記事・消息・ 2012年7月30日 (月)
日高山脈のアイヌ語地名はカタカナにする時点で多少誤表記もあろうけれど、既に百年慣れ親しんだ(といっても少数の登山愛好家の間だけど)地名をケアレスミスで残されては無念です。
平成の大合併でヘンな市町村名が多数生まれたけれど、ご先祖から繋いだ地名は滅多な事で変えてはいけないと僕は思います。役所を統合整理するのはいいけれど、地名だけは残して欲しい。ヘンな名前を付けないで欲しいと思います。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/cpg-cgi/ph4.cgi?img=120721Do-shin
記事・消息・ 2012年7月16日 (月)
クライマーほど信仰に一途なやつらはいない。
7月15日、那智の滝を登っていたクライマーが警察に捕まった。神主が警察を呼んだそうだ。世俗上の罪状は不法侵入とか世界遺産云々とかだそうだ。
クライマーほど宗教的に真面目なやつらはいない。山岳信仰とか修験道とかお山参詣を、過去の、関係ない時代の宗教行事だと思っている現代の登山愛好家は多いかもしれない。けれども何でも現代社会の尺度で測るのをやめて見よう。ほんの数十年前の時代にこの国では「祈る」ということは、飯を食ったり、パソコンをやるくらい日常の行いだった。飯を食っては祈り、人が死んでは祈り、美しいものを見ては祈った。その時代に山が好きな人なら、多分100%修験道やお山参詣というスタイルで登山をしたと思う。彼らの書き残したものを読むにつけ、これは僕と同じアルピニストだ、と思う様になった。山への情熱、山への畏敬、山への尊敬、山への恋心。自分を越えた何か(神と呼ぶ事もある)に祈る気持ちになることを信仰というのだと思う。当然「征服」という言葉とは対局のもの。
現代の登山人種の中で、最もピューリタン(清教徒/原理主義者)な山岳信仰家は、ビッグウオールアルパインクライマーだろう。経験と技術と情熱と、すべてを揃えて那智の岩壁を見て、崇高なクライム信仰心が湧いたのだと僕は思う。
彼のことは10年以上前から知っている。まさにチベットジョカン寺のラマ修行僧のような男だ。名声に溺れて、とかいい気になって、とかいう世間の下世話で、ありがちな批判は全く当たらないと僕は思う。そういう無自覚な批判はそう言う人自身の世界観なのだろう?山は飲んだり食べたり「楽しんだり」しにいく場所だと考えている大方の登山愛好家には想定外なんだろう?
神主は何故警察を呼んだのだろうか。聖職者がまさか不法侵入に怒ったとは考えたくない。クライマーの安全の為でもないだろう。あの岩壁を既に100m登っていた者を、警察が安全に保護するという話ではない。
あの大滝岩壁に対する同じ信仰心を持つものとして、信仰の仕方が全く違う凄くピュアな信徒がいたことに嫉妬したのではないだろうか。一部発言を書いたと思われる新聞記事によれば「絶対に許せない」と告白していた。
しかしもし僕が神主だったなら警察は呼ばない。警察を呼ぶとマスコミが来て話が全く変わってしまうからだ。僕なら完登した彼らに会って、問うだろう。神を見たか?どんな姿だったのか?と。そして信仰者として異端者を制裁するだろうか。それとも和解できるだろうか。「祈る」「信じる」を忘れた世間の大方にとっては、この報道は「世界遺産の壁に落書き」レベルの話なのだろうが、それは違うと僕は思う。クライミングの篤い信仰心が既存神道の逆鱗に触れたのだと僕は捉えた。あの大岩壁は神道だけのものか。2700年続いたからって、異端の信仰家と共生は出来ないのだろうか?エルサレムのように。立山神社の御神体は北方の剱岳、浅間神社の御神体は富士山。御神体だから登ってはいけないという理屈は無い。これまで誰も登れなかっただけだったのだ。
神が冒涜されたと言い連ねるのは悲劇的だが、信仰とはそれも飲み込んで共存しなければならない事ではないのかと僕は思う。
僕らはピューリタンか俗悪かはともかく山岳信仰の信徒であると思う。やむにやまれぬクライム信仰心で登った彼を愚かだと言いたくはない。
7月15日、那智の滝を登っていたクライマーが警察に捕まった。神主が警察を呼んだそうだ。世俗上の罪状は不法侵入とか世界遺産云々とかだそうだ。
クライマーほど宗教的に真面目なやつらはいない。山岳信仰とか修験道とかお山参詣を、過去の、関係ない時代の宗教行事だと思っている現代の登山愛好家は多いかもしれない。けれども何でも現代社会の尺度で測るのをやめて見よう。ほんの数十年前の時代にこの国では「祈る」ということは、飯を食ったり、パソコンをやるくらい日常の行いだった。飯を食っては祈り、人が死んでは祈り、美しいものを見ては祈った。その時代に山が好きな人なら、多分100%修験道やお山参詣というスタイルで登山をしたと思う。彼らの書き残したものを読むにつけ、これは僕と同じアルピニストだ、と思う様になった。山への情熱、山への畏敬、山への尊敬、山への恋心。自分を越えた何か(神と呼ぶ事もある)に祈る気持ちになることを信仰というのだと思う。当然「征服」という言葉とは対局のもの。
現代の登山人種の中で、最もピューリタン(清教徒/原理主義者)な山岳信仰家は、ビッグウオールアルパインクライマーだろう。経験と技術と情熱と、すべてを揃えて那智の岩壁を見て、崇高なクライム信仰心が湧いたのだと僕は思う。
彼のことは10年以上前から知っている。まさにチベットジョカン寺のラマ修行僧のような男だ。名声に溺れて、とかいい気になって、とかいう世間の下世話で、ありがちな批判は全く当たらないと僕は思う。そういう無自覚な批判はそう言う人自身の世界観なのだろう?山は飲んだり食べたり「楽しんだり」しにいく場所だと考えている大方の登山愛好家には想定外なんだろう?
