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山の会昔語り・ 2006年10月21日 (土)

山の会裏ばなしー(14) スフのマフラー
スフのマフラー

                     北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
入部して、あれこれと装備を集めたり話を聞いたりしているとドイツ語が氾濫しているのには一寸驚きだった。リックだと思っていたものはルックザックと言わねばならず、足に履く爪はシュタイックアイゼンだった。これは適当な訳語がないので致し方なく、固有名詞はそのまま使うのも無理はない。

ドイツ、ドイツと言うのには他にもいろいろな訳があったようだが、ドイツの製品は優れていた。工作機械の精度は抜群、耐久力は勝っているし医学もドイツと言われていた。だいぶ年上の大人達はゾーリンゲンの剃刀なんて言って目を見張っていた。三年先輩のSさんなんかはソーリンゲンのナイフを後生大事に持っていた。現在は、大分以前からスイスのキャンピングナイフが主流になっているが、当時は「肥後の守」がよく切れたが不便、八丁ナイフは無骨で重い。それに比べ、先輩のゾーリンゲンはみそ汁の具の薯を切っても、しっくりと切り心地がよかった。だが、みそ汁のことまでズッペと言ったり、冬山で尾根に前進キャンプを進める時、重い荷物を二度に分けて上げるのをビーダーコンメンなどと言う怪しげな造語まであった。

そんなある日、先輩がもっと上の先輩の話を持ち出して悦にいっていた。と言うのは或る日ルームで岡彦一先輩、通称ライカさんが純白でツルツル、まるで銀のように光るマフラーを見せたそうである。ライカさんは北大予科の入学祝いのライカを持っていたのがニックネームの由来だそうだが、このカメラで撮った北千島シリアジリ岳中腹から、遠くに連なる峰々を撮った写真が部報五号に載っているので知る人も多いだろう。昭和九年入部、日中事変突入への準備が着々と進められていた頃である。ライカさんはその綺麗なマフラーを見せながら「これはドイツで発明されたスフと言うもので、ベンベルグの製品だ」と言ったそうである。

すると、彼と同輩の林和夫大先輩は「ちょっと触らせてくれないか」と言って、そーっと、撫でてみて感激。そして後で大いに悔しがったそうである。実はスフはステーブルファイバーの略で、言うなれば紙の原料のパルプで作った代用繊維。水で一回洗ったらペラペラになってしまう代物だった。
  • コメント (1)

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米山   投稿日時 2006-10-24 11:58
ステープルファイバー→スフになったように、80年代後半はビーダーコンメンはビーコンと呼んでいました。ほとんどの人は語源も知らなかったようです。今度の部報14号では用語解説ページがありますよ。カタカナはたいてい四文字か三文字にちょん切られるのが流れのようですね。
 
 
 
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