年月日:2010年12月4−5日(2−0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 井ノ上(2 M1岩田 窪田 高橋 田中(1
<時間とルート>
4日:白井二股(9:15)白井小屋200m手前沢中(11:00)林道(13:00)ポコ手前Co960(15:15)=C1
天気:湿雪 白井二股に車を停めて入山し林道を行く。白井小屋一本手前の沢型の右岸にのびる林道に入ってしまい引き返す(10分ロス)。その後、右岸を行くが、前日の大雨で水量が多いため川原にも水が流れており右岸を進めなくなった。本流を徒渉するよりも高捲いた方がいいと考え、白井小屋200m手前の尾根をシートラで登る。途中で林道にあたり、その後は夏道に乗り降りしながらCoまで行きC1. ラッセルは林道で踝以下、夏道では足首上。
5日:C1(6:30)Co1250引き返し(10:15)Co1240EP訓練(10:45〜11;20)C1(13:15)白井小屋一本手前の沢出合(15:30)白井二股(16:20〜40)
天気:晴れ→ガス→晴れ→曇り
C1から尾根上をいくがブッシュが非常にうざく時間がかかる。その後、コンタ尾根にのり台地まで。コンタ尾根はところどころレインクラストしていた。台地では気にならない風で視界は100~300と変動していた。引き返し時間を早めていたためCo1250で時間切れとなり引き返す。Co1250のレインクラストしているところでEP訓練。C1手前で下山時刻に間に合わない可能性が大なので、何とかつながった携帯で下山連絡者に遅れる旨を伝える。その後来た道をたどる。高捲きしてのった林道を詰めたところ白井小屋一本手前の沢型右岸に延びる林道とつながっていた。ただし途中林道が崩壊しているので、1回徒渉する必要あり。出合からはシールはずして白井二股まで。
<パーティ>
準山3回目 EP訓練できた。
なぜ、下山が遅れたのか。
下りに大幅に時間がかかったことが主因であり、これまでのパーティとしての行動から、そのことを判断できなかったLsの責任である。アイゼン訓練する際にもパーティとして諸動作が遅かった。上級生がもっと1年目に諸動作のスピードアップをそれほど強く指導しなかったことも今回の下山遅れを防ぐ一因であると感じる。また、登りのシートラ藪こぎした箇所に関しても2万5千図であれば帰りに用いた林道が載っていたことから、ルート全体に対する下調べが足りなかった点も指摘される点である。
準山4回目・メインに向けて改善すべき点
・事前にルートの下調べを様々なメディアを用いて調査することを徹底する。
・パーティとして、諸動作認識の徹底。
*そのほか、準山4回目で意識すること。
装備チョンボをしないこと。チョンボしている人は限られているが再度徹底する。
...hide more

北海道の登山史
安田治
北海道新聞社
2010.12
本の装丁は20年前の大学の火山岩石学か何かの教科書風。中身もずばり、ありそうでなかった北海道登山史の教科書。あとがきを読むと、労山の登山史学習会の資料が元になっているとのことで納得。北海道外、中部山岳での山岳史もその都度同時代を触れていて北海道の立ち位置がわかり、ここが肝腎なところだ。教科書好き、検定受験本好きの方むきの面あります。道民登山家は買い置くべし。
古代から最近まで、教科書的なだけに内容は広く網羅されていて、リファレンスに最適。僕は教科書を読むのも嫌いじゃない。意外と知らなかった発見がたくさんあるから。「そういえば知らなかった」発見は、近代登山以前の歴史で、小泉秀雄出典の、白雲岳一帯は黒曜石の石器鏃の製造所だったという古典にまずショックト。松浦武四郎の文献にポロシリ七ツ沼の事まであったとは恥ずかしながら今まで知りませんでした。この本を読めばこういう発見は、どんな人にも必ずあると思います。
北海道の登山史を知る本では、滝本幸雄氏の「北の山の栄光と悲劇」(1982・岳書房)以来ではなかろうか。登山史、遭難史をやや思い入れ強く書いた「北の山の〜」に比べ、こちらはかなりさっぱり書いている。内容が多いから濃く書いているときりがないのだろう。
