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山の会昔語り・ 2007年1月4日 (木)

山の会裏ばなしー(18) 七本のマッチ
七本のマッチ


                       北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
夏山や冬山が終わると必ず報告会があった。報告会はルームで行ってい
た。当時は活動していた部員は二十名位だったので少し窮屈だったがか
えって熱気が入った。
昭和二十七年の夏山ではとんでもない報告があって仰天した。それは、
入部が一年ずつ違うK、T、Cの三人が糠平川から幌尻、エサオマンに登
り札内川を下る普通のルートだったのだが彼らは初日にハコ巻きに失敗
して入水し、荷物を全部濡らしてしまったという。慌ててマッチを取り出して
干したが使い物になるのはたった七本。これから先、キャンプは七回しなけ
ればならない。マッチは一日一本で済ませることにして登山を続けて予定を
完遂というのである。
そもそも当時は未だビニール袋は開発されていなかったので大事な物は小
さな行李に入れて油紙すなわち和紙に油を沁みこませた紙に包んだ。油紙
はビバークなどでも雨よけのシートのように使われた。しかしマッチだけは缶
に入れるのが常識。缶は紅茶の四分の一ポンドの空き缶が最良だった。当
時もリプトンの空き缶はあった。茶筒はどこの家にもあったが絶対に不可。
被せ蓋なので水が入るのである。紅茶の缶は内蓋が押し蓋で四角な上蓋も
かかるので最適だった。
さて、マッチ一本で焚き火を起こすには、まずテントを張って風を避け、一人は
ローソクを持ち、一人は紙で作った付け木も持ち、もう一人が慎重にマッチを擦
ったという。三人総がかりだったようである。
この報告は先輩諸氏から手厳しい非難を受けたが、当時は夏山で初日に沢の
増水に肝をつぶしてクーキが抜けて帰ってきたり、ワラジが不調で登るのを止
めて帰ったなんていう、さまにならない話も残っていた中、一日一本のマッチで
の登高の決断と火の着け方の工夫には敬服した。
他のパーティーに逢うなんて事のほとんどなかった頃の日高である。
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