キャベツ捨てていいですか
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
入部二年目の夏山はサッシビチャリ沢川を遡行してシビチャリ山からヤオロマップを経て札内川を下る計画をたてた。昭和二十六年である。この沢の右股上流は夏も未踏だったようである。
この山を目指したのは、昭和二十五年一月、カムイエクチカウシに登頂したパーティーが、シビチャリ山の東面にカール状の地形があると報告していたことによる。未だ誰も入ったことがない。ことによると本格的なカールかも知れない。
リーダーは二年先輩のNさんが買って出て二人で行くことになったのだが、小生はこのN先輩と山行を共にしたことはなかった。ルームであれこれと準備していると、前年にこの先輩のリーダーで夏山に行ったという渡辺祐男先輩、通称センボーが現れて彼のリーダー像を語った。
札内川八ノ沢からカムイエクチカウシ山に向い、四日目にカールバントを登り始めたところでメンバーのFさんが力尽きたらしく
「キャベツ捨てていいですか」と言ったという。
N先輩はキャベツを受け取って自分のルックに詰めたほか、重そうな物をかなり背負ってずっと山行を続けたという。
ところで我々は七月十日に出発し、JR本桐駅からセタウシ山の尾根越えの道を辿って、メナシベツ川へ降り立ったが、連日の雨で川は物凄い濁流で徒渉不可能。翌日、村の青年が馬で渡してくれた。さらに雨天は続き十日目にやっと上流の二股の大分下に到達。しかし、リーダーは渡渉の折に膝を傷め、ここから撤退となった。
リーダーが一日休養している間に小生は二股の少し上まで偵察して合流点のヤナギの大木に鉈目を入れて戻った。食料は余り、流木は豊富、電柱程のタンネも切って豪勢な焚き火。話も尽きた頃、つれづれなるままに、ルームで聞いたあのキャベツの話を持ち出したが、リーダーはただ小さく頷いただけだった。
翌日から、出発点の本桐に向けての退却となったが、N先輩はちょっと足を引きずっているのに「荷物を少し持て」とも言わず、小生も「少し背負いましょうか」とも言わず、トボトボと本桐駅まで戻って、この年の夏山は終わった。
なお、先に述べたFさんは中途退部したらしく、現在の名簿にはその名はない。
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「北大の山小屋」展は7月4日関係者が多数参列する中、北大綜合博物館3階の会場で盛大な式典をもってオープンしました。実行委員会一同、御協力いただいた方々に改めてお礼申し上げます。
皆様方是非会場に足を運んでごらんになってください。
山小屋展では下記の日程で講演会を行います。第1回目は7月9日(日)です。場所は北大綜合博物館1階で入場無料です。ご都合のつく方はぜひご出席ください。
第1回:7月9日(日)午後1時半より
阿部幹夫(画像ジャーナリスト);
「少年よ、大志を抱け」と北大の山小屋
加藤幸子(芥川賞作家);
山小屋の思い出
第2回:8月5日(土)午後1時半より
小泉章夫(北大);
ヘルヴェチア・ヒュッテ・ログハウス・樹木
角 幸博(北大);
マックス・ヒンデルと山小屋
第3回:8月19日(土)午後1時半より
鍛治哲郎(環境省国立公園課長);
国立公園と山小屋
梅沢 俊;(植物写真家);
札幌周辺の山と花

サバイバル登山家
服部文祥著
みすず書房(2006.6)
服部文祥はいま岳人の編集部にいて、僕にイグルーで登る山(テントを持たずに雪山へ行こう)という文章を書くよう勧めてくれた。道具を持たずに山に行くと、体は自由になり、身に付いた体術と知識で山の中を渡り歩いていける。そういう喜びを実践した記録だ。夏はストーブ無しの焚き火で長期山行をし、冬はテントを持たずイグルーで登る北大山岳部の御同輩だ。共感する。
氏はこの思想をフリークライミングから得たという。たしかに言われてみれば納得だ。Freeという言葉が、「道具無し」という言葉と「自由」という言葉の2つの意味を持つことに納得がいく。「タダ」という意味もあるのがなかなか深い。
表紙はシャケを喰うクマみたいに氏がでかいイワナをつかみ食いしている衝撃的な写真だ。読んでみると蛙を喰う話が平気で書いてあり、オレにはちょっとそこまではなあ、などとも思うのだが、実はこれ、捌いたイワナの皮を、前歯でひっぱってむいているところなのである。つまり、お刺身にして文化的に食べようとしているところ。映像ってのは本当に刺激が強い。「前歯でひっぱると皮が簡単に剥ける」とあるので、僕もシメサバを仕込むときやってみた。これは便利、以後真似しよう。指でいじいじ剥くより早い。
