
浜名純会員が毎日新聞2009-6-24の朝刊に,原真氏の追悼記事を寄稿していますので,紹介します.
米山会員による追悼記事は
こちらにあります.
【年月日】2009年6月4-6日(3−0)
【メンバー】L田中(3 AL平塚(6 M岡戸 木城 斉藤(1
【時間とルート】
6月4日 ・631(6:40)−二の沢出合(8:00)−Co1050(10:20)−額平山(14:00−14:10)−C1(14:15) 曇り時々雨。ゲートの鍵を入手し・631から入山。取水口まで林道。その先は全て左岸を行く。Co800付近の巻きはFixロープがあって問題なし。二の沢出合からも地図と違って左岸に道があり左岸を行く。途中靴脱ぎ渡渉2回。Co1000から雪渓がでてくる。安定していたのでCo1050付近にある滝の手前まで雪渓の上を行き、そこから左岸尾根上の夏道にのる。途中夏道が雪の下に隠れたため、Co1100からピッケルを出し滑落停止練習を行った後、木の生えた急な雪の斜面を登る。Mの一人が2回軽く滑落し1回目は木に掴まり止まり、2回目はALがMを止めたが反動でALが5メートルほど滑落した。額平山付近で夏道をはずし軽くハイ松をこいでピークへ。ピークから少し東に行ったところにハイ松に囲まれたいいテン場を見つけC1。
6月5日 C1(5:10)−北戸蔦別(5:30)−戸蔦別(6:20−35)−幌尻(8:10−40)−戸蔦別(10:00−10:15)−北戸蔦別(11:15)−C1(11:30)=C2 小雨。北戸蔦別にて幌尻の肩の急斜に雪がないように見えたので視界ないが行くことにする。この先全て夏道出ていた。幌尻の肩に上がるところ急だが夏道出ていて問題なし。ガスガスで熊にびびり笛を鳴らして行く。あとはピークまで。展望ゼロで非常に残念。風で寒い幌尻を早々と後にし、少し降りてから休んだ。帰り道シマリスを何度か見る。
6月6日 C2(6:30)−二の沢出合(11:50)−・631(12:50−13:30)−ゲート(15:00) 曇り時々雨。これから明日にかけて雨風強まるという。視界出そうになく雨で渡渉も心配なので下山することにする。額平山の急な尾根はEPで下る。ところどころバックステップ。出合までは行きと同じ場所で靴脱ぎ渡渉2回。後はゲートまで。ゲートにて休んでいると札幌方面へ帰るというご夫婦と子供さんの乗る車がやってきてご厚意により札幌まで乗せてくださった。
...hide more
備忘録・中西健夫(ナカニシヤ出版)インタビュー
追悼・伊藤達夫・・・和田城志による
岳人7月号のp122「備忘録」でナカニシヤ出版の中西健夫氏のインタビュー記事があった。関西から奥美濃、鈴鹿などのヤマ本を出版している京都の会社だ。全般に装丁はちょっと野暮ったいけれど、よくぞまあ出してくれたという感じの山の本を出版してくれる頼もしい出版社だ。「鈴鹿の山と谷・全六巻」や「北山の峠」「秘境・奥美濃の山旅」「近畿の山・日帰り沢登り」など、名古屋にいた頃拝読、一目置いていた出版社だ。その後はヒドゥンピーク(ガッシャーブルムI峰)とミニャコンガの初登記も出版、こんな本今時売れないだろう〜と思って余計な心配をしていたら(もちろん購入)、三万円もする「カラコルム・ヒンズークシュ登山地図」も出した。一体どういう会社なんだろうと思っていたが、その内情を話している。こういう志ある山の本は全体の8パーセントくらいで、他の本のもうかったぶんで出しているとのこと。1500冊や2000冊売れればいいやと、その部数でも採算とろうと思えばとれるんです。という発言は頼もしかった。
「山の本を出すところ、少なくなりましたなあ。」「戦前の関西の岳人では藤木九三さんと森本次男さんこのお二人が文章としては一番うまいのでは〜ああいうものを書いてくれる人がもっといるといいですけどねえ。百名山しか売れへんようじゃあきませんなあ。」「おたく(岳人出版)でママリーの『アルプス・コーカサス登攀記』出しましたでしょ、あれ注目してたんです。あの手の本が売れればうちでも出したいものがいっぱいあるんです。でもちょっと残念ですねえ。」ああ、やっぱりダメなのか・・・復刊はとてもうれしかったのに。
数年前、とある出版記念会でやはり山の本を果敢に小規模に出している白山書房の箕浦氏に「エーデルワイス叢書みたいな探検未踏モノの復刊して欲しいです。最近出る山の本はハウツー本ばかりで、行くのは古書店ばっかりですヨ。」と訴えた事がある。「いやそれはヤマヤマなのですが、朋文堂の二の舞にはなれませんわ。」と苦笑された。誰も気持ちは同じなのだ。
「とにかく山の本、みなさん読まなくなりましたね。このごろの中高年の山歩きって健康第一で文化を忘れている。登山は文化なんやで。健康のためだけの登山なんてもったいない。」
京大の正門前にあったナカニシヤ書店時代から、今西錦司との深いかかわりがあった書店だったそうで。ナカニシヤの社長さんの読書趣味が分かってとても楽しい記事だった。
もう一つは今年の春北ア黒部の鳴沢岳で遭難死した京都府立大山岳部の、二人の学生を率いていた伊藤達夫さん(同大助教でコーチ・51才)の、和田城志氏による追悼文「風雪に響く魂を知る男〜私の心の中にまた憧れの墓標がひとつ〜」(p156)。
これを読むまでこの遭難の当事者があの「黒部別山ー積雪期ー」の和田氏との共同編集者とは存じ上げなかった。この本はあまり出回る本ではないが(つるの大内さんにまわしてもらいました)、黒部別山、剱沢大滝、丸山東壁フリークたち(黒部の衆)が生涯の情熱をかけて残した積雪期記録を編集したとてもマニアでマジで重い本。この本の4割が二人で書いた記録で、解説もほとんど二人で書いたとのこと。黒部で一番マニアなお方と仰いでいた和田さんが、「私も相当マニアックに雪黒部に取り組んできたが、彼のマニアックの純度にはかなわない。」と告白している。「そのストイックな登り方にはある種の美学が感じられる。私が常々語ってきた『名を取らず、実を取る登山』の典型的な実践者だった」。
最後の詩編「知る男」は男泣きだ。
...hide more

