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現役の報告・ 2010年11月25日 (木)


年月日:2010/10/11/6-7(2-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 井ノ上(2 M1岩田 高橋(1

現役の報告・ 2010年11月25日 (木)

年月日:2010/10/31
メンバー:L小池(4 AL井村 鹿島(3

記事・消息・ 2010年10月26日 (火)

峠越えした人:井上ボンタ、下沢、矢野ヘルス、竹田、高田グジュ、アキオ会長
車の人:サンカク、安藤組長、岩間(と友人)、高篠おじじプラス現役8名 合計19名
夕方夜差し入れ:今村カケス夫婦(翌日よりネパールトレッキング)
当日参加:山田マユミ、山崎クンクン、白濱カリ公ら3名

書評・出版・ 2010年10月13日 (水)

<ロープはなぜ融けたのか>
札幌登攀倶楽部利尻山雪庇崩落時におけるロープ切断のケース(p51)
角幡唯介

利尻東北稜で今年四月セッピ崩落で墜落した折、三人の間の二本のロープがこすれ合い、一本が切れて一人が谷底に落ちた事故。図と写真で大いに分かり易い。こんな事もあるのか、という話。テンションのかかっていない方のロープが切れてしまうというのが腑に落ちないが、現実。安藤さん雪崩にも埋まらずご無事で良かった。

<2010年夏 沢登りの遭難事故(P155)>

この夏の沢遭難のあらましをまとめた記事。発生直後の新聞報道やTV報道では、山登りする人が知りたい情報はあまり無かったり見当違い情報だったりで、これを元にうっかり感想も言えない。半端な情報で思い込みでコメントなんかしたら当事者を傷つけるし自分も恥をかく。
で、山岳雑誌が書く山ヤの知りたい情報記事を待つわけだ。そして本当の中身は遭難報告書を読んでようやく分かる。
○奥秩父の救助ヘリ墜落事故
そもそもの元事故の現場の様子がだいたい分かった。現場の滝のへつり箇所は以前にも事故死があり、クサリまで設置してあり、残置ロープもあるとのこと、意外だった。そんなに人の多いルートでの単純事故だったか。問題は事故者の経験不足あるいは年齢と、16時にこの場所にいたパーティーの動きなどに思えた。
○幌尻岳額平川徒渉失敗水死事故
増水の見極め力が無かったためらしい。百名山目的の人たちとの事。沢の経験が無いのだろう。
○中ノ川上二股鉄砲水事故
中ノ川上二股(下降尾根末端)って泊まれるところあったかどうしても思い出せない。そもそもいつも素通りしているところのようだ。記事を読むとテントを張ったのは中州だったとのこと。お気の毒で言葉も無い。東京理科大ワンゲルは1957創部で部員13人とのこと。うちより多いよ。懲りずに沢経験を生かしてほしい。報告書を待ちます。一人でも生き残って本当に良かった。
これだけ日高の洪水遭難が多いと、今年の夏、大雨であきらめた日高のタイトルマッチ山行も仕方が無いかという心情。

<熊よけスプレーは劇薬につき使用法を間違えないこと(p182)>
澤田実

探検部OBのサワッチョが、青年倶楽部で酔っぱらって熊スプレーを噴射して、救急車で運ばれたときの経験を恥ずかしながら披露。さすが探検部。つくづく思う。熊スプレーは、持っていたって風向き逆なら絶対使う勇気無い。僕も一回、間違い噴射でちょこっと手についただけで死ぬかと思ったことがある。あれはそう気軽に使いこなせる道具ではないよ。日本刀と同じじゃよ。

ところで利尻の記事の角幡さん、ヤルツアンポ探検記「空白の五マイル」で第8回開高健ノンフィクション賞(集英社主催)受賞だそうで、間もなく本が出ます。楽しみです。あそこは、あんなところをよくもまあ、という絶界の秘境です。

現役の報告・ 2010年10月11日 (月)

【年月日】2010年9月9-11日
【メンバー】L木城AL井ノ上(2

現役の報告・ 2010年10月11日 (月)

【年月日】2010/9/1-4
【メンバー】L井村 AL鹿島(3

現役の報告・ 2010年10月11日 (月)

【年月日】2010/8/24-8/30(7 days)
【メンバー】L鹿島(3 AL井村(3 M井ノ上 木城(2 岩田(1
<感想>
L:初リーダー。新たな視点から山行を見つめなおすことができた。とりあえず、このメンバーに感謝です。
AL:初のLSとしてのメイン参加。いろいろ足らない点はあった。次回に生かしたい。
M井ノ上:あ〜おもしろかった。じりつできるようがんばあろうとおもった。
M木城:おもしろかったです。
M岩田:概ね諸動作は問題ないと思う。登攀力不足を痛感した。

現役の報告・ 2010年10月6日 (水)


【ルート】トッタベツ川〜トッタベツ岳〜新冠川〜ポンベツ沢〜ナメワッカJP〜十の沢〜カムエクAt
【年月日】2010年8月11−19日(7−2)
【メンバー】L小池(4 AL澤田(OB M高橋 田中翔(1

<感想>
L:念願の長い沢旅ができた。沢をのぼり沢をくだる、これぞ日高の歩き方。テンバではよく喋るALと、無口なMの両方にいじられた。
AL:貫徹でき魚も釣れて、いいメインだった。ポンベツはきれいだった。Lは汚かった。
M田中:大変なこともあったけれど、魚を釣ったり、山で泊まったり、楽しく山に行けました。楽しい山に連れて行ってくれたリーダースタッフに感謝です。
 高橋:熊に遭遇した日の晩が一番寒かった。星が綺麗だった。修羅場になったらリーダーが闘ってくれると信じてました。

書評・出版・ 2010年9月21日 (火)

平成21年4月北アルプス鳴沢岳遭難報告書
鳴沢岳遭難事故調査委員会 京都府立大学山岳部

昨年4月26日、二人の現役学生と、山岳部と20年以上にわたってかかわってきたコーチ役の伊藤達夫氏が山頂部周辺で疲労凍死した。北ア黒部ダムの下から取りつく鳴沢岳西尾根をのっこして、大町側に抜ける計画。春の二つ玉低気圧が来なければ、さして問題のあるルートではない。

伊藤達夫といえば、冬の黒部の熱烈な開拓者の一人。1957年生まれ。5年前、黒部別山〜積雪期〜という、すごく分厚い本を和田城志氏とともにまとめた。岳人誌上で彼の追悼を書いていたあの和田氏が、自分よりも黒部に入れ込んでいたと告白していたほどだった。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=540
伊藤氏は信大山岳部出身、京都府立大の助教であり、以前京都左京労山の代表だったが、黒部での未踏ルート開拓などの志向を極めて「京都てつじん山の会」として独立していた。

事故調査委員会は京都府立大山岳部関係者以外の、同志社大、京大OBなど、京都の登山界の顔役の人たちが中心になり、これにオブザーバー参加として京都府大山岳部関係者が参加し、この報告書を執筆している。

現役の計画・ 2010年8月7日 (土)


↑なぜか地図とズレます。正しいものは「山行計画のページへ」からヤマレコのページに飛んで見てください。
【入山予定】2010年8月11〜21日(7-4)
【メンバー】L小池(4 AL澤田(OB M高橋 田中翔(1
【ルート】トッタベツ川〜幌尻〜新冠本流〜ポンベツ沢〜ナメワッカJP〜十の沢〜札内川〜カムエク
 
 
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