの都合で放獣する。未来放獣することがもしあるならば、それは獣害対策という恥知らずな理由ではなく、ヒトの都合で滅ぼしてしまったオオカミと、日本の山に対する償いが動機でなければならないと云う点に、はっとしました。ここのところに一番共感しました。

北米イェロウストン国立公園では1927年にオオカミを駆除してしまいました。その後増えすぎたエルクによる害で生態系が長い時間をかけ蝕まれ、1995年放獣したオオカミによって十数年かけて回復してきた事例をあげています。90年代から合わせて3回訪問するたび、日本の鹿のようにどこにでもいた巨大なエルクがオオカミの放獣後15年後には適正な数になっていたと言います。オオカミが存在するだけでエルクのストレスが高まり、妊娠率も下がる効果に関する論文も紹介されています。

以下に代表的な反論三つとその答えを簡単に挙げます。
?オオカミはヒトを襲う?
→頂点捕食者のオオカミは、鹿が数を減らせば自然に数を減らすもの。人を襲う事例の数は例外的で、ほとんどが狂犬病によるものと見られる。明治以前の公文書にはオオカミは臆病であるとあり、オオカミが凶暴な生き物であるという印象は蛮獣視し絶滅政策をとっててきた偏見によるものが大きい。日本で鹿が数を増したのは、オオカミが消えて以降盛んだった狩猟圧が1980年代以降に減り、その影響である。
?オオカミは家畜を襲う?
オオカミは家畜を襲う。但し日本よりはるかに畜産の盛んな欧州での対策と現実例を紹介。日本の現実から見て、シカ害の環境破壊の深刻さと、ほとんど起きない小規模で数少ない放牧畜産の害とのバランスの問題。欧州のさまざまな対策が面白いです。
?外来種であり生態系の破壊では?
日本で絶滅したオオカミと、現在モンゴル、中国に居るオオカミとの種としての違いは亜種レベルである。頂点捕食者を欠いた不正常な状態を元に戻すことが最も簡単な環境保全方法である。

オオカミ放獣に必要な面積を最低五万ヘクタールとし、ヤクシカ、エゾシカの増えすぎた屋久島、知床半島での可能性について書いています。このあたりの生物群の野外調査を踏まえたシミュレーションもおもしろく読みました。例えば北海道で、どのくらいの地域でオオカミが暮らせるのかを調べるのに、携帯電話の受信不能マップが(2011年時点では)便利、という話もありました。それから5000万ヘクタールをはじき出し、およそ1000頭となります。

沖縄でハブ駆除のためのマングース放獣の失敗事例との比較もおもしろいです。頂点捕食者であるハブ補殺のため天敵でもないマングースを放った無分別な時代が、オオカミを絶滅させた時代と同じなんですね。

鹿のみならず猿害、イノシシ害、カモシカ減少の抑制に関するオオカミ効果の考察もあります。ジビエ解決法の限界もよくわかりました。獣害対策と地域おこしを抱き合わせても駄目というものでした。

オオカミ放獣が、人間の都合のためだけでない点が非常に重要なことだと思います。

オオカミを放つ」は2007年版、「オオカミが日本を救う!」は2014年の改訂、発展版とのことです。

書評・出版・ 2015年6月3日 (水)

ダーチャと日本の強制収容所
未来社 望月紀子
2015.3月
1940年、北大山岳部の冬季ペテガリ岳遠征隊の雪崩遭難事故の際、娘ダーチャの発熱のため入山を遅らせ、遭難直後のBCを訪れた、イタリア人留学生フォスコ・マライーニ氏はアイヌ民俗学研究者として妻、娘と遠路日本に来ていた。戦後は民俗学研究者、写真家、それに登山家として多彩な才能を開き、1960年ガッシャブルム4峰の遠征隊にも参加している。だが戦争末期1943年、単独講和を結んで連合国になった祖国イタリア。一家は反ファシズム側を表明したため、日本の特高に逮捕され名古屋の敵国人強制収容所に繋がれた。その当時のことを、マライーニ、妻のトパーツィア、そして作家になったダーチャのその後の著書や手記などから丹念に追った本。著者はダーチャ・マライーニの作品の翻訳家。
この一家はそれぞれ多くの著書を残しているので、既に明らかにされていることは多いが、マライーニ氏と妻がファシストの父と反目して、本国イタリアのファシズムから逃れて日本への留学を選んだいきさつなど初めて知った。

書評・出版・ 2015年1月16日 (金)


1981年の山と渓谷、北大山岳部の紹介記事が出て来ました。同期入部のGGが大事に持っていました。私もGGも81年はイナカの高校2年生です。この記事を見て北大を目指したのだろうかな?
記事を書いているのはスエタケさん(1978年入部)、撮影は山スキーOBの阿部さんです。山中の写真のコジキジャンバーやコジキオーバーズボンはそのまま数年後も継承していました。センパイのストックの竹製輪っかも秀岳荘です。アイゼン練習は旧Zでしょうか。タニの赤いアイゼンのようです。