大滑降への50年
三浦敬三
実業之日本社
1970
三浦敬三が息子、雄一郎のエベレスト滑降の年に書いた、二人の自伝。三浦親子関連の近年の本は長生きイキイキの秘訣みたいな題のばかりで、違う人向け本のようだ。山登り人として三浦親子のなんたるかを知るにはこれが一番の一冊ではないだろうか。敬三さんの放つ魅力が分かった。この人は西堀栄三郎とか、明治生まれの染め物職人だった僕の祖父を思わせる。そして三浦親子を生み出したのが八甲田だったということがわかる。読後は八甲田を滑る気分が随分違う。
青森に来たので八甲田の黎明期を知ろうと、三浦敬三の本を読んだ。氏によれば八甲田ほどスキー的な山はないとの事。今も大規模なスキー場が無い上に残雪期は普通のスキーヤーがロープウエーで登って、スキーコースを滑る。山スキーとゲレンデスキーの中間のようなスキーが行われる。そのルートにたくさん残るスキーコースの指導票は1953年に敬三さんらが中心になってつけたもの。1968年にロープウエーができてから、その周辺だけを滑る人ばかりになり、以後は指導票を辿って全域を滑りまわる人がすくなくなったそうだ。
1904年生まれの敬三さんは、エベレストのサウスコルから1970年にスキー滑降した息子、三浦雄一郎の快挙以前から、日本のスキー界屈指の滑り手だった。北大スキー部出身でスキーを身につけ、青森営林署に勤めて営林署の「青森林友スキー部」をコーチとして日本一のスキーチームに育て上げて、戦前のオリンピックや国際大会の常連になった。そして八甲田の斜面を滑りまくり、さまざまな悪雪での回転術を試行錯誤して研究に没頭した努力が懇々と記されている。また雄一郎との子供の頃のスキー行や、雄一郎がやがて父と同じく北大スキー部に入り、海外のスキーコンペでめきめき頭角を現していく様なども書いてあり面白い。
北大山岳部は1926年12月にスキー部から独立した。スキー部の初期は山に登らねば滑れなかったし、スキーをはかねば山には登れなかったから、これが分かれた頃というのは、山に登らなくてもスキーができる、競技スキーに熱中する一派が生じ始めたということである。敬三氏は1923(大正12)予科入学、1925(大正14)スキー部に入って、スキーにはまった。当時のスキー部に直滑降、回転、ジャンプのすぐれた選手が多くいた話など、興味深く読んだ。今は木の茂る札幌の三角山の頂上から度胸試しの直滑降斜面があった話、初めてスチールエッジを見た時の衝撃など、最高に面白い。
雄一郎のエベレスト滑降も、突然世間の注目を集めたわけではなく、一つ一つ自分の力を伸ばして、誰もやらない事を目標に選んで、出来る努力を重ねて進んでいく。八甲田の全山一日連続滑降の試みなどから始め、イタリアのスピード滑降競技で腕をあげた。富士山吉田大沢での緊張感いっぱいの初滑降のところは、エベレストよりも緊張して読んだ。この親子、あれこれ指導して育てあげたという関係ではなく、「ついてくるか」「うん行くよ」。「平気さ」「よっしゃ」という少ないセリフで、手を出さない親、負けず嫌いの子の口数少ないながら堅いつきあいだった様子。

