日 程 2011年12月17日(土)〜18日(日)
メンバ 米山悟(1984) , 斎藤清克(1987) , 木城真澄(2009)
ルート 17日層雲峡引き返し→日勝峠イグルー
18日上滝山北尾根末端付近国道コンタ710m(7:20)→・1080(10:00)→1300のポコ/稜線(11:00)→沙流岳(13:00)→・1445ピーク(15:00)→日勝トンネル日高側入り口(16:00)
天候と状態 吹雪 低温朝-13度、山頂付近は-17度くらい。登りの尾根の積雪は、林道、ブル道使ってぎりぎり。1445から峠への滑降は、上半分ブッシュ多くまだ時期が早い。
黒岳北壁計画だったが層雲峡では強風でロープウエイ停止、上はマイナス20度は堅いぞということで、あっさり山域を変更する。
ワンゲルOBのサモキタが、イグルー作りを知りたいというので、合流予定だったが、そういうわけで旭川で沙流岳周辺地形図を買ってきてもらい、富良野で合流、日勝峠に向かう。車も二台あることだし、一台デポ。はじめ取り付きのほうにイグルー作ろうとしたが雪がないので、下山口、峠のトンネル脇のほうに移動して作る。
5人用を「下から上までフルサイズ」で作ろうとしたが一時間半かけて失敗。吹きだまり脇に二人用+三人用のひょうたん島イグルーをブロック切り出し壁半分利用で作る。雪の少ない時期に、直径の大きなイグルーをフルで作るのは難しい。ひょうたんの方は二つ合わせて1時間以内にできた。失敗も含めてよいイグルー授業だったのではないかな。硬くて軽い良い雪質の堀場を探し当てるのがコツです。雪のないこの時期のイグルーが一番難しい。峠の風雪が結構厳しかったのでイグルー製作中の写真無し。
17日
晩ご飯はサモキタがワンゲル式を作ってくれた。御存じのとおり昔の犬のエサ風の山岳部式とは雲泥の差。クリームシチューの中身はちゃんとした具がたくさん。ちゃんと仕込みがしてあるんだね。朝の雑炊にはなんと卵とじ。とき卵をペットボトルに入れてくるのだ。晩はそれぞれ持ち寄った多量の酒と酒豪美女だらけで、グデグデ(だったらしい)。僕は先にスヤスヤしてしまった。
18日
外気温-14度、イグルー内で-7度くらい。支度して一台を日勝峠に残し、一台で登り口まで引き返す。コンタ710、国道が90度曲がるところ。サモキタとお別れして三人で出発。林道を進み上滝山の北肩の北西尾根を狙うが、藪だらけなのでパス(コンタ780)。林道もう少し進んで1080の北西尾根850あたりから斜面に入る。積雪は30センチほどだがなんとか笹が隠れている。尾根を上がっていくと無数のブル道や林業作業道があり、それらをあみだくじのように進んだりしてようやく東西稜線に出る。下部半分はブッシュで、上部半分はスネくらいのラッセル。下部半分のほうが時間がかかった。ここまで、イグルーが作れる積雪はなかった。ほんの吹きだまりがあれば作れるのだがまだ時期が早い。稜線でなら、もう余裕で作れる。低温で吹雪、けっこう寒い日だ。読みよりも時間がかかっているので、上滝山の山頂はあきらめて、沙流岳に向かう。稜線上は大きなタンネが林立する良い森だ。真ん中に伐開線が通っている。稜線上では吹きだまりが豊富でイグルーは作り放題。強い風の吹くところは作り易い。
新雪はなかなかシールが利きにくく、ずりりと落ちることも多し。しかし、全員ジルブレッタの300や400で秀岳荘のバンド締めシールという昭和装備のパーティー、内地ではなかなかないと思うよ。
沙流岳山頂は小高くなった良い山頂。憧れのペンケヌウシは、まだ厚い雪雲の中で見えない。ここからコルまでの高差170mの新雪粉雪の滑降は今山行一番の快楽場面。キシロはこんなに楽しいスキーは生まれて初めてデスといった。
この先1445あたりまで、オヤジ二人は燃料切れでスピードダウン。二日酔いと、低温のため捕食を怠りシャリバテ気味だったので。何しろ寒くて、手袋とってネーベンを食べる気が起きないくらいだったのだ。サイトーの買ってきた「シベリア」という菓子はカステラで羊羹を挟んだ甘い食いものだが、水の無い吹雪の中では良く喉を通るすぐれもの(水はペットボトルで凍ってしまった)。行動食を食べつくしたキシロに与えて薪をくべる。キシロは後半、ラッセルスパートさかんにかけ、独走。現役の底力を見せる。ハイマツが見えている強風の山頂部からは夕日にぼんやり沙流岳も姿を見せた。いい山だ。標高の高いこっちの1445より白い。
日勝峠への滑降は、上部まだ灌木が雪に埋まっていなくて不快調。後半になってふわふわ粉雪を蹴散らして滑る。全体にまだ雪足りず。日暮れぎりぎりになってしまったけれど沙流岳に美しい一本線を引けた。とても満足。
寒い日だった。右手親指にしびれが残ってしまった。日高町のそば屋で水をがぶ飲みしてかつ丼を食べ、穂別の樹海温泉で芯まで冷え込んだ体幹をあっためる。キシロ得意のマムシつかまえる話や赤腹イモリのエサやりの話、壊れたままのストーブの話を聞きながら札幌へ。夜行急行はまなすで僕は青森へ、キシロは夜行バスで函館へ帰る。
反省点
この時期のイグルーは小さいやつで。
低温で面倒でもネーベンをこまめに食べよう。
はやめのハンガロン。
いくつになってもシーズン初めは忘れちゃってること多し。でも楽しい。
雪が安定しないと、ペンケヌウシはかなり遠いぞ。
より多くの写真はヤマレコにあります。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-156857.html