初期日高踏査を案内したアイヌの水本文太郎老人の話なども、北大山岳部部報を読み込んでいる人ならご存知かもしれないが、そんな人は100人もいないだろうから、やはりこういう本で扱ってもらってこそである。また、戦中戦後の道内各地の山岳会、労山のなりたち等を簡潔ながら知るのもこの本ならでは。
たとえばカムエクの冬期初登は、いつ誰だっけ?というような疑問に、ピュッと答えが見つかるような使い方ができる。そこから元の資料に辿って行ける入り口になる。自分が登った山の歴史を、山の名前から調べるというような読み方は、登山史の入り方として最良ではなかろうか。
1990年代以降の歴史も入っているためありがたい。こうした本は決定版というではなく随時出て欲しいけれど、なかなか出ないもの。でも読んで思ったけど、90年代以降の登山史って、歴史としては全然おもしろくないですね。やっぱりヒマラヤも岩登りも遭難事故さえも、何をしても「物語」というものがなく、レジャーっぽいせいかもしれない。「山を楽しんでいます」とか「皆さんに感動を与えたいです。応援よろしく」というようなことを本人が言う時代だもの。
日高難関直登沢の遡行史が年表でその一部しか触れられていないのが意外だが、まあ、沢なんてニッチな分野なのでしょう。沢の初遡行記録の読者人口なんてそれこそ100人くらいかも。海外登山記述は8000m峰のみに絞っているようだが、8人も亡くなったミニャコンカの遭難に触れていないのは寂しいところでした。その他、現代史書としてふれられてないなあと感じる北海道的歴史事象としては、オーバーユースと管理強化の時代の典型として、カウンナイ(同書ではクワウンナイと記述)沢の一方的な長期にわたった入域制限や、世界遺産指定で変わった知床、それに山小屋のトイレ問題などに関しても。全般に90年代以降に関してはあまり踏み込んだ記述はありませんでした。この本はあくまでリファレンス本であり、90年代以降は参照すべき良い図書が無かったということでしょう。
活字が大きいせいか、本が必要以上にでかい。僕の手は小さいので、左手の親指と小指で本の左側を持って片手で読むというのができず、結構不便なA5判。この内容ならもう少し小さい片手サイズ本で良いと思う。本棚キツキツです。
北海道の登山史研究家といえば、著者安田氏もあとがきで触れている高澤光雄氏。山書の会などの冊子などあちこちに書いている貴重でニッチなテーマを掘り下げ、意外な発見の多い読み物の数々、早くまとまった本として読みたいと思っています。
本の厚さの三分の一近くを年表が占めている。北海道に限らず、全国、外国の内容も含まれているのでこうなるけれど、年表としては「目で見る日本登山史」(山と溪谷社 2005/10/1)と合わせ充実したもの。この本の特質として、同時代の道外の動きが併記されている点。黒部奥山廻りや白山御嶽の信仰登山など、著者の興味が広く及んでいることが伺える。
...hide more

「サバイバル登山家」の服部文祥氏の最新刊。道具を持たず山に向かう姿勢は、20世紀初め、日本アルピニズム初期の登山、ひいては京都北山鯖街道、加賀藩の黒部奥山行にまで遡る。百年前の山、北海道の山ではアイヌが歩いていた事だろう。1920年代のAACH黎明期の登山を部報で読むにつけ、昔の人はどう登っていたのか?が僕にとっての大きなテーマになっていた。吾が意を得たり、の主題だ。その山行を装備装束含めて復元し、体験から得られる考察に共感する。古典は読んで思いは馳せるけど、ここまでやって書ける人はこれまでいなかったよね。
○1909年田部重治、木暮理太郎の日本初の縦走登山、1915年の同二人の日本初の沢登り、1912ウエストン、嘉門治の穂高南稜登攀をその装備、装束で再現。
○鯖街道(日本海の小浜から京都までの一昼夜鯖運び街道を自分でやってみる山行)
「1000年以上にわたって踏み固められて来た京都の街道は、美しく、風格があった。そのぶん、現代の土木工事に壊された部分は、致命的に醜く、薄っぺらだった。・・・(中略)・・・機械で壊した山肌を元のように戻すことはもうできない。林道を埋めて植林をしても、1000年かけて踏み固めた古道を復元するには、1000年かけて踏み固めるしか方法がないからだ。」
○上田哲農の「ある登攀」(1934)をなぞる白馬主稜
上田哲農の「ある登攀」は学生時代に読んだ。
