画面手前はナメ一面に毛布のようなコケがびっしり生えています
撮影仕事ではありましたが、初めてカウンナイへ行きました。評判に違わぬ名渓でした。大雪の高地も新鮮でした。現役の頃は夏の大雪の辺りはあんまり行かなった。まだまだ道内の山知らないなと思いました。写真機が水没してしまい、源頭以降の豪快なお花畑の写真が撮れませんでした。
【ルート】
天人峡→カウンナイ川→ヒサゴ沼→化雲岳→天人峡
【メンバ】
米山悟(84年入部)蛭田弥希(早大山岳OB)、野入善史(95年入部)、内藤美佐雄(美瑛山岳会)
【行 程】
7月31日:カウンナイ川(8:00)→標高970mカウン沢二股C1(16:20)
8月1日:二股C1(5:45)→標高1016雪渓(6:15)→1080m魚止め滝→滝の瀬十三丁→標高1170m雪渓くぐる→1340mハングの滝→標高1370m両滝の二股→源頭→稜線縦走路(15:45-16:00)→ヒサゴ沼天場C2(17:55)
8月2日:C2(7:25)→化雲岳(10:30)→天人峡(17:00)
カウンナイは入渓して稜線までおよそ15キロ。林道無しの無垢な沢の、行程二日目に幅20m、長さが1.5キロの滝の瀬十三丁をはじめナメナメ天国が延々続く。源頭はヤブ漕ぎ無しの雪渓、下山路はお花畑を丸一日彷徨った。難しい所は無いが、水量が多いとお手上げになる人気ナンバーワンの沢。
撮影の仕事で、カメラマン蛭田君(早稲田山岳部OB)と、バイトの野入君(95年入部)、地元山岳会の内藤さんとの四人パーティー。時間は撮影しながらなので通常の2-3倍をかけている。
一日目はやや増水気味の単調な河原を行く。右へ左へ渡渉数十回。中州や岸辺には古い踏み跡が結構あり。内藤さんによれば、入渓禁止だった16年間でずいぶんこういう道が不明瞭になったとのこと。カウンナイはこの何も無い一日目が貴重だ。林道を降りていきなり滝の瀬十三丁では、山の深みの味わいが落ちる。
C1二股でオショロコマを追う野入君
二股には指定テントサイト有り。営林署の限定入渓許可制度では焚き火禁止とされている。何故禁止なのか根拠は不明だ。沢登りで焚き火が出来ないと、様々な不具合があり、良いことが何もない。
二日目は30分ほどで雪渓。左岸を乗って通過。温度差で水上に霧。要塞のような魚止め滝を登ると、遂に待ってましたのナメタキストリートが始まる。しかし仕事で来たのが辛いところ。これをあの手この手で撮影すべく智恵を絞る。ナメには厚いコケがフサフサ茂り、布団の上を歩いているようだ。野入君は深さ3mの丸い滝壺に競泳ゴーグルで飛び込んでみたり、ウオータースライダーをしたり体全体でクワウンナイを味わう。具合良く日が射し、東向きのナメがきらりきらりよく光る。
標高1170m雪渓をくぐって通過
1170mの、デブリの溜まりそうな屈曲点はくぐり抜けの雪渓が残っていた。1340mハングの滝、1370m二股の滝も巻き道がバッチリだ。源頭は内藤さんに寄れば例年に比べとても雪渓が多く残っている。稜線に上がると、カウンナイ左岸の小さな池をたくさん載せた、平らな高原地形が広々と見えてきた。人の分け入るはずもないその辺りののどかそうな風景に目を奪われた。
標高1200mあたりの長いナメ
大雪山の稜線歩きは、思えばこれまであまり憶えがない。現れては消える小規模な地平線とガスで全体像はよく分からないが、ヒサゴ沼までの距離は地形図の印象よりも相当長いしヒサゴ沼も大きい。山椒魚だらけの沼の水でタビを洗い、飯を炊く。
三日目は化雲岳初登頂。南から向かうと野原に直径7mほどのミカンのような岩が置いてあるような山頂だが、北の忠別川方向から振り返り見ればジャンダルム並みのかっこよさだ。山頂岩の上に登ると、忠別川源頭の谷を見下ろせて圧巻だ。