いままで僕などは踏んづけて歩いていた草だが、食べられる草を紹介してあり、興味が湧いた。山が豊かであるほど、人は手ぶらで入山出来る。電源開発で固められると、サカナが減り、手ぶらでは飢える。クマの身になって考える事ができる。道具持ち込みで山に行ってはそういうことに気がつくまい。
「舌はうまいかまずいかを感じる器官ではなく、食えるか食えないかを感じる器官だ」に同意。
読書中、ちょうど3ヶ月ザックに入っていたチーズを発見(3月知床のあまり)。銀紙の下はカビだらけだったが、これを丁寧にオピネルで削いで、中の部分を食べ、舌で転がしてみた。凄く臭い家畜小屋のような臭いがするのにうまい。いつかヨーロッパで食べたクサクサチーズのうまみになっていた。こういうことを話すと人はイヤーな顔をするが、食えるものか食えないものかを自分の舌で判断できず賞味期限見ただけでポイするような者が、あの店はうまいだのまずいだの言うのは、おかしくて聞いていられないと僕は常々思う。
フンザで肉屋が牛の頭を石で叩いて殺し、肉を切り分ける様を書いた一文がある。最近「いのちの食べ方」(森達也著)という子供向けの本を読んだ。日本でもどこかの誰かが牛を屠り、うまく肉に切り分けてくれるから毎日肉を食べている。なのにその様子は世の中に知らされない。自分で殺生してこそ、食べ物をありがたく食べられる。
冒頭、3月下旬の知床単独行の最中、南岸低気圧の直撃を受け、テントをつぶされ雪に埋まって4日間過ごす一文から始まる。「いちばんやばい状況で、いちばん居てはいけない場所に、自分がいる。」あの稜線で低気圧を迎え撃った経験を共有する、仲間意識が湧いた。ただし僕は完全なイグルーで武装し、三日間の爆風に耐えた。外に顔を出せば、まるで滝壺に落ちたときのようにもみくちゃの暴風雪の三日間だった。テントなら死んでいる。
氏にイグルーの作り方を教えて欲しいと言われ、是非にと返事をしたけれど、まだ約束を果たせていない。
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梅里雪山・十七人の友を探して
小林尚礼著
山と渓谷社2006.1
1990年の京大、梅里雪山の事故は大変だった。C3の17人が雪崩と思われる遭難で突然音信不通になり、その場を誰も確認できなかった。戦前のナンガパルバットでもこういうことがあった。著者はその年少隊員の同期で、その後今日まで梅里雪山に関わって生きてきてしまった。僕とほぼ同世代の山好きだ。
80年代を山岳部で過ごした者にとってヒマラヤは憧れだったが、90年代の現実は変わり目だった。大学山岳部が目指す未知の山域は数少なくなり、高い山にはツアー登山隊が押しかけた。梅里雪山はそんな中で残った最後の秘境の山域だった。
著者はその数年後、再挑戦の隊員として山頂近くまで迫っている。ここまでは普通の展開だ。だがその数年後、雲南のヒマラヤの速い氷河が思わぬ速度で流れ、氷河末端で仲間たちが発見され始めた。遺体と遺品の収容のため、麓の村で長い滞在をするうち、チベット人たちの暮らしの中でいかにその山が大切に思われているかを知り、変わっていく。この本は、ただの山好きが成長していく過程を書いている。梅里雪山という中国語が「カワカブ」というチベット語に変わっていく。
巡礼旅行の途上、カワカブが見えたとき、吸い込まれるようにお祈りを始めたチベット人の仲間を見て著者は、「世界で始めてカワカブの南面の撮影をした」と喜んでいた自分を恥じた。「カワカブに登るのは、親の頭を踏むようなものだ」という麓の人の気持ちに少しずつ近づいていく過程が読める。
チベット南部や東部の山あいで、僕も長居をしたことがある。今の日本にいると人が祈る姿をほとんど見かけないが、ここでは「祈る」、「信じる」にはじまり「食べる」も「歩く」もみな日本と違う。登山隊として素通りするだけではもちろん、山頂を目指してやってくる北京や日本の人がそれを知るには時間が要る。著者が時間をかけてそれを理解していく様がうらやましい。
山好き、麓の人、それから遭難者の遺族それぞれにとっての大切なカワカブが描かれる。著者はカワカブのために写真家になり、霊峰カワカブと世界最深の峡谷地帯、それに雲南チベット族の貴重な暮らしぶりの写真が豊富に添えられている。
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日高を乗越して札幌まで?
