
書評
ブロードピーク(8047メートル)
マルクス・シュムック著、横川文雄訳
1964・朋文堂
2005.6.9
ブロードピークの初登攀記を札幌の古本屋で見つけた。その後の再版は見かけない新書版だ。1957年、未踏の8000m峰はあとこのブロードピークとダウラギリ、GI、シシャパンマだけに残った時分とはいえ、この遠征隊は他と違う。たった四人のハイポーター無しで、8000の未踏峰アタックを成功させている。物量を投入した大遠征隊が常識だった当時としては、信じられないくらい画期的な計画を貫徹していた。1953年のナンガパルバットでは大遠征隊で出かけながら、最終キャンプからの標高差1000m、直線距離6キロを超えるアタックをたった一人で登って帰ってきたあのヘルマン・ブールがメンバーで参加しているのがうなずける。そしてそのブールは、このブロードピークの成功のすぐ後についでに登ったチョゴリザで雪庇を踏み抜いて死んでしまった。
ヘルリコッファーの「ナンガパルバット」にも、ブール自信の書いた「八千米の上と下」にも無い、ブールの人柄がこの本には書いてある。著者で隊長のマルクス・シュムックはその後のヒマラヤ記録に見ないが、ブールはじめメンバー達の生き生きした記述が良い。
ブールと最期の山を共にした最年少隊員だったクルト・ディームベルガーの、その後の長いヒマラヤ人生の、ごく初期の活躍記録でもある。ディームベルガーはこの史上初めての8000m軽装登山を皮切りに、現代に至るまでヒマラヤを登り続けている生き字引だ。
ヘルマン・ブールに別れを告げるくだりで、彼らが歌った「カメラーデンリート」の記述があった。北大山岳部では遭難者追悼の折りに必ず歌う歌だ。他で歌っている話を知るのは初めてだ。この時代のドイツ、オーストリア登山家の間では一般的な習いだったものを山岳部が受け継いだのだろうか。
このようなわけで、今はなき良書出版社の朋文堂がわずか一瞬、新書版でのみ発売した貴重な記録を、古本屋で、たった千円で手に入れられて幸運だった。
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AACH-MLで吉田さんが紹介されていた本,丁度私も読んでいたところでした.ちょっと私も一言書きたい気分になったので,がらにもなく書評というか感想を記したいと思います.(澤柿)
大学に入って本格的に山登りを始めるようになった十代後半から二十代前半にかけて,山岳書をむさぼり読んだ時期がありました.それらは,自分が育ち,歩き,そしてこれから目指そうとして夢見る山々で繰り広げられてきた登山界の栄光と悲劇の記録です.ことに,槙 有恒のアルプス登攀,板倉勝宜の遭難,AACKの創立とヒマラヤへの夢,加藤文太郎の単独行,冠 松次郎の黒部川溯行記録など,日本のアルピニズムの草創期のヒーローとも言うべき人々の著書や記録に夢中になったものです.
あれから10年以上がたちましたが,つい最近,山渓から出版された「芦峅寺ものがたり」(鷹沢のり子 著)を読み,久しぶりに良書に巡り会ったという気分になりました.実は,本書の中に記されているエピソードは,学生のころにむさぼり読んだ多くの山岳書にすでに記されてきたものであり,単純に読み流してしまえば,ああこの話なら知っている,と思ってしまうようなものも多く含まれています.たとえよく知っている話が多くても,私が生まれ育った富山の故郷の先人たちの記録がつづられていることでもあり,私にとっては思い入れのしやすい本ではあることは確かです.しかし,私が格別の感想を抱いたのはそれだけではありません.
それは,本書が,芦峅寺の立山ガイドたちの記録を掘り起こすことで,すでに多くの山岳書で語り尽くされた物語の別の側面をみごとに語り出しているからです.今この本を読んで,英雄伝とも称される数々の登山の影で,地味にも頼もしい存在として立山登山を支えてきた芦峅寺のガイドの物語に触れ,新たな感動を覚えると共に,学生時代に感化された物語をもう一度別の面から楽しむことができました.
逆に,面白く刺激的な登山をしてみたいものだと志をいだいていた血気盛んなころは,故郷の立山や北海道を舞台に繰り広げられたヒーロー達の物語に士気をかきたてられましたが,それはある種のヒーローへの憧れでもあり,ガイドの雇い主であるいわば主人公としての視点で,あるいは主人公に自分を投影して読んでいたことになるんだなあ,と思い返すことにもなりました.この,主人公への共感から脇役への共感という,私の読み手としての感想のコントラストは,田舎から北大に来て登山に意気込んでいた若気の気持ちと,職に就き妻子を持つようになって故郷を思い返す今の気持ちとのコントラストにも相応するように思えてきます.
最近の現役は,古い話にあまり興味をもたないようだという話をよく聞きますが,学生のうちにまずオーソドックスな英雄伝や定番と呼ばれる古典を読んでおくといいと思います.そのうち,もう一度別の意味で物語を楽しませてくれる機会に巡り会うかもしれませんから.本書は逆に,そういうプロセスを経てから読んだほうがずっと楽しめる本だと思います.事実の物語には,ひととおりの語り口では著せないほどの多くの側面があるということなのでしょう.
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