下りは長い尾根道ではあるが花に詳しい内藤さんに名前を教わりながら、満開、大規模なお花畑の中を誰にも会うことなく下った。これだけの花はこれまでに見たことがない。樹林帯の中、標高1360の湿原では、ワタスゲが盛り。花の変化の多いこのルートは地図での印象ほど退屈では無かった。薄底の地下足袋で足の裏のツボを刺激し続けて下ったので、足の調子もすこぶる良い。天人峡温泉の露天風呂で小雨をあびて、高原の花畑を思い返した。
【カウンナイ川の名称について】
学生時代(80年代)カウンナイ川と呼んでいた沢が、10数年ぶりに北海道に戻って、山岳部以外の山登りをする人のほとんどがクワウンナイ川と呼んでいるのを聞いて、違和感を憶えた。山岳部では今もカウンナイ川と呼んでいる。しかし、道内の大多数の岳人がクワウンナイ川と呼んでいるようだ。
確かに5万図には今も昔もクワウンナイ川と書いてある。以前これは、何故かはわからぬが旧仮名遣いの表記であり、呼び名はカウンナイと呼ぶものだと了解して居た。それについて少し書いたみたい。
周辺の地名はアイヌ語の語源を持つ地名であり、そもそもの音はカウンナイに近いものだった。それに和人が山頂の名前にもある「化雲内」の漢字を当てた。
「化」の字は戦前まで一般的だった旧仮名遣い表記では「くわ」である。カウンナイ川だけが、北にある別の化雲沢川や化雲岳とちがい、仮名表記だったため、戦前→戦後の仮名遣い改訂の際、取り残された。戦後、旧仮名遣いの表記が急速に忘れ去られ、文字の通り読む人が増えた。北大山岳部では、文字だけではなく、先輩から後輩へ沢の名前は音としても継承されたため、誤読みをすることがなかったのではないだろうか。
なお旧仮名遣いでは、「化」「華」「花」などは「くわ」、「科」「可」などは「か」と書いた。発音はもちろんどちらも「か」だ。前者は中国語で「ホワ」後者は「クア」という風に違う音だ。旧仮名遣いとはこのように、中国語の元の音の違いをかなり強く区別しているので、中国語学習をした人にはなるほどという風にわかる。「ホワ」が「くわ」に入れ替わる変化(hとkの入れ替わり)は他の言葉などでもよく見られる現象です。
カウンナイをクワウンナイと発音することはたとえば、「ごりやうくわくにゆきませう」と言って五稜郭に行くようなものだ。Wednesdayを「ウェドゥネスダイ」と読み上げるようなものだ。「クワウンナイ」ではもとのアイヌ語の意味を推し量れないようになる。1000年近くもかけて培われた日本語の正統的な表記法、旧仮名遣いに対する無知が常識になったということでもある。
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六月山行道南の報告です。
6月4,5日(2ー0) 六月山行・白水岳〜冷水岳
L中島(3 AL卓郎 寺尾 平塚(2 M安田 竹内(1
〈時間〉
1日目 登山口(5:35)→白泉(9:40)→白水(12:40)→見市分岐(13:10)→Co.1082付近(熊石岳)C1(13:50)
2日目 C1(3:50)→冷水(6:25)→登山口(11:05)
〈ルート〉
1日目 登山口より夏道を行く。Co.680二股の渡渉点(滑滝)は増水していたため、Mを空身で行かせる。夏道は所々に雪渓があった。視界・時間ともになかったため、遊楽部、臼別をカットし、
Co.1082付近の雪渓上にてC1。天気ガス、視界50。
2日目 C1より夏道や雪渓を歩いていく。冷水の登りは雪が多かったが、特に問題なし。その後も夏道を下り登山口まで。
〈パーティー〉六月山行
Ls M見れた 卓&平:装備チョンボ
M よく歩いた 安田:歩くはやさ 竹内:問題なし
〈感想〉
中島:無事に終わって良かった。
卓郎:行者にんにくサイコー!
寺尾:久々の夏道歩きを楽しんだ。
平塚:まったりしてて良かったかな?