とっておきの山
1984
山と渓谷社
「とっておきの山」という山の小文集で、敬三氏の「八甲田サマー・キャンプ」という小文を読んだ。雄一郎が北大の夏休みで青森へ帰ったある夏、一家六人で八甲田の東北斜面にある雪渓の脇にキャンプして、五日間そこでこの親子が朝から晩までスキーをやっていた話だ。弟妹は小さかったので雪渓の脇や周りの藪で終日遊んで過ごし、スキーなどやらない敬三夫人はたき火で毎日炊事をこなした。敬三と雄一郎は来る日も来る日も雪渓で滑った。夏の雪渓はコチンコチンに凍っているので朝起きると斜面一面を父子二人でクワを持って耕し、そこを滑ったという。もくもくと楽しそうに、友達のようにクワ振り、奥深いスキーの奥義を探求するため稽古に打ち込む三浦親子がまぶたに浮かぶ良い話だった。昨年暮、雄一郎氏にお会いする機会があり、その話に感動した旨を話したところ、懐かしそうにされていた。誰も登って来ない夏の八甲田の雪渓で家族ごとテント暮らしの一週間なんて、夢のような家族だと思う。
何故僕は三浦敬三に惹かれるのか?当時のスキー靴の踵は低く、足首はクラクラ、板だって今のものとは比べものにならないくらい原始的だろう。そんな時代に何もかも手作りで、無限の可能性のあるスキー術を探るため、自分の身体一つで稽古に打ち込んだ姿に勇気づけられるのである。メーカーの知恵が注ぎ込まれた兼用靴と最新の板などはいて、滑りが楽しきゃいいだろう、という気分に僕はやはりどうしてもなれない。先日のポロシリ東カール滑降の悪雪、良雪の苦勞工夫の楽しさが忘れられないからだ。ジルブレッタと革登山靴で、どこまでも雪山と対話していきたい、と決意を新たにした。
...hide more

【年月日】2009年5月2−5日(4−0)
4人の新入部員が参加した今年の春合宿は増毛で行いました。
集合写真は暑寒別岳ピークにて、左から岡戸(1,三木(OB,小泉(OB,木城(1,斉藤(1,井ノ上(1,小池(3,井村(2,田中(3,吉本(4,撮影は鹿島(2
5/2 ベース移動日L田中(3 AL小池(3 M井村 鹿島(2 井ノ上 岡戸 木城 斉藤(1 G小泉(OB 三木(OB 吉本(4
暑寒荘から入山。真東に磁石をきり台地上のBCまで。途中Mのシールハズレなどあったが問題なくいけた。
5/3 1年班・・スキー練習Co720まで2年班とともに行動、co720付近から伸びる支尾根にてスキー練習。
2年班・・・悪天行動 暑寒別岳At.L田中(3 AL小池(3 M井村 鹿島(2
<時間とルート>
Co720(7:10)−暑寒別岳ピーク(10:35−45)−BC(12:30)
Co720まで1年班として行動。Co800付近から時折気になる風。・1075付近にて視界50以下となる。・1075東の尾根分岐に止めデポ4、その後も視界30前後。Co1100、に滝見台、Co1220 に屏風岩の看板が出ていて目印になる。Co1400 付近に台地があり、ここをCo1460 尾根分岐と間違え一時デポ旗を打つもすぐに気づきぬきに戻る。Co1460 から夏道が見えていたためデポ旗を打たなかった。ここからピークまでツボで往復。帰りはCo1240 付近から晴れて視界でたためその先のポコは全てネグった。あとはBCまで。
5/4 1年班 暑寒別岳アタックL小池(3 AL田中(3 M井村 鹿島(2 井ノ上 岡戸 木城 斉藤(1 小泉 三木(OB 吉本(4
<時間とルート>
BC(5:10)-・1075(7:30)−ピーク(9:15−35)−BC(12:50)
天気は晴れ。視界∞。風はCo720から気にならない風であり時折突風が吹く。Co1260 でシーデポしてツボで登る。ピークでパー食の缶詰を食べて下ることにする。シーデポ地点からはシールをはずしてスキー。スキーが苦手な新入生もいたが時間読みどおりBCにつけた。この日で小泉先生は下山。
5/5 下山BCから暑寒荘までスキーで下る。
※1年班でアタックできるめぼしい山が暑寒別岳しかない、登攀できる場所がないなど、山のボリュームとしては少々かけるところがありますが、BCまでのアプローチが短く、スキーをメインとした春合宿地として暑寒別岳北尾根はなかなかよい場所でした。
...hide more
久しぶりに利尻に行きたくなったGW前半。今回はテレマークで滑ることとして東稜からのっこそうと計画。労山のテレマーカー仲間2人がうまいこと釣れて(笑)一路北の島へ。しかし2日目に二つ玉低気圧が通過する予報で,始発フェリーでついた日に北尾根からアタックというちょっと時間的にきわどい計画に変更。でも無事に余裕で行ってこれました。やっぱし利尻は偉大な山でした。超きもちいい。
【年月日】2009年04月25日〜26日
【メンバ】田戸岡(1999)+札幌中央労山のテレマーカー2人
【天 候】晴れ
【タイム】
24日旭川18:30〜稚内23:00C0
25日稚内6:50〜鴛泊8:40〜キャンプ場9:20〜長官12:30〜ピーク14:30〜キャンプ場16:40C1
26日キャンプ場8:30〜樹限9:30〜キャンプ場10:00