部室の小汚い風景が、ストロボの光で現実以上に鮮明で報道写真的な例会の写真です。1970年代末に部室がこの場所に移動してから、今も同じところで同じ営みが続いています(多分)。冬合宿の食事写真では直径18センチのアルミのボウル二つを食器にしているところをスッパ抜かれています。1980年12月末の十勝岳白銀荘の冬合宿の撮影ということでしょう。木造時代の恵迪寮(1983年3月取り壊し)で、北海道型キスリングの日高ザックに裸足でパッキングしているチンネンさん。この木造恵迪寮、受験の時に泊めてもらって飲ましてもらいました。





一年目部員のコジキ服のお尻のツギ写真も紹介して、輝く笑顔の新人だったフジワラさんの姿もあります。昔の桑園駅のホームも懐かし。スエタケさんの文章も、北大山岳部の環境と、継承したものと精神世界を余さず伝えています。
衣類は若干こぎれいになっていますが、基本的に現在も34年前と変わらぬ営みのようです。

書評・出版・ 2014年12月7日 (日)


アルピニズムと死
山野井泰史 2014.11

山野井泰史の、「垂直の記憶」以来10年ぶりの本。山野井泰史のことは前の一冊で満腹すぎるほどよく読む事ができました。高校時代からまっすぐにやりたい事を求め、そのための道を進んで来た彼の思う事が、簡潔乍ら誠実な文章で凄く伝わりました。前回はギャチュンカンの生還の少し後に書いたもので、今回は指も無くして握力も体力も無一文になった彼が、また垂直のアルパイン界に戻ってくるこの10年間を書いています。

書評・出版・ 2014年11月26日 (水)


日本山岳会の年報、「山岳 2014年 第109年」に安間荘会員(1955年入部)が載せた論文を紹介します。安間さんは長く富士山の地質、積雪防災関連の調査に当たる仕事をしています。「スラッシュ雪崩」という聞きなれない雪崩現象があり、1972年3月20日に24人が亡くなった大規模遭難の際、このスラッシュが起きていた可能性を指摘し、遭難当事者や生還者に聞き取り取材をした上でまとめた力作です。

特殊な雪崩なだけにあまり知られておらず、当時の遭難も登山者の未熟のせいにされた節があり、十分な総括と反省対策がなされていません。40年前は、たまたま登山者が多く大事故になりましたが、その後も毎年起こっている可能性はあります。無知のままならば今後も死亡事故が起こるかもしれません。以下にその概要を抜粋します。

書評・出版・ 2014年9月18日 (木)


甲府に住むようになって、北岳バットレスの直登ライン、第4尾根が気になり始めた。沼田の清野センパイを呼んで、歴史解説付きで取りついた。1930年代のバットレス第1尾根〜5尾根初登攀時代、そしてその積雪期初登に執念を燃やした東京商科大(一橋大)の小谷部全助の物語を話題にした。
小谷部の最後は敗戦の年の暮れ、肺結核で富士見のサナトリウム。見舞いに訪れたザイルパートナー森川眞三郎も肺結核のためそこで絶命、それをみて数時間後に後を追うように息絶えたという話。この頃の八ヶ岳山麓サナトリウムと言えば、風立ちぬはじめ数々の名作に出てくるあそこです。

書評・出版・ 2014年9月10日 (水)


北大の片隅にあった柔道場で、僕らと同時代に続いていた、柔道部の熾烈な青春記。山岳部の青春と比べ乍ら読んだ。よく、死のリスクがあるのに何故山に登るのか問われるが、もちろんある意味で楽しいからである。でも、高専柔道の練習は「楽しくない」と言い切る。全然違う。恵迪寮で高らかに笑っていた飯田さん、花村さん、こんな稽古をしていたんだ!俺、知らなかったです。

書評・出版・ 2014年7月24日 (木)

ナンガパルバットに三度、全部別の難ルートから挑んで全部山頂目前敗退、冬剱、冬黒部横断の山行40回。こんな無茶で一辺倒な志向で押し通してきて生き残っている。みな、唯一無二の登山家として認識してる。とうとう和田さんの山人生自伝が出版されてしまった。そして恐る恐る読んでしまった。

和田さんは学生の頃からあこがれの登山家だ。当時の「岩と雪」に、冬黒部横断の山行を「学生山岳部員こそ挑め」と書いていた記事を覚えている。冬の黒部川をパンツ一枚で渡渉するその記事を、じじい(同期高橋君)がやや興奮して話題にしていたのが僕にとって一番古い記憶。そのころ、1987年は、和田さんにとって転機になった年だったのだと、この本を読んで知った。

書評・出版・ 2014年2月1日 (土)


去年北海道版ネーチャー雑誌に大野(1997入)さんのインタビュー記事が載っていた

書評・出版・ 2013年11月18日 (月)