竹内:メインでずっと歩くのは初めてだったので不安だったが、最後までちゃんと歩けて良かった。
安田:体力の必要性を痛感した。
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春メイン知床の報告です。
3/23〜29(6-1) 春メイン 知床
L山下(8 AL勝亦 中島 (2 M澤田 平塚 (1
時間とルート
1日目
海別川(10:00)ーCo740=C1(13:00)
快晴。除雪は奥まで入っていたため、海別川との合流点より入山。右岸をいくと林道にあたった。Co350のダム付近から林道をはなれ沢沿いを行く。Co430二股の少し上をスノーブリッヂで渡渉。中間尾根Co740樹林限界付近でC1。
2日目
C1=C2。
曇のち晴れ。停滞。午後から晴れる。
3日目
C1(5:30)ーCo1260(7:30〜8:00)ー海別岳(8:30)ー糠真布川Co800(10:00)ー・888西ポコ北Co720=C3(12:15)
曇のち吹雪。Co1140でシートラ。Co1260でガスがかかり視界がなくなったので時間待ち。海別岳北峰から北東にのびる尾根をおりる。視界50。糠真布川Co800でシートラ解除。コルから先はクラストしておりシーズリつぼ足。・888西ポコ北Co720でC3。
4日目
C3(6:30)ー最低コル(8:00〜15)ーラサ手前ポコ=Ω4(10:30)
くもり。風。・888北コルにあがり、そこからつぼやスキーで適当にポコをまいたりしていく。風が強いのでラサ手前ポコでイグルーでΩ4。
5日目
Ω4(13:00)ーラサヌプリ(14:30)ーオンネベツ川Co350二股=C5(17:00)
風のちガス。風が強いので時間待ち。ラサヌプリは上部岩壁を捲き北コルからアタック。北尾根Co840から北東におりる。略奪点はスキーかツボ。弱層テストした。オンネベツ川Co350二股でC5。
6日目
C5(9:30)ー「斜」コル(10:20)ーポンオンネベツ川上流Co640=C6(13:20)
快晴。沢をつめて「斜」コルに上がる。三つの岩峰は捲く。三つ目はつぼで。その先の三つのポコは上を行ったり捲いたり。ポンオンネベツ川上流Co640でC6。
7日目
C6(7:00)ー国道(13:20)
吹雪のち雨。悪天のためエスケープ。・619にあて、ひとつ北のカンバ尾根を下る。ポンオンネベツ川沿いの真鯉林道はDeath。林道はCo200付近まで。Co170〜60付近が崩壊。Co150の二股付近から右岸の尾根にのっている。Co70の二股下で沢に戻る。Co20の屈曲付近で崩壊。エスケープに不適。
パーティ
M:ちょっとうろちょろしすぎ。諸動作。
Ls:天気的にちょっとつっこんだ。M判断分かれた。AL二人は上出来。
感想
山下:ルーム的メインでよかった。
勝亦:楽しかった。飲みすぎた。
中島:貫徹は出来なかったが充実した山行だった。知床では色々起こるので病み付きになりそうだ。
澤田:稜線っぽい所歩くの楽しかった。・856の岩は色気があった。
平塚:ラサがかっこ良かった。何もみえなかったけどピーク行けて良かった。
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遅くなりましたが春メインの報告です。北日高は天気が悪く、停滞が続き、芽室岳引き返しという結果になってしまいました。
3月3〜8日 春メイン 芽室岳引き返し(3ー3)
L:見瀬(3 AL:澤田(4 M:寺尾、辻、吉田(1
<時間とルート>
3/3 晴 上羽帯(11:50)→小屋(14:15)=C1
除雪終了点より林道を行く。ラッセルはくるぶしからすね。
3/4 快晴 C1(5:50)→夏道尾根頭(9:50〜10:05)→芽室岳(10:20〜25)→頭(10:40)=Ω2
夏道尾根はCo1200あたりから雪庇が東側に出るが、尾根が広く対処は容易。Co1500付近でスキーを脱いでシーズリアイゼンストック。頭に荷物をデポし、EPでピークAt。終始快晴無風。頭に3hかけて雪洞を掘る。
3/5 雪 Ω2=Ω3 午後から気圧の谷の通過という予報 停滞