利尻を後に
仕事を一時間早退してYさんを拾って北上。名寄でMさんも拾ってさらに北上。けっこういい感じのペースでいつもの駐車場着。車中で軽く飲んで就寝〜。
で,ちょっと遠くなったフェリー乗り場まで歩く。重い。フェリーに揺られて鴛泊着。今回はMさんの元同僚のSさんになまらお世話になりました。とりあえず天気予報により東稜をあきらめて一日で北尾根往復することにしたのでいらなくなった装備を預ける。で,キャンプ場まで送ってもらい,準備して出発。
朝から快晴で,時間もそんなに無いのでちょっとハイペースでなまら暑くて汗だく。そしてモービラーに軽く不快になる。沢型を詰めて適当に夏道の尾根に上がる。シールの効きがイマイチでだんごも発生で難儀。途中でスキー背負って長官へ。途中で少し陰ってきたけど,ピークはぱっちりきれいに見える。なんか大人数のパーティが見えた。雪質的に厳しい気がしつつもピークまで背負っていく。近いようで意外と遠いピーク。でも予定通り15時前には着。安心。ぱしゃぱしゃ写真撮って下山へ。もちろんガリガリ君でスキーは履けずにEP。。。
長官手前の緩くなってきた所で試しに履いてみるものの,ひたすら制動でカキ氷を作ってる感じのシャリシャリ。でも長官から下のメイン斜面は素晴らしかった。やわかくてクリーミーな雪と柔らかいコーンスノー。けっこうスピード出して大回りで超きもちいい。さすがに足がやばやばだったしもったいないので一気に降りるのは無理でしたが。で,またモービラーで不快な気分になってテントへ帰着。カレー雑炊が意外に好評で安心。ウイスキーをがぶ飲みして就寝。星がきれい。
次の日は天気ヤバイだろうと思っていたもののそんなに悪くない。ただ,風の音がすごい。いちおうせっかく来たので滑れるだけ滑ろうということで出る。ものの,やっぱし樹林外はすごい風。リアルに,歩いてて後ろに押し戻される風で引き返し。いちおう少しだけは滑れたけど。。。
そしてテント撤収してまたSさんのお世話に。島を一周していろんな角度から利尻を見て,温泉へ。サウナやら冷たい源泉やらでゆっくりしつつ,夜は居酒屋で利尻の食を満喫。さらに家で気合い度数120%を注入し就寝。
次の日はフェリーの運航状況が危ぶまれたものの,無事出航されました。遠ざかる島を名残惜しみつつ本道へ帰着。トナカイカレー食って無事旭川に着きました。
...hide more

