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書評・出版・ 2015年1月16日 (金)

山と渓谷 1981年6月号の北大山岳部記事 米山悟(1984年入部)

1981年の山と渓谷、北大山岳部の紹介記事が出て来ました。同期入部のGGが大事に持っていました。私もGGも81年はイナカの高校2年生です。この記事を見て北大を目指したのだろうかな?
記事を書いているのはスエタケさん(1978年入部)、撮影は山スキーOBの阿部さんです。山中の写真のコジキジャンバーやコジキオーバーズボンはそのまま数年後も継承していました。センパイのストックの竹製輪っかも秀岳荘です。アイゼン練習は旧Zでしょうか。タニの赤いアイゼンのようです。




部室の小汚い風景が、ストロボの光で現実以上に鮮明で報道写真的な例会の写真です。1970年代末に部室がこの場所に移動してから、今も同じところで同じ営みが続いています(多分)。冬合宿の食事写真では直径18センチのアルミのボウル二つを食器にしているところをスッパ抜かれています。1980年12月末の十勝岳白銀荘の冬合宿の撮影ということでしょう。木造時代の恵迪寮(1983年3月取り壊し)で、北海道型キスリングの日高ザックに裸足でパッキングしているチンネンさん。この木造恵迪寮、受験の時に泊めてもらって飲ましてもらいました。





一年目部員のコジキ服のお尻のツギ写真も紹介して、輝く笑顔の新人だったフジワラさんの姿もあります。昔の桑園駅のホームも懐かし。スエタケさんの文章も、北大山岳部の環境と、継承したものと精神世界を余さず伝えています。
衣類は若干こぎれいになっていますが、基本的に現在も34年前と変わらぬ営みのようです。

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