書評・出版・ 2016年1月9日 (土)
インドヒマラヤの登攀史をまとめ、2015年現在までの画期的な登攀記録などを集めた、記録集大成です。1936立教大ナンダコートから、1974JACナンダデヴィ縦走、ピオレドール賞を受賞した2008カランカ北壁登攀(一村文隆、佐藤祐介、天野和明)、カメット南東壁登攀(平出和也、谷口けい(遺稿))始め日本人記録を中心に。2014年学習院大山岳部のギャルモ・カンリ初登記は翌年八ヶ岳で遭難死した吉田修平氏の遺稿となりました。インドヒマラヤの有名ピークといえば、ナンダデヴィ、古いところではシニオルチューでしょうか。8000m峰の並ぶネパールヒマラヤと、パキスタン領になるカラコルムに挟まれてしまって、ティルマンが1930年代に初登したナンダデヴィ以外は、すこぶる地味な印象でした。深田久弥が紹介するヒマラヤ探検記録などの古典は戦前期のものが中心でしたが、当時ネパールが鎖国で入れず、西欧の探検家が調べたのがガルワール、アッサム、シッキムだったからでしょうか。1980年代までは、8000なのか、7000なのかと、何より標高重視で山を見ていた覚えがあります。それだけにインドヒマラヤは地味でした。
しかし、90年代以降は登攀技術の革新があり、難しい6000m峰の未踏峰がたっぷりあるインドヒマラヤに、また難しくない未踏峰も多く残されていて、若い遠征隊にも狙える山域として流行ってきた、という記憶があります。
書評・出版・ 2015年12月28日 (月)
弘前の、山岳同人「流転」の遠征隊の報告書を送ってもらいました。スパンティークは、カラコルムの7000m峰です。こてこての手作り遠征です。旅は、山は、こうあれというもの。普段の地元の山のスタイルで、山スキー、テント無し(半イグル―)、うんこペーパーレス(もちろんゴミも無し)の三本の矢が光っています。大物の予感漂う23歳女性メンバーの存在も輝いている。若手が続くチームってのが90年代っぽい。
90年代までは、ヒマラヤと言えばガイドと行くものではありませんでした。山岳部なり山岳会のもんが、休みを最低一カ月や二カ月は工面して、自分で梱包、発送して、現地ではポーターに札束配って交渉してキャラバンしてベースで粘って・・・というのがヒマラヤ登山だったのですが、最近、そんな遠征隊の話をさっぱり聞きません。山野井さんや佐藤さんや花谷さんや横山さんや谷口さんたちのような凄腕壁クライマーはもちろん今もやっていますが、僕らのようなセミプロのアマチュアが出かけていくような話をとんと聞かなくなりました。以前に比べ匿名化、非組織化が進んでいるので、日本ヒマラヤ協会も2000年ごろから日本のヒマラヤ登山隊を把握しきれなくなり、もう年報でも網羅できなくなりました。
初登頂じゃなくたって、ピオレドールじゃなくたって、テレビ局が取材してくれなくたって、県民栄誉賞もらえなくたって、全然構わないじゃないですか。もっと手作りで、いつものやり方で、若者がヒマラヤ行けばいいのにな。
久しぶりに送ってもらった手作り報告書。これでいいのだ。
記事・消息・ 2015年12月22日 (火)
その後けいさんはカメット南東壁を登るような大物になりました。
2011年の春、マッキンリー付近で死んでしまった後輩の白石淳也が、最後にベースキャンプで会ったのがけいさんだったという縁で連絡を取りあいました。
昨年、僕は今甲府に住んでいるのですが、けいさんから、八ヶ岳山麓の古民家に住みたいけどいいところないかな、という相談を受けて、いくらかつてをあたりました。八ヶ岳山麓の暮らしを愛したけいさんでした。
今年はる、ネパール大地震の際に現地にいて、山麓からカトマンズまで10日かけて徒歩で歩いて帰った話も、甲府での講演会で聞きました。冬になったらイグルー山行したいねと話して、それが最後になりました。
若くて残念だけど、手ぬかりなくやりたいことをやり続けて、悔いのない人生だったのだと、僕は思っています。人の命はいつか限りが来るのだから、けいさんみたいに生きられれば僕ならば満足です。人の付き合いは死をもって終わることはありません。死者は死んでなお、残った人々の縁結びをしてくれると、死んだ仲間を思い出す時僕はいつも思います。
書評・出版・ 2015年12月22日 (火)
日本の山々を名前に注目して読ませる本です。著者は全国ひろく歩いているようで、以前、ヤマケイで山名考という連載を担当したことのあるライターさんのようです。やはり珍名といえば北海道です。僕もカニカン岳のイグル―でカニ缶食べました。
カムイエクウチカウシ山の山名由来についてまえに著者から山の会に問い合わせがありました。山岳部の部報2号の当該個所、アイヌの古老、水本文太郎氏から、その名を聞きだす下りが詳しく書かれています。また、山の会きっての文豪・井田清氏による部報3号の水本氏追悼の印象的なところも引用されていました。ここは私も好きなところです。
日高の国土地理院の地形図の間違い訂正の一件(2013年)も厚く書かれています。小野有五先生の北海道地名に関する寄稿もありました。
聞いたところは面白いし意味も深いアイヌ語地名ですが、内地の山も修験道、タタラ文化、ご当地富士に富士塚、歴史のいきさつが盛り込まれた地名解が満載です。ガツガツ登る年ごろを過ぎると、こういう、山の歴史を知って、また楽しむというたしなみが、山登りにはあります。
思わず噴き出す珍名山リストに難読山名リストなどもたくさんあります。
やはり、山行計画では、無名峰よりは名のある山。同じ名前でもヘンな山名の山は、遠回りでもアタックしとこう、って事になります。モッチョム岳、タップコップ山、ペトウクル山、シートートゥムシメヌ山は、まだ未踏だなあ!
