
「サバイバル登山家」の服部文祥氏の最新刊。道具を持たず山に向かう姿勢は、20世紀初め、日本アルピニズム初期の登山、ひいては京都北山鯖街道、加賀藩の黒部奥山行にまで遡る。百年前の山、北海道の山ではアイヌが歩いていた事だろう。1920年代のAACH黎明期の登山を部報で読むにつけ、昔の人はどう登っていたのか?が僕にとっての大きなテーマになっていた。吾が意を得たり、の主題だ。その山行を装備装束含めて復元し、体験から得られる考察に共感する。古典は読んで思いは馳せるけど、ここまでやって書ける人はこれまでいなかったよね。
○1909年田部重治、木暮理太郎の日本初の縦走登山、1915年の同二人の日本初の沢登り、1912ウエストン、嘉門治の穂高南稜登攀をその装備、装束で再現。
○鯖街道(日本海の小浜から京都までの一昼夜鯖運び街道を自分でやってみる山行)
「1000年以上にわたって踏み固められて来た京都の街道は、美しく、風格があった。そのぶん、現代の土木工事に壊された部分は、致命的に醜く、薄っぺらだった。・・・(中略)・・・機械で壊した山肌を元のように戻すことはもうできない。林道を埋めて植林をしても、1000年かけて踏み固めた古道を復元するには、1000年かけて踏み固めるしか方法がないからだ。」
○上田哲農の「ある登攀」(1934)をなぞる白馬主稜
上田哲農の「ある登攀」は学生時代に読んだ。
「上田の慧眼にはまだ先があった。あえて死に近づく様な行為は、同時にそれが自己満足に終わるかもしれない、という危うさを併せもつことを、上田は常に意識していたのだ」
以降の下り、残念ながら失念していた。改めて本棚をたどる・・・。
○黒部奥山廻りのルートを探る
17世紀から幕末まで行われた加賀藩による黒部川右岸の、盗伐監視山行ルートをおそらく初めて再現した山行。これはおもしろい。近年見つかった奥山の下流部、険悪な場所の奥山廻りルート図を見てその後誰もそこを歩いていないことを知り、
「やれやれ、われわれ登山者はいったいいままでなにをしてきたのだろう。」
自然の地形の弱点を突いて、黒部右岸の険悪な支流のスキをつないで行く山行。こだわったのはロープで懸垂下降したりせず、あくまで手ぶら装備で、山をフリーでどれだけ行けるかを求めて後立山(鹿島槍ヶ岳)まで行く山行だ。柳又や北又のゴルジュの難所は通らずにルートを見つけて辿るが、一カ所懸垂下降したことを著者は悔しがる。
「テクノロジーフリーともいえるサバイバル山行を行って来た知識と経験を考えれば、二一世紀の現在、私がまっさきに二〇〇年前に黒部を闊歩した人々を理解していてよいはずだった。その私が率先する様に、奥山廻りの一行を否定していた。そして下奥山廻りを否定する根拠である「柳又谷を遡行できるわけないから」という見解には、よく考えると私の自意識が含まれていた。現在の登山者でも困難なことが、二〇〇年以上前の人にできるわけがないという主張は、分析のようで、実際のところ私の自己表現だったのだ。ひとりの登山者としてこんなに情けないことはない。」
実践を通して初めて分かる、自分を見る目だと思う。
「奥山の風景は二〇〇年前のままだ。「今にもどやどやと奥山廻りの一行が上流から現れそうな気がしてくる。われわれを見たら横目足軽は腰の刀を抜くだろうか。」
「われわれは正しいラインを歩いているのか。・・・(中略)・・・そしてその不安は随所で、昔の山人や杣人の存在を私に感じさせてくれた。ラインにはそこを歩いた者の山を見る目が表れる。私は、江戸時代の人々が見た風景を彼らと同じ目で眺め、江戸時代の人々が感じたことを同じ肌で感じることができたと思っている。」
山にいかに独自のきれいなラインを引くことができるか、これが最近の僕の最も興味深い主題だ。そのラインが先人のものと重なっていたことを後から知ると、感動する。江戸時代、平安時代とて変わりはしないのが山だと思う。
○ブラスストーブに関する章