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第13回 冬山登山安全講習会の講師で話しました。
11月15日(火)夕方、北大の学内山団体、山岳部、ワンゲル、山スキー、フラテの学生とOBら50人くらいが集まって話を聞いてくれました。講演するのはほぼ初めて。資料配布無し、原稿なしの2時間だったので、備忘録として講演要旨を以下にまとめました。
みなさんにたいへん熱心に聞いていただき、感謝しています。その後の懇親会も多数参加いただき、午前3時近くまで延々山の話ばっかりでした。楽しかったです。
北大には山岳部のほかにもたくさん「マジ山」部があってこの総合力。ワンゲル、山スキー、フラテの皆さんと交流できて未来が楽しみです。ばんばん山行きましょう。
演題【山岳カメラマンの仕事と遭難報道されるときの心得】
米山の自己紹介
山岳番組取材の実際
山でのTVカメラの扱い、運び方など、番組制作の仕組み
最近の番組撮影の話(パタゴニアとロブソン)
その縮小編集10分版観賞
山岳遭難して、マスコミに囲まれたときにとるべき対応
米山の遭難未遂マスコミ囲まれ体験
そういうときにマスコミの考えていること
遭難報道されることの意味
山登りの心得、死の可能性について、死んだ友人との付き合い方について
転勤しながら新しい町で探す山登りの楽しみについて
学生のうちに積んでおくべき山行経験について
山行記録をぜひ書こう
過去の遭難報告書を熟読して経験にしよう
クラブの仲間、先輩後輩の得難い縁について。イヤケがさしても部をやめずにやろう。
+++++++
その後飲み会では
現役に、うちで遊んでいたデジカメを進呈
山岳部の現役HPの立ち上げについて
部報15号の立ち上げについて
他大学学生の入部希望者との話
おとなりクラブのやる気満々の面々とイグルー山行の約束
ほか、面白そうな話がたくさん進みました。
積雪が待ち遠しいですね。
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2011年11月12〜13日
L鹿島(4 AL井村(4 井ノ上(3 M窪田 高橋 田中翔(2
<時間とルート>
11/12 晴れ 旭岳温泉(9:30-11:10)石室(11:30-13:40)旭岳(13:50-14:20)石室=C1
11/13 小雪→曇り 石室(5:10-6:20)旭岳温泉
11/12
ゆ,雪がない.ライブカメラである程度予想していたが,非常に雪が少ない.皆プラ靴を履いてきたことに後悔する.気温も高く,ALは上半身裸になる始末.思ったより早く石室に着いた.
晴れているので,メーリス流してアタックすることにする.崖尾根末端に止めデポ3本,Co1860の支尾根に止めデポ1本.雪が柔らかいのでピッケル・ツボで進めることにする.Co2150のGAPは岩の壁だった.当然登れる訳もなく,北側を通過.
Co2200あたりでも岩が出てくるが南側でも北側でも行ける.北側の方が楽.南側に行ったM2人にLがシュリンゲ垂らす.あとは,ピークまで.アイゼンもつけていない状態で崖尾根を下ることに準山的な意味を感じず,夏道尾根で石室まで.今日中に帰ってしまいたいと騒ぐLを全員がなだめ,石室でC1.
11/13
ラテルネつけて早々に下山.
<パーティ>2年班冬メイン準山1回目
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冬の訪れを感じるこの頃ですが、2年班の屋久島の報告です。
・破砂岳・鈴川
・黒味川・メンガクボ
・モッチョム岳登攀
2011年9月22〜23日 破砂岳・鈴川
L井ノ上(3 AL田中(5 M高橋(2
9/22 晴れ
鈴川橋(6:40)―蛇ノ口の滝(12:00)―Co700(14:00)=C1
国道から少しはずれたところにある鈴川橋から入渓。Co100の20mの滝を左岸から捲く。上に取水路がある。函地形の中を少し進むがどうも大変そうなので左岸を捲いた。捲いているうちに鈴川大滝への登山道に出くわした。道からはずれてさらに捲き続けると先ほどとは別の登山道に出くわす。道を歩いて適当な沢筋から入渓(Co300付近)。
いきなり巨岩に阻まれる。Lはスラブを登り、ザイル出してMは巨岩の隙間をのぼり、ALは捲く。その後ショルダーの練習をしたりしながら進むうちに蛇ノ口の滝。泳いで遊んだ。滝は左岸の踏み跡を捲く。踏み跡が不明瞭になり、進むうちに楽しみにしていた綺麗だというナメも捲いてしまった。適当なところから下り、Co700まで行って岩の上でC1。
9/23 晴れ
Co700(6:20)―破砂岳ピーク(9:30〜10:40)―車道(13:00)
この時期の行動開始可能時間は6時頃だろう。沢をつめるうちに地形が分かりづらくなる。とりあえず西にのびる沢を進んでいく。Co1020の二股は水が少なくて分かりにくい。最後はブッシュをのぼり、破砂岳北コルに出る。朽木を踏み抜き、ヤスデがうようよ、アリドオシの棘が足に突き刺さる。藪漕ぎはほぼないのだが、違う苦行がある。
コルから踏み跡辿ってピーク。今まで台風だったので、久々の渇きを満喫する。下りの夏道はあまり使われてないらしく、腐熟した急斜を滑り落ちながら下山。
<パーティ>
屋久島の沢を体験
L,AL,M特になし
2011年9月24〜25日 黒味川・メンガクボ
L井ノ上(3 AL田中(5 M高橋(2
9/24 曇り
Co170入渓(9:30)―ケヅメ出口(12:50)―メンガクボ出合(16:15)
