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書評・出版・ 2015年7月15日 (水)

【読書感想】ウルフ・ウォーズ 《オオカミはこうしてイエローストーンに復活した》 米山悟(1984入部)
「オオカミが厄介者ではなく、自然や生態系を守り維持していくために不可欠な頂点捕食者である」という生物学者の結論を、行政機関と多くの市民が受け入れて、オオカミ復活を実現させたアメリカのイェロウストン国立公園(を含むワイオミング、アイダホ、モンタナ3カ所)の試みを書いたドキュメンタリ。著者は野生生物保護活動家。訳者は、日本でのオオカミ放獣を目指して1990年代から活動している二人。

巻末の年表より
1926年イェロウストン国立公園で最後のオオカミが殺された。
1944年レオポルド博士オオカミ復活を提唱
1978年生物学者ウィーバー氏が公園内への放獣を提唱
1987年公園内への放獣議案提出
1990年オオカミ補償基金(万一家畜被害の保障)用意
1992年「オオカミ投票」で世論作り
1994年最終環境影響評価書が発行され、野生生物局によるオオカミ再導入の最終的な管理規則を発行。周辺牧場主が差し止め訴訟。
1995年裁判所は差し止め請求を拒否、カナダからのオオカミはY.S.国立公園に8頭放獣された。年末までに21頭に。
1996年更に17頭放獣、年末までに51頭に。
2002年オオカミ数目標値に。
増えすぎたエルク(ヘラジカ)は適正数になり、その後オオカミは100頭前後を維持。
***
アメリカでも、オオカミ放獣の実現に立ちふさがる誤解と利害からくる困難は多くあった。あんなに鉄砲を手放すのが嫌で、既得利益のためにはぶっ放すのが好きそうなヒトが多そうなアメリカだものなあ。こつこつと周りの説得を積み上げていくオオカミ導入支持研究者らの行いが書かれています。相手に敬意を払わない「話にならない反対論者」に対しても敬意を失わず対話を重ねる、ということだけが、最終的に多くの人の支持を勝ち得るのだと感じました。だからこそ議論には時間がかかるのです。「俺が正しい、間違ってるお前は黙れ」というのは言論の自由には含まれない言論なんですね。
訳者のあとがきの中で、北米でのオオカミ絶滅と日本のオオカミ絶滅のつながりについて書いてありました。
オオカミを滅ぼした時代の力は毛皮の狩猟圧だった。欧州で人気の毛皮、クロテンやラッコを数百年かけて北米、極東ロシアで獲り尽くし、海を渡って遂に日本を開国させた。その天敵、獲物を減らす厄介者として、ヒトの利益を横取りするものとして、オオカミは懸賞金付きで殺された。その思想が明治日本にも上陸し、1905年オオカミは日本から居なくなってしまった。
明治維新で日本が失ったもの。たくさんありましたが、オオカミを失った事、100年経っていま、シカの増大で日本の山の荒廃要因の一つになっているのだなあ。
前回、オオカミ放獣に関する書評でも書いたけれど、オオカミ放獣は、「シカ害」という人の利益のためではなく、先祖が犯してしまった罪の痛切な反省のためにも、子孫としてするべき落とし前ではないでしょうか。作ったけれど無用になった山の中の幾多の建造物の完全撤廃なども。21世紀は先祖の尻拭いをする時代です。
ウルフ・ウォーズ
オオカミはこうしてイエローストーンに復活した
ハンク・フィッシャー 著
朝倉裕、南部成美 訳
2015.4 白水社
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【オオカミの護符】
明治に失った日本のオオカミ信仰について、もう一冊です。

実家の土蔵の扉に貼ってあったオオカミの護符を追って、多摩丘陵のそして、秩父の山村集落の習俗と農事の伝統を発見していく本です。川崎の宮前区の丘陵地帯は、ほぼ僕と同世代の著者の子供時代には茅葺き屋根の農村最後の時代だった。川崎の宮前にも古い農民社会が40年前まであったのが驚きです。オオカミ信仰の講中登山を辿って、御岳山、さらには秩父へと話は進んでいきます。著者はその映像記録を撮り始め記録映画を作りました。本書はその書籍化。

僕自身、東京に住んで山に登った期間はわずかだったので、御嶽山(みたけやま)も宝登山(ほどさん)も猪狩山(いかりやま)も、三峰山(妙法ヶ岳、白岩山、 雲取山)も、名前も位置もほとんど知りませんでした。奥深い山と思っていた和名倉山も、以前は中腹まで焼き畑が覆っていた写真を見て驚きました。
今とは違う、線路や道路ではなく、山と川で繋がっていた武蔵国の範囲に読後初めて思いを巡らせました。

そしてテーマのオオカミ。オオカミは作物を荒らすイノシシ、シカを食べる農民の味方。
オオカミのお産のうなりを聴くとシカ、イノシシは逃げることから農民の神となった。うなりを聴く事の出来る「心の直ぐなる者」が、その場に赤飯を持っていき、オボタテ(御産立)というお祀りをした。そこからオオカミの護符信仰が始まったのだった。その行事を覚えていた人に出会うのが終盤の山場です。
とても面白い本でした。武蔵一円に暮らす登山愛好家にお勧めです。

オオカミの護符
小倉美恵子 
新潮社2011
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