OBの山行記録・ 2007年3月6日 (火)
上信国境・湯ノ丸山スキー山行
湯ノ丸山(2101m)
●2007年1月28日(日)(1ー0)
【ルート】
地蔵峠→湯ノ丸山→旧鹿沢
【メンバ】
L:清原実(1986入部)、M:石橋岳志(1982入部)、山森聡(1986入部)
●2007年1月28日(日)(1ー0)
【ルート】
地蔵峠→湯ノ丸山→旧鹿沢
【メンバ】
L:清原実(1986入部)、M:石橋岳志(1982入部)、山森聡(1986入部)
【行程】
1月28日(日)(晴れ)地蔵峠:湯ノ丸スキー場リフト終点Co1840m(11:00)→湯ノ丸山2101m(12:00-15)→2098.5mポコ手前(南側)滑降点(12:20-30)→旧鹿沢スキー場ゲレンデ跡トップ(13:25)→鹿沢温泉(旧鹿沢)駐車場(14:00)
【地図】 (五万図)上田
【記録】
湯ノ丸スキー場のリフトは、たった100m登るだけで500円で、少々高い気がするが、リフトの機動力を活用しない手はない。湯ノ丸山へは、群馬県と長野県の県境の尾根を牧柵沿いにシール登高する。
湯ノ丸山ピークに到着した私(山森)。
山頂にいた人に、写真を撮ってもらう。左から、石橋兄、清原ババア、山森。
湯ノ丸山(2098.5m)から西側の烏帽子岳(2065.6m)を望む。
根子岳(ねこだけ)、四阿山(あずまやさん)方面を望む。四阿山は昨年1月中旬に行った際は、真っ白だったのに、今年はだいぶ黒い。やはり、昨年より相当に雪が少ないのだろう。
湯ノ丸山の北側のポコ手前から滑降開始。まずは山森が一番に飛び出した。
次に清原ババア。
そして石橋兄。
スキーが快調な斜面は、最初の数ターンで終わり。すぐに密林に突入した。ルートファインディングで失敗し、写真の樹林が一番上まで来ているあたりで、密林に突入してしまった。現役時代を含めた、いままでの山スキー経験で、一番不快調なブッシュスキーとなった。途中で、旧鹿沢スキー場のゲレンデ跡に出たが、雪が少ないのと、植林した潅木が成長したのとで、ブッシュが顔を出している斜面を滑ることになる。
旧鹿沢(下山口)から、地蔵峠(登山口)までは、ジャンケンで負けた人が、車道を歩いて車を回収に行く予定にしていたが、一緒に同じルートを下山したスノーボードのパーティの人の好意で、地蔵峠まで車に便乗させてもらって、車を回収してくる。お決まりの温泉は、旧鹿沢の紅葉館。温泉(\500-)とそば(\600-)のセットで、\1000-。
温泉(雲井乃湯)は、なかなか渋い。旧鹿沢温泉紅葉館は、「雪山讃歌」発祥の宿とのこと。昭和3年、西堀栄三郎(後の第一次南極越冬隊隊長)が京大山岳部の仲間と、吹雪で旧鹿沢温泉紅葉館に閉じ込められた際に、退屈しのぎに「雪山讃歌」を作詞したのだという。8年位前までは、鹿沢スキー場が営業していたとのことだが、スキー場が廃業してしまったので、訪れる人も少なく、まさに秘湯といった趣きだ。
(文責:山森 聡)
1月28日(日)(晴れ)地蔵峠:湯ノ丸スキー場リフト終点Co1840m(11:00)→湯ノ丸山2101m(12:00-15)→2098.5mポコ手前(南側)滑降点(12:20-30)→旧鹿沢スキー場ゲレンデ跡トップ(13:25)→鹿沢温泉(旧鹿沢)駐車場(14:00)
【地図】 (五万図)上田
【記録】
湯ノ丸スキー場のリフトは、たった100m登るだけで500円で、少々高い気がするが、リフトの機動力を活用しない手はない。湯ノ丸山へは、群馬県と長野県の県境の尾根を牧柵沿いにシール登高する。
湯ノ丸山ピークに到着した私(山森)。
山頂にいた人に、写真を撮ってもらう。左から、石橋兄、清原ババア、山森。
湯ノ丸山(2098.5m)から西側の烏帽子岳(2065.6m)を望む。
根子岳(ねこだけ)、四阿山(あずまやさん)方面を望む。四阿山は昨年1月中旬に行った際は、真っ白だったのに、今年はだいぶ黒い。やはり、昨年より相当に雪が少ないのだろう。
湯ノ丸山の北側のポコ手前から滑降開始。まずは山森が一番に飛び出した。
次に清原ババア。
そして石橋兄。
スキーが快調な斜面は、最初の数ターンで終わり。すぐに密林に突入した。ルートファインディングで失敗し、写真の樹林が一番上まで来ているあたりで、密林に突入してしまった。現役時代を含めた、いままでの山スキー経験で、一番不快調なブッシュスキーとなった。途中で、旧鹿沢スキー場のゲレンデ跡に出たが、雪が少ないのと、植林した潅木が成長したのとで、ブッシュが顔を出している斜面を滑ることになる。
旧鹿沢(下山口)から、地蔵峠(登山口)までは、ジャンケンで負けた人が、車道を歩いて車を回収に行く予定にしていたが、一緒に同じルートを下山したスノーボードのパーティの人の好意で、地蔵峠まで車に便乗させてもらって、車を回収してくる。お決まりの温泉は、旧鹿沢の紅葉館。温泉(\500-)とそば(\600-)のセットで、\1000-。
温泉(雲井乃湯)は、なかなか渋い。旧鹿沢温泉紅葉館は、「雪山讃歌」発祥の宿とのこと。昭和3年、西堀栄三郎(後の第一次南極越冬隊隊長)が京大山岳部の仲間と、吹雪で旧鹿沢温泉紅葉館に閉じ込められた際に、退屈しのぎに「雪山讃歌」を作詞したのだという。8年位前までは、鹿沢スキー場が営業していたとのことだが、スキー場が廃業してしまったので、訪れる人も少なく、まさに秘湯といった趣きだ。
(文責:山森 聡)
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