朝まで子楊枝川に行く心積もりで準備を進めていた。が、出発前の天気予報によると、悪天が近づくのが予想より早まって行動3日目が悪天になりそうだった。そこで、二日で抜けられる黒味川に変更することにする。しかし、今からの出発では、今日のテン場着時間に間に合わない。
黒味川左岸を走るトロッコ道まで車で近づき、沢の序盤をカットすることにした。「黒味川右岸の林道を車で進み、橋を渡ると左岸のトロッコ道にのれる」との情報を持っていたのだが、右岸林道の先に橋などなかった。支沢を下って一旦黒味川本流Co170に入渓。
渡渉して、左岸のトロッコ軌道を探すも見つからない。シダに覆われてわからないのか、軌道は跡形もない。沢に戻ってそのまま遡行することにした。Co210二股を過ぎるとすぐに巨大チョックストーンとその先のFに阻まれ、右岸を高捲く。捲き終わるころ、突然うしろのMが「うわ、痛っ痛っ!!」と血相を変え狂ったように走り出した。状況もつかめないまま、なんだなんだとみな一目散に逃げる。走りながら、どうやら数匹の蜂に追われているらしいとわかった。しつこい蜂に追われ、ぐんぐん標高をあげると、地獄に仏、そこに捜し求めていた軌道跡が現れた。道で蜂は去って行った。ALは1ヶ所、Mは6ヶ所の被害を受ける。ALのザックには針を刺したまま息絶えた蜂が、Mの服の中には生きた蜂がいた。Lは膝に違和感を覚える。
少しトロッコ道を西に歩くとT字路があり、尾根をのぼると思われる踏み跡があるのでそこをつめた。ところどころにあるピンクテープを辿るがやがてテープがなくなり、不明瞭になったところから同コンタトラバースしていくと軌道跡にでた。
Co500付近のトンネルをくぐったところで道が途切れる。はるか昔は橋がかかっていたのだろうが跡形も無い。唯一対岸の岩壁に橋桁の痕跡を垣間見るのみだ。よくもこんなところに橋をかけたものだと、ケヅメの核心部を前にして我々には捲き以外の選択肢はなかった。(ケヅメとは、Co300からCo500辺りまでのゴルジュ。とくにCo500は人間には無理だろう。)捲くとケヅメが終了し、そこからはひたすら巨岩のっこし、小滝越え。Lの膝がぶっ壊れる。メンガクボ出合、おっこちたショベルカーの近くでC1。ALはヒルにやられていた。
9/24 小雨
C1(6:30)―橋(6:50)―湯泊歩道(11:50)―登山口(16:00)―国道(20:00)
夜から雨がパラついていたが水量は大丈夫だった。Lは膝痛のため戦力外。3段40mの滝の右岸捲くと林道に出て、橋からまた沢に戻る。ひたすら巨岩のっこし。岩が大きすぎて先が見えずRF非常に難しい。右か左か巨岩のっこしか、運任せである。
Co1440からは突如巨岩が消え、まるで日本庭園のような美しい流れとなり、ゆるやかな終焉。Co1480二股を右にとり湯泊歩道へ。シャクナゲがうっとうしいが笹ほどではない。北海道の藪漕ぎと比べれば藪こぎは皆無といってもいい。
歩道を延々歩き林道に出る。林道は一度なぞの車道にでる。少し南にいき分かれ道を左に、また林道になり、やっとのことで国道に出る。(林道にはゲートがあり、登山道まで車で行けない。誰があの登山道を使うのだ。)
この日は車にたどり着けず、神社でコウモリと寝る。翌日、ヒッチで東京から来たお兄さんに車まで乗せていただいた。
<パーティ>
L膝壊す AL特になし M前を行った
2011年10月2日 モッチョム岳登攀
L井ノ上(3 M高橋(2
道路(7:10)―滑り台ルート取り付き(11:30)―黒稜会ルート取り付き(13:30)―テラス(14:00〜14:30)―道路(16:00)
晴れ。前日に入山口予定の沢形を偵察したにも関わらず、当日は予定より一本東の沢形から入山してしまった。が、このときはまだ気付いていなかった。疎林でどこが踏み跡なのかハッキリしないところをただただ登る。Co500あたりで、自分たちのはるか西にモッチョムの壁が見えた。・・・あれ。どうやら間違えたらしいことに気が付き、西に向かって谷を2つ越えた。その間に7mロープを出す。Lはロープをつかんで降りようとしたが、かつってすねを強打。Mは懸垂で降りる。なんとかボルトが打たれた壁まで来られた。とんでもなくでかいスラブは圧巻である。壁は下からでは木が邪魔で概観がつかみづらい。
まず、滑り台ルートに行った。
・滑り台
1p目 30m 5.7 ボルト1本 始めのボルトが高い位置にあり、出だしが怖い。ボルトからは潅木をつないでバンド上の終了点へ。
2p目を見上げると、最初に2本ボルトがあるのだが、その後のピンははるか彼方。ランアウトが怖そう。もともと黒稜会ルートを登るつもりだったので、終了点からバンドを左へトラバースして踏み跡にエスケープした。
・黒稜会ルート
1p目 30m、4級 ボルトは1本 草付の汚い凹角を登る。ここはフリーウェイ1p目と同じ。
トポを見た感じの予想としては1p目終了点から左にフリーウェイ、右に黒稜会ルートと分かれるのだろうと思っていた。しかし、終了点からは左にのびるフリーウェイのピカピカボルトしかなく、右にはただつるつるのスラブしかなかった。終了点から、綺麗なフリーウェイを指をくわえて眺めたあと、懸垂して帰る。
帰り道は赤いテープやスズランテープを頼りに山を下っていくと車道に出た。このテープ道の入り口は車道からでは不明瞭で、「こんなのわかるかぃ!」とMが珍しく叫ぶ。
モッチョム岳南壁の取り付までのテープ道入り口は、国道から車で山のほうへ登って行き、銅淵川付近の電柱『232』の30m西、側溝が山に入り込んでいるところである。後に黒稜会ルートについて調べてみると、再登は出来ないという記述を発見。調べ不足。今回、見て、生きていると確信できたルートは、滑り台、フリーウェイ、デイドリーム。