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
昭和二十五年、冬の日高は雪が来るのが遅かった。小生は始めての冬山、先輩のSさんをリーダに同輩のK.H.君との三人パーティーで野塚岳の厳冬期初登頂を目指すものだった。リーダーのSさんの通称はKさんと付け加えておこう。
この年、十二月中旬の十勝平野には雪らしい雪は降らなかったらしく、出発準備をしていた我々に、大樹の村で開墾し、農業を営んでいる坂本直行大先輩から電報が入って、「ヒトフリマテ」とのこと。出発は一月十六日となった。
野塚駅から歩き始めて凍結不良の野塚川を遡行し、空いた炭焼き窯の中で寝てテントの凍結で荷が重くなるのを避けたりした。二日目も川幅はまだ広かったが、全面凍結のスノーブリッジもあった。不注意にも小生はこれを踏み抜きルックを背負ったままスッポリ、川に落ち込んでしまった。頭上は氷の天井。しかし、幸い水は減水していたので踝まで位。もう少し多ければ流されて上には出られず、登山は勿論、人生も終わっていただろう。
坂本大先輩の
「ヒトフリマテ」
のサジェスチョンには感謝のしようもない、どころの話ではない。
さて、沢の遡行三日、そして尾根に前進キャンプを設営する計画なので、尾根用の食料は餅。これは搗きたての餅二合二酌分を二枚になるように切ってすぐ凍らせたものを持つ。コッヘルに固形醤油で味付けした湯を作り、凍ったホーレン草を折って入れてから、一人分、二枚の餅を入れ、湧き上がったら火を止めて直ぐに食べる。湯気がこもると、布製のテントは凍結して撤収が大変になる。食後凍ったミカン一個を皮のまま齧ればビタミンもOK。しかし、燃料はガソリン、テントは沢用も尾根用も帆布製のために荷は相当の大きさになる。黙々とラッセルしていると遠くでアマッポーの音が響いた。昨日歩き始めたとき、炭窯の番人が言っていた仕掛銃である。獣道に張った細い糸の先を猟銃の引き金に結んでおいて、獣が来るのを待つ、あれである。当時はもう禁止になっていたようだが、そんなことおかまいなしに昨日注意してくれたのだった。
「気を付けて歩きな、もし、テンがかかってたら持ってっていいよ。札幌へ行けば8,000円になるよといっていた」
今にすれば二、三十万円である。おおらかなものだなあと思っていると後ろからアイヌの人が追いついて来て
「何処へいくのか」という
リーダーが
「野塚岳に登るんです」と答えると
「それからどうする」と重ねて聞くので
「札幌へ帰る」と答えると、そのアイヌの人は、訝しげな形相で
「シュンベツ川はいいが、サル川は未だ凍ってないなー」
といって、手に船の櫂のような物を一本もち、腰には弁当箱の包みを一つ付けただけで先へ消えていった。
我々は無言でスキーを前へ進めていたが、暫くして突然リーダーのSさんが言った。
「あー、あのアイヌの人は、我々は歩いて札幌まで行くと思ったんだ。それで沙流川の徒渉を心配してたんだ」と
登頂は成功で、五日後には楽古川を下って野塚に戻り車中の人となった。
登山というのを知らない現地の人なら、こんな大きな荷を背負っていれば、山伝いに歩いて札幌迄行くに決まってると思ったのも当然だったろう。
なお、同輩のK.H.君はこの冬山の後、だんだんカスんでいって現在の名簿には残念ながらその名はない。
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平成18年4月22日
参加者:坂野、石村夫妻、黒川、石本、木村
東京支部岳友:井上、新人
コース
