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山の会昔語り・ 2005年12月9日 (金)

山の会昔語りー(5)
野うさぎ必殺法


                          北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
第5回
野うさぎ必殺法

二十五周年のヘルベチア祭の帰りに列車を待っていた時、同輩のX君が「ヒュッテンブッフに面白いものがでていた」と言う。ただし、それはヒュッテンブッフだったか、いたづら書きの紙きれだったのか小生の記憶は定かではないが。要は野兎を確実に殺す方法だと言う。
彼は両手を前にさし出して、宙を糸でしごくようなしぐさを見せて「五十センチ位の針金をこうしてしごいて右端に蝶々の羽のように輪を作って捻る。次に針金の左端を、いま作った小さな輪に通して右手の指で引き出して、出来た輪が直径十センチ位になるようにする」と言ってひと息ついた。
これだけでいいそうだ。
「手に持った兎の首を此の輪に入れて針金を引けば、百発百中殺せるとあった」という。夏山の食料問題はこれで解決とイラストまで付けて書いてあったそうだ。
兎を捕まえるにはどうすればいいのかは、さておいて当時は前人未踏の沢を遡行し、電柱程の立木を倒して焚き火をし、尾根を攀じ登ったりという夏山などもやっていたが、実際には地上を歩く動物や鳥を食料にするような殺生や、草の根を掘って食べた話は聞いたこともしたこともなかった。これは殺生というよりは、むしろ動物達は仲間のようなに感じていたのかも知れない。二週間も人に会わず最奥人家の近くまで下り着いたキャンプで野兎を見たり兎の足跡などを見かけると友人に会ったような気がしたものである。せいぜいで滝壷で数匹のイワナを釣って、おかずの足しにするくらいのものだった。だが、ちょっとした例外的な記憶も二つばかりある。
その一つは、昭和二十七年の夏山、札内川からカムイエクウチカウシやトッタベツ、幌尻に登ったパーティーの通称Nは沢のテラスでギョウジャニンニクの群落を見つけて早速調理。「美味い、ウマイ」とバカみたいに食った.翌日からネギ臭い汗をかきながら登るので皆んなまいったと言う。
もう一つは極めて計画的でユニークな三十六年の夏山の一つである。
昔のアイヌ人は少量の米と味噌だけもって、イワナを釣りながら何日でも山を歩くプリミティブな生活をしていたということから発想して、普通は米六升を入れた30キロもの荷で入る日高に、少量の小麦粉、油、砂糖を入れたサブザックだけで出掛けたというものである。しかも名だたるシュンベツ川から入ってイドンナップなどの山々を登って、札内川を下ったという。初日は釣果ゼロ、空腹のあまり、この計画を悔いたという。
初めのうちはギョウジャニンニク、フキ、その後大量のイワナも捕れてこの夏山はめでたく終わったらしい。因みに、この計画者はW君というよりは通称D吉と名を伏せても、然るべき人にはミエミエだろうが。なお、正確には、このパーティーのメンバーだったY君が部報9号に「さすらいの日高」なる一文を載せている。
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