3/6 吹雪 Ω3=Ω4 停滞
3/7 晴風強し Ω4=Ω5 予報では全道的に晴。6:30に一度出発するが、10分ほどで引返し。 停滞
3/8 吹雪 Ω5(6:25)→(8:55〜9:15)→上羽帯(10:30)
シートラEPで夏道尾根を下る。Co1400あたりでシートラ解除。あとはスキーで下山。
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山スキー部OBの北川君と大千軒岳の沢登り記録です。先週の三連休は夏風邪で日高に行けず、せつなかった・・・。
● 2005年7月
【ルート】
知内川林道→知内川奥二股沢右股→前千軒岳→大千軒岳→夏道→知内川林道
【メンバ】
米山悟(84入部)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
7月23日
知内川林道→奥二股沢標高240左岸C1
7月24日
C1(6:25)→知内川奥二股沢右股→F1二段20m滝高巻き(7:25-8:00)→F2(8:40-9:40)→F3登れない滝(10:30)→前千軒岳(12:00)→千軒平(13:00)→大千軒岳(13:30-45)→夏道→奥二股出会いの車デポ(16:00)
【天候】
晴れ時々曇り
【記録】
八雲の北川君と江差線の上磯駅で待ち合わせて、道南の名峰大千軒を目指した。前千軒に上る沢ではあるけれど、山塊第一の評判の知内川奥二股沢の右股から。この山は前千軒から大千軒にかけての稜線歩きも楽しみ。
土曜日は車デポから2,3分歩いた河原で焚き火して泊まる。まあまあの薪だったが火を起こせば蚊も失せて、焼酎で星を見上げて、いつしかうたた寝する。
翌朝は冷やし中華にトマトとキュウリまで載せていただき、6時半に出発。道中記憶に残る滝は三本だ。
一本目は2段20mとその上にも一つ見えているやつ。登る人もいるらしいがこれは朝イチでファイトがわかず、左岸の草付き急斜面をどこまでも高巻く。ずるずる滑ってろくなブッシュも無く、気持ち悪い。
二本目は中段にバンドのある10mくらいの滝。右岸を行く。後半チムニー状の所をシャワー浴びて右に回り込んで突破。良いホールドはあるが、勇気が必要。ロープ出したのはここだけ。
三本目は直登不能の滝、円い窓から滝が落ちている様な形状。右岸の泥ルンゼを登って草付きをトラバースして、なんとかブッシュを繋いで抜ける。
そのほかいくつも調子よく登れる滝あり。丸窓の滝を越えると高い木は無くなり、イタドリのようなポキポキの草ばかりになる。標高690あたりで雪渓の落ち残りあり。全体に雪が多いせいか掴めるブッシュに乏しい。ハンマーバイルのピックが泥壁で威力を発揮した。
枯れ沢の行き止まりから一漕ぎヤブを漕ぐとエゾカンゾウとイブキトラノオの咲き乱れる稜線に出た。高い木が生えないため、眺望が良い。行く手の大千軒までが全部見渡せた。中千軒までは道が不明瞭で笹も高く、クマ道を行く。10mおきにクマの特大ウンコが積んである。中千軒を超えるとヤブはなくなり、天国のようなお花畑が続く。
夏道と合流してからは、登山者も多い。花を楽しみに来ているようだ。山頂につくと、沢の先行パーティーが2パーティー。足跡を見て予感はしていたが、ここでどの滝をいかに突破したかなどを情報交換した。この沢に同じ日に3パーティーは珍しいと思われる。聞いてみれば、北海道の山メーリングリストで読み憶えのある人たちだった。
帰りは樹林帯に入ってからが長く感じた。早く登れる松前側の登山道に比べ、知内側を使う人は多くは無さそうだ。キリシタン史跡もあるし、山の奥深さを味わえて、いいルートだと思う。
帰りは道内最古の温泉、知内温泉に浸かった。擦り傷、切り傷にしみる熱い湯だ。瓶牛乳を飲んで函館へ。右手の津軽海峡にはイカ釣りの漁り火がたけなわだ。
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南稜のぼる斎藤と芦別岳
芦別の夫婦岩で岩登りしてきました。花咲き乱れる良い季節です。南峰南リッジの見当違いで南東尾根を登ってしまい、継続登攀する羽目になりましたが、おもしろかったです。