ブルーガイド 山旅ブックス
大武美緒子/著 中村みつを/絵
実業之日本社
1,728円
ISBN 978-4-408-11165-0
2015年12月
記事・消息・ 2015年12月19日 (土)
石本惠生会員(1961年入部)が先月末、大変な賞を受賞しました。大日本水産会の平
成27年度水産功績者表彰です。OAFIC社を日本一の水産コンサルタント会社に育て
上げ、現在、水産庁の外郭団体の代表理事副会長の職を務めるなど我が国の水産振興
に尽くしたことが認められたとのことです。
鶴巻大陸会員(1959年入部)が知らせてくれました。鶴巻さん曰く。「石本兄は、ご
承知のように慎み深いラガーマンであり、自分個人のプレーを誇るようなことはしま
せんので、こういうニュースは誰か知りえた人間がアップするまで一般には知られる
すべはないわけです。(実はいずれ誰かがこのニュースを流すものと待ってたのです
が、水産関係会員は東京には少ないせいか、小生の知る限り、今日にいたるまでまだ
流されていないようです)。」ということで、今日ようやくみなさんにお伝えしま
す。
年末年始の酒の肴として祝い合っていただけたらと思います。
以下に石本さんの声をご紹介します。
成27年度水産功績者表彰です。OAFIC社を日本一の水産コンサルタント会社に育て
上げ、現在、水産庁の外郭団体の代表理事副会長の職を務めるなど我が国の水産振興
に尽くしたことが認められたとのことです。
鶴巻大陸会員(1959年入部)が知らせてくれました。鶴巻さん曰く。「石本兄は、ご
承知のように慎み深いラガーマンであり、自分個人のプレーを誇るようなことはしま
せんので、こういうニュースは誰か知りえた人間がアップするまで一般には知られる
すべはないわけです。(実はいずれ誰かがこのニュースを流すものと待ってたのです
が、水産関係会員は東京には少ないせいか、小生の知る限り、今日にいたるまでまだ
流されていないようです)。」ということで、今日ようやくみなさんにお伝えしま
す。
年末年始の酒の肴として祝い合っていただけたらと思います。
以下に石本さんの声をご紹介します。
記事・消息・ 2015年12月18日 (金)
北大山の会年末懇親会は 12/5 に札幌三越 4 階「ライラックルーム」にて開催され, 会員ならびにご家族, ご友人 52 名と現役部員 5 名の参加で, 大変な盛会でございました.小泉会長の挨拶, 参加最長老 (昭22 入部) の野田 S 会員の乾杯に続き, 安間 S, 中村 H, 松田 K, 西 Y, 下沢 E, 高篠 K, 鐙 K 各会員のプレゼンテーション, 現役の活動報告と さながらディナーショーの如くに会は進行しました. 現役カムチャッカ遠征隊の今年の偵察報告と来年の遠征計画の紹介もあり, 相当額の募金も集まったもようです. 道外から最近旭川に移られた 中村 S 会員, 現役部員の自己紹介も和やかに行われ, 最後は, 夏の総会で総務理事を退任された高橋 K 会員が締めの乾杯を行い, 例年同様, 山の四季を歌い, 集合写真をとっての散会となりました. 参加者の大部分はツルにおいて引き続き懇親を深めたことは云うまでもありません. 福井 F 会員を初め, ご協力いただいた会員各位に感謝いたします. なお 来年の年末懇親会は 12/3 に開催されます.