プリムス、ホエブス、スベア、オプティマスなど、20年前までは山岳部の主力だった真鍮(ブラス)ストーブを、改めて考察する。著者は北極探検、南極探検時代を担ったのがこのブラスストーブだという知見に至る。改めてナンセンを読みたくなった。著者はサバイバル山行の一つとして銃で狩りをする。その経験をふまえて著者が改めてナンセンを読みなおしてみると、生き物を殺しながら続ける極地探検の意味がようやく分かったとある。「これは私の経験をもとにした想像だが、現代人には極地探検時代の人々と同じように、世界を見ることはできないと思う。いのちに関する考え方が違いすぎるからだ。・・・・以降略(この先大事なので本で読んでね)」からの下りはなるほどと思った。先日テレビで著者が狩りを行う様子を中心に放送があったそうで、それを見た人の印象には「かわいそう」なものが多かったようだ。
しかし、たかがオプティマスのストーブで米を炊くという目的に、鹿島槍北壁→キレット北上というルートを選ぶところが憎いところ。利尻南稜、仙法師稜分岐(なんせん分岐→ナンセン分岐)というダジャレも。
ブラスストーブの構造が、現在のガソリンストーブと違い、火力調節機能に人力の圧力を使っていて、よりテクノ度が低い(人力度が高い)という解釈はこれまで思い至らなかった。なるほど。ブラスに座布団一枚のポイントでした。
久々にオプティマスを使いたくなった。使い勝手は昔から使っていたから慣れているので、別にめんど臭くない。重いようにも見えるけど、担いでみると大したことないんだ。
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空白の五マイル 集英社
角幡唯介

面白い本だった。ヤルツアンポ空白部探検の記録は、未踏地帯の価値としては第一級。それに加え、生還が危なくなる終盤は、非常に気持ちを持って行かれた。久しぶりに同時代の探検記録を読みましたよ。
「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」
角幡唯介氏の話は、2003年ころの海外遡行同人の集まりで聞いていた。最後に残った未踏地帯、ヤルツアンポ川の屈曲部をほぼ完全に踏査したと聞いて、唸った。僕は1991年のナムチャバルワ登山隊に関わり、ヤルツアンポがどんなに行き難い所なのかを見ていて、金子民雄氏による探検史も読み、とても自分で行きたいという気は起きなかった。
ヤルツアンポの水流沿いにはものすごく困難な箇所が多い。剱沢大滝の水量も規模も何十倍もあるような所だ。何百mもの岩壁の巻きを繰り返し、先の見えない藪こぎをする。実際、記録はその通りだ。
「このような長期にわたる無人地帯の踏査行が登山と決定的に違うのは、だめだったら下ればいいという選択肢が与えられていないことだ。・・・そんな世界一巨大な牢獄みたいなところを、私ははいずりまわっていた。」
人類の空白地を行きたいという強烈な探検精神がなければ実行しようと思えない。角幡氏は早稲田探検部に入部して金子民雄氏の東ヒマラヤ探検史を読んで以来ヤルツアンポの計画を温め、「この中に誰も知らない滝があっても全然おかしくない、いや、というよりあるべきだろう。そしてもしそれが本当にあるとしたら、発見するのはおれだ。」と、動機もやる気も一直線。直球の探検バカぶりである。
ヤルツアンポの踏査のような探検行には、沢登りというジャンルのある日本の登山家には向いていると思う。欧米人は沢登りをしないから、泥壁のトラバースや灌木木登りクライミングや、ダニの藪キャンプなどには閉口することだろう。沢登り経験のある者には、この記録はまだ経験の延長線として読めるだろう。
角幡氏は自力と孤立無援の単独、そして通信機器無しにこだわる。そして、この地域はインドとの国境不確定地域に近く、中国当局の入域許可は出ない。だが、あの手この手で禁止区域のなかに入っていく。この辺が探検部と山岳部の違いか。
「チベットは現在、中国共産党政府により不条理に支配されている、そういう認識を私は持っている。そのチベットの奥地を訪れるのに、その中国当局に、なぜ多額の現金を支払って許可をもらわなければいけないのか。そのような疑問がそもそもあったので、無許可で旅行することに道義的な責任をほとんど感じていなかった。」というあたりが、まさにおっしゃる通り。実に探検部的である。同時に、この探検行は山岳部員では発想しないだろうと思った。
2002〜3年の探検では空白の5マイルに、チベットの宗教的な伝説にも重なる不思議な洞穴を発見し、未確認の大きな滝も発見した。この洞窟発見が他の誰も見ていない、彼の探検の山場かと思ったが、この本の面白さは、後半、2009年探検の後半、話が生存への脱出に変わるところからだ。