かえりは三笠の高篠さん宅でごっつあんになりました。三笠ルートは長大トンネルが出来たおかげで富良野盆地への最短ルートです。今後とも突然訪問よろしくお願いします。
● 2005年6月
【ルート】
山部→旧道→ユーフレ小屋→γルンゼ→南峰南東尾根→南峰南陵→旧道下山
【メンバ】
斉藤清克(87年入部)、米山悟(84年入部)
【行程】
6月18日(晴れ)旧道登山口(14:30)→ユーフレ小屋近くC1(16:20)
6月19日(晴れ)C1(5:30)→ユーフレ本谷・γルンゼ出会い(6:20)→南東尾根取り付き標高1050m(7:30)→南東尾根標高1300mあたり→南稜取り付き標高1200m登り直し(11:00)→夫婦岩南峰(14:00-30)→旧道の沢源頭(15:15-45)→旧道→C1デポ回収(16:45)→旧道登山口(18:15)
【記録】
6月の山は雪渓が残り、雪渓の脇には花と山菜がたくさんだ。ユーフレ沢は増水してたっぷり流れていた。旧道が、沢を何度か高巻きするところは、昨年の台風のため大木にふさがれたりで荒れていた。地元の人たちが15人くらいでちょうど道をなおしていた。ユーフレ小屋は20年ぶりだ。変わらぬ佇まいだが、石室の宿命で中が暗いので、向かいの中州でツエルトを張り、焚き火して寝た。この高さではアイヌネギは少ししかない。コゴミをたくさん採ったので熱湯をかけて食べた。間もなく満月の月がでた。
朝は3時半から明るい。のんびり焚き火でラーメンを食べて出発。倒木の丸木橋で左岸に戻り、沢沿いを行く。標高670mあたりから雪渓に埋まる。足回りは軽登山靴にアイゼン。日帰り装備で軽快そうな単独行者が本谷を登っていった。γルンゼ二股からは芦別がK2のように三角に見える。γルンゼを登ってしばらく行くと右岸から雪ブロックと岩の雪崩をうける。凄い音で上を見てよけた。標高1300あたりで南東尾根に取り付く。最初僕らは南稜リッジとはこの尾根の上部だと思っていたのだ。取り付きでアイゼンを外してアイヌネギをたくさん刈り取る。
南東尾根は時々岩が出てくるがヤブこぎの割合が結構多い。それでもヤブをはさんで4ピッチ(3級以下)出して登っていくと、左側に側面を岩壁でそぎ落とされたイカした傾斜のある尾根が見える。目指す南峰南稜リッジはどうもあちらのようだ。まだ時間が間に合いそうなので、1300m辺りから急なルンゼをバックステップで降りて、そっちの方に乗り換える。地図読みを間違えたのではなく、ねらいのルートの場所を間違えていたのだ。
南峰3ピッチ目のクラック
1pめ:草付きルンゼ、40m、3級以下
2pめ:小ピナクルに出る。ヤブもあり40m、3級以下
3pめ:クラック。左側の絶壁側をとる。10m、3級+
4pめ:テラスから右へ木登りから始めるフェイス3級、40m
ガケ沿いのヤブ漕ぎ2p。途中岩ギャップ有り。50m×2
5pめ:クラックかぶり気味3級+、8m
6pめ:崖っぷちのヤブ漕ぎ、50m
全体に岩はもろい。ホールドも多いが信用ならない。僕は久しぶりの岩で、かぶりのピッチでは手がパンプした。靴は軽登山靴。3,4,5pめあたりが核心で残置ハーケンも多い。トップはほとんど斎藤。
山頂は四畳半ほどで見晴らしが良い。チョウノスケソウはじめ高山植物の最高の季節だ。視界も良く、懐かしの北芦別一帯や、雪渓を刻み込んだ芦別岳など、ながめを堪能する。両夫婦岩間のコルまで急なヤブを降りて、細いガレルンゼを懸垂。25mを三回、あとはだましだまし下ると、白樺の新緑と雪渓の、楽園のような窪地に出た。キンポウゲとアイヌネギの咲き誇る草地に雪解け水流。ここで乾いたのどを潤した。この雪田からは夫婦岩の西壁が丸見えだ。周りの緩斜面はスキー遊びにも最適だし、子供でも連れてきて滑らせておいて、大人は岩登りでもしたらよさそうだと斎藤の提案。この季節、谷は雪の廊下で埋まっているのでユーフレ谷周辺も登り放題だ。
グリセードで沢を降り、やがて旧道を下るが、雪解け水流で旧道は何カ所も浸水していた。あまりの奔流に、沢は真っ白に泡立っていた。夏至の日は長い。荷物を回収して旧道を下り、山辺の商店で牛乳を買って飲み干す。日中の乾きのせいか、いくら飲んでものどが渇く。
