三年目の夏山は本州に出てみることにした。パートナーは同輩の石谷邦君
で、彼は富山県出身かどうかは定かではないが剣岳には少々の知識があ
った。
夏山山行にするにはそれなりの計画でないと、なんともサマにならないので
白萩川のゾロメキ発電所から入ってブナクラ谷〜小窓尾根を乗越して三ノ窓
から剣沢へ抜ける計画として小生がリーダを務めることになった。参考になる
記録がなかなか見つからないので藤平正夫氏の早月尾根冬期登攀記録を
手掛かりにした。
この年も出発から雨でゾロメキ発電所の工事小屋に一拍、徒渉に苦労しなが
らブナクラ谷の中州というかテラス状の出っ張りを猫の額ほど平にしてテント
で一拍。時折豪雨の来る小雨の中、小窓尾根に取り付いてブッシュを分け、
岩場を越えるなど、北海道とはかなり勝手の違う登高だった。
池ノ平への下り位置を早まり、ブッシュや岩はますます激しくなりアンザイレン
などにも手間取って、いくらも進まぬうちに日は暮れかけ、キャンプできそうな
ところを見つける可能性もうすいので、急傾斜だがヤブの中に突き出た小さな
岩の脇にビバークすることにした。
夜中に転落しないように足元の潅木を細引で束ね、なんとか小さな場所は確
保できたが、二人とも寝込んでしまっては転落の危険あり。交代で相棒の寝
返りの監視を約束したが、結果的には二人とも殆ど眠れなかった。
夕食は沢で飯盒に一本炊いて持って登ったのだがビバークした所には水はな
い。小雨は降っているのに集めることも出来ない。翌日の行動に備えて飯盒は
枕の下にして夕食は抜いた。
相変わらず驟雨に見舞われながらもゾロメキ発電所を出発してから六日目には
三ノ窓の雪渓を降って剣沢小屋を経て乗越小屋に到着。小屋には佐伯トン先輩
が滞在していた。
彼は林学なので立山をフィールドにして卒論を書いていたそうである。
苦あれば楽あり。翌日は彼のお使いで芦峅寺まで下りて米と炭一俵をとりに行
ったり、その後は荷揚げのお礼とばかりに長次郎の雪渓、八峰で岩登り、剣岳
などを案内して貰い、悠々の時を堪能した。しかし、あのブナクラ谷で翌年の夏
には石谷、加納、鈴木のパーティーは鉄砲水に遭遇し、鈴木康平君を失った。前
者二人もその後病死して今はなし。
あの谷は未だに小生の心にキズになっている。
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