「上田の慧眼にはまだ先があった。あえて死に近づく様な行為は、同時にそれが自己満足に終わるかもしれない、という危うさを併せもつことを、上田は常に意識していたのだ」
以降の下り、残念ながら失念していた。改めて本棚をたどる・・・。
○黒部奥山廻りのルートを探る
17世紀から幕末まで行われた加賀藩による黒部川右岸の、盗伐監視山行ルートをおそらく初めて再現した山行。これはおもしろい。近年見つかった奥山の下流部、険悪な場所の奥山廻りルート図を見てその後誰もそこを歩いていないことを知り、
「やれやれ、われわれ登山者はいったいいままでなにをしてきたのだろう。」
自然の地形の弱点を突いて、黒部右岸の険悪な支流のスキをつないで行く山行。こだわったのはロープで懸垂下降したりせず、あくまで手ぶら装備で、山をフリーでどれだけ行けるかを求めて後立山(鹿島槍ヶ岳)まで行く山行だ。柳又や北又のゴルジュの難所は通らずにルートを見つけて辿るが、一カ所懸垂下降したことを著者は悔しがる。
「テクノロジーフリーともいえるサバイバル山行を行って来た知識と経験を考えれば、二一世紀の現在、私がまっさきに二〇〇年前に黒部を闊歩した人々を理解していてよいはずだった。その私が率先する様に、奥山廻りの一行を否定していた。そして下奥山廻りを否定する根拠である「柳又谷を遡行できるわけないから」という見解には、よく考えると私の自意識が含まれていた。現在の登山者でも困難なことが、二〇〇年以上前の人にできるわけがないという主張は、分析のようで、実際のところ私の自己表現だったのだ。ひとりの登山者としてこんなに情けないことはない。」
実践を通して初めて分かる、自分を見る目だと思う。
「奥山の風景は二〇〇年前のままだ。「今にもどやどやと奥山廻りの一行が上流から現れそうな気がしてくる。われわれを見たら横目足軽は腰の刀を抜くだろうか。」
「われわれは正しいラインを歩いているのか。・・・(中略)・・・そしてその不安は随所で、昔の山人や杣人の存在を私に感じさせてくれた。ラインにはそこを歩いた者の山を見る目が表れる。私は、江戸時代の人々が見た風景を彼らと同じ目で眺め、江戸時代の人々が感じたことを同じ肌で感じることができたと思っている。」
山にいかに独自のきれいなラインを引くことができるか、これが最近の僕の最も興味深い主題だ。そのラインが先人のものと重なっていたことを後から知ると、感動する。江戸時代、平安時代とて変わりはしないのが山だと思う。
○ブラスストーブに関する章
プリムス、ホエブス、スベア、オプティマスなど、20年前までは山岳部の主力だった真鍮(ブラス)ストーブを、改めて考察する。著者は北極探検、南極探検時代を担ったのがこのブラスストーブだという知見に至る。改めてナンセンを読みたくなった。著者はサバイバル山行の一つとして銃で狩りをする。その経験をふまえて著者が改めてナンセンを読みなおしてみると、生き物を殺しながら続ける極地探検の意味がようやく分かったとある。「これは私の経験をもとにした想像だが、現代人には極地探検時代の人々と同じように、世界を見ることはできないと思う。いのちに関する考え方が違いすぎるからだ。・・・・以降略(この先大事なので本で読んでね)」からの下りはなるほどと思った。先日テレビで著者が狩りを行う様子を中心に放送があったそうで、それを見た人の印象には「かわいそう」なものが多かったようだ。
しかし、たかがオプティマスのストーブで米を炊くという目的に、鹿島槍北壁→キレット北上というルートを選ぶところが憎いところ。利尻南稜、仙法師稜分岐(なんせん分岐→ナンセン分岐)というダジャレも。
ブラスストーブの構造が、現在のガソリンストーブと違い、火力調節機能に人力の圧力を使っていて、よりテクノ度が低い(人力度が高い)という解釈はこれまで思い至らなかった。なるほど。ブラスに座布団一枚のポイントでした。
久々にオプティマスを使いたくなった。使い勝手は昔から使っていたから慣れているので、別にめんど臭くない。重いようにも見えるけど、担いでみると大したことないんだ。
...hide more
空白の五マイル 集英社
角幡唯介

面白い本だった。ヤルツアンポ空白部探検の記録は、未踏地帯の価値としては第一級。それに加え、生還が危なくなる終盤は、非常に気持ちを持って行かれた。久しぶりに同時代の探検記録を読みましたよ。
