記事・消息・ 2011年6月12日 (日)
五月末、アラスカのデナリ登頂後、そのとなりの山、Mt.フランシス西面の未踏ルートで雪崩事故だった。
現役の報告・ 2011年6月10日 (金)
【年月日】2011年6月3-4日(2-0)
【メンバー】L井村(4AL井ノ上(3M田中 高橋 岩田(2
3日小雨後曇り
【時間とルート】
登山口(9:50)C1(11:15−45)東稜登攀開始(14:45)BC(16:50)
【メンバー】L井村(4AL井ノ上(3M田中 高橋 岩田(2
3日小雨後曇り
【時間とルート】
登山口(9:50)C1(11:15−45)東稜登攀開始(14:45)BC(16:50)
書評・出版・ 2011年6月7日 (火)
高澤光雄さんは北海道登山史家。その黎明期を知る人物たちとの直接の交流、そこから受けた啓発により、埋もれた山登りの記録の丁寧な発掘、読み込みで、独自のテーマで道内の山の歴史をまとめてきました。これまで「山書研究」 やあちこちに興味深いテーマで小文を発表してきた。あまり出回る本としてはこれまでにまだまとまっていなかったので、今回が初めての待望の一冊です。先ごろ「北海道の登山史」という本の紹介もしましたが、こちらはそれに「探究」がつく深煎り本です。高澤さんの探究ワークをご覧ください。書評・出版・ 2011年5月20日 (金)

裸の山 ナンガ・パルバット
山と渓谷社2010年
1970年ラインホルト・メスナーの26歳、最初の8000m峰登山。弟ギュンター・メスナーと難関の南面ルパール壁を登るが、山頂からの帰りに高所障害で弱ったギュンターと、北西面ディアミール壁を下山、末端まで降りたところで雪崩によりギュンター死亡、ラインホルトはボロボロになって一人下山する。その後14座8000mを完登したメスナーの8000m峰初陣だったが、この隊の隊長カール・マリア・ヘルリヒコファーと、山行報告の真偽と死者の名誉を争ってものすごく話がこじれ、メスナーの言い分は敗訴して絶版命令となっていた大変有名な山行。あとがきを読むと1991年にヘルリヒコファーは亡くなりその遺族とも話をつけたようで、その後メスナーはこの話を何度か書いている。13年程前に読んだ「ラインホルト・メスナー自伝(TBSブリタニカ)」を久しぶりに読めば、このとき既に詳しく書かれている。今比べると今回も核心部の記述はほとんど同じだ。メスナーはもう50冊も本を書いていて、この話はなんども触れられている。が、一応、1970年ナンガパルバット登山隊のメスナーによる山行記録としては一冊にまとまった本。あとがきによれば2001年頃、ドイツでまたこの「メスナーナンガパルバット論争」が蒸し返しで盛り上がったとのことで、それで出た本かも。それに映画化もされたので。日本では今年終盤に見られるらしい。
ヘルリヒコファーは、ナンガパルバットで伝説になったメルクルの義弟で、一貫してナンガパルバットを攻めた遠征プロモーターだが、本人はクライマーではない。1953年のヘルマン・ブールの初登頂の時にも遠征隊を率いたが、自主判断の単独アタックで英雄的に帰還したブールとやっぱりもめた。1980年代までのヒマラヤ遠征隊には、どこの国にもこういう人がいた。この時代までの傑出したクライマーたちはヘルリコファー的なものとのケンカ別れが一つのテーマだった。
ヘルリコファーとの確執はあまりに有名で、象徴的で、構図的な話題ではあるけれどもこの山行記録の真髄は弟の死を伴う彷徨体験ではなかろうか。
ラインホルト・メスナーがその後14座の快挙を成した超人になったのも、ギュンターを失い、飲まず食わずで一週間のこの体験が大きかったのではないか?この山行記録が他と違うのは、こどもの頃からザイルパートナーでつきあってきたギュンターと、ことばが無くても分かり合えるようなやりとりで高所にでかけ、下山してくる辺りのところ。高所と疲労による朦朧意識での記憶が、生きて帰れる自信に満ちているのが分かる。ただ、本当にいろんな事が悪く重なり、何かの成り行きで弟だけは死んでしまった。明らかに、メスナーにとっての苦悩は、いなくなってしまった弟との関わり方であって、ヘルリコファーや世間の醜聞ではない。