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既にAACHメーリングリストにも紹介されていましたが、先週道新にも記事が出たので貼り付けました。(高篠1972入)
写真:伏見、記録:岸本
11月5日、朝から小雨。
吹き晒しの雨の中で肉や野菜を焼くのを想像しただけで気分が萎える。電話で打ち合わせをした相田さんも思いは同じで、特に今回は相田さんと同期の西安信ご夫妻も参加とのことで、気が気ではないご様子。しかし執念にも似た事前偵察の結果、リゾートマンションから歩いて10分程の湖畔に、屋根つきの絶好のスポットを見つけてもらった。
ビールではなく赤ワインを全員に注いで、午後4時内藤支部長のカンパイの発声。ご来賓の西さんにも一言いただく。こうして続けて開催していると遠くからの賓客もみえて有難いことです。特上ロース、和牛サイコロ肉などアミに乗っけた先から無くなるも、平均年齢70才、一回りすると途端にペースは落ちる。がしかし、皆さんの酒のペースは快調で、密かに狙っていたカベルネの95年物と月桂冠特撰大吟醸は、気が付くと早々に空になっていた。
今回参加の多数派1957-59年の会員は名簿によると50名を越えるAACH史上では団塊の世代。お話を聞いていると今もそれぞれ体力に見合ったアウトドアの活動を楽しんでおられる様子で、私も寝泊まり道具と食するものを自ら背負って正統な登山を続けようと心した次第。特筆すべきは、ご参加いただいた西夫人からも安信さんのごく個人的な振舞いをお伺いすることができました。楽しかった。
終盤はプロトコル通り、山の四季、琵琶湖周航の歌、都ぞ弥生、カメラーデンリートを唱し、長旅の方もおられるので10時過ぎにお開きとする。琵琶湖での月見で今回初めて焚き火をしなかった。勿論降り続く雨のせいでもあるのだけれど、近江舞子あたりでも湖畔の雰囲気が徐々に変りつつあり、衛星写真に写るというほど盛大な焚き火は、もうできないかもしれない。
11月6日、土地柄しぐれに近い小雨模様。
ゆっくり目の朝食の後、皆様は三々五々と夫々の世界へ。湖はしんなりとなまり色に凪いでいた。
参加者(敬称略御免)
吉田(勝)57、相田58、西(安信)58ご夫妻、高橋(昭)59、田中(英)59、内藤59、渡辺(尚)59、
伏見61、名越63、福本66、岸本65
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10/22前夜祭:今村トーチカ、今村カケス、井上ボンタ、矢野ヘルス、下沢、竹田、伏島、前田カンイチとマリ(フランス人)、高田グジュ、安藤組長、岩間とモンゴルの先生、小泉会長、中村ゲットと私で16名。現役は11名で計27名。 10/23本祭り:山崎クンクン、白濱カリ公、三角が日帰り。
赤岩帰りの現役と朝里で買出し、15時に着くと水道の仮改修、薪割りが進められ、焚き火もついている。あいにくの小雨だがタ―プを張り現役と食事つくり。ラーメンサラダ、鹿肉(西さんから差し入れ)入りビーフシチュー、炊きこみご飯や焼き魚とメニューは豪華。1年目に料理センスのいいコナン君に似た古谷君がいて大いに助かる。他の現役も良く動いて調理をこなしていく。
峠越えも現役3人とOB数人。車組もそろい17時に乾杯。93歳になる今村トーチカも相変わらず元気な姿で近所と言う竹田氏の送迎で現れる(宿泊は朝里川温泉)。途中現役紅1点の吉澤に明日が誕生日というので、中村ゲットに買ってきてもらった誕生ケーキを出し、サプライズを演出。3年目の木城が水産で函館に行ってしまって貴重な女性なので、退部しないように特別サービスだ。
樽生ビール、ワイン、日本酒、ウィスキー…と差し入れ(美国小屋と鐙部長から)も含めて豪華だ。料理も次から次とうまくできているのと、皆食欲旺盛で残すことなくきれいに片付けた。雨にもめげず、焚き火を囲んでいつものとおり昔話やら現役との交流で、今回参加者も多く賑やかだった。ゲストのフランス人のマリもノリよく、ワイン通で上手な日本語で良くしゃべっていた。小さい時から3,000m級の山を登っていて北海道の山も連れて行って欲しいと言っていた。
翌朝はカシワウドンを食べ、外壁のオイルステインを塗布、薪割りも現役はよくこなす。
9時過ぎに山崎、白浜氏が過ぎ、昨日現れなかった三角さんの危ない?運転で現る。前日に来なかった彼は朝里岳のシャングリラを壊して意気消沈しているのではと皆で心配していたが、元気な姿を見せ一安心。
白浜、山崎クンクン、今村カケスとヘルベチア委員会も開催。水源の池が流失しているので春に改修と天気の良い日にマットの虫干しが必要との話が出た。
来年は85周年。折りしも延期になったグブラー氏のご子息が訪問されるそう。まだまだ健在なヒュッテで100周年は軽く越えられるでしょう。
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米山(1984) , 斎藤(1987) , 木城(2009)
下北の怪峰・縫道石山。岩を見るや眼光炯々たりのクライミング熱中盛りの後輩と登る。久しぶりの岩登りで、米山はこてんぱんにやられた。
一日目晴れ:青森午前6時前発→縫道石登山道発9:10→あちこち見てから南西稜取り付き10:40→14:00終了下降→15:00頃駐車場