JR青梅線、奥多摩駅からバスで丹波又は小菅方面行きバスにて女の湯(めのゆ)にて下車。隋道の出口がバス停で、この右脇が登山口である。奥多摩湖の湖面を見下ろしながら数分歩くと右手に上がる明瞭な道がある。かなり急な尾根であるがジグザグ道で、所々にやや平らな所もあり一本道で頂上に着く。頂上は広いが木が大きくなっていて三頭山方面が辛うじて見える程度のもの。
下りは東に進み南東に向う一本道で熱海、倉戸口バス停へ向かう。結構急な下りだが、なんの問題もない。
その日のこと
平成18年4月22日、坂野、石村夫妻、黒川、石本、小生。会友の井上さんはスキーでの友人という新人女性を同道。この新人の名は参加が定着したら公開しょう。要するに八人で歩きはじめたのだが早々に出た話は石村君が関西支部の吉田、伏見君等と行って来た白馬・乗鞍の話。何はともあれ雪山の話に沸く。八木橋君が現れないのは、最近彼は越後の守門岳に行っているそうだということだった。余り行かない山なのでこの次に出る話が楽しみである。また、菊池徹先輩逝去について、偲ぶ話もしきり。
道は単純なので昔話のぶりかえしなどにも興じたが、今日は新しくNo.1も出た。
所要時間 4時間 正味歩行時間 2時間45分
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ダン吉氏とめぐるOneDayHike
4月8日(土)
参加者:木村、渡辺、住吉、木村(札幌)、黒川、石本+御子息2人、八木橋、大村、平田
コース:バス停(10:50)->渡辺新道入り口(11:45)->富士見台(12:55-13:20)→八王子天守閣跡(14:05)->八王子霊園前(15:15)->バス停(15:40)
最近、東京支部長代行を務める渡辺会員が「渡辺新道」なるものを開拓、頻繁に登っているとの情報が入り、里山、縦走もいいが、「ちょこっと歩いてソバを食する、そんなOneDayHikeもいいのではないか」と企画、実行に移した。里山のリーダ(木村会員)、縦走のリーダ(八木橋会員)も参加、札幌の木村会員もお孫さんお顔を見に来たついでとばかりに急遽参加した豪華な顔ぶれ。
いつ雨が降ってもおかしくない天気の下、八王子発のバスに乗る。バスを降りたら、どういう訳か旧交を改める話に夢中になってか、元来た道に戻ろうとする一行。高校の入学式の記念写真を撮る前を無事通過。八王子ホースクラブという馬事公苑を通過、尾根歩きに入る。途中、俄かに降雨というのも幕開けの洒落のように通過、いよいよ「渡辺新道」入り口へ。入り口は、一寸分かり難い。尾根の麓。誰かが道標を設置しょうと言うが、委細構わず登りだす。まもなく、八王子城をめぐる尾根道に出る。実質的には1時間くらいの道のり。新道らしく、道の整備はこれから。野趣あふれた道とでもいうべきか。
あとは、ダン吉氏の講釈で八王子城の歴史の勉強会。天守閣跡近くには石を切り出したあともあり、頂上直下には昔使っていた井戸が未だに水を湧き出していた。
八王子霊園まで一気に下って、バスでソバ屋へ急ぐ。ダン吉氏推薦のお店は、昔東工大で研究職にあった方。美味いソバに話が弾み、時の過ぎ行くのを忘れ、いつとはなしに暮れなずむ春の夕空であった。
木村会員(札幌)の一言。「こんな会がいつもあるのは羨ましい。」
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合宿の食料問題解決
北大山の会東京支部・木村俊郎(1950年入部)
勝岳荘をベースヒュッテにして行われる冬山合宿はたまに晴れれば十勝岳、上ホロカメットクは言うにおよばず、富良野岳、オプタケシケ方面まで足を伸ばせたが、風雪の日は物凄かった。
泥流スロープを吹き下ろす風は南極のブリザードを思はせるもので、国内の山ではこの辺りでしか体験できないものだと思う。