「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」
角幡唯介氏の話は、2003年ころの海外遡行同人の集まりで聞いていた。最後に残った未踏地帯、ヤルツアンポ川の屈曲部をほぼ完全に踏査したと聞いて、唸った。僕は1991年のナムチャバルワ登山隊に関わり、ヤルツアンポがどんなに行き難い所なのかを見ていて、金子民雄氏による探検史も読み、とても自分で行きたいという気は起きなかった。
ヤルツアンポの水流沿いにはものすごく困難な箇所が多い。剱沢大滝の水量も規模も何十倍もあるような所だ。何百mもの岩壁の巻きを繰り返し、先の見えない藪こぎをする。実際、記録はその通りだ。
「このような長期にわたる無人地帯の踏査行が登山と決定的に違うのは、だめだったら下ればいいという選択肢が与えられていないことだ。・・・そんな世界一巨大な牢獄みたいなところを、私ははいずりまわっていた。」
人類の空白地を行きたいという強烈な探検精神がなければ実行しようと思えない。角幡氏は早稲田探検部に入部して金子民雄氏の東ヒマラヤ探検史を読んで以来ヤルツアンポの計画を温め、「この中に誰も知らない滝があっても全然おかしくない、いや、というよりあるべきだろう。そしてもしそれが本当にあるとしたら、発見するのはおれだ。」と、動機もやる気も一直線。直球の探検バカぶりである。
ヤルツアンポの踏査のような探検行には、沢登りというジャンルのある日本の登山家には向いていると思う。欧米人は沢登りをしないから、泥壁のトラバースや灌木木登りクライミングや、ダニの藪キャンプなどには閉口することだろう。沢登り経験のある者には、この記録はまだ経験の延長線として読めるだろう。
角幡氏は自力と孤立無援の単独、そして通信機器無しにこだわる。そして、この地域はインドとの国境不確定地域に近く、中国当局の入域許可は出ない。だが、あの手この手で禁止区域のなかに入っていく。この辺が探検部と山岳部の違いか。
「チベットは現在、中国共産党政府により不条理に支配されている、そういう認識を私は持っている。そのチベットの奥地を訪れるのに、その中国当局に、なぜ多額の現金を支払って許可をもらわなければいけないのか。そのような疑問がそもそもあったので、無許可で旅行することに道義的な責任をほとんど感じていなかった。」というあたりが、まさにおっしゃる通り。実に探検部的である。同時に、この探検行は山岳部員では発想しないだろうと思った。
2002〜3年の探検では空白の5マイルに、チベットの宗教的な伝説にも重なる不思議な洞穴を発見し、未確認の大きな滝も発見した。この洞窟発見が他の誰も見ていない、彼の探検の山場かと思ったが、この本の面白さは、後半、2009年探検の後半、話が生存への脱出に変わるところからだ。
チベット人とのやりとりも微笑ましい。入域許可証の無い著者を案内する事を恐れて途中で帰る男たちに満額の金を渡すところ、最後にチベット人の公安の尋問で、チベット信仰の理想郷の話で相手がヒートする下りもおもしろい。どちらも、相手に誠実に正直に、真正面から対応している。目的に対する確信とその気迫を感じ取り、相手は敵にはならない。
1993年のカヌー事故で亡くなった武井氏の事も初めて詳しく知った。それも彼がもう一人を助けようとして一度安全な場に逃れたのにまた激流に戻ったことを。知人がこの隊に関係していたので事故の事は知っていたが、詳細はこれまで知らなかった。カヌーの危機判断は門外漢の僕には全く分からないが、あのヤルツアンポの流れにこぎだすなんてかなり無謀で、若く経験不足だったのではないかとこれまで漠然と思って来た。しかし彼らの人となりを今回読んで、その人物像を改めた。
その時の二人は、激流カヌーの分野ではそれなりに経験を積んでいて、判断を完全に任されていたとのこと。著者は、分野は違えど武井氏を同じ探検家として共感し、多くの頁を書いている。武井氏は高松高校の出身とのことだ。AACHには、早くに亡くなった同校出身者が多く、御縁を感じた。20代の息子を亡くした親の気持ちは今更になってようやく想像できる様になった。