書評・出版・ 2015年12月17日 (木)
古い写真の数々に、釘付けになりました。奥山章、吉尾弘、吉野満彦、八木原圀明・・、登場する若々しい面々の豪華なことももちろんですが、クライミング黎明期からの装備の変遷を知る上でも。今、最先端のものには、過去の積み重ね経緯を知らないと、値打ちが分からないことが多々あります。最先端ばかり注目される傾向が特に強いのが、クライミング技術の分野で、古いものを振り返る機会は多くないだけに、この写真群には唸りました。しかも最先端を日々研究し続ける堤さんが出す本ですからね。技術面は細かいところにまで考えが込められていてさすがです。数多くの事故を自分の目で見てきた工夫が書かれています。ありきたりの入門書ではなく、基本的ガイドではないので、クライミングに打ち込む人の研究参考書です。
堤さんは年間通じてあちこちのクライミング講習会に講師として出かける忙しい人ですが、厳しい厳しい指導でも知られています。読めば分かりますが1970年代から常にクライミングの最先端で登攀史を歩み、生き残った旧日本兵のような大物です。
記事・消息・ 2015年11月10日 (火)
今年の月見の会は、夏に執り行われた十の沢遭難50年の慰霊祭の報告や現役と楽しくトムラウシ登山をしたお
爺さんのお話などがあり、のっけから相田別邸の居間でスライドショー。沢田さんの遺体発見前後の報告では幻灯機!で映すコダクロームの本物のスライドを見せてもらった。重い思い出。
別邸居間から薄暮の琵琶湖畔に出て、いつもの焚き火を始めながら、伊吹良太郎さんと安間元さんの霊に黙祷をささげました。今年は安間荘さんがコップ片手、湖畔に映える十三夜の月を背景に、「空沼小屋歴史、変遷、現状、未来」を断固として静かに語り、参加者の胸に深く染み入る夜となりました。
爺さんのお話などがあり、のっけから相田別邸の居間でスライドショー。沢田さんの遺体発見前後の報告では幻灯機!で映すコダクロームの本物のスライドを見せてもらった。重い思い出。別邸居間から薄暮の琵琶湖畔に出て、いつもの焚き火を始めながら、伊吹良太郎さんと安間元さんの霊に黙祷をささげました。今年は安間荘さんがコップ片手、湖畔に映える十三夜の月を背景に、「空沼小屋歴史、変遷、現状、未来」を断固として静かに語り、参加者の胸に深く染み入る夜となりました。
記事・消息・ 2015年11月5日 (木)
米寿を迎えた祭りとなった。いつもより1週間遅いせいか朝降った雪で地面は真っ白。15時前には峠越え組が到着し、車やチャリ、赤岩帰りなども順次到着。
早速簡易水道の勢いが細いのでヘル管の平井君と私は水源地のゴミ採り。

17時過ぎの薄暗くなる頃に乾杯!現役が15名、OBが12名と現役の方が多いのは久々。料理は今回も現役にメニューから調理までまかせるが少々不安なので買出しに途中付き合った。左は追加した天ぷらをOBが調理。
空沼小屋の来年の改修準備状況を小泉会長が話す。私がベチアの最近の経緯、トイレ改修後の使い勝手など話す。酒が回った頃、焚火を囲んで現役から順にOBまで年の順に自己紹介。
さらに酒が回り、後半は記憶が今回、山の歌を歌わなかったのは不覚だが、現役は遅くにストームで盛り上がっていたようだ。後半は酔って記憶が薄いが現役は遅くまで語っていたようだ。
翌朝は紅茶以外は何も入らないカケウドンで失望したが、今村カケス夫婦がコーヒーとアップルパイの差し入れ持参で登場していただき助かる。仕事はわずかに残った薪割、小屋掃除と床磨き。9時頃に北海道雑誌「カイ」の編集の女性3名が取材に現れ、集合写真や小屋の様子を撮ってくれた。雑誌に載るそうである。現役も増えて小屋もまだまだ健在で安心。紅葉も落ちきったが思ったより暖かい祭りであった。
早速簡易水道の勢いが細いのでヘル管の平井君と私は水源地のゴミ採り。
17時過ぎの薄暗くなる頃に乾杯!現役が15名、OBが12名と現役の方が多いのは久々。料理は今回も現役にメニューから調理までまかせるが少々不安なので買出しに途中付き合った。左は追加した天ぷらをOBが調理。
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