戸蔦別川から新冠川源流へ踊りこんで、幌尻の南東稜を登り、東カールを滑る。この季節だけに可能な日高最深部へのスキーアタック。晴天の三日間に恵まれて久方の日高最高峰再訪。
アタック日は1800mの尾根を往復二度越えて幌尻を往復する勘定だったが、スキーの威力は猛烈で、夏以上のスピードを出した。南東稜登攀も東カール滑降もおそらく初登、初滑降ではなかろうか。
(写真)トッタベツ川八ノ沢左岸尾根の頭よりポロシリの滑った全行程を振り返る。ポロシリの山頂から左に伸びる尾根が南東尾根。二本あるうち右のが登った第一支稜、山頂の真下が滑った東カール。
【年月日】2009年05月4-6日
【メンバ】米山(1984) , 斎藤(1987)
【天 候】三日晴天
【タイム】5月4日札幌(6:00)→戸蔦別川CO570の橋除雪終点車デポ(10:50)発→八ノ沢二股(13:30-50)→八ノ沢左岸尾根標高1440C1(16:40)
5 月5日C1(5:30)→八ノ沢左岸尾根頭(6:30)→新冠川へ下り1210二股(7:30-8:00)→幌尻岳南東尾根経由→幌尻岳 (11:30-12:00)→東カールを滑降→1210二股(12:45-13:15)→左岸尾根頭(15:20-40)→C1=C2(16:20)
5月6日C2(8:00)→左岸尾根1296南のルンゼ経由八ノ沢合流(8:30)→八ノ沢二股(9:00)→車デポ(11:40)
戸蔦別川林道は、1570びれい橋まで除雪してあった。この先カタルップ沢を越えるあたりで道が怪しくなる。この流域が卒論の山域で、何十回も通って全部の支沢を登った斎藤によれば90年代初頭は8の沢まで鼻歌で車が入ったそうだが、今や藪に覆われている。バブル期を最後にブル道も野生化していく。

八ノ沢左岸尾根に取り付くため渡渉点を求め、八ノ沢を100mも登ると雪がつながっている。その辺のルンゼが上のほうまで雪がつながっていそうなので、そこからシートラで100mほど直登。伐採用ブル道が交錯してくると、ほどなくシールで行ける傾斜になり、尾根を登る。ブッシュもなく快適。この尾根も八ノ沢右岸尾根もともに伐採用のブル道がザクザク入っている、20年前の。単調ながら気分良い尾根の登り。ベートーベンの交響曲3番を通しで3回くらい頭の中で演奏する頃、とんがり野郎のトッタベツ岳が見えてきた。お久しぶり、21年ぶりかな?

夕方いい時間になったころ、幌尻アタック圏に入ったので天場とする。ピパイロが見える天場。ツエルトを張って焚き火。持参した手回し充電ラジオをグルグル回すとバッハの無伴奏チェロソナタやビバルディーをやっていた。司会は岩槻さんだった。月は半月ながら晴れ渡った雪の尾根を照らし、明日のやる気をマンマンにさせる。月光のバロック。
翌朝、左岸尾根頭まで1時間で登る。懐かしの白い北日高全景だ。五月といえどもなかなか白くて捨てたもんじゃない。行く手のニイカップへ下る沢は傾斜はあるが雪はたっぷり。渡渉予定の標高1200付近もまだまだ大丈夫そう。向かいの幌尻岳の大カール群は無垢の純白。あそこに一筋トレースを付ける。左岸尾根頭と1803のコルから沢に滑り込む。上部は急、下部はルンゼ状だが悪いデブリ等は無く、概ね快調に1200まで。あっという間だ。渡渉点で七ツ沼カールからの沢の水を飲み対岸へ。

この東カール下部の緩い尾根はカンバの大木が疎林になっていて美しいところ。円形競技場のような幌尻のカールヴァントを眺めながら牧歌的に進む。この広い新冠川源流カール群、快晴の連休なのに独占貸切だ。南東稜へは顕著な第一支稜からとりつく。難所無く、山頂までスキーで行ける。この支稜は両側がカールに削り取られ、最高の歓迎ムード。まるでエサオマンの北尾根のようだ。山頂5分前からガスに覆われる。更にこちらから登ってもニセピークにだまされる。幌尻ってこういう奴だった。思えば前回、前々回もそうだった。ガスの中だが、この春相次いで世を去った僕のお師匠さん、原眞と忌野清志郎を山頂にて密やかに偲ぶ。原さんは確か学生時代の総仕上げとしてこのポロシリで未踏の西稜をプイラルベツ沢から1960年頃冬期初登していたはず。電話が通じたので家族にかけたらお誕生日おめでとうだって。忘れてた、今日誕生日だった。山頂で晴れるのを待つが、きりがないので視界50mの中、東カールへ飛び込む。傾斜は登りながら確認したし、下のほうは晴れるだろう。しかし、緊張の時だ。滑落して、400m止まらなかったら困る。

