ログイン   :: お問い合せ :: サイトマップ :: 新着情報 :: おしらせ :: 
 
 
メニュー
最新のエントリ
最近のコメント
  • 23年08月05日
    Re: 【書評】北アルプス鳴沢岳遭難報告書(米山1984入部)...ゲスト
  • 22年12月28日
    スーパーコピーモンクレール...スーパーコピーモンクレール
  • 22年12月27日
    モスキーノコピー...モスキーノコピー
  • 21年03月22日
    Re: 【中部日高】ナナシ沢1823m峰南面直登沢→コイボクシュシビチャリ川...北陵高校山岳部OB
  • 17年01月29日
    Re: これまでの部報紹介・3号(1931)上/(米山悟1984年入部)...佐々木惠彦
  • 16年12月17日
    Re: ペテガリ冬季初登・72年前の今村さんのゲートル  米山悟(1984年入部)...やまね
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...米山
  • 16年07月28日
    Re: 暮しの手帖96 特集戦争中の暮しの記録 1968 うちにありました...さわがき
  • 16年07月04日
    Re: 医学部戦没同窓生追悼式のご案内...AACH
  • 16年06月17日
    Re: 道新に今村昌耕会員の記事...AACH

山の会昔語り・ 2006年4月5日 (水)

山の会裏話ー(8)
これでない方がいい

                          北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
 冬休みに入ると冬山合宿へ出発である。昭和十九年にはすでに出火のため、従来使
われていた吹上温泉が使用不能になっていたので、その後ニセコで合宿したり十勝で
は勝岳荘をヒュッテとして使っていたようである。
 勝岳荘は白銀荘にも近く、吹上温泉のすぐ上にあったのでヒュッテへのアプローチは
二十五年入部の我々の時とあまり違ってはいなかったと思う。
 桑園駅に集合して夜行列車で富良野へ。そして真夜中に富良野線の列車に乗換る。
発車は五時半だが、直ぐに入線し、まだ乗客のいない空の客車にストーブまで焚いて
貰って朝を待って発車し、六時に上富良野着。駅の前で合宿幹事が手配してあった馬
橇に荷物だけ積み込み、人はそれに前後しながら徒歩で行く。
 平地が終わるのは、以前に噴火口付近で採掘した硫黄を運搬したという架空索道の
終点跡と思しき所で、ここからはスキーを着け、荷を背負って勝岳荘迄の登りになる。
 一週間の冬山合宿ともなれば一人当たりの荷は三十キロは超える。初めて合宿とあ
って見栄を張ってどんどん上って行った小生も、もうじきヒュッテという所で些かバテ気
味で腰を下ろして休んでいた。追いついてきた先輩は流石にもっと凄い荷を背負ってゆ
ったりと力強く脇をラッセルして通り抜けた。そして、一寸足を止めて意味ありげにニヤ
リとして語った。ある時の合宿で、X訓はこの辺りでヒラヒラになっちゃって腰を下ろして
動かなくなった。しょーがないので少し休ませてからテルモスのお湯をカップに注いでウ
イスキーを少々入れて渡したら。
「あーウマイ」
と言って忽ち元気になった。
「さー行くか」
と言って歩き出そうとしたら
「もう一杯下さい」
と言って空になったカップを差し出したので、お湯だけ注いで渡したら、一口飲んで
「これでない方がいい」
と言ったという。
  • コメント (0)

新しくコメントをつける
題名
ゲスト名   :
投稿本文
より詳細なコメント入力フォームへ
 
コメント一覧
 
 
 
Copyright © 1996-2024 Academic Alpine Club of Hokkaido