30泊、40泊分を一人で担ぐ著者の装備を少しかいま見た。やはり食料の決め手は棒ラーメン。僕もこれしかないと思う。百円ショップで買ったというレジャー用シートをツエルトの上に結露よけに張るというのと、燃料はメタだけで焚き火というのにも共感。湿気の多いヤルツアンポで、焚き火のつかない事は無かったという。夏用登山靴で膝までのラッセルというのは厳しかったことだろう。夏支度なのにいきなり冬山になるというのは、僕ならちょっとうろたえると思う。それでも引き返せない。その選択肢は無い。
第八回2010年度開口健賞受賞
著者ブログ
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka開口健賞といえば、5年前に藤原さん(1980年入部)が「絵はがきにされた少年」で第三回を受賞していますよ。
...hide more
年月日:2010/11/20-21(2-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 M1窪田 田中 高橋(1
<時間とルート>
1日目:林道Co640(10:00)Co980(12:30)Co1330=C1(15:00)
晴れ、ラッセルは踝。林道は黒線の林道まで雪は少なく勧めそうだが、Co640の橋手前に車を止め出発することにする。Co716過ぎた後の渡渉は端がなく、倒木伝いに進む。林道をCo980まで行き、磁石を切りCo1330付近の台地に当てる。ブッシュが出ているが邪魔ではない。Co1330付近は夏テンの晴れるタンネ帯であった。
2日目:C1(6:00)有明山(7:30)天狗岳(8:40)C1(11:00-15)林道Co980(13:30)林道Co640(14:30)
晴れ一時ガス、ラッセルは踝。C1からは有明北尾根に取り付く。Co1600あたりから白くなる。有明山ピークまでスキーで進む。稜線は北川が切れており雪庇もできそうであった。天狗岳直下は急なのでスキーをデポ、ツボでアタック。帰りは有明山上部でガスがかかり一時視界100となる。天場を撤収し、トレース沿いをもう少し雪があれば非常に快適であったであろうスキーで車まで下る。倒木を使い渡渉したところは転石で渡渉した。
<パーティ>
準山2回目、生活技術できた。体力確認できた。
...hide more
年月日:2010/11/14(1-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M岩田 窪田 高橋(1
吹上温泉(7:00)Co1560引き返し(11:30)吹上温泉(14:30-15:00)
天気は前面で最初は薄曇り。積雪は去年の11月末より少しだけ少ないくらい。風はCo1400より上くらいから時折気になる風が吹いた。ほぼ夏道上を行き時間切れで引き返し。途中雨が降り出し非常になえる。
<パーティー>
1年班準山1.5回目 行動技術の向上できた。
...hide more
年月日:2010/10/11/6-7(2-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 井ノ上(2 M1岩田 高橋(1
<時間とルート>
6日:旭岳温泉(11:50)-Co1460=C1(14:30)
曇り。M1がストックを忘れたためビジターセンターに借りに行く。200円だった。
雪は例年より多く、木道は埋まっており、夏道も時たま不明瞭。途中M1のスキーがはずれまくる。C1はワンゲルと一緒。天場でビーコン練習をする。ラッセルはワンゲルのを使わせてもらう。
7日:C1(6:00)-Co1560台地手前引き返し(6:35)-C1(8:00-8:30)-旭岳温泉(12:50)
出発時から視界100以下。夏道は雪で見えず、ブッシュもわずかしか見えない。Co1500の屈曲でデポ旗を二本打つ。台地に上がる手前でも視界は50-100mで、棒っこも出てなさそうなので引き返す。
天場を撤収し下山。天人ヶ原手前でM1のビンディングが壊れたため、ALはスキーをM1に貸し、つぼで下山。途中、天人ヶ原でビーコン練習。
<パーティ>
全体:冬メイン1年班準山1回目。生活技術を体験できた。スキー歩行・ビーコン練習できた。
...hide more

年月日:2010/10/31
