OBの山行記録・ 2008年8月19日 (火)
ソエマツ沢・ソエマツ岳南西面直登沢からヌピナイ川右俣/齋藤(1987)
2008/08/15-17(3-0)
メンバー:齋藤(1987)、勝亦(6)、澤田(5)
記録:
ソエマツ岳南西面直登沢は、昔から知られる日高最難関の沢のひとつだ。
巨大な山の裂け目を彷彿させるV字状谷の底に函滝トイ状滝、チョックストーン滝がこれでもかと連続する。いつものように高捲きは最小限に抑え、極力水際を離れずに突破する。
この数年、沢で鍛え上げた現役最強メンバーとともに充実の1本。
8/15 曇りのち霧雨 林道からソエマツ直登沢出合まで
元浦川林道通行止め地点(12:00)→ソエマツ林道終点(14:40)→ピリカヌプリ北西面直登沢出合(15:40)→ソエマツ南西面直登沢出合C1(16:15)
元浦川林道は、神威橋を過ぎて楡の沢出合から1kmも行かないうちにゲートがあって通行止めとなっている。
林道終点から広く明るい河原を進み、ピリカ直登沢出合からソエマツ出合までの間2ヵ所の函は、はじめ右岸をへつって通過、次は右岸の捲き道を使う。
8/16 曇り ソエマツ直登沢核心部
出発(4:40)→700mガレ場地点(7:50)→1080m核心部終了(13:20)→ソエマツ岳(15:20〜16:00)→ヌピナイ川上二股C2(17:30)
明るくなるのを待って出発。出だしいくつかの函付き段差はずぶぬれになりながらも中を行く。その後トイ状8mの滝は抜け口が微妙なため、左岸から捲く。
3段18m滝(写真)は、1段目右岸を登り、2段目左岸テラス上に這いあがった後、ザイルを出してバンド沿い落ち口へトラバース。奥に3段目が隠れているが、そのままザイルを伸ばして急な左岸カンテ状を登る。
3段18m滝 3段目は奥に隠れて見えない
その後2、3mの函滝、CS滝が連続して出てくる。泳いで取りついたりショルダーで越えたりして楽しいところだ。続く7m傾斜のある滝は澤田がザイルを出し、左岸を直登。
次第に沢幅が狭くなり両岸が見事に切れあがったV字ゴルジュに突入。五体駆使した突っ張りで狭い淵とチョックストーンの詰まった段差をズリズリと越えていく(写真)。
V字ゴルジュを行く
ゴルジュのどん詰まりまで行くと、左側のつるつる岩から8mの直瀑が頭上に降りそそぎ、前進を阻まれた。いったんゴルジュ内を引き返し、右岸のルンゼから高捲く。結局次の4mつるつる函滝の上までまとめて捲く。
沢身に戻って3〜4mの函滝を2つ越えたところで700m地点のガレ場に着く。右岸に良いビバークサイトあり。
4m下部ツルツルを登る
再び沢が左に曲がったところで直登不能な10m滝。その奥にも直登困難な5m、10m直瀑が続いて見える。左岸の岩尾根から上部ブッシュ帯に入り、これらをまとめて高捲く。さらに次の屈曲部3段15mののっぺりしたナメ滝が確認できたので、再び高度を上げて捲き続ける。次の10m滝で、落ち口付近へ向けてブッシュ伝いにクライムダウンし、高捲きを早めに切り上げる。沢身に降りて2mCS滝、その奥の4mナメ滝は見た目と違ってすんなりと登れたので良かった。
巻き終わってCS3m滝
高捲きがひと段落した所で1968年この捲きの途中で墜死したルームの先輩、西信氏を弔い、全員でカメラーデンリードを歌った。
この先も、狭い溝状の中にチョックストーン滝、つるつるの段差、トイ状の小滝が連続する。徐々にヌメりがちとなって、落ち口でザイルを出した滝も幾つか。
左股から80mの落差で滝が合流すると、例年雪渓が残るような雰囲気のところとなる。今年はひとかけらも見られない。狭いトイ状の函滝を突っ張りで抜け、35mの滝。ここは勝亦がトップでザイルを出す。
35m滝の登攀
上部核心部より見上げる
続く35m滝は、右岸ルンゼをしばらく登ってから落ち口へ向かってザイルを出してトラバース。落石浮石に注意。その後、狭いチムニー状の5m、4mの滝を突破、1080m地点で核心は終わる。
沢は一直線で稜線直下まで。全身筋肉痛になるくらい突っ張りで越える段差が続く。途中、伏流するが水流はかなり上の方まで続く。多少のはい松を漕いでソエマツの頂稜に出る。
ピークからは東尾根の踏み跡を少し下り、真東を向いてヌピナイ川の源頭へ。
下降に採ったのはちょうど20年前夏メインの飯島パーティで滑落事故を起こした沢とは1本北側の沢。下るならこちらをお勧めする。
ヌピナイの上二股には別の社会人パーティ4人が泊っていた。この夏は入山者が多かったせいか、薪を集めるのに苦労した。
8/17 曇りのち晴れ ヌピナイ川右俣を下る
出発(7:10)→二股(10:50〜11:40)→林道通行止め箇所(13:15)
気温が上がるのを待ってゆっくりと出発。
決して喜んで水に浸かるような天気ではないが、衝動を抑えきれず、多くの捲き道は無視してすいすい?と泳ぎ下った。
ヌピナイ川林道はCo260付近で通行止めとなっている。あらかじめデポしておいた車を回収。
ヌピナイ右俣の函を下る。左岸捲き道に先行していた社会人パーティ。