チベット人とのやりとりも微笑ましい。入域許可証の無い著者を案内する事を恐れて途中で帰る男たちに満額の金を渡すところ、最後にチベット人の公安の尋問で、チベット信仰の理想郷の話で相手がヒートする下りもおもしろい。どちらも、相手に誠実に正直に、真正面から対応している。目的に対する確信とその気迫を感じ取り、相手は敵にはならない。
1993年のカヌー事故で亡くなった武井氏の事も初めて詳しく知った。それも彼がもう一人を助けようとして一度安全な場に逃れたのにまた激流に戻ったことを。知人がこの隊に関係していたので事故の事は知っていたが、詳細はこれまで知らなかった。カヌーの危機判断は門外漢の僕には全く分からないが、あのヤルツアンポの流れにこぎだすなんてかなり無謀で、若く経験不足だったのではないかとこれまで漠然と思って来た。しかし彼らの人となりを今回読んで、その人物像を改めた。
その時の二人は、激流カヌーの分野ではそれなりに経験を積んでいて、判断を完全に任されていたとのこと。著者は、分野は違えど武井氏を同じ探検家として共感し、多くの頁を書いている。武井氏は高松高校の出身とのことだ。AACHには、早くに亡くなった同校出身者が多く、御縁を感じた。20代の息子を亡くした親の気持ちは今更になってようやく想像できる様になった。
30泊、40泊分を一人で担ぐ著者の装備を少しかいま見た。やはり食料の決め手は棒ラーメン。僕もこれしかないと思う。百円ショップで買ったというレジャー用シートをツエルトの上に結露よけに張るというのと、燃料はメタだけで焚き火というのにも共感。湿気の多いヤルツアンポで、焚き火のつかない事は無かったという。夏用登山靴で膝までのラッセルというのは厳しかったことだろう。夏支度なのにいきなり冬山になるというのは、僕ならちょっとうろたえると思う。それでも引き返せない。その選択肢は無い。
第八回2010年度開口健賞受賞
著者ブログ
http://blog.goo.ne.jp/bazoooka開口健賞といえば、5年前に藤原さん(1980年入部)が「絵はがきにされた少年」で第三回を受賞していますよ。
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年月日:2010/11/20-21(2-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 M1窪田 田中 高橋(1
<時間とルート>
1日目:林道Co640(10:00)Co980(12:30)Co1330=C1(15:00)
晴れ、ラッセルは踝。林道は黒線の林道まで雪は少なく勧めそうだが、Co640の橋手前に車を止め出発することにする。Co716過ぎた後の渡渉は端がなく、倒木伝いに進む。林道をCo980まで行き、磁石を切りCo1330付近の台地に当てる。ブッシュが出ているが邪魔ではない。Co1330付近は夏テンの晴れるタンネ帯であった。
2日目:C1(6:00)有明山(7:30)天狗岳(8:40)C1(11:00-15)林道Co980(13:30)林道Co640(14:30)
晴れ一時ガス、ラッセルは踝。C1からは有明北尾根に取り付く。Co1600あたりから白くなる。有明山ピークまでスキーで進む。稜線は北川が切れており雪庇もできそうであった。天狗岳直下は急なのでスキーをデポ、ツボでアタック。帰りは有明山上部でガスがかかり一時視界100となる。天場を撤収し、トレース沿いをもう少し雪があれば非常に快適であったであろうスキーで車まで下る。倒木を使い渡渉したところは転石で渡渉した。
<パーティ>
準山2回目、生活技術できた。体力確認できた。
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年月日:2010/11/14(1-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M岩田 窪田 高橋(1
吹上温泉(7:00)Co1560引き返し(11:30)吹上温泉(14:30-15:00)