二日目曇りのち雨:7:00駐車場発→8:10西稜取り付き→山頂11:40〜12:30→南壁基部観察〜雨で下山→駐車場13:50
↑正面が南西稜、左スカイラインが西稜
前日、青森の家に函館と札幌から到着。早朝、軽自動車で下北へ出発。
きょうは青森の二人組も西稜に行くとのはなし。取り付きは分かりにくいというが、行ってみてどこを登るか決めようという感じで出る。南のポコの高まりから縫道石山の岩峰が見える。西へ行こうか南へ行こうか。夏道から別れ、岩壁基部を西へ行きそうなけもの道を辿っていくと、10人近くの人が岩の下にいて、もう取り付いている。人がたくさんいるので驚いた。さらに西へと基部の藪を行くと、西稜らしき岩尾根にぶつかった。取り付きはもっと下らしいが、ここを下るのも少々急だ。戻って西稜の右側にあった岩尾根を登ってみることにする。1ピッチ登って、展望利くところでキシロが持ってきた古文書のようなルート図を見ると、どうも南西稜のようだ。右の南壁では大勢登っている声が聞こえる。
↑南西稜取り付きの難しいところ
○南西稜(4+〜5級と思われる・トップ斎藤)
1pめ:出だし一発、難しく傾斜あり。
2pめ:15m未満、楽なルート
3pめ:傾斜あり、レイバックからジェードル、右に回り込んで細かいホールドで傾斜ある壁を長く登りテラスまで40m。三番の僕はレイバックで失敗し落ちた。二度目は腕力切れでまた落ちた。三度目は少し左に上がってきわどくトラバースして抜けたが、既に腕はタコのようにくにゃくにゃ。その後の傾斜の強い直上フェイスは腕力切れのせいで時間がかかる。レストできるスタンスもないこんなところで時間をかけては腕の力がなくなるばかりなのだが、そこは経験で復活を図り腕をだましてなんとか登りぬける。実にまいった。
4pめ:テラスから右へ抜けると5mで南西稜頭。楽。右に南壁の大岩壁、左に長い西稜が見える。山頂でオクヤさんが手を振っていた。
↑南西稜3ピッチ目レイバック
齋藤は相変わらずどこでも登る。キシロはずいぶん腕を上げた。
北海道も見える好天。フェリーが海峡に見えた。
岩峰の上から、少し下の懸垂点まで飛び降りありの下降を10m。そのあと懸垂で藪の中へ降りる。そこから南壁とのコルへ行くと、幅50センチ、長さ20mほどの洞穴のような窓があり、神殿のようなところだ。トンネルを抜けて南壁を見に行く。人が沢山取り付いているようだ。僕らはここから藪を下降する。駐車場にテント張って、酒飲んでいるとオクヤさんたちが降りてきた。ゆでチクワをごちそうになり、そのうまさを見直す。ボルトに穴あけてワイヤー通して作った手作りのチョックや頭をくりぬいたハンマーなど、手作りクライミングギアに舌を巻く。
↑西稜中間点からきのう登った南西稜を裏から見る
<二日目>
西稜に登る。きのう上から見てとりつきにはガレ場を通るほど低い所を行くようにした。西尾根末端よりもさらに右側に回り込むと、取り付きらしいところをサイトーがくんくんと鼻を使って見つける。
←西稜2ピッチ目
○西稜(4〜4+級と思われる・キシロトップ)
1pめ:10mくらい。幅30センチの割れ目をチムニー登り。藪こぎはさんで
2pめ:フェイス
3p目:オクヤさん手製のボルトチョックの利いたクラックあり。傾斜急。一段あがってそのあとはイナバウアーしてしまいそうなトラバースあり。
4p目:ここは西稜半分登ったリッジの上。傾斜ゆるんで景色最高のところ昨日の南西稜がばっちり見える。トコトコ歩いていくルート。
5p目:はじめ2mの段差、のち緩いフェイス。
6p目:草、灌木多し。緩いフェイス
7p目:核心のクラックジェードル。傾斜あり。トーストパンを右に見て登る
8p目:15mほど。何もなく頂上西山頂へ。
↑西稜3ピッチ目終了点
一枚岩の上で一時間ほどのんびりする。風景に見えるのは海と森ばかりの美しい場所。思えば岩登りなんて7年ぶりだよ。僕一人だけこてんぱんに苦労したけど、やる気まんまんの若いのと登って、たのしかった。キシロの、ルートを見つめるときのクライミング大好きそうな眼差しが忘れ難い。
↑縫道石山西稜4ピッチ目
縫道石に対しても正面玄関から「ごめんください!」とお尋ねした充実感。ルートも取り付き点もわかりにくいので、探検的楽しみを楽しめる岩山だ。ルート発見眼が求められる。世界の果ての未踏の岩壁を登りたい人に、ちょうどいい。
↑西稜7ピッチ目核心部
南壁基部で、もう一本登ろうかとあちこち探検しているうち、雨が降り出した。
とっとと下ることに決定。
山頂であったむつ山岳会の会長さんにババ岩のアプローチ道やツキヨタケとシイタケの見分け方を教わった。うまそうだったがツキヨの方だった。
湯野川温泉濃々園で擦り傷を湯治して、下北駅前食堂で捕食。ボリウム満点のガツガツ食堂で満腹。青森まで二時間。青森で函館行きフェリーの時間までまたうちあげ。チビッコと遊んでもらった。
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2011年08月26日(金) 〜 2011年09月02日(金)
(L鹿島(4 AL井村(4 M窪田(2 古谷 吉澤(1)
8/26曇→ガス→雨
イダシュベツ川Co310(イダシベツ橋)(6:10-15:00)野球場(Co1100―1200の平坦な地形)=C1
8/27ガス→快晴
C1(5:10-7:10)知円別岳西Co1400のコル付近(8:00-9:00)知円別岳直下夏道分岐(9:10-10:30)東岳北ポコ(10:30-17:20)ポンルシャ川Co620=C2
8/28ド快晴
