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第2章 北大山岳部創立と日高山脈の開拓1926年 〜1935年
第3章 “遥かなる山ペテガリ”への挑戦1936年 〜1945年
第4章 戦後再出発と山脈縦走登山1945年〜1957年
第5章 直登沢、集中登山、そして海外遠征 1957年〜1969年
第6章 厳冬期ヒマラヤ8000m峰登頂 1969年〜1982年
第7章 新しい山旅を求めて 1983年〜1995年
第8章 創立100周年へ向けて 1996年〜
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第2章 北大山岳部創立と日高山脈の開拓
1926(大正15)年 〜1935(昭和10)年
解説
1926(大正15)年11月10日、北大学生集会所に栃内吉彦教授(初代山岳部長)、館脇操講師、予科ドイツ語教師アーノルド・グブラー先生を迎えて、先輩、学生ら七十余名が参集し、山岳部の発会式が挙行された。恵迪寮旅行部時代から山岳部設立を念願し、山仲間の育成に努めてきた田口鎮雄、佐々木政吉らの先輩達、初代山岳部主任幹事澤本三郎、スキー部からの独立に中心となって働いた伊藤秀五郎らが顔を揃えていた。山岳部は設立と同時に活発に歯車が動きだしたが、その理由はこれら先輩達に育成された有能な部員が多士済々であった為である。
1928(昭和和3)年2月8日、永らくの目標であった冬の石狩岳が、伊藤秀五郎、小森五作、和辻広樹、野中保次郎、井田清、西川桜により登頂された。これをもって中央高地での冬期初登はほぼ終わりをつげ、部員の関心は必然的に未開の日高山脈へ向けられた。日高山脈の登攀は、サホロ岳、アポイ岳など相当古くからのものを除けば、夏は松川五郎らの1923(大正12)年7月メムロ川からメムロ岳の登頂が純登山の最初である。1925(大正14)年7月、伊藤秀五郎らによるピパイロ岳、ポロシリ岳登頂を機に次第に北から南へと開拓され、その後10年間にほとんどの頂上が登頂され、多くのルートが開かれた。積雪期では1928(昭和3)年4月3日、西川桜、須藤宣之助によるトムラウシ川からピパイロ岳登頂を嚆矢とする。次いで1929(昭和和4)年1月小森五作、伊藤秀五郎、高橋喜久司、須藤宣之助は、前年秋にトッタベツ川上流に建設した仮小屋を根拠地として、日高山脈最高峰のポロシリ岳に登頂した。この仮小屋をベースキャンプにし、沢から頂上をアタックをする方式は、石狩岳登頂にも使用されたほか、冬期登山に多く使われた。
1927(昭和2)年秋、小樽内川上流の美しい白樺林の中に7坪半ほどの小さなヒュッテが建設された。このヒュッテは山崎春雄先生、アーノルド・グブラー先生、スイス人で建築設計家マックス・ヒンデルさんによって建設されたもので、両スイス人によりHELVETIA HÜTTEと命名された。ヘルヴェチア・ヒュッテは1934(昭和9)年11月、建築主より北大へ寄贈され、以来今日まで山岳部が管理をしている。
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