天気は前面で最初は薄曇り。積雪は去年の11月末より少しだけ少ないくらい。風はCo1400より上くらいから時折気になる風が吹いた。ほぼ夏道上を行き時間切れで引き返し。途中雨が降り出し非常になえる。
<パーティー>
1年班準山1.5回目 行動技術の向上できた。
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年月日:2010/10/11/6-7(2-0)
メンバー:L小池(4 AL鹿島(3 M2井村(3 井ノ上(2 M1岩田 高橋(1
<時間とルート>
6日:旭岳温泉(11:50)-Co1460=C1(14:30)
曇り。M1がストックを忘れたためビジターセンターに借りに行く。200円だった。
雪は例年より多く、木道は埋まっており、夏道も時たま不明瞭。途中M1のスキーがはずれまくる。C1はワンゲルと一緒。天場でビーコン練習をする。ラッセルはワンゲルのを使わせてもらう。
7日:C1(6:00)-Co1560台地手前引き返し(6:35)-C1(8:00-8:30)-旭岳温泉(12:50)
出発時から視界100以下。夏道は雪で見えず、ブッシュもわずかしか見えない。Co1500の屈曲でデポ旗を二本打つ。台地に上がる手前でも視界は50-100mで、棒っこも出てなさそうなので引き返す。
天場を撤収し下山。天人ヶ原手前でM1のビンディングが壊れたため、ALはスキーをM1に貸し、つぼで下山。途中、天人ヶ原でビーコン練習。
<パーティ>
全体:冬メイン1年班準山1回目。生活技術を体験できた。スキー歩行・ビーコン練習できた。
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年月日:2010/10/31
メンバー:L小池(4 AL井村 鹿島(3
窓岩リッジ 7 ps(グレードは体感による)
1p目 ?+ 30m 小池リード:残置ピンが1本ある堅いフェースを登る。赤岩本に記載されている2p目に合流する。顕著なテラスでビレー。
2p目 ?A2 25m 小池リード:5m程登り、そこから人工。ピンは比較的しっかりしている。ピン間の距離は近い。高度感満点の爽快な人工登攀が楽しめる。
3p目 ?+ 15m 井村リード:左へトラバースしてすぐにあわあわの岩を直上。岩がもろいので注意。
4p目 ? 30m 井村リード:?級程度のリッジを進み、フェースを右側から捲くように登る。残置が少なく、ランナウトを強いられる。P1のコルでビレー。
5p目 ? 40m 鹿島リード:赤岩本では2通りのルートがとれるが、左のルートは非常にもろそうなため右のルンゼルートを行く。プロテクションはほとんどカム。
6p目 ?〜? 20m 鹿島リード:窓岩の真下まで。トポとは異なるが、流れが悪くなるのでここで切ってもよいだろう。
7p目 ?- 15m 鹿島リード:窓岩を右側からトラバースし、窓の中へ。高度感がものすごい。終了点は窓の中にあり、大壁の終了点から見るとそれはもう壮観である。
<パーティ>
窓岩の風景になった。最高の赤岩収め。
<窓岩リッジについて>
全体的にもろいが、登れないことはない。ピンは3p目以降全体的に少なくぼろぼろのピンばかり。カム必携。全体的に高度感がものすごい。敗退しようと思えばどのピッチからでも懸垂で摩天の稜線側に降りることが可能。岩メインなどでA2を含むようなルートを狙っているのなら、窓岩リッジはいい練習になるだろう。4年間で1度は登っておきたいルートである。
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峠越えした人:井上ボンタ、下沢、矢野ヘルス、竹田、高田グジュ、アキオ会長
車の人:サンカク、安藤組長、岩間(と友人)、高篠おじじプラス現役8名 合計19名
夕方夜差し入れ:今村カケス夫婦(翌日よりネパールトレッキング)
当日参加:山田マユミ、山崎クンクン、白濱カリ公ら3名

前夜祭は暗くなる18時近く生ビールで乾杯。交通事故で亡くなった渡部老人の追悼もこめてアキオ会長が献杯。料理は野菜ドレッシングの他、ダッジオーブンで炊き込みご飯、手羽鶏と野菜のポトフとサツマイモ。さらにちゃんこ鍋やまぐろのカマと豪華。