C2(7:30-11:15)Co80二股(11:30-13:00)ルシャ川河口(13:30-13:45)海岸沿いの番屋付近=C3
8/29快晴
C3(5:30-12:10)コタキ川Co680三股=C4
8/30曇一時雨
C4(5:45-11:45)知床岳(11:55-14:00)知床池北の広いところ(14:15-16:15)知床沼=C5
8/31くもり→晴れ
C5(6:00-8:30)ポロモイ岳Co860南コル(8:30-14:30)オッキチウシ川河口(14:45-15:45)イタシュベワタラ手前番屋=C6
9/1雨→快晴
C6(5:30-9:30)文吉湾(11:45-12:15)知床岬(15:45-16:15)文吉湾=C7
9/2雨
漁船に乗せていただきウトロまで。
記録
8/26
ウトロの道の駅に車をおいて,ドライバー以外は知床五湖に送り,ドライバーはタクシーで知床五湖へ。知床五湖からイダシベツ橋までは1hくらい。超快適天場であった。イダシュベツ川はきれいな沢。Co390に2段(10+15m)のF。左岸を高捲く。その後に出てくる釜地形は中を行った方がよいとのことだったが,荷物が重いので厳しく,左岸を捲く。Co510の二股には右股に超巨大なFがあるのが目印。Co700に15mのF。右岸を捲きぎみに直登してザイル出す。Co800の三股で本流側の水が涸れる。Co860に10mのFは水が流れておらず,左岸を岩壁が途切れるところから捲く。Co1100に水が復活する。明日の水がこれより上にないことが予想されたのでCo1140の野球場でC1。まさに野球場。快適天場であった。
8/27
C1が予定天場よりも下で泊まったので,早めに出発。沢型を少し間違え,30分のタイムロス。沢型は下部から山際を辿った方がよい。コルについてもガスだったので夏天を張って時間待ちする。読み通り見事に快晴。ルンゼ横のガレの尾根を登って稜上へ上がる。稜上は1カ所重い荷物を背負った1年生が通過するには怖いところがある。知円別岳へは分岐から薮こぎだったのでピークをカット。東岳北ポコまでは比較的明瞭な踏み跡がある。ポコから東へのびる尾根からすぐに北の沢型に入り,ひたすら薮をこぐ。ごくい。途中3回ほど岩があり開けたところがある。なんとか泊まれそうであった。三点鎖線の南Co900にはちゃんとした目印があるのでわかりやすい。高度計万歳。薮をこいで尾根をのっこし,ポンルシャ源頭へ。全員疲れていたのでCo620の小さな河原でC2。
8/28
昨日は疲れたので遅めに出発。Co500の滝マークのFは左岸の捲き道を使う。Co270にも3段の函Fがある。右岸の捲き道を使う。あとは河口までで楽勝と思いきやここに核心が潜んでいた。Co40くらいにオスの熊1頭(距離100m,体長2.5m程度)に遭遇。声を出して追い払う。河口には母クマ+子クマ×2の親子クマ3頭と若いクマ2頭に遭遇。悠々とサケを採っており,知床財団の方が河口に居なかったらどうなっていたことやら。怖すぎ。知床財団の方にコタキ川の下流部で泊まるのはサケが遡上している今の時期は非常に危険との指摘を受け,コタキ川河口から1.5kmほど北東に進んだ番屋の電気柵の周りでテントを張らせていただく。夕方に海岸線を歩くクマを見たこと以外はロケーションとしてはよい場所であった。満天の星空を堪能。
8/29
番屋の方に挨拶をすませ,コタキ川に向かう。動物的なALが前を行き,クマスプレーを装備。最後尾ではLがビビりつつ後ろを確認するという万全(?)隊列。笛を吹きまくりながら一同すすむとやっぱり居ました。クマさんが。(距離50m,体長3m)大声出してクマを威嚇して通過。Co80でサケ止めの段差がある。それより上にはサケが居ない。Co180に函があるが左岸をへつって通過。そこからCo310までは函が断続的に続く。Co310に釜持ち15mのF。右岸の踏みあとを使って高捲く。そこからもしばらく函が続くが1年生にはちょうど良いレベルで非常に楽しい。きれいな沢を詰めてCo680三股まで。先人たちの切り開きがある快適な天場。
8/30
C4からすぐの20mのFは左岸を捲く。すぐの5mのFは右岸捲いて対処。Co800から水が涸れる。Co850の15mのFは涸れている。左岸を捲く。途中Mが落石を起こし,別のMの頭に子猫ほどの岩があたる。幸い無傷であったが危なかった。その後は薮こぎ。積極的に沢型を進んだ方が楽。Co1100-1220の薮がごくい。稜上の踏み跡に当てて,知床岳まで。なぜか無感動ピーク。ピークからは踏み跡を辿るが,途中で見失い,1hほど薮をこいで,再び踏み跡に合流する。あとは知床沼まで。沼は水がまずい他は超快適天場。
8/31
コルまでは踏み跡があるがコル手前で薮こぎにかわる。オッキチウシ川はCo500くらいまで水が出てこない。Co460の20mのFは右岸を捲き,直後の7-8mのFは懸垂する。あとは鹿の踏み跡やらを断続的に辿って河口まで。河口付近はサケが遡上していた。ここにも3頭の親子クマ。大声を出して追い払う。後は番屋まで。番屋の裏で水がとれる。盛大な祭りを行う。Lのザックから一升瓶が飛び出した。
9/1