岳人12月号に載せてもらった書評です。字数制限校正前のもと原稿です。
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著者は北海道の山と海で長く知られた冒険家だ。ニセコの新雪滑降スキーヤーの雪崩事故を現場で20年以上かけて押しとどめて来た。それから知床でシーカヤックによる岬越えを100回以上ガイドした。どちらも一級の天然世界を滑る自由、漕ぐ自由、本当の冒険に対する敬意のために、行政、観光、漁業、学者、環境派、さまざまな「冒険者以外」の人たちに頭を下げ、その矢面に立ち、過去と未来のすべての冒険者の代弁をする役割を引き受けて、ある程度の成果をおさめて来た。とても尊いことだと思う。


「人々はいきなり自然に目覚め、アウトドアマンになった。そして修練を積まずに冒険に踏み出し始めた。アウトドア文化とは都会人の自然願望をコマーシャリズムが煽ることによって生まれた文化であり、その意味で都市文化のひとつといえるのではないだろうか」

青春時代に手作りの冒険をして育ったあとニセコと知床でやってきた「アウトドア文化」時代。強い違和感を感じながらその前線に立ち続けた。カンダハー、バンド締めのシール、漁師用雨合羽など、古くからの道具に言及する。秘境探検の黎明期から使われてきた原始的な山道具は、今では時代遅れなのだろうか。

私は著者新谷さんに一度お会いしたことがある。ニセコのエリア外新雪滑降をする人が増えて雪崩による死亡事故が急増し、それをなんとかしなければと苦闘していた1992年だった。新谷さんはカンダハーの締め具に革登山靴だった。良質な雪のあるニセコへアメリカから滑りに来ていたイヴォン・シュイナード氏の案内をしていた。氏は最先端の登山用品を作るパタゴニア社の代表にして登山家。登山道具開発の専門家だ。その彼が新谷さんの足下に敬意を払っていたのをよく憶えている。

単純な締め具カンダハーを私も学生のとき使ったが、その頃は新谷さん以外使っている人を見なかった。昔からの道具は、初心者には簡単に使えない。修練を積むうち身体の延長となり、山での自由な行動の手足と化して働く。最近の道具はそれがなく、いつまでも「借り物」だ。偽りの全能感で山に向かい、最も忘れてはいけない「山への畏怖」を培うことができない。それはビーコンやGPSも同じだ。長く登っている者はその安っぽさがわかる。便利なモノについて行けないのではない。それを持つと山で最も大切なことが損なわれるということを知っている。

「90年代後半から2000年の始めは今日へとつながる混乱の時代の始まりだったように思う。人々は多様な価値観という言葉に惑わされ、苦労せず手にした知識を勘違いし、努力することを忘れた。しかし借り物は所詮、借り物でしかない。そして事故が続いた。」

もう一点道具に頼らない著者に共感する点が、イグルーで雪山を登る話だ。雪の質を見て、知恵を使って作るイグルーは、習得すれば無敵の天場だが、いまはそれを修練する人はいない。私は、自分と仲間のほかには著者しか知らない。

著者の山から海への転身を意外に思う向きもあるかもしれない。しかし、北海道では両者は冒険の場として自然に連続している。知床では海抜0mの無人地帯でスキーを担いで泳いで徒渉して取り付くこともあるし、増毛や積丹では沢を下れば人家抜きで海へ直行の所もある。だから高所登山に区切りをつけたあと、北海道育ちの著者がカヌーに転じたことに納得する。それは、ハロルド・ウィリアム・ティルマンがエベレスト探検から手を引いた後、ヨットで南氷洋にでかけ、氷雪の未踏峰を登る探検を綴った評伝「高い山・はるかな海」に対する敬意からも。北海道は千島を通してアリューシャンと繋がり、サハリンを通してシホテアリンと繋がっている。その脈絡を読んで欲しい。

ナンセン、デルスー・ウザーラ、ティルマンはじめ、アリューシャン、パタゴニア、ネパールの住民など、天然世界の波形に合わせて前進する人々の尊いことばの数々が語られる。そしてティルマンについて書かれた「高い山 はるかな海」という本について、私が著者に共感する逸話があった。貸した本はたいてい返って来ないがこの本は何人に貸しても必ず帰ってくる、とある。今は絶版で手に入らないこの本を私も、後輩、同志に私も何度も貸した。今は来年カラコルムに行く友人が読んでいるところだ。帰ってくれば誰かに読ませたくなる本なのだ。

「雪崩の危険は吹雪の間かその直後」

「制度で知識と技術を学ばせることはできる。しかし経験は教えられない。これだけは自分で積まねばならない」

「経験を積めば用心深くなり慎重になる。そして、ときに経験が役に立たないことも知る。」

「準備を怠ってはならない。何ひとつ忘れてはならず、余計なものを持ってはならない」

全編、経験から得た価値ある短いことばに満ちている。

長く冒険とそれをとりまく社会に現場で関わって来た男の、つぶやくような、告白するような文章が、ひとつひとつ心に降り積もるような本。
 
 
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