幹事の高篠がヘルベチア委員会発足の事務連絡。次に今村トーチカからの祭の日程を早く連絡せよという苦言の手紙を披露。毎年の行事として10月の第4週目という事に決定を総会や会報で示すことに。さらにサンカクの国際スキー場上の白井岳を望むシャングリラの不法建築に撤去命令が出ているので、協力して解体の手伝いを誰かに頼もう・・・という話で盛り上がる。

いつものとおり焚き火を囲んでグダグダと昔話や、現役と交流をしながら、十六夜のおぼろ月の下、12時過ぎまで今回は歌も歌わず(しかし竹田さんかが山の歌をハーモニカで吹いてくれてた)に殆んどの酒を飲みつくした。
翌朝皆で水源とホースを点検。水源を直し2箇所でソケットの外れを仮に繋ぐと水が出るではないか!春になって水が減ったら修理を約束。薪も冬は持ちそうだが春になったら2tは納品する(以上今日サークル会館にお願いした)。

朝飯の煮込みうどんを食べていると大先輩3名が現れたので、いよいよ本祭りの開催。といっても簡単な紹介と記念撮影。その後第1回ヘルベチア委員会を開催。委員は4名欠席で、現役小屋管の高橋君と私と白濱さん、相談役のクンクンの4名で。ホースの修理品、鍋やランプ、薪などの備品のサークル会館への注文依頼、峠からの登山道の草刈(ヘルベチア基金を使う)、春と秋に水のホースの設置と撤去など、管理含めて今後とも現役と連携をとって、維持管理に努めることを約束した。次の委員会は7月の総会の日を予定。
帰りは朝里峠あるいは定山渓経由で車に分乗。定山渓は紅葉が見事であったが今日はいきなりの雪で真っ白になっている筈。会計はもあり、現役タダでOB会費3,000円、計33,000円と今年も去年も山田先生の差し入れと残合わせて58,102円。出費は58,693円でトントン。案内の葉書代1,500円のみヘルベチア基金から出してもらうことにします。
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【年月日】2010年9月9-11日
【メンバー】L木城AL井ノ上(2
1日目 上高地(1000-1230)横尾(1300-1600)涸沢ヒュッテ 晴れ交通の都合で入山がおそくなるので、唐沢ヒュッテに泊まる予定で入山。上高地から山岳部に因む物しりとりをしながら横尾まで。結果はまぁどうでもよい。横尾からは黙々とヒュッテまで。
2日目 涸沢ヒュッテ(330-600)北穂(630-730)ドーム中央稜取り付き(800-1200)ドーム頭(…)北穂(1400-1530)穂高岳山荘 晴れ 
ラテルネつけて出発。BC地に到着後、小屋に入金し、テントを立て、ドーム中央稜へ。ドームを通過して踏み後をみつける。やたらとあるケルンに導かれながらリッジをcdして懸垂ポイントへ。20m懸垂したあとバンドを歩き取り付きへ
<ドーム中央稜>

1p目 35m ? 井
チムニーに80Lザックが挟まり身動きができなくなったので、ザックを肩にかけたデイジーとランナーでつなぎ、つりあげる形で抜ける。フォローは挟まるザックにいらいらしてA0。終了点はCSのあとのテラス。
2p目 40m ? 木
リッジ〜スラブ
3p目 40m ? 井
リッジ、ガレ場をUの字を書くように行く
4p目 40m ? 木
凹角
5p目 25m ?+井
ハングを左の端を使って登るも、なんだか不完全燃焼。Lがフォローで登った後、ALはLにビレーしてもらい核心下までcd。核心部を少し右側からフォローの形でもう一度トライ、灰になった。
終了後少し岩稜を歩き、夏道に続くルンゼをcdして夏道へ
帰りながら吊尾根経由で下山することに決める。
時間があるので今日中に穂高岳山荘まで行くことにする。払ったお金を返してもらいテント撤収。去年も歩いた道を行く。
3日目 穂高岳山荘(400-930)上高地 晴れ綺麗な朝日を見ながら稜線を歩く。ALのみ空身で前穂高へ。その後は岳沢パノラマを楽しみつつ下山。
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【年月日】2010/9/1-4
【メンバー】L井村 AL鹿島(3
[タイムとルート]