メンバー:L小池(4 AL井村 鹿島(3
窓岩リッジ 7 ps(グレードは体感による)
1p目 ?+ 30m 小池リード:残置ピンが1本ある堅いフェースを登る。赤岩本に記載されている2p目に合流する。顕著なテラスでビレー。
2p目 ?A2 25m 小池リード:5m程登り、そこから人工。ピンは比較的しっかりしている。ピン間の距離は近い。高度感満点の爽快な人工登攀が楽しめる。
3p目 ?+ 15m 井村リード:左へトラバースしてすぐにあわあわの岩を直上。岩がもろいので注意。
4p目 ? 30m 井村リード:?級程度のリッジを進み、フェースを右側から捲くように登る。残置が少なく、ランナウトを強いられる。P1のコルでビレー。
5p目 ? 40m 鹿島リード:赤岩本では2通りのルートがとれるが、左のルートは非常にもろそうなため右のルンゼルートを行く。プロテクションはほとんどカム。
6p目 ?〜? 20m 鹿島リード:窓岩の真下まで。トポとは異なるが、流れが悪くなるのでここで切ってもよいだろう。
7p目 ?- 15m 鹿島リード:窓岩を右側からトラバースし、窓の中へ。高度感がものすごい。終了点は窓の中にあり、大壁の終了点から見るとそれはもう壮観である。
<パーティ>
窓岩の風景になった。最高の赤岩収め。
<窓岩リッジについて>
全体的にもろいが、登れないことはない。ピンは3p目以降全体的に少なくぼろぼろのピンばかり。カム必携。全体的に高度感がものすごい。敗退しようと思えばどのピッチからでも懸垂で摩天の稜線側に降りることが可能。岩メインなどでA2を含むようなルートを狙っているのなら、窓岩リッジはいい練習になるだろう。4年間で1度は登っておきたいルートである。
...hide more

峠越えした人:井上ボンタ、下沢、矢野ヘルス、竹田、高田グジュ、アキオ会長
車の人:サンカク、安藤組長、岩間(と友人)、高篠おじじプラス現役8名 合計19名
夕方夜差し入れ:今村カケス夫婦(翌日よりネパールトレッキング)
当日参加:山田マユミ、山崎クンクン、白濱カリ公ら3名

前夜祭は暗くなる18時近く生ビールで乾杯。交通事故で亡くなった渡部老人の追悼もこめてアキオ会長が献杯。料理は野菜ドレッシングの他、ダッジオーブンで炊き込みご飯、手羽鶏と野菜のポトフとサツマイモ。さらにちゃんこ鍋やまぐろのカマと豪華。
幹事の高篠がヘルベチア委員会発足の事務連絡。次に今村トーチカからの祭の日程を早く連絡せよという苦言の手紙を披露。毎年の行事として10月の第4週目という事に決定を総会や会報で示すことに。さらにサンカクの国際スキー場上の白井岳を望むシャングリラの不法建築に撤去命令が出ているので、協力して解体の手伝いを誰かに頼もう・・・という話で盛り上がる。

いつものとおり焚き火を囲んでグダグダと昔話や、現役と交流をしながら、十六夜のおぼろ月の下、12時過ぎまで今回は歌も歌わず(しかし竹田さんかが山の歌をハーモニカで吹いてくれてた)に殆んどの酒を飲みつくした。
翌朝皆で水源とホースを点検。水源を直し2箇所でソケットの外れを仮に繋ぐと水が出るではないか!春になって水が減ったら修理を約束。薪も冬は持ちそうだが春になったら2tは納品する(以上今日サークル会館にお願いした)。

朝飯の煮込みうどんを食べていると大先輩3名が現れたので、いよいよ本祭りの開催。といっても簡単な紹介と記念撮影。その後第1回ヘルベチア委員会を開催。委員は4名欠席で、現役小屋管の高橋君と私と白濱さん、相談役のクンクンの4名で。ホースの修理品、鍋やランプ、薪などの備品のサークル会館への注文依頼、峠からの登山道の草刈(ヘルベチア基金を使う)、春と秋に水のホースの設置と撤去など、管理含めて今後とも現役と連携をとって、維持管理に努めることを約束した。次の委員会は7月の総会の日を予定。
帰りは朝里峠あるいは定山渓経由で車に分乗。定山渓は紅葉が見事であったが今日はいきなりの雪で真っ白になっている筈。会計はもあり、現役タダでOB会費3,000円、計33,000円と今年も去年も山田先生の差し入れと残合わせて58,102円。出費は58,693円でトントン。案内の葉書代1,500円のみヘルベチア基金から出してもらうことにします。
...hide more