神主は何故警察を呼んだのだろうか。聖職者がまさか不法侵入に怒ったとは考えたくない。クライマーの安全の為でもないだろう。あの岩壁を既に100m登っていた者を、警察が安全に保護するという話ではない。
あの大滝岩壁に対する同じ信仰心を持つものとして、信仰の仕方が全く違う凄くピュアな信徒がいたことに嫉妬したのではないだろうか。一部発言を書いたと思われる新聞記事によれば「絶対に許せない」と告白していた。
しかしもし僕が神主だったなら警察は呼ばない。警察を呼ぶとマスコミが来て話が全く変わってしまうからだ。僕なら完登した彼らに会って、問うだろう。神を見たか?どんな姿だったのか?と。そして信仰者として異端者を制裁するだろうか。それとも和解できるだろうか。「祈る」「信じる」を忘れた世間の大方にとっては、この報道は「世界遺産の壁に落書き」レベルの話なのだろうが、それは違うと僕は思う。クライミングの篤い信仰心が既存神道の逆鱗に触れたのだと僕は捉えた。あの大岩壁は神道だけのものか。2700年続いたからって、異端の信仰家と共生は出来ないのだろうか?エルサレムのように。立山神社の御神体は北方の剱岳、浅間神社の御神体は富士山。御神体だから登ってはいけないという理屈は無い。これまで誰も登れなかっただけだったのだ。
神が冒涜されたと言い連ねるのは悲劇的だが、信仰とはそれも飲み込んで共存しなければならない事ではないのかと僕は思う。
僕らはピューリタンか俗悪かはともかく山岳信仰の信徒であると思う。やむにやまれぬクライム信仰心で登った彼を愚かだと言いたくはない。
記事・消息・ 2012年5月30日 (水)
澤田(2004年入部)
木城(2009年入部)
登攀日2012.3/27-30
「長野北部にある戸隠連峰、本院岳ダイレクト尾根は良いらしい」ちょくちょく一緒に山に行く知人からそんな話をきいた。きのこ雪の雪稜の尾根らしい。
3 月、函館在住で山岳部に在籍している木城と、どこか登りに行こうという話になった。そこで本院岳の話をしてみると、偶然にも木城も興 味をもっていたとの事。北アルプスなどに比べ、そこまでメジャーな所ではないと思っていたがよく知っている。
きのこ雪の雪稜はとにかく、奮闘するという話 は聞いたことがあるのだが僕も木城もともに、き のこ雪などの経験がないので、わくわくする。
最近、充実する事なく引き返さざるを得ない山 行やクライミングが多く、久々に充実したいとい う思いが強い。なんとしても登りたいので、4 日分の食料を用意した。テクニカルさは必要でなさ そうだから、少々重くても関係ないだろう...と、なんだかんだいって酒やつまみもいれていた。
木城(2009年入部)
登攀日2012.3/27-30
「長野北部にある戸隠連峰、本院岳ダイレクト尾根は良いらしい」ちょくちょく一緒に山に行く知人からそんな話をきいた。きのこ雪の雪稜の尾根らしい。
3 月、函館在住で山岳部に在籍している木城と、どこか登りに行こうという話になった。そこで本院岳の話をしてみると、偶然にも木城も興 味をもっていたとの事。北アルプスなどに比べ、そこまでメジャーな所ではないと思っていたがよく知っている。
きのこ雪の雪稜はとにかく、奮闘するという話 は聞いたことがあるのだが僕も木城もともに、き のこ雪などの経験がないので、わくわくする。
最近、充実する事なく引き返さざるを得ない山 行やクライミングが多く、久々に充実したいとい う思いが強い。なんとしても登りたいので、4 日分の食料を用意した。テクニカルさは必要でなさ そうだから、少々重くても関係ないだろう...と、なんだかんだいって酒やつまみもいれていた。
記事・消息・ 2012年5月24日 (木)
尾太岳から白神岳まで、いや摩須賀も行きたいと計画を練ったが、三日かけて二ツ森までが、今回の雪のコンディションだった。全白神を一度に行こうとは欲張りだった。延々ブナ林の四日間。白神の価値はこの広さ、時間の長さにある。見栄えの良い山頂やわかり易い景観は無い、耽美読解力の要る山彙だ。のたうちまわって初めてわかるすてきな山脈。