日の暮れた空に芦別山脈を西に見て、札幌への途上、三笠のOB高篠さん宅に寄った。白菜とハムの三つ葉スープをいただいてスキーの話など。札幌への途中風呂、ラーメンを済ませて深夜発函館行きバスに乗ると、知り合いの学生がいた。バスの客層は学生か、台湾からの学生旅行者ばかりで若々しかった。(記録・米山)
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書評
ブロードピーク(8047メートル)
マルクス・シュムック著、横川文雄訳
1964・朋文堂
2005.6.9
ブロードピークの初登攀記を札幌の古本屋で見つけた。その後の再版は見かけない新書版だ。1957年、未踏の8000m峰はあとこのブロードピークとダウラギリ、GI、シシャパンマだけに残った時分とはいえ、この遠征隊は他と違う。たった四人のハイポーター無しで、8000の未踏峰アタックを成功させている。物量を投入した大遠征隊が常識だった当時としては、信じられないくらい画期的な計画を貫徹していた。1953年のナンガパルバットでは大遠征隊で出かけながら、最終キャンプからの標高差1000m、直線距離6キロを超えるアタックをたった一人で登って帰ってきたあのヘルマン・ブールがメンバーで参加しているのがうなずける。そしてそのブールは、このブロードピークの成功のすぐ後についでに登ったチョゴリザで雪庇を踏み抜いて死んでしまった。
ヘルリコッファーの「ナンガパルバット」にも、ブール自信の書いた「八千米の上と下」にも無い、ブールの人柄がこの本には書いてある。著者で隊長のマルクス・シュムックはその後のヒマラヤ記録に見ないが、ブールはじめメンバー達の生き生きした記述が良い。
ブールと最期の山を共にした最年少隊員だったクルト・ディームベルガーの、その後の長いヒマラヤ人生の、ごく初期の活躍記録でもある。ディームベルガーはこの史上初めての8000m軽装登山を皮切りに、現代に至るまでヒマラヤを登り続けている生き字引だ。
ヘルマン・ブールに別れを告げるくだりで、彼らが歌った「カメラーデンリート」の記述があった。北大山岳部では遭難者追悼の折りに必ず歌う歌だ。他で歌っている話を知るのは初めてだ。この時代のドイツ、オーストリア登山家の間では一般的な習いだったものを山岳部が受け継いだのだろうか。
このようなわけで、今はなき良書出版社の朋文堂がわずか一瞬、新書版でのみ発売した貴重な記録を、古本屋で、たった千円で手に入れられて幸運だった。
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六月山行で北日高に行ってきました。三日目は天気が微妙だったのですが、何とかもってくれて、春メインのリベンジをすることができました。Mの海太は連日の長時間行動に耐えて頑張ってくれました。数枚の写真も一緒に載せておきます。吉田(2)
6/2〜4 六月山行 北日高 (3−0)
L見瀬(4 AL吉田(2 M海太(1
<時間とルート>
6/2 晴れ ゲート(4:20)-Co1720=C1(15:20)
ゲートの鍵が入手できず、地図上最終人家の少し先にあるゲートから歩き始める。
夏道は所々荒れている。Co800付近では水量が多く、渡渉ができなかったので高捲く。二の沢では渡渉数回。一ヶ所靴を脱いで渡渉。Co900くらいから雪渓が出てくる。
Co1100くらいで沢が雪渓で埋まる。
Co1140くらいからCo1120左岸尾根に上がる。後は尾根上を行き、額平山下Co1720の雪渓の上でC1。
6/3 曇り時々晴れ C1(4:45)-額平山(5:00)-北戸蔦別岳(5:25)-戸蔦別岳(6:50~7:00)-幌尻岳(9:05~9:10)-戸蔦別岳(11:10~11:30)-北戸蔦別岳(12:40~13:00)-C1(13:40)
北戸蔦別まで雪渓をつなぎながら行く。
戸蔦別までの途中の岩稜状の所は、雪もなく、夏道はっきりしており問題ない。
幌尻の肩に上がる所の岩まじりの急斜面も、雪がなく、ザイル出す必要なし。