滑降始めてみると、雪は軟らかかった。少し下りればガスも消えた。先週降った季節はずれの新雪がマダラ上になっていてそこで抵抗がガクッと来るのを除けば、快適な滑降。無人のカールボーデンまできゃあきゃあ言いながらスピードを楽しんだ。あっという間に渡渉点。スキーの機動力恐るべし。
左岸尾根頭までの登り返しは、渡渉点で水飲み放題だったので馬力も出た。下った時は急に感じたが登りになると意外に余裕でシール登攀できる。午後三時台に、この600mの登り返しをつべこべ言わずにやれるパーティーだけが無垢の新冠源流を満喫して良い。

左岸尾根頭で逆光の幌尻を眺める。登って下って登って下って登って下る行程だが、スキーも使えない国境稜線を延々アタックするよりは、スキーで一直線の、潔いルート取りではなかろうか。計画の美しさと結果に大いに満足した。エサオマンやナメワカのカールもこの調子で滑ろうと、夢は広がる。ナメワッカ北面直登沢の直上振りも堪能。

(写真)トッタベツ川八の沢左岸尾根よりエサオマン北カール
ここ左岸尾根頭から天場までは日高によくある急傾斜、右は雪庇、左はブッシュの幅3mの尾根という下り。スキーにとってはイヤーなこういうコースも斎藤は上手い事滑る。細かくターンで減速し、あっという間にC1へ消えていく。
のどかな夜、風もなく十勝平野の灯りがゆれていた。

翌朝は左岸尾根の1296コルから直接南に八ノ沢に降りるルンゼを滑り降りた。尾根を下りるより快調。八ノ沢の中もブリッジ繋がっていて、二股までOKだった。この季節はこれだから早い。トッタベツ林道にあがると、直径二十センチ強のデブ熊の足跡が先導している。爪が雪を蹴散らした雪屑なども残っていて、たった今通ったホヤホヤ。行く先が同じようなので仕方なく付いていく。ホーイホーイと声を枯らしてコールしながら。(写真)デブクマの足跡
五月は適当な山域で遊んでいる場合ではない。一年で最も奥深くまでスキーで進める。雪崩もゴルジュも皆解決の、長距離弾道スキーの貴重な季節だ。
...hide more

【日程】2009年04月11〜12日
【メンバ】シェイク(1987) , 斎藤(1987)
【天候】
4/11晴れ、快晴
4/12晴れのち曇り 気温は頂上付近で2〜3℃位か。
【タイム】4/11:18線沢入口から入山(10:20)-御茶々岳と槙柏山とのコル(13:10)-ユーフレ小屋(14:20)
4/12:小屋(5:25)-芦別岳頂上(9:20-10:20)-ユーフレ谷滑降後、小屋着(12:30-13:00)-御茶々岳と槙柏山とのコル(14:30-15:00)-18線沢入口に下山(16:00)
【コース状況/その他周辺情報】18線沢林道には、まだまだ雪が残っていた。

昨年3月も同じルートから入山しているが、今年の方がはるかに多い印象。
昨年が少なすぎ?
18線沢を詰め、コルに出てからユーフレ小屋に下りる旧登山道の谷に滑り込む。
Co850m前後で左岸側から沢筋を埋めるデブリが見られた。
全般に右岸側を行けば問題なく、緩い木立のなかを快適に滑れた。
ユーフレ小屋は屋根下まで埋まっており、2階の窓から侵入する。
枯れ木を燃やしていつもの焚き火。

翌日はユーフレ谷を詰める。
小屋周辺の平らな所ではすでに沢が口をあけており、雪解け水が滔々と流れていた。
沢沿いに若干登るとCo650からスノーブリッジが安定しはじめる。
Co700前後から谷は完全に埋まっている。
たまに前方から拳より小さいくらいの落石がひょ〜うと飛んでくることがあり、気が抜けない。
ヘルメットはあった方が良い。
ただし、気になるほど多くのまたは大きな落石跡は無かった。
まだ時期が早いせいか?
標高1250mを越えると傾斜が一気にきつくなり、シーアイゼンを持たない僕はアイゼンに履き替えシートラーゲン。
特に一稜取り付き付近から上部は、早い時間帯がずーと日陰になるため、カチカチのアイスバーン状態。
アイゼンの前爪蹴り込んで登っていく感じで、帰りのスキー滑降が思いやられる。
コケたら300m以上は滑落してしまうだろう。