OBの山行記録・ 2012年4月27日 (金)
【月 日】2012年4月21-22日
【ルート】八甲田田代平-七十森山-折紙岳-みちのくトンネル上-三角岳-烏帽子岳-陸奥湾狩場沢海岸
【メンバ】米山(1984入部)、木城(2009入部)、菅野(弘大山岳部OB)
奥羽山脈北端が海に没する陸奥湾野辺地の烏帽子岳へ、八甲田の外輪山からつなぐラインが津軽、南部両藩の境。二日間で行けるぎりぎりの長さで、ここ数年雪の締まるタイミングを計ってきた。
道南八雲のカンノ君はいつもの夜行はまなすで到着、函館のキシロは船(学割1300圓)で前日入り。朝の田代平までは山崎さんが車で送ってくれた。
【ルート】八甲田田代平-七十森山-折紙岳-みちのくトンネル上-三角岳-烏帽子岳-陸奥湾狩場沢海岸
【メンバ】米山(1984入部)、木城(2009入部)、菅野(弘大山岳部OB)
奥羽山脈北端が海に没する陸奥湾野辺地の烏帽子岳へ、八甲田の外輪山からつなぐラインが津軽、南部両藩の境。二日間で行けるぎりぎりの長さで、ここ数年雪の締まるタイミングを計ってきた。
道南八雲のカンノ君はいつもの夜行はまなすで到着、函館のキシロは船(学割1300圓)で前日入り。朝の田代平までは山崎さんが車で送ってくれた。
記事・消息・ 2012年4月15日 (日)
ブログでも案内がありましたが、伏島(1968入)氏のお店「CAFEらてるね」で登山靴展が4月末まで開かれています。朝日と道新に2〜3日前紹介されました。お店は札幌ファクトリー北向かいの北3東5でわかりやすいです。
21日14:30〜つる店主のワンゲルOB大内氏と小泉会長と伏島氏でトークショーがあるそうです。予約しないと席には座れないかも・・・(本人了解ナシで勝手に書かせて頂きました)
記事・消息・ 2012年3月20日 (火)
山ガールデビュー! 3/20朝日朝刊ほっかいどう版に連載6回目で紹介されました。3年目に木城がいて、水産で今は一緒に行動してないので唯一の女子というのは微妙だが、4月の親入生確保には良いPRになったかも。
OBの山行記録・ 2012年3月7日 (水)
【月日】2012年03月03日(土) 〜04日(日)
【メンバー】米山(1984入部) , 斎藤(1987入部) , 石川(1987入部), 北川(HUWV), 高柳(HUWV)
【天候】:一日目 小雪時々晴れ 二日目 晴れ
長万部三山。車二台使って山三つ越え山行。登りも快調、下りも快調なルート取りができた。地図見てメド立て、現場で選択で申し分ない。1000mの山だけど、延々続く無人地帯だ。長い冬だったけれど、遂に高気圧が流れてくる季節になった。快晴で、日本海と太平洋が両脇に見えた。
【メンバー】米山(1984入部) , 斎藤(1987入部) , 石川(1987入部), 北川(HUWV), 高柳(HUWV)
【天候】:一日目 小雪時々晴れ 二日目 晴れ
長万部三山。車二台使って山三つ越え山行。登りも快調、下りも快調なルート取りができた。地図見てメド立て、現場で選択で申し分ない。1000mの山だけど、延々続く無人地帯だ。長い冬だったけれど、遂に高気圧が流れてくる季節になった。快晴で、日本海と太平洋が両脇に見えた。
OBの山行記録・ 2012年2月17日 (金)
青森、津軽では豪雪、猛吹雪の日が続く。樹林限界を超える八甲田の姿はもう何週間も里から見えない。こういう季節は1000米を超えないけど気になる名山を海から海へ長距離山越え山行に限る。山越えは汽車やバスを使って人里から歩く。この冬続けた山行を連発で披露します。雪たっぷりなので、汽車を降りたらすぐ山スキーをはけるのが自慢。弘大山岳部と道南の若いもんも加わる。≪若いもん=ワゲモン(津軽弁)≫
記事・消息・ 2012年2月2日 (木)
2012 年(平成24年)1 月28日(土)。今年は京都開催の番だったので、京都駅前のホテルセントノームにて新年宴会を執り行なう。東京方面からお三方の参加があり、計16名の盛会でした。(記録、写真:岸本)