ヌピナイ右俣の函滝を下る
元浦川林道通行止め地点(12:00)→ソエマツ林道終点(14:40)→ピリカヌプリ北西面直登沢出合(15:40)→ソエマツ南西面直登沢出合C1(16:15)
元浦川林道は、神威橋を過ぎて楡の沢出合から1kmも行かないうちにゲートがあって通行止めとなっている。
林道終点から広く明るい河原を進み、ピリカ直登沢出合からソエマツ出合までの間2ヵ所の函は、はじめ右岸をへつって通過、次は右岸の捲き道を使う。
8/16 曇り ソエマツ直登沢核心部
出発(4:40)→700mガレ場地点(7:50)→1080m核心部終了(13:20)→ソエマツ岳(15:20〜16:00)→ヌピナイ川上二股C2(17:30)
明るくなるのを待って出発。出だしいくつかの函付き段差はずぶぬれになりながらも中を行く。その後トイ状8mの滝は抜け口が微妙なため、左岸から捲く。
3段18m滝(写真)は、1段目右岸を登り、2段目左岸テラス上に這いあがった後、ザイルを出してバンド沿い落ち口へトラバース。奥に3段目が隠れているが、そのままザイルを伸ばして急な左岸カンテ状を登る。
3段18m滝 3段目は奥に隠れて見えない
その後2、3mの函滝、CS滝が連続して出てくる。泳いで取りついたりショルダーで越えたりして楽しいところだ。続く7m傾斜のある滝は澤田がザイルを出し、左岸を直登。
次第に沢幅が狭くなり両岸が見事に切れあがったV字ゴルジュに突入。五体駆使した突っ張りで狭い淵とチョックストーンの詰まった段差をズリズリと越えていく(写真)。
V字ゴルジュを行く
ゴルジュのどん詰まりまで行くと、左側のつるつる岩から8mの直瀑が頭上に降りそそぎ、前進を阻まれた。いったんゴルジュ内を引き返し、右岸のルンゼから高捲く。結局次の4mつるつる函滝の上までまとめて捲く。
沢身に戻って3〜4mの函滝を2つ越えたところで700m地点のガレ場に着く。右岸に良いビバークサイトあり。
4m下部ツルツルを登る
再び沢が左に曲がったところで直登不能な10m滝。その奥にも直登困難な5m、10m直瀑が続いて見える。左岸の岩尾根から上部ブッシュ帯に入り、これらをまとめて高捲く。さらに次の屈曲部3段15mののっぺりしたナメ滝が確認できたので、再び高度を上げて捲き続ける。次の10m滝で、落ち口付近へ向けてブッシュ伝いにクライムダウンし、高捲きを早めに切り上げる。沢身に降りて2mCS滝、その奥の4mナメ滝は見た目と違ってすんなりと登れたので良かった。
巻き終わってCS3m滝
高捲きがひと段落した所で1968年この捲きの途中で墜死したルームの先輩、西信氏を弔い、全員でカメラーデンリードを歌った。
この先も、狭い溝状の中にチョックストーン滝、つるつるの段差、トイ状の小滝が連続する。徐々にヌメりがちとなって、落ち口でザイルを出した滝も幾つか。
左股から80mの落差で滝が合流すると、例年雪渓が残るような雰囲気のところとなる。今年はひとかけらも見られない。狭いトイ状の函滝を突っ張りで抜け、35mの滝。ここは勝亦がトップでザイルを出す。
35m滝の登攀
上部核心部より見上げる
続く35m滝は、右岸ルンゼをしばらく登ってから落ち口へ向かってザイルを出してトラバース。落石浮石に注意。その後、狭いチムニー状の5m、4mの滝を突破、1080m地点で核心は終わる。
沢は一直線で稜線直下まで。全身筋肉痛になるくらい突っ張りで越える段差が続く。途中、伏流するが水流はかなり上の方まで続く。多少のはい松を漕いでソエマツの頂稜に出る。
ピークからは東尾根の踏み跡を少し下り、真東を向いてヌピナイ川の源頭へ。
下降に採ったのはちょうど20年前夏メインの飯島パーティで滑落事故を起こした沢とは1本北側の沢。下るならこちらをお勧めする。
ヌピナイの上二股には別の社会人パーティ4人が泊っていた。この夏は入山者が多かったせいか、薪を集めるのに苦労した。
8/17 曇りのち晴れ ヌピナイ川右俣を下る
出発(7:10)→二股(10:50〜11:40)→林道通行止め箇所(13:15)
気温が上がるのを待ってゆっくりと出発。
決して喜んで水に浸かるような天気ではないが、衝動を抑えきれず、多くの捲き道は無視してすいすい?と泳ぎ下った。
ヌピナイ川林道はCo260付近で通行止めとなっている。あらかじめデポしておいた車を回収。
ヌピナイ右俣の函を下る。左岸捲き道に先行していた社会人パーティ。
ヌピナイ右俣の函滝を下る
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コメント一覧
よねやま
投稿日時 2008-8-19 19:48
西信さんの追悼を、昨年行けるところまで行ってやっていたようです。今年はちょうど40年で、ちょうど良い供養になったのではないでしょうか。直登沢開拓時代の事故でした。
日高の極悪四天王沢も完登で、若手も伸びたし言うこと無し。今回は参加できず残念でした。
日高の極悪四天王沢も完登で、若手も伸びたし言うこと無し。今回は参加できず残念でした。