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OBの山行記録・ 2009年3月3日 (火)

【南八甲田】酸ヶ湯→笠松峠→駒ヶ嶺→乗鞍岳(米山84)

【日程】2009年02月28日 〜 03月01日
【メンバー】
米山悟(1984)+山岳同人たがじょの4人
【天候】
一日目曇りのち晴れ
二日目晴れのち曇り
【タイム】
2/28 酸ヶ湯(8:00)〜傘松峠(9:50)〜パラダイスコース265番でお昼40分間〜ニセ駒(12:30-14:00)C1イグルー作る〜駒ヶ峯(14:40-15:10)〜ニセ駒のC1(15:30)
3/1 C1(7:00)〜乗鞍岳(8:00-9:00)〜C1(9:50-11:00)〜傘松峠(12:00-12:40)〜酸ヶ湯(14:00)
【記録】たがじょ一行の八甲田山行。この週末は決定的高気圧が来るので期待満々。冬の真白い八甲田は初めて。さすが八甲田はスキーの楽しい山と言われるだけある。ほどよいトドマツと緩い斜面が延々続き、心配無用で滑降できる。

 酸ヶ湯温泉の離れの駐車場から先、地獄沼の北側を捲いて車道の除雪終点に降りる。笠松峠まではラッセル無しでのんびり行く。峠から南は八甲田らしいトドマツ点在林。青森、十和田市境の緩い尾根状ではなく、その東の緩い沢の中を行く。下りのスキーが快調だから。このルートはパラダイスコースというそうだ。八甲田ではたくさんのコースがあり、三浦敬三さん達が青森営林署時代に取り付けた標識版がたくさん残っている。これらコースの看板番号をそらで覚え、全てのコースをご存じなのがこの度の成田師範である。何十年も通い詰め、朽ちた看板を拾い上げ、整備点検もされているのである。勿論勤労奉仕で。歴史的なコース体系だが、利用者ははっきり申し上げてこの一行含め少数派かも。今時、滑り重視のスキーヤーはたくさんいても、登って登って登って滑るというリズムのスキーヤーは少数派だから。

 ニセ駒ヶ峯は駒ヶ峯と猿倉岳間の最高点。この下にテント、今回はイグルーは便所用となる。僕はテント泊は相当久しぶりだ。慣れないテント泊でガソリンバーナーで火を噴かせ、テントの壁に穴を開ける失敗をした。二台使う時はホースを外すときもう一台の火がついているので、かなり危険だ。初体験で思い至らなかった。


 駒ヶ峯を空身で往復。駒の先数百m進んでみたところで、合計3人立て続けにヒドゥンクレバスに落ちる。雪庇が山肌からゆっくりはがれ、亀裂が生じて、そこにフタがされているやつだ。初めて落ちるとなんだか解らずとても怖い。深さ3m、幅1.5mほど。僕は結構何度も落ちたことがあるので何とも思わないが、皆は初めてだと言った。




 朝はぴかぴかに晴れた。ダイヤモンドダストのような結晶が青い空いっぱいに降り、朝日の下にはその結晶の柱が出来た。初めて見る美しい現象。乗鞍岳への地獄峠へは朝っぱらから楽しい滑降。乗鞍岳の斜面も無理無い傾斜でホイホイ行ける。登るにつれ北八甲田が美しく聳えるのが見える。乗鞍岳は西端から櫛ヶ峰や黄瀬川源流を眺め、最高点に行ってお昼。ここは無風快晴。




 下りも最高のスキー場だ。高田大岳に向かって滑降。雪の具合も丁度いい。天場にもどってまたゆっくりして、ニセ駒ヶ峯からの下りも良いコース。笠松峠からの道路もスコスコ進んで帰着。新雪パウダーばっかり人気だが、僕はこんな雪も大好きだ。山滑りにはいろんな雪がある。誰もいなくて気持ちいい。存分叫び声を上げる。




 無限大の視界なので楽しいばかりだったが、もしも視界が無ければマジ読みの地図読みになるだろう。成田師範は旗竿を立てながら行った。何百回も登っていて、どの木に何番の標識があるか熟知している師範でさえ、竿を刺していくのである。


 五人のうち二人はスノーシューだが、シールをつけているうちに追いついたりスキーは疲れるから結構やすんだりで、スピードはそれほど変わらないものなのである。小山内さんは八甲田のクラシックルートを伝承しようと月二回以上の師範の山行にお供している。八甲田の往年のルートこそ無形文化遺産だと思うなあ。
  • コメント (4)

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コメント一覧
米山   投稿日時 2009-3-6 10:32
げげっ、そりゃ、うちの近くだよ、おれも2丁目。奇遇だね。あの市場と商店街(浪打銀座)にひかれて家を決めたんだが、二〇〇九年現在、人通りは少なく、車ばかり通る殺風景な通りです。この10年、地方都市はどこもこうなっちゃったね。郊外の大型店に車で買い物に行くと頭が痛くなる僕は、商店街が好きなのですが。酒屋だけはあり、よく「豊杯」を買っています。

南光荘、21世紀にはあまりなさそうな良い名前です。

ところで90年代初めのそのころ僕は長野の三輪3丁目に住んでいましたが、ばばあが今その辺にすんでいたりして!
ばばあ_きよはら   投稿日時 2009-3-6 0:04
青森では最初の2年間位は桜川の社宅、その後の3年間は佃2丁目の南光荘というアパートに住んでました。近くにコンビニなどなく小さな商店や酒屋があったり、古川市場の小さい版みたいな市場があったりと何とも言えない雰囲気がありました。今思い返せばまだまだ素朴な街並が残っていたとでも言えるのでしょうね。
米山   投稿日時 2009-3-4 23:04
まったく20年なんてすぐで、嫌になるのう。その後の長期不景気で地方都市はどこも変わっているよ。きっと。

箒場岱、夏に何度かいってみたけれど美しい湿地もあっていいところだね。千葉さんは今度訪ねてみます。

ばばあが松本に帰れたのも運でしょうかね。僕はこの先どんな町に住むやら見当もつかないです。ところで青森はどこらへんにすんでいたのかね?
ばばあ_きよはら   投稿日時 2009-3-3 23:51
米山さん、ご無沙汰しております。ばばあ_きよはら@ながのです。八甲田の写真を見、懐かしくなり思わずコメントさせていただきます。
色々あったルームを90年春、卒業し社会人になって初めての赴任地が青森でした。当時はキンタや斎藤がまだ現役で若かりし頃の小倉、銭谷、石崎、井原などを引き連れて白神の沢、雪の八甲田にきておりました。山森が青森経由で十勝合宿参加なんてのもありました。
青森にいた頃はまだまだスキー術が未熟で雪まみれになりながら地元の方々と雪の八甲田に通っておりましたし、温泉通いもしておりました。そんなことをしながらも、箒場岱の高原茶屋に立ち寄り、青森名物のみそおでんをごちそうになってました。既に立ち寄られているのかもしれませんが、高原茶屋には一度足をお運びください。当時は私の青森時代、大変お世話になった千葉さんのお母さんが一人で切り盛りしておりました。あの千葉さんのお母さんはお元気なのだろうか。近況等アップいただけたらうれしい限りです。
当方は、先日このブログにアップしましたが、松本の山スキー同人に加わりスキーの機動力を生かした山行にいそしんでいます。
少し長くなりましたが、この辺で失礼します。では、では。
 
 
 
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