イベシュワタラで1-2回,ウニの沢(アウンモイ川より1つ北の支沢)で2回,獅子岩手前で1回泳ぐ。全然寒くなく,超快適に泳げた。ウニの沢で深さ10m,距離20mほどの泳ぎがあるが,ザックをビート板にして通過。文吉湾は漁師の方がいらっしゃって,最近では建設業者も入っているそうだ。船でウトロまで乗せていってもらえないかと図々しくもお願いすると,明日の朝8時の船でウトロまで乗せていっていただいた。ありがたい。しかも,昼食のカレー,マグロのショウガ煮をいただき,なんとシャワーまでも貸していただいた。一同感動。装備を乾かして居る間にほぼ空身で岬まで。岬まではサンダルでも行けるほど歩きやすい踏み跡がある。岬の灯台から見る景色は絶景の一言。昼寝をして至福の時間を心行くまで楽しむ。文吉湾に帰るとなんどBBQをごちそうになった。本当にごっつぁんです。一同心の底から漁師の皆さんの優しさに感謝。
9/2
漁船に乗せていただき,ウトロまで。その漁船の速いこと。ウトロで漁師の方に料金を払おうとしたところ,なんと!ただでいいとおっしゃってくれた。食事・シャワー・船これだけのもてなしで,ただなんて…本当にお世話になりました。一同,心が温かい気持ちになりながら無事に下山。こうして知床の旅は幕を閉じた。
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Bugabooは、カナダ、ブリティッシュコロンビア州。脊梁のロッキー山脈の西列にあたり、カルガリーの西200km。標高3000m前後の花崗岩の岩峰群があるクライマーの巡礼地。
7月30日入山
31日bugaboo spire south ridge
8月1日mctech arete (padle flake)
2日 mctech arete (west side story)
3日 荷揚げ
4日 Bugaboo NEridge
5日 rest
6日 mctech arete
7日 pigeon-howser col へ移動
8日 south howser becky-choinard
9日rest
10日wild flower (に行く予定が違うところ登ってました) 11日下山
【メンバ】澤田(2004年入部)、井ノ上、木城(2009年入部)
<計画が実現するまで>
2007年、南米アルゼンチン。広大な荒地を走るぼろぼろのバスの中、「またどこか大きな岩峰に行こう」と考えていた。
現役3年目、幸運にも山岳部の先輩とパタゴニアの岩峰に登りに行く機会に恵まれたのだが、結局一つの岩峰も登りきることはできなかった。
帰国後、いろいろ調べたエリアの一つにカナダ南西部にある「Bugaboo(バガブー)」という所があった。花崗岩の岩峰が氷河上に林立しており、天気も安定している。苦手な英語のガイドブックを購入したりした。
しかし、実際に計画を実現させる事もなく数年が過ぎた。その間はアックス、アイゼンを使って攀るような山が多かった。そうしているうち、仰々しい金属物を通してでなく、素手で岩の感触を感じながら登れるような岩登りに魅力を感じてきていた。昨年、夏メイン後、本州にいた現役とクラッククライミングをしているうちに話は進み、ようやくこの夏「バガブー」にいくこと になった。
パートナーは休学して山岳部現役3年目として活動する井ノ上、水産学部生で函館に移行した後も山やクライミングを続けている木城の2人。山岳部として年目は離れているが皆同じ団体で育っており安心感がある。
<買い出し>
カナダは小奇麗で、治安がよくて、そして物価が高かった。酒は特に高い。我々3人(少なくとも僕は…)財力に乏しく、けちだ。しかし、買い出しでの3人の意見は一致していた。「酒だけはちゃんと買おう!」。結果、ビール38缶、ウィスキー2本、ラム2本という大量の酒を購入してしまった。当然、こんな量の酒と10日分の食料、クライミングギアを一気にベースキャンプまで荷揚げすることはできない。まず、4日分程度を持ってBC(ベースキャンプ)にあがり、残りはレスト日に荷揚げする事になった。
<クライミング−前半>
荷物の重さに喘ぎながらBCについた。BCは氷河を目の前に望むキャンプ場だ。クライマーがわんさかいる。まずはバガブーの様子を伺うことを考えた。天気が安定しているとはいうもの夕立のようにやってくるサンダーストームは結構なものらしい。
BCから歩いて1時間もしないうちに取り付けるMctech Arête AreaにあるPaddle Flake(6ps 5.10b)West Side Story(6ps 5.10a)Mactech Arête(5ps 5.10a)の3本を登った。だんだんと1p毎の長さにも慣れてきたように感じる。山群の名前の由来であるBugaboo spireにあるNE ridge(10ps 5.8)は少し長めのルートを、アイゼン等を背負って登る必要があった。スピードには軽量化が重要だと分かった。
僕ら3人が是非登りたいと一致していた所があった。BC付近から氷河の奥に岩峰が見える。このHowser Tower(ハウザータワー)という岩峰は東面(BC側)からみるとなんてことない岩峰に見えるのだが、氷河を横断し、反対側に下ると西面は切れ落ちており750m以上の岩壁となる。とてもかっこいい壁だ。その中で最も自然(そして易しい)に登れるのがSouth Howser Tower Becky-Chouinard Route(17ps 5.10a)である。僕としてはここに登るためにカナダに来たようなものだ。
8月7日。国立公園のレインジャーの持ってきた情報から考えて、入山以来続いている好天周期もあと2,3日で終わりそうだ。このチャンスは逃せない。午前中レストして、午後3時ごろから行動を開始する。壁の西面を登攀し、東面をラッペルして氷河に降り立つ予定だ。今日は取り付きへのルートを偵察し、東面の下降地点の近くにあるPigeon−Howserコルにてビバークすることにする。仲良く3人くっついてオープンビバークとする、星が美しい。
