山の会昔語り・ 2006年3月21日 (火)
山の会昔語りー(6)
岳樺の木は残った
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和二十五年、小生初めての夏山はチロロ川を遡行してきたトッタベツに登って、幌尻、エサオマン
トッタベツを目指すものだった。
当時の夏山の定番は、先ずは日高山脈だった。リーダは三年先輩のSさんでメンバに同輩のM.W.
君が加わった。金山で小学校に一泊した後、チロロ川遡行の初日にはハコの手前の滝上での渡渉
があった。滝は中段で大岩に当たって大きな水しぶきをを跳ね返していた。渡渉に失敗すれば一巻
の終りであろう。
当時は夏休みを待ちかねて、天候もヘチマもなく出発したものだった。七月は雨が多く増水が激しい。
ここでの渡渉は不可能だった。高マキを試みたが、これもムリ。仕方なくハコの手前の深みで、水流
の弱そうなところを見つけて泳ぎ渡ることにした。
しかし、水流は少しは弱いとはいえ二人はカナズチ同然だという。仕方なく細引を出しあって繋ぎあ
わせた十数メートルのロープの端を小生が腰につけて泳ぎ渡った。ロープをたぐり寄せ、端に小石を
結び付けて左岸で待つ二人に投げ返し、先ずルックをたぐりよせ、これを繰り返して最後に首だけミ
スの上に出してロープにつかまっている人を一人ずつ手繰り寄せた。
数度のハコマキはあったが、沢は難なく通過、入山六日目に数時間の這松コギの後、北トッタベツ
岳ための国境に近い稜線でキャンプとなった。
這松の枯枝を集めたが枯枝は意外と少ないものだ。焚火は火鉢の火ほどのもの。沢を研いできた
米をゴムの水枕に入れて背負ってきた水を入れて二日分の飯を炊き、煮干し三匹とキャベツの葉
一枚をきざんで入れたみそ汁が出来た所で焚火は尽きた。あとは寝るだけだが夏になれた体には
国境稜線での夜は寒い。
夏山準備会でのN先輩の話。「夜中に目覚めて、空にしたルックを頭から被ろうとするが、ネボケて
いるせいか肩につかえて体が入らなくて参った」
というのを思い出して、空にしたキスリングに足を入れ腰まで入って寝たのだが明け方には寒さで
目が覚めた。リーダのSさんも眠れないらしく、ここでポツリと出たのが昔話である。
何年か前、やはり日高の夏山で国境近くだったかでキャンプをした先輩の話。
「早朝、寒くて目が覚めた。おそろしく寒かったそうだ。テントから首を出すと目の前に一本の岳樺が
あった。太さも手頃。焚火にしようと思った。しかし、一本だけ立っているその岳樺は、余りにも風情
が良かった。切ってしまったら風景が台無しになる。火を炊くのをやめて震えながら日の出を待った」
というものだった。
我々は七つ沼のカール、ポロシリ岳、一度、新冠川に下ってからエサオマントッタベツのカールボー
デンでもう一度寒い夜を過ぎしてからトッタベツ川を下って二週間の夏山を終えた。
しかし、同輩のM.W.君は一緒に帰札したのだがその後二度とルームに現れることはなかった。
トッタベツを目指すものだった。
当時の夏山の定番は、先ずは日高山脈だった。リーダは三年先輩のSさんでメンバに同輩のM.W.
君が加わった。金山で小学校に一泊した後、チロロ川遡行の初日にはハコの手前の滝上での渡渉
があった。滝は中段で大岩に当たって大きな水しぶきをを跳ね返していた。渡渉に失敗すれば一巻
の終りであろう。
当時は夏休みを待ちかねて、天候もヘチマもなく出発したものだった。七月は雨が多く増水が激しい。
ここでの渡渉は不可能だった。高マキを試みたが、これもムリ。仕方なくハコの手前の深みで、水流
の弱そうなところを見つけて泳ぎ渡ることにした。
しかし、水流は少しは弱いとはいえ二人はカナズチ同然だという。仕方なく細引を出しあって繋ぎあ
わせた十数メートルのロープの端を小生が腰につけて泳ぎ渡った。ロープをたぐり寄せ、端に小石を
結び付けて左岸で待つ二人に投げ返し、先ずルックをたぐりよせ、これを繰り返して最後に首だけミ
スの上に出してロープにつかまっている人を一人ずつ手繰り寄せた。
数度のハコマキはあったが、沢は難なく通過、入山六日目に数時間の這松コギの後、北トッタベツ
岳ための国境に近い稜線でキャンプとなった。
這松の枯枝を集めたが枯枝は意外と少ないものだ。焚火は火鉢の火ほどのもの。沢を研いできた
米をゴムの水枕に入れて背負ってきた水を入れて二日分の飯を炊き、煮干し三匹とキャベツの葉
一枚をきざんで入れたみそ汁が出来た所で焚火は尽きた。あとは寝るだけだが夏になれた体には
国境稜線での夜は寒い。
夏山準備会でのN先輩の話。「夜中に目覚めて、空にしたルックを頭から被ろうとするが、ネボケて
いるせいか肩につかえて体が入らなくて参った」
というのを思い出して、空にしたキスリングに足を入れ腰まで入って寝たのだが明け方には寒さで
目が覚めた。リーダのSさんも眠れないらしく、ここでポツリと出たのが昔話である。
何年か前、やはり日高の夏山で国境近くだったかでキャンプをした先輩の話。
「早朝、寒くて目が覚めた。おそろしく寒かったそうだ。テントから首を出すと目の前に一本の岳樺が
あった。太さも手頃。焚火にしようと思った。しかし、一本だけ立っているその岳樺は、余りにも風情
が良かった。切ってしまったら風景が台無しになる。火を炊くのをやめて震えながら日の出を待った」
というものだった。
我々は七つ沼のカール、ポロシリ岳、一度、新冠川に下ってからエサオマントッタベツのカールボー
デンでもう一度寒い夜を過ぎしてからトッタベツ川を下って二週間の夏山を終えた。
しかし、同輩のM.W.君は一緒に帰札したのだがその後二度とルームに現れることはなかった。
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