頂上の風の当たらない所で1時間程度うだうだして、帰りの雪面が緩んでくれるのを待つが、意外にも気温が高くならず、あきらめて急な雪面にスキーで飛び込んでいく。
上部はひざがガクガクになるような斜滑降の連続。
いやーエッジでも磨いておけばよかった。
滑るには滑ったが、ターンを失敗して10mほど滑落すること2回、久々アドレナリン大放出の滑降だった。
一転して下部1250mからの沢筋はちょうど良い傾斜が続き、快調な滑降。
結局この時期、最上部から滑りだすのにはまだ早い、という結論。
ただ、あまり遅いと下部の沢が口をあける頻度も多くなると思うので、判断は微妙ですね。
...hide more
【年月日】2009年4月11日(土)(1−0)快晴
【メンバ】石橋兄(1982),高橋GG(1984),清原ばばあ(1986),銭谷(1990)
(家庭内交渉不調で山森(1986)は参加できず)
【行 程】山形蔵王IC(4/10(金)23:45〜4/11(土)3:00集合,各自車中泊)〜山形駅前駐車場(車デポ、4:30-5:30)〜月山スキー場入口(6:30-7:00)〜スキー場リフト(7:45-8:00)〜リフト終点(8:20)〜月山頂上(9:35-10:00頃)〜立谷沢川(11:05-35頃)〜念仏が原(11:50)〜小岳(13:00-45)〜赤沢川源頭(15:00頃)〜大森山(16:30-50)〜林道(17:00)〜最終人家(17:45)〜肘折温泉三春屋(18:00前)
‘80〜’90年代のルームメンバー、石橋兄と高橋GGは東京から、清原ばばあは長野から、そして銭谷は仙台から遠い道のりと数ヶ月前からの家庭内調整を済ませ、一年越しの計画を実行すべく山形蔵王ICに集合。既に中年の域に入りつつも気分的に現役のような1日フル行動(結構キツかった)、でも現役では到底できない肘折温泉1泊2食付きなんていうとても留守家族には話すことすらできない充実した山行を貫徹してきました。

7:00にならないとゲートが開かない。私らの車の前には既に10台位が待っている。車のナンバーは意外にも関東方面が多い。

スキーを持って出発!

スキー場についたがリフトが動きだす8:00まで待つこととなった。

リフト終点で登りの準備。到着はほぼ一番。ゲレンデ組もいるが山スキー組の方が多い。

山頂を目指して登る。このところ続いた好天のためかスカットした青空ではないが気温が高く結構汗をかく。

山頂はこの日一番乗り。神社の屋根が一部でている。例年はもっと雪が多いのだろうか。山頂にて、清原ばばあ。

山頂の石橋兄と銭谷。

昨年の栗駒山以来1年振りといいつつも華麗に滑る高橋GG。向こうに見えるは念仏が原〜小岳。かなり遠くに見える。

コフラックの登山靴、ジルブレッタ404の組み合わせで滑る銭谷。今となっては貴重な存在といえよう。この日のスキーは石橋兄がテレマーク、高橋GGと清原ばばあは最近普及がすすむTLT。

ダイナミックに滑る石橋兄。

やや緩斜面ながら快調に滑る清原ばばあ。向こうに見えるは念仏が原。少し近づいてきた。

念仏が原からの月山。大きい山だけあって全体がなかなか見渡せない。

赤沢川源頭からの登り返し。あたりは美しいぶなの森。

ようやく大森山手前のコルに着いた。でも雪がない。あってもかなり急な登りを強いられる。行動食食べて石橋兄を除く3人はシートラで行くことにした。

薮を漕ぎつつやっとたどりついた大森山。山頂には雪がたくさんあった。シートラ姿の高橋GG。

大森山山頂での石橋兄、銭谷、高橋GG。日が傾いてきたので西の空が少し赤くなってきた。下りは北斜面だけあってタップリの雪。体はかなり疲れているが最後の滑りを楽しもう。

大森山からの滑り、その後の林道をすすむと雪の原に出た。周りは畑か。これで今日の山行はおしまい。あとは肘折温泉を目指すだけ。少し夕暮れっぽいが4月だけあってまだ明るい。

今宵の宿、肘折温泉三春屋前の高橋GGと清原ばばあ。湯治客の夕飯準備で忙しいさなかに到着した予約していない私たちであったが、6,000円の料理ならと暖かく迎入れてくれた。
詳しくは、次を参照してね。
http://miharuya.da-te.jp/d2009-04-11.html 
翌朝は8時頃には出発かと思いきや新庄行きのバスは6時代の後は10時までない。朝食をとった後は温泉街をそぞろ歩きしたりスキーの汚れを拭いたりと思い思いの一時を過ごす。銭谷は足湯で昨日酷使した足を癒す。