9/1 晴れ 槍見温泉登山口(8:00)錫状岩舎=BC(11:00)槍見温泉付近の登山口から入る。錫状沢とクリヤ沢の出合から上部の道は急で悪目。錫状岩舎へは、前衛フェースにいく途中にピンクテープがあり分かりやすい。岩舎は、洞窟ではなく、ハングした大きな岩屋根。そのハングにはルートが開かれていた。下は平らで、晴天続きに関わらず水も取れる。テントは2張りぐらい張れそう。リーダーが暑さにばてたため、この日は登らず、お昼から前衛フェースに行き、取り付きなどの確認をする。
9/2 晴れ BC(7:30)左方カンテルート取り付き(7:45)登攀開始(08:20)7p目終了点(11:40)懸垂終了(12:30)BC(13:00)前日の下見で登山道より北沢を詰めたほうが楽なことがわかりこの沢を詰めて左方カンテ取り付きまで。行くと先行パーティが2ついて、時間待ちした後登り始める。なお、核心を終えた後満足感を得たので正規の8p目は登らず、7p目の終了点から降りる。注文の多い料理店を50メートル懸垂三回。
【左方カンテ】
1p目 45m ?− 井村 :取り付きの目印は広場にある巨岩についた一個のリングボルト。トポによっては凹角とあるが、スラブっぽい。あとは、チャレンジアルパインクライミングを参照。
2p目 20m ?− 鹿島 :チムニーからフェース

3p目 15m ? 井村 :フェース。トポにあるボルトラダーはない。フリーで抜ける。
4p目 35m ? 鹿島 :狭く長いチムニールート。楽しい。終了点は木。
5p目 45m ? 井村 :珍しく残置の多いルート。フェース。要所要所でガバがあり快適。正規の6p目と継続。
6p目 35m ?A0(フリー?+。) 鹿島:核心。出だしのフェースは非常に細かいため、右のオフィズスを使えばフリーで突破できそう。リードはフェースを行きA0でぬける。あとはクラックの入ったフェースを抜ける。キャメ有効。
―講評― 岩質はとても硬く、総じて落石の心配はない。苔も生えていなかった。だがピンは総じて少なく、主にNPでの対処を強いられる。終了点はどれも強固なぺツルボルト。フェース、クラック、チムニーなどバラエティ豊かでとても楽しいルートだった。
9/3 晴れのち小雨 BC(5:15)無名ルート登攀開始(6:00)登攀終了(9:15)懸垂終了(10:00)1ルンゼ登り始め(10:50)1p目終了点(11:40)BC(12:00)【無名ライン】
1p目 50m ?〜?+ 井村 :草付の凹角を直上し途中草付テラスを交えつつ大テラスまで。トポより少し右上気味にブッシュをつかみながら登る。スラブだが、全体的に草の印象。やらしい。終了点はぺツルボルト。
2p目 20m ?+ 井村 :大テラスから大岩へとフェースを右にトラバースをする。ぴんとれず緊張する。大岩を右上したあと階段状の岩を上がり、さらに右にトラバースした後、木の生えたテラスまで。木でビレー。
3p目45m AA1?+(フリー5,9+) 鹿島 :テラスから細かいフェースを直上し、中段バンドまで上がる。このバンドまで行くと、右上にハーケンが比較的打たれているハング気味のルートがありトポではこれをA1とある。だが残置がぼろいためにキャメを決めてAA1を二手セットすることに。ハングの乗越しが核心。乗越したあとは、上に見えるクラックの走ったフェースを登る。本来ならブッシュで切るところだが、延ばして左方カンテ1p目終了点まで。フォローはフリーでぬける。この後すぐそばの懸垂Pから50m2pで注文を下る。しかしかなりギリギリなので三回で降りたほうがよい。
―講評― 全体的に草が多くやらしい印象を持った。カムを重宝するルート。3p目を行く人は?+を余裕を持って登れるくらいの実力が必要。
【一ルンゼ】1p敗退。
1p目 35m ?+ 鹿島 :ルートはトポ通り。凹角とフェース。全体的にガバ多く硬い。残置多し。終了点は強固。
無名ルートで予想以上に消耗したうえ、登攀の途中から小雨が振り出し岩もぬれてきたため、1pを登って帰ることに。下降は、50m1pab 。
9/4 晴れ BC(05:55)槍見温泉登山口(7:30)クライミングはお腹いっぱいになったので、来た道を早朝早々下山。
【パーティ】二回戦楽しめた。安全な判断できた。
L:夏バテ。
AL:AA1の判断できた。
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