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山の会昔語り・ 2005年10月4日 (火)

山の会昔語りー(1) 
山を下りたら昭和の御世だった


                          北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)




山の会東京支部で昭和40年頃の中心的な長老は山口健児(山ケン)先輩だったといって語弊はなかろう。
その頃は支部の行事として穂高、剣岳、北岳などの夏山に出掛けたものだが、剣岳では台風の余波で前剣から退却して剣沢小屋での停滞となった雨の日、つれづれなるままに山ケン先輩の語る山岳部創立と当時は次のようなものだった。
大正15年11月に山岳部の発会式があった。先ずは冬季スキー合宿の計画が大きな行事だったという。候補地は新見温泉、小森五作、和辻廣樹の二人が現地の偵察までして決定したという。
12月22日早朝、札幌駅を出発、9時過ぎには蘭越駅に着き初心者をシンガリにして夕方には温泉に着いた。
合宿では三段山で風雪に逢ったり、スロープで快適に滑ったり目国内岳に登ったりと結構なものだったそうで、29日にワイスホルンに登る人たちと別れて蘭越の駅に戻った。
そして新聞を見たら「元号が昭和だった」という。
語り手の山ケン先輩はこの合宿でE班だったとの記録があり、部員章はNo.8である。
因みにNo.1は、時の山岳部長栃内吉彦教授である。蛇足ながら小生は同教授との面識はないが、初めて夏山でチロロ川を遡行して北トッタベツ、トッタベツ、幌尻へ登ったが、そのいずれだったかの頂上のケルンの下に埋められたマヨネーズの瓶の中に先生の名刺が入っていた。慎重に蓋を締めて埋め戻したのでシンマルを感激させた初代山岳部長の足跡は、今もあのケルンの下に残っているだろう。
  • コメント (1)

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内田 武彦   投稿日時 2005-10-27 11:15
久し振りに来てみたら、様子が変わっていて間誤付いた。  投稿するのにも ID ,passward が必要となり、名前と部員章番号ぐらいではすまないのだろうか???
今一つ、このコメント欄の文字表示はなぜこんなに小さいのてすか、年寄り老眼の者は読み返すのに苦労します。
投書欄に入れないのでここで失礼。
 
 
 
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