Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)
対象モジュール: ブログ記事
件名 | これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部) |
要旨 | 部報3号も二部構成とします。時代らしい文章を引用していたら、長くなってしまった。でも大部分の人は読めないので、エッセンスを載せていきます。部報前半の目玉企画は夏の神威岳登頂記。険悪な中ノ川からの登路をあきらめ、ヌピナイからのアタック。カッコいい神威は南... |
- depth:
- 0
前の投稿
-
次の投稿
|
親投稿
-
子投稿なし
|
投稿日時 2017-1-29 17:43
佐々木惠彦
佐藤友吉の記録文読ませていただきました。佐藤友吉は私の父でして、養子として、私の家(佐々木)に入り、母と結婚しました。私の子供のころ、家の応接間にある本棚に北大山岳部の部報があったのを覚えています。父が亡くなった後、母は部報を北大の山岳部に寄付したのをおぼえています。父の指導教官は同じ山岳部出の舘脇操先生で、先生は東京に出張されると、良く私の家においでになっていました。福島健夫さんは日赤の部長先生でした。私の家で良く宴会をしていたのをおぼえています。私は東大に入りましたが、私が山岳部に入るのは父は許してくれませんでした。この記事は私の娘が送ってきたものです。家にも、コピーがあったのではと探しましたが、みつかりません。おかげさまで、家族一同で、家の歴史を見る事が出来ました。
佐々木惠彦(ささき さとひこ)
、
佐々木惠彦(ささき さとひこ)
、
この投稿に返信する