帰ってきてから、額平山直下に良いテン場を見つけたので、テン場を50mほど上げた。
6/4 霧雨 C2(4:45)-北戸蔦別岳(5:30~5:45)-1940(8:30~8:55)-ピパイロ岳(10:00~10:30)-伏見岳(12:45~13:10)-小屋(15:00)
霧雨が降っていたが視界あったので、雨具を着て出発。上部はガスっており、北戸蔦別で視界100。
1940手前は細いところが長く続く。雪がついていたらいやらしいだろう。ピパイロ途中の岩稜上は夏道はっきりしており問題ない。
伏見の下りは雪がべったりついており、視界ないと迷いそう。
小屋まで車をまわしていたので、小屋で下山。
<パーティー>
L:問題なし AL:前歩けた。Rf、口出しもっと頑張れる M:諸動作。頑張って歩いた
<感想>
L)リベンジできて良かった。
AL)貫徹できてうれしかった。最後の下りは足にきた。
M)大変だった。焚き火惜しかった。
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●2005年5月28日~29日
●比良山登山
今回は相田さんの計らいで、琵琶湖畔のリゾートマンションで一泊し、翌日比良山の最高峰に登るという計画。関西支部で山登りをするのは何年振りなのだろうか。
報告:岸本
参加者:相田支部長、高橋(昭)、伏見、岡島(本人、奥さん、子供2名)、高橋(龍)の各氏と岸本
5月28日午後3時、天気よし。会員が三々五々ヴェルドール琵琶湖リゾ−トに集合し,そのまま湖畔に繰り出す。白砂青松(但し潮の香りはない)人影極少。対岸にうっすらと沖ノ島の島影を望み、背後の比良山に夕日が傾く頃、炭火をおこしBBQの始まり。箸の動き、杯の傾き、簡単な自己紹介はいつもの如く。ただ、岡島一家の小学生の女の子2人が水辺でキャ−キャ−騒いだり、お母さんの横で黙々とサラダ作りを手伝ったりするのが目新しい。
暮れなずむ頃、支部長が辺りに散らばる松の枝木を急速に炭化させるゾと下命。その明りのなか、時にハモり、たまにがなり、肩を組み、親しんだ歌が出ていつしか辺りは闇。リゾートマンションに戻りもう少し談笑して、12時頃就寝。
29日朝食後、車に分乗し出発。途中のコンビニで昼食の弁当を確保し、高橋(昭)さん、伏見さんとはここでお別れ。
比良山系の琵琶湖側(東側)は、概ね300M付近から1000Mくらいまでがかなり急だが、それより上の頂き付近はおだやか。従ってきつい登りで二日酔いの体を絞り切り、後ははるか下の琵琶湖を渡ってきたそよ風を受け、散歩がてらに頂上を目指すという、優雅な登山ができます。
9:15比良山登山口駐車場発、依然天気よし。12:20武奈岳頂上(1214.4M)着。背負ってきた弁当はおにぎり、焼き魚、新香が渾然と一体化しピラフもどきになっていた。しんがりを黙々と務めてくれた高橋(龍)君は、久しぶりの登山だとのこと。岡島君共々家庭と会社でもみくちゃにされる年代だものなあ。軽くなった体で15:15登山口着。差し入れしてもらったスイカを大口開けてかぶりつく。かくしてたっぷりと半日かけた頂上往復正統派登山を終える。
今度は月見にベストな折にでもまた集まりましょう、ということで会員達は来たときと同じように三々五々に解散。
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またまたたどおかなおきです。
先週,現役に召喚されてしまい2年半ぶりに空沼小屋行ってきました。
去年の18号の影響が空沼にも及んでいました。
あからさまに昔よりも床が傾いていました。
壁の隙間もあからさま。もう手遅れなんでしょうかね。。。
それにしても1年目1人,2年目4人にぼく(7年目)と,寂しい空沼開きでした。
理由はどうあれ上の年目はしっかりしてほしいです。
以下,少々写真をアップします。
滝も埋まっていました。
沼は変わらず(?)
小屋の中もぱっと見変わらず
しかしこう見ると傾いているのが分かる。
まきわり
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