翌朝、準備しているとラテルネの光が近づいてくる。BugabooのNE Ridgeを同じ日に登って仲良くなったカナダのリチャード=クリスのペアだ。また、ルートがかぶってしまった。しかし、彼らの方が早いと知っているので先行してもらえばよい、気が楽だ。
コルから西面の氷河は傾斜が緩い。軽量化の為、アイゼン等はおいていく事にする。氷河を下りきってから西面にのびるリッジを登っていき取り付きへ。夜が明けてくる、風もなく快晴。絶好の登攀日和だ。
はじめは5.7程度の快調なピッチだ。60mいっぱいを2p(ピッチ)で小ハングをもつ3p目下のテラスへ着く。リチャード達がハングにとりかかっている。日が当たってきて暖かくなってきた。続いて僕らも下部核心とされるハングを越え、さらにもう1p60m登ると大デヒードラル下のテラスに着く。まさに巨大なデヒードラル(凹角)だ。ここから3pは木城がリードする。背後の高度感を感じつつ、美しいデヒードラルを登る楽しそうなピッチだ。5.8、120mのデヒードラルを2pで越え、クラックを登るとグレートホワイトヘッドウォール下のテラスに着く。このヘッドウォールはまた名前の通り、白く美しい壁だ。ここからワイド系になるという事で、リードがワイド担当(?)の僕に交代。レイバックが印象的なピッチを終えると上部はチムニー状となってくる。簡単なチムニーを登ってピッチを切る。その次のピッチ、出だしは容易なチムニーなのだが、25mほど登るとクラックのサイズが小さくなってきて、オフビズス状になってくる。クラックの奥には氷が詰まっていたり、濡れていたりして悪く感じる。滑りそうで時間をかけてしまった。続くピッチもチムニーが続くと見えたが、すぐにガリー状になり、左壁のハンドクラックを60m快適に登る。その次のピッチは井ノ上にリードを交代。10m程登り、壁の左側のリッジへ向かってテンショントラバースしていく。
リッジの向こうに見えなくなってからも順調にロープがのびていく。ここも60mいっぱい登ると、リッジ上のコルに出た。ここから右下の頂上に伸びているガリーに向かって25mラッペルだ。降りてみると、ガリーは雪があったり、脆そうなところはあるが概ね容易に見える。コンテにして所々プロテクションを取りながら頂上へ向かう。ガリーを詰めると、頂上直下のリッジに出た。最後ナイフリッジを登ると念願のピークについた。3人集合してはしゃいでいるうちに夕闇が迫ってきた。暗くなる前にできるだけラッペルをしておきたいので下降にかかる。下降は強固なボルトの打たれている東壁のルートをラッペルしていく。途中で日も沈み、暗闇に覆われる。途中で懸垂支点を見失って登り返したりしつつも、無事11回のラッペルを終えて氷河上に降り立つ事ができた。ようやく安全圏につき緊張感から開放される。あとはトレースのついた氷河を歩き、ビバークポイントにデポしていた荷物を回収してBCへ戻った。深夜0時半、BCに着いた。腹が減ったので、ラーメン作って、今夜もビールで乾杯。旨い!
<雹にうたれながら敗退>
ハウザータワーから戻った後、あまり人の登っていないというSnowpatch Spire西面のWild Flowerというルートに行くことにした。今日のリードはじめは井ノ上。1ピッチ、2ピッチと浅い凹角状を登っていく。しかし、どうもルートとしては怪しい。3ピッチ目、汚いチムニーに入ってしまった。これはルートとは違うなという話になったが、登りきれるのではないかと進んでみることにする。4p目、リードを僕に交代。一段登ると下降用のボルトのあるテラスへ。5p目、だんだんクラックが細く、泥が詰まるところが多くなってきて泥をかき出したりして登る、逡巡してしまう。6ピッチ目、少し登るとクラックが左右に分かれる。右のオフビィズスを登ると、ぽつんと一つボルトがあった。直上は厳しそうなので、このボルトで左にテンショントラバースして左のクラックにうつる。しかし、このクラックも細くなってしまう。手持ちのギアではエイドもできない。頂上稜線はすぐ上にみえているが、進めない。7ピッチ目、可能性をもとめて左手のリッジへトラバース。しかし、リッジの向こうはボロボロに風化した岩が続いていた。敗退決定。5,6,7pと時間をかけてしまい午後も遅くなってしまっていた。余り天気も気にしていなかったが雲がでてきている。気づいた時には遅く、雹と雷がやってきた。とうとう、サンダーストームにあってしまった。急いでラッペルして下るが、雹は激しさを増してくる。時折、ルンゼに溜まった雹がチリ雪崩のように襲ってくる。粒がでかいので痛いし、積もった雹は滑るし、手足は冷たいし…と不快だ。しかし、幸運にも下降用のボルトが打たれており、それを使って楽に下降できた。4回程度のラッペルで氷河上に帰れ、この頃には雹もやんできた。沢登りの下山後かと思わせるような汚い格好でBCに戻った。リードに時間をかけてしまい、その結果として嵐につかまってしまった。反省し、今後改善していくべき点が浮かび上がった登攀だった。
<クライミングを終えて>
今回、天候にも恵まれ楽しんでクライミングをすることができた。大きな山を攀じ登っていくのは楽しい。予想以上にクライマーもいて、考えていたよりも緊張感は少なかった。しかし、思い入れをもっていた所を登れて単純に嬉しかった。また、今後この経験を次の山登りにつなげていきたいと思う。
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