合宿は初班、二年班、三年班に分かれ、五名くらいのメンバーで三年部員位が一人入ってリーダーを務める。初班は本州出身者が主体で、スキーの着脱から始めて山スキーの手ほどき、三年班は稜線でキャンプなどもあるが、この班はできず、先輩班ができることもある。
二年班の数が多く、それぞれ前日に計画を打ち合わせ登頂を目指す。しかし多くの場合、森林帯を抜けたとたん、風雪で束の間に口まで凍えて暖かい所に戻っても口はまともに動かなくなってしまう。こんな日には樹林帯に引き返してスキーの練習となる。シールを着けたスキーでそのまま昇ったり滑ったり。スキーを下駄のように履いていたドサンコは数回で飽きてしまい、まことにつまらなく長い一日となる。
早めにヒュッテ前に戻ると合宿幹事が雪かきを振ってヒュッテに入るのを阻止するという噂もあった。そのうち、樹木の間で円陣になって歌など歌っている内に出てくるのが先輩の昔語りである。
ある年の合宿で珍しく、おかずに天ぷらが出たという。一番先に手をつけたXさんが
「まあいける」
と言って食べたそうだ。
この天ぷらを作った炊事担当は欣喜して
「これで合宿の食料問題は解決だ!」
とばかりに手を叩いたそうである。
実は、この天ぷらの材料は兎の糞だったというのである。
ここで残念ながら蛇足をつけねばならぬのは野兎などは、とんと見かけぬ昨今だからである。
野兎の冬の食べ物はせいぜい木の皮ぐらい。したがって、糞といってもそれは広葉樹の枯れ葉を固くつぶしたようなもの。牛糞、馬糞、ましてや犬のもののように不潔なものではないことは確かである。
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【月 日】
2006/6/11
【メンバ】
米山(84)、斎藤(87)、梶川(88)
【登った岩】
W2(3ピッチ)、E3(1ピッチ)
天気が悪く、芦別夫婦岩の予定を変えてチャラツナイで岩登りをした。函館から汽車で2時間。室蘭の鉄鋼マン・梶川と札幌の鉄鋼団地族・斎藤の三人。

昆布番屋から西の岩峰。最高点に登った。
現場は地球岬の近くで、町から10分ほどの断崖。昆布番屋の横に岩峰群。もろい岩だ。もう何年も誰も登っていないみたいで、ボルトはサビサビだった。

W2の1ピッチめ斎藤トップ
鉄鋼都市らしい手作りボルトも発見した。

ネンキの入ったボルト
西の岩峰一本と、焚き火昼ご飯を挟んで東の岩峰一本登った。西のルートはW2とW3間のルンゼを詰めて右の岩壁を登って最高点へ。最高で4+くらい。3ピッチ目はガレ登り。

1ピッチ目終了点

海岸で焚き火。後ろは東の岩峰群。
東は満潮で行き止まりになった所から少し戻った草付を登ったところにあるすっきりしたルート。比較的もろくない。岩に指が張り付き良い感触だ。3+くらい。 この岩壁の向かい海上に、凱旋門のような凄い門岩がある。蓬莱門というらしい。難しそうだ。行き着いた岩棚には海鳥の屍あり。噴火湾を見はるかす、絶好のロケーションだ。
帰りは室蘭のサビサビ商店街の大ちゃんで、名物カレーラーメンを食べた。

カレーラーメンで室蘭を味わう
流れ昆布を三枚拾って帰った。先ほど、海水が付いたまま酒と煮た。塩が利いている。酢をかけるとうまい。
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遅ればせながら,GWの記録です。
WVのOBのago君と利尻に行ってきました。
大空沢から長浜尾根に取り付き,沓形稜に合流してピーク。そして滑降。
ダイレクトリッジはいろいろあって敗退しましたが,やっぱり利尻は偉大です。
4年ぶりの利尻を楽しんできました。
060613 写真追加
記録は長いので,うちのHPの山行記録においてあります
http://www.geocities.jp/naokissing/