三春屋をあとにバス乗り場まで歩く3人。バスは10:00の定刻に出発。
この季節、バスに乗りながら昨日登った山が遠ざかって行くのを見ているとなんだか白金温泉から美瑛までの道のりを思い出した。昔と同じ面々でいるからだろうか。
※後日の参考のための翌日の行程
4/12(日)肘折温泉(10:00発)〜(新庄駅行バス)〜新庄駅(11:00頃着,11:14発)〜(山形新幹線)〜山形駅(12:04着)〜山形駅前駐車場車回収(12:15頃)〜月山スキー場車回収(13:30)〜蕎麦屋解散(15:00前)〜仙台着?,東京着?,長野着19:45頃
...hide more

【年月日】2009年3月22〜28日(6-1)
【メンバー】L田中宏(3 AL田中省 小池(2
コイカク岩稜と23
[ルート]
1日目:ダム(09:45)登山口(11:00)コイカク夏道尾根末端(14:00)=C1 晴のち雨 ピョウタンの滝のゲートが開いていたので、ダム手前まで車で入る。そこから、コイカクヒュッテまで黙々と歩く。コイカクシュ札内沢からスノーシューに履きかえ、夏尾根末端まで。途中、転石渡渉数回と砂防ダム、函のまきがある。尾根末端でC1。ラッセルはくるぶし。
2日目:C1(05:45)Co1620(12:00)=C2 雨のち雪 夏尾根を行く。レインクラストしている個所があった。Co1305には広い天場がある。途中から風が強くなり、視界も悪くなり始めたので、Co1550付近でEPにかえて空身で偵察をしに行く。途中の岩には昨日の雨のため氷がついており、アイゼンもピッケルの刃もよくきまらない。Co1620付近に冬テンが張れそうな場所があったので、荷物を取りに戻り、その場所にブロックを積んでC2とする。
3日目:雪 C2(09:00)−コイカク(10:00)ーCo1670(10:30)=Ω3 アタック装備でコイカクまで行く。稜上は時折気になる風であった。夏尾根上Co1670の吹き溜まりでイグルーを作成しΩ3とする。ブロックを2重に積んで、中も広い快適なイグルー。
4日目:Ω3(06:00)−23(10:00-10:30)−Ω3(13:30)=Ω4 晴、微風 イグルーから出ると外には日高の山々が威風堂々とそびえている。そそくさと準備をし、23Atに出かける。
コイカク岩稜は岩の基部をまいたりして対処する。やはり、先日の雨のため岩には氷がついており、いやらしかった。稜上のセッピは十勝側に50cm〜1mほど出ていた。
朝焼けの23

23より39を望む
ピラトコミJP先の最低コル手前に急斜があり、上からではセッピの判断もつかなかったため日高側をブッシュ沿いにまく。23手前から先日の雨のためかレインクラスとしており、アイゼン、ピッケルの刃がきまらないほど固かった。滑落停止は効きそうにないので慎重に行く。
23ピークではAL田中から出たゼンザイを食いながら北にカムエク、南に39峰を望む。名無し沢に向かいカメラーデンリートを捧げ、ピークを後にする。

ピラトコミJP先のセッピ。帰りは直登
ピーク下は雪が固くアイゼンがきまりにくいためBSで下る。行きにまいた場所は1人づつ稜上を行くことにする。その場所は十勝側に1〜2m程セッピが出ていた。

コイカク岩稜
途中から風向きが変わり十勝側から吹く。行きは十勝側に出ていたセッピが帰りには日高側にできてるというところもあった。あとは来た道を帰り、イグルーに戻りアタック祭りをする。
5日目:Ω4=Ω5雪のち晴 朝イグルーから出るも雪で視界が悪いため停滞とする。午後になったらなぜか晴れてた。
ヤオロ~39
6日目: 雪。様子見でイグルーの外に出ると風も気にならない程度で視界もあったのでLとAL2人でヤオロまで偵察にと準備をする。が、急に風が強くなり視界もなくなったため偵察をあきらめる。天気が良くなってきたのでAL小池が外に様子を見に行くと吹雪く。シュラフに戻ると天気がまた回復する。12時のラジオで低気圧が明日も北海道に付近に残ると予報されたので、パーテイ内で、ここ数日の大雪でコイカクシュサツナイ沢のラッセルがごくくなり下山に2日かかるのではないかということ、同じくレインクラストとここ数日の大雪で39の状態がわるそうということなどから、39を諦め今日中に下山することにする。Co1550の岩や途中の急な所はBSを交えながら下る。二股のC1した場所でC6とする。
7日目:晴れ 下は晴れていた様でラッセルなし。コイカク沢を行き、長いトンネルを歩き車の場所まで。知床のときは閉まっていたはげてんが、今日はやっていることを祈りつつ一同帯広へ。
≪パーティ≫39敗退。天気が悪かった。
...hide more