死者は、存在するのとは違った形で生きている者に強く働きかける。死者との付き合いの重要性は、その後の人生そのものであることもある。原真さんが弟を鹿島槍北壁で失ってから「山は私の人生の一部では無くなり人生のすべての問題を山を通して考える様になった」と述べていた。
Der nackte Berg.Nanga Parbat-Bruder,Tod und Einsamkeit
Rheinhold Messner 2002
現役の報告・ 2011年5月18日 (水)
今年も春合宿は美瑛谷で行いました。新入部員3名!(1人は今回欠席)
【年月日】2011年4月30−5月4日(5−0)
【メンバー】田戸岡(OB 吉本(6 田中省(5 鹿島 井村(4 井ノ上(3 岩田 高橋 窪田(2 古谷 吉澤(1
【年月日】2011年4月30−5月4日(5−0)
【メンバー】田戸岡(OB 吉本(6 田中省(5 鹿島 井村(4 井ノ上(3 岩田 高橋 窪田(2 古谷 吉澤(1
現役の報告・ 2011年5月1日 (日)
【年月日】2011年4月24日
【メンバー】L井村(4AL井ノ上(3 斎藤(OB
【時間とルート】
橋(0540)天狗平(0710)取りつき(0820)peak(1400)天狗平(1530)橋(1630)
【メンバー】L井村(4AL井ノ上(3 斎藤(OB
【時間とルート】
橋(0540)天狗平(0710)取りつき(0820)peak(1400)天狗平(1530)橋(1630)
現役の報告・ 2011年4月16日 (土)
【年月日】2011年4月9日(1-0)
【メンバー】L鹿島(4 AL井村(4 井ノ上(3 M窪田 高橋 田中翔(2
<時間とルート>
雌阿寒温泉(6:20)雌阿寒岳(9:20-9:30)阿寒富士(10:30-10:40)雌阿寒岳(10:20)雌阿寒温泉(12:20)
【メンバー】L鹿島(4 AL井村(4 井ノ上(3 M窪田 高橋 田中翔(2
<時間とルート>
雌阿寒温泉(6:20)雌阿寒岳(9:20-9:30)阿寒富士(10:30-10:40)雌阿寒岳(10:20)雌阿寒温泉(12:20)
現役の報告・ 2011年4月14日 (木)
【年月日】2011年3月9-11日(3-0)
【メンバー】L小池(4 AL田中宏(5 M高橋 田中翔(1
【時間とルート】

十石峠Ω1 一日目 登山口(8:50)十石峠西コル=Ω1 (12:30)
音更川本流の橋の先まで除雪が入っていて、そこからスキーで登山口から入り夏道をCo1060付近まで行き、そこからは斜面を登って十石峠南南東の尾根に出る。十石峠までは所々雪庇0.5m。十石峠西のコルでΩ1。
【メンバー】L小池(4 AL田中宏(5 M高橋 田中翔(1
【時間とルート】
十石峠Ω1 一日目 登山口(8:50)十石峠西コル=Ω1 (12:30)
音更川本流の橋の先まで除雪が入っていて、そこからスキーで登山口から入り夏道をCo1060付近まで行き、そこからは斜面を登って十石峠南南東の尾根に出る。十石峠までは所々雪庇0.5m。十石峠西のコルでΩ1。
記事・消息・ 2011年4月4日 (月)
北海道大学東京同窓会の会報「フロンティア」38号に,山の会会員による下記の二件の記事が掲載されました.PDFでご覧いただけます.
- 「ランプの下の語らいと先鋭的ヒマラヤ登山」(浜名純)
- 「風景との対話 私の戦後事始め」(木崎甲子郎)
平田更一
現役の報告・ 2011年4月2日 (土)
今回、3月11日の震災の影響を考慮し、以下の理由から3月20日入山予定だった中部日高(コイカクシュサツナイ岳〜ペテガリ岳縦走計画)